2-46 春の魔女⑥


 

「忘れて下さい。いいですね?」

 

「そもそも何のことかわからない。なあレオ、さっき何かあったのか?」

 

「え? ええと、僕は難しいことはちょっと分からないです」

 

 白々しくとぼける俺と気まずそうに目を逸らすレオをなおも疑わしげに見ながら、コルセスカは念を押したそうにしていたが、これ以上は自分の傷口を広げるだけだと悟ったのかおとなしく引き下がった。


 半眼のまま、今度はトリシューラに視線を向ける。

 

「で? 一体何の用件ですか。これで下らない事だったら呪いますよ」

 

 呪術師が言うと洒落にならない台詞で恫喝するコルセスカは、既に着替えて俺の前に立っても問題が無い装いになっている。白いブラウスに格子模様が特徴的なクリーム色のカーディガンを合わせて、足首までを覆い隠すロングスカートにはいつものように目玉の模様。身体のラインが分かりづらい服装なのは先程の一件を気にしてのことだろうか。いや、これは男目線の余計な勘繰りか。

 

「大丈夫、ゲームよりは下らなくない事だから」

 

「下らないとは何ですか。私にとって、迷宮探索と竜の討伐よりも大事な事などありません」

 

 その台詞だけ抜き出せば理想的な探索者だが、今となっては駄目な引きこもりの寝言にしか聞こえないのがアレだな。

 トリシューラはコルセスカを無視して、説明を始める。


 場所は移り変わって、巡槍艦下部の大きな部屋。フロアの大部分を占めるのは巨大な台座のような機械だった。


 広々とした台は淡い光を発しながら、その上の精緻な造型群を照らし上げている。箱形の建造物が無秩序に建ち並び、ある時不意に増えたり消えたりを絶え間なく繰り返す。通路を行き交うデフォルメされた二頭身は、多様な種族で構成された無数の群衆。実体を持つ物質が出現したり消失したり、果ては動いたりするのは何らかの呪術が働いているのだろう。


 そのギミックを初めて目にした俺達三人が、揃って息を呑む。

 スケールこそ縮小されているが、一度見ればこの特徴的な街並みはすぐに気付く。これはつまり。

 

「第五階層のミニチュア? しかも、リアルタイムで現在の状況を反映しているのか?」

 

 それはちょっとした驚きだった。

 第五階層を縮小して再現している技術そのものに対してもそうだが、それだけの情報を即時に収集して、それをフィードバックするという情報収集力と処理能力に対しての驚きが大きい。

 

「考えてもみて? 第五階層限定の物質創造能力は、この階層に一定期間、厳密には259,200秒滞在することで付与される。こうして分割貸与された掌握者権限は外には持ち出せず、同じ期間この階層を離れていると消失してしまう」

 

 半年前の変化以来、第五階層では最前線近くに居を構えることが可能になった。これにより長期滞在する探索者たちと彼ら相手の商売人たちが増え、更に上から下、下から上に物が流通していくために人口は増加の一途を辿っている。


 レオの方は初めて知る事実なのかふむふむと頷いているが、そういえば彼はまだ能力が使えないのだったか?

 とはいえ、俺とコルセスカにとっては既知の事実である。

 

「それが何だっていうんだ?」

 

「第五階層はそれを自動的に行っているんだよ、アキラくん。この階層には、入出の記録、滞在時間の計測、さらに創造能力を貸与する対象の位置情報の捕捉、その他諸々の機能がデフォルトで備わっているわけ」

 

「つまり、常時全ての住人の行動をモニターしているということですか?」

 

 コルセスカが問い返す。瞳からは眠気が完全に飛んでいた。

 俺の方も頭を回している所だった。階層の掌握者権限というのがどういう仕組みなのか、呪術についてまるで知識の無い俺ではさっぱりだが、あれは本人の意思や行為によって発動する。


 試しに、右手を軽く振って念じると、空中に二メートル四方の正方形が出現した。色やディティールをイメージしなかった為、灰色で作りも粗い。が、空中に固定させるのはだいぶ慣れてきた。低い位置まで移動させて、レオの後ろに滑らせていく。


 もう三枚の板を生成し、他の二人と俺自身の所に宙を滑らせるようにして移動させる。

 何だコイツ、みたいな周囲の視線を無視して、俺は即席の椅子に腰掛けた。


 ――よし、落ちないな。

 他の面々も恐る恐ると言った感じで浮遊する椅子に座っていく。別に深い意味は無い。か弱いレオを立ちっぱなしにさせておくのもどうかと思っただけだ。他はついでだ。

 

