2-47 春の魔女⑦
トリシューラの快進撃は翌日も続く。
クラッキングによって公社が独占している物質創造能力を利用したインフラ関係のソースコードが開示され、支配的組織であった公社の権威は見る間に失墜。
トリシューラが巡槍艦内部に保有する工房には巨大サーバーが設置されていて、オンラインマーケットの管理運営やホスティングサービス(レンタルサーバー)が主な資金源となる予定だ。
トリシューラが実装した多数の端末間で対等な通信を行うことによって生まれるピアツーピア型の決済網と呪術的に暗号化処理された仮想通貨は、基軸通貨であった治癒符の暴落による隙間に見事に滑り込んで一定の地位を獲得した。そのシステムが海外送金に適していた事から出稼ぎ探索者たちに好まれたのである。暗号鍵そのものが呪文として意味を為している点、管理者であるトリシューラが有資格の言語魔術師であることもまた価値を保証していた。
「現在の第五階層みたいに完全に自由な競争社会というのは、実際には格差を生み階層を固定化しやすいの。すると上昇志向の減少に伴って生産性が低下していく。必要なのは適度な介入と管理だと私は考えてる」
オフィス(と俺が勝手に呼んでいる、先日トリシューラと話した事務室か執務室のような部屋)のデスクに腰掛けて、打鍵のペースを維持しながらトリシューラは作業を続けている。口をついて出る為政者めいた言葉は溢れんばかりの自負と自尊に裏打ちされている。発言に見合った成果が出るかどうかはこれから次第だろう。
タータンチェック(この世界ではタータンチェックとは言わないと思うが)の暖色スカートに身体にフィットした黒いタートルネックのニットという装いで、普段よりも若干気怠げに見えた。
暖房の効いた室内の空気はどこか重く、ぬるい。
肌にまとわりつくような温度は寒さから逃れた直後は心地よいが、慣れてくると鬱陶しくも感じるものだ。
生成した板材を組み合わせて作った椅子に腰掛けながら、俺はトリシューラの作業をぼんやりと眺めていた。他にやることがないのである。
負傷はもう完全に治癒しているので、これ以上この場所で世話になる必要は無い。だが、これからトリシューラに協力していく場合にはここに留まるという選択肢も用意されている。事実トリシューラは俺の為に巡槍艦の一室を空けてくれているのだ。
至れり尽くせり。しかし、心の何処かで未だ踏ん切りが付いていない部分がある。
住居も雇用先もおまけに腕まで用意してくれて、これ以上無い待遇ではないか。なんの不満がある?
言語の問題はコルセスカのお陰で解決している。このままトリシューラに協力すれば『公社』のやくざな仕事からも足を洗えて今後の生活も順風満帆ということで何を心配することもなくやっていける。
それなのに、どうしてか気が重い――いや、軽いのか。
まるで今この肌を覆うぬるい空気のように。
足場がふわふわとして定まらない、自分が何処にいるのかもわからないような感覚。
「マリッジブルーだねそれは」
「別に結婚するわけじゃないだろう」
したり顔で解説してみせるこのアンドロイドを、俺はたまに馬鹿なんじゃないかと思う。
「失礼だね。それにそう的外れな喩えでもないよ。魔女と使い魔の正式な契約には幾通りもの形式があるけれど、私は春の魔女として、ヒエロス・ガモスという儀式を行う」
「儀式?」
「似たような概念がそっちにもあるから名称はギリシャ語からそのまま引っ張ってきたの。他にはヒエロガミーとかセイクリッド・マリッジとかいう呼び方もあるけど、聖婚、つまり聖なる結婚という意味だね」
こいつは何故こんなに俺の元いた世界の事について詳しいのだろう。
ていうか聖なる結婚? なんだそれは。