「なんか、いつの間にか変な芸を身につけたね、アキラくん。まあいいや。今見てもらったように、意思やイメージ力、そして具体的な行為なんかが引き金になって創造能力は発動する。つまりそれは、能力発動の度に第五階層がその意思をくみ取って階層自体の形を変えているということでもある。この世界は住人をずっと見続けていて、その願いに可能な限り応えるようになっているんだよ」

 

「階層そのものが住人の思考と動作という膨大な情報を常時取得し続けている?」

 

 口にしてみて、それがどれだけとんでもない事なのかを理解してぞっとする。

 一体どれだけ莫大なデータ量が物質創造の度に行き交っていたのだろうか。

 そして、目の前の第五階層のミニチュアがどういう仕組みで動いているのかも想像がついた。

 

「ならこれは、その第五階層が記録しているデータベースサーバー的な所から引っ張ってきたってことか? トリシューラはあれか、クラッカーな人か」

 

「あー、ご期待に添えなくて申し訳無いんだけど、そういうことじゃないんだ。データベースはここなの」

 

 ここ? と首をかしげると、トリシューラは目の前のミニチュアを指差した。

 

「最初にそういうルールに設定したの。第五階層の全ての情報は、この巡槍艦に集まる。掌握者権限の管理はここで行われているんだ」

 

 唖然。いや、お前それは。

 

「何が第五階層の掌握者は誰でもない、だよ。実質的にトリシューラじゃねーか!」

 

「形式って大事だと思うの。あと私は自分が有利になるようにここにシステムを集中させただけ。私を殺したって現状が変化したりはしないからね、念のため」

 

「言われなくてもそこまで物騒な事はしない」

 

「どうでしょう? この常識欠落娘には一度死ぬまで氷をぶつけてみるのがいいような気がするのですが」

 

 知らないところで無茶苦茶をやっていたトリシューラに、コルセスカはだいぶ怒り心頭のご様子であった。

 平然と微笑み続けるトリシューラの精神は鋼鉄で出来ているに違いない。実際アンドロイドだしな。

 

「まあ私のしたたかな知略の冴えは置いといて」

 

「狡賢さの間違いでは?」

 

「安全地帯から街を俯瞰して支配者気取りってすごい悪役ポジションじゃねえの?」

 

「――置いといて、これを利用して色々したいと思っています。まずは、四肢を失った人々への補綴っていう話だけど」

 

 レオがぴくりと猫耳を立てた。コルセスカは何の話か分からず、何とはなしに俺の方へ視線を向ける。――が、すぐに気まずそうに目を伏せた。


 おや?

 今のはどういう反応だろう?

 そうした動きには構わず、トリシューラの説明は続く。

 

「見て。このミニチュアの街にいる人々は、みんな手足が健在なのに気付かない?」

 

 トリシューラの言うとおり、模型化された夥しい数の住人たちは五体満足である。実際の第五階層の住人たちの多くは四肢の欠損や種族特有の身体的特徴を備えており、そうしたディティールが反映されていないのは大量生産の規格品だからだと思っていたが、何か特別な意味でもあるのだろうか。

 

「それはね、この模型たちが彼らの魂の鋳型を元に製作したものだから。たとえ肉体を失っても、精神、つまり脳は無い筈の肉体を覚えているの。精神が認識している本来の肉体形―――幻肢とも呼ばれるそれが、ここでは元々あるものとして再現されている。ていうか、私が原型を作って再現してるんだけどね」

 

「そういえば、貴方の趣味は模型作りでしたね」

 

 思い出したように呟くコルセスカ。その趣味については俺も数日前に知り得ていたが、まさかこんな所で生かされているとは思わなかった。流石に人も建造物もかなりデフォルメされていて大量生産品のようだったが、どれだけのコストと手間をかけているのかを考えると大した物だと思える。

 

「手足を失った人たちも、人形の世界では手足を兼ね備えている。この事を利用して、類感呪術で義肢を代用するシステムを運用しようと思ってるの」

 

「ごめん、何言ってるのかわからん」

 

 類感呪術って何?