「ものの喩えだよ。冬が死の象徴なら春は生命の象徴。季節が移り変わる事を死と再生のサイクルに見立てて、豊穣を願う普遍的で原始的な儀式形態のこと。王や祭司、巫女といった人々が超越的存在に代わって象徴的に結婚の儀式を執り行うことで、仮想的に神々を結びつけるの。そうして神々をリモートコントロールすることによって、下界に豊穣をもたらそうっていう狙いがあるわけ」
「ふうん。なんか似たような話を聞いたことがあるような」
言ってからすぐに思い出す。ミニチュアの第五階層。仮想の義肢を普及させるという昨日の話によく似ている。
「
なんか悪魔呼ばわりされた。酷い言いがかりだと思ったが、よく考えたら俺は異世界からやってきた存在であり、そのような見方をされるのも無理は無いのだった。召喚されたわけじゃなくて事故で転生しただけだが、この世界の住人からすれば似たようなものだろう。
「超越的な存在との象徴的婚姻によって、呪的に交信し、お互いがお互いの属性を帯びる。こうして深い繋がりを獲得することによって、いずれ結実するであろう新たなる生命の誕生を祈念するの」
「そういわれても、まだよくわからないな。なに、子供作るの?」
「は? キモッ、何を期待してるの馬鹿じゃないの死ぬの? 象徴的だって言ってるでしょそもそも私にそんな機能ありませんこの変態。機械に欲情するとか頭おかしいよアキラくん」
「そこまで言うか普通。ってかトリシューラの説明がわかりにくいんだよ、なんだよ新たなる生命の誕生ってそんな言い回しされたら誰だって誤解するわ」
「それも喩えだってば。呪的なエネルギーとかそういうのだよ。この場合はアキラくんの新しい左腕用のね」
「なら最初からそう言え――俺の左腕?」
「うん。最高の物を用意するって言ったでしょう? だから、壮大な儀式呪術を執り行って、可能な限り呪力を注ぎ込んだ
言葉を見失って、しばしトリシューラをぼうっと見つめる。普段と変わらない緑の瞳にはっきりと見返されて息が止まる。彼女には何の迷いも逡巡も無いのだ。ただ、目の前のするべき事をするだけ。
トリシューラはただ最善を尽くす。
彼女から見て悪魔めいた存在である俺に対しても、自分ができる限りの事をする。
機械らしいと言えば機械らしい。いや、トリシューラらしい、というべきか。
相手が正常なパフォーマンスを発揮するのなら、俺はそれに応えるのが筋というものなのだと思った。
「――結婚ね。まあ、必要なら指輪交換でもケーキ入刀でも三三九度の盃でもやるよ」
「うん、まあ大した事はしないよ。あくまで儀式だから」
それで俺に足りないもの――欠乏した腕と足場が確保できるのなら、むしろ安いものだ。それからトリシューラは作業の手を止めて、もう一つ、言葉と続けた。
「あのねアキラくん。誰でも環境が変化する時には心が浮き足立つのは仕方が無いと思う。でも安心して。私との契約は、なにも魂を捧げるような大それたものじゃない。アキラくんが不満だと思えばいつでも破棄できるものなんだよ。アキラくんは、いつでも私を拒絶できる。その事を忘れずにいれば、私に何もかもを縛られるという不安を抱える必要は無くなると思うよ」
言葉は、どこか俺を安心させるような柔らかい響きを伴っていた。
悪魔との契約にしては随分と都合のいい言葉。雇用関係と考えるならば当然の権利。
気がつくと、肌にまとわりつくぬるさが気にならなくなっていた。
肩から力が抜ける。どうやら、魔女の甘言に誑かされて安心してしまったらしい。
我ながら単純な性格をしていると、呆れと共に息を吐き出した。
トリシューラは確実に『俺が契約をしない理由』を潰していく。その態度は極めてフラットで、淀みが無く、傍目からは完璧な計算に裏打ちされた行動に見えた。俺の目を奪い、魅入らせるほどの自信に満ちあふれた姿。
――その時は、そう思っていたのだ。
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