 首をかしげる俺に、今度はコルセスカが解説する。

 

「つまりこういうことですね? 四肢を失った方の個人情報を登録し、幻肢によってここにある人形を遠隔操作させる。動いた人形はこの場所でミニチュアの第五階層に影響を及ぼし、それが現実の第五階層にも反映される。模型と現実が連動することを利用して、呪的念動力によって義肢の代替にすると」

 

「その通り。それだけだと物が勝手に動いてるようにも見えて見た目がいまいちだから、立体映像テクスチャでも貼り付けて、仮想の四肢を付けてもらおうと思ってる」

 

「あー、つまりアレか。髪の毛を藁人形に埋め込んで五寸釘を打ち込むと、髪の毛の持ち主に災いが降りかかるヤツを大規模にしたってことか」

 

「その理解で合ってるよ。この場合、髪の毛は個人情報で藁人形は私の作った模型ってことになるかな。五寸釘を打ち込むのは本人なんだけどね」

 

 この場合だと、第五階層という一つの都市そのものを再現した藁人形ということになる。しかもその藁人形同士が相互に影響し合い、現実世界と同期して実際に影響力を行使するということらしい。

 呪術のこんな形での活用は、完全に想像の外にあった。思わず呟いてしまう。

 

「壮大だな」

 

「実際は必要に迫られて仕方なく、っていう側面が大きいんだけどね。実体を持った義肢を行き渡らせるとコストがかかりすぎるし、掌握者権限を奪われた人はどうしようもなくなる。そもそも、この世界の人ってアキラくんやセスカとかと違って侵襲型の機器には抵抗感が強いんだよね。寄生異獣だってかなり反発があったし」

 

 トリシューラの言葉にいくつかの違和感を覚える。俺だけでなくコルセスカも肉体を侵襲する機器を使用しているということなのか? それに松明の騎士たちが利用する技術、寄生異獣について、まるで当事者であるかのような物言いをしていることも気になる。


 浮かんだ疑問は、しかしその場にそぐわないもので、後で訊ねる事にして続きに耳を傾ける。

 

「この世界の人にとっては、どちらかといえば形のない力を利用する方がしっくり来るんだよね。だから大規模な儀式呪術によって一括して念動義肢を用意しようと思ったの。これは、感覚器などの情報面もカバーできるんだよ。まあ、視界はだいぶデフォルメされた光景になっちゃうけど」

 

 イメージとしては仮想現実、もしくは拡張現実の概念に近い。

 特徴的なのは、摸倣された現実で起きた出来事が、本来の現実にも影響を及ぼすこと。

 

「ただしこれが機能するのは第五階層内だけ。探索者としては戦えなくなるけど、それ以外の仕事の口もある今の第五階層でなら、とりあえず再起の望みは生まれるよね。資金が貯まれば私の所で実体のある義肢やそれに替わる力を用意することもできるし。あ、アキラくんに用意してる義肢はワンオフものだから無理だけど」

 

 やー、これ準備するのに半年もかかっちゃったよーと朗らかに言うトリシューラだが、俺はむしろたった半年でそこまで大規模なシステムを構築したのかと驚いた。


 コルセスカも同様に感心している様子で、俺には理解できないであろう呪術的な高度さについてなにやら思いを巡らせているようだった。

 レオは目を輝かせ、感極まって言葉も出ないという様子だった。トリシューラを見つめる目には尊敬の色。


 そういえばレオは最初からトリシューラのことを先生と敬称で呼んでいた。医者であることがその理由だったのだろうが、この一件で尊敬の念はますます高まったに違いない。

 

「ふふん。どうかな、私けっこう頑張ったと思わない?」

 

「あー、まあそうだな。実際に運用してみて、どのくらい上手く行くのかとかテストしてみないことには」

 

「そこは素直に褒めようよ!」

 

 得意げな表情に応えてやるべきだと理性は言っているのだが、何故かそれを拒もうとする感情が生まれてしまう。いいことをしている筈なのに、このウザさはなんだろう。

 

「褒めて欲しい、というのを前に押し出してくるから貴方は鬱陶しいんですよ、トリシューラ」

 

「えー! 正当な評価を求めてるだけなのに?! ひどくない? 褒めてよーねえ褒めて褒めて」

 

「ああ、もう、鬱陶しいですねこの承認欲求お化けは」

 

 人を呼び集めて何をするのかと思えば技術自慢だ。彼女の承認欲求が人一倍なのは間違い無い。


 いや、この状況では自慢も重要な行動だ。何故なら、彼女は俺に対して己の有用性を証明することが目的の一つだからである。それをコルセスカの目の前で行うのは、己の優位をはっきりと示すためだろう。


 一見して平和なやり取りも、その裏には熾烈な鬩ぎ合いと心理戦が――

 

「ねーえーほーめーてーよー」

 

「暑苦しいから離れなさい、ええい離れろと言っているのに」

 

「セスカは体温低いなー。冷却冷却ー」

 

「私をクーラー扱いするなといつも言っているでしょうっ」

 

 熾烈な――熾烈なじゃれ合い?

 この二人の関係は本当によく分からない。こういうものか、とも思うし、これでいいのか、とも思う。


 その日はそうしてトリシューラの実行力を見せつけられる形で幕を閉じた。

 三日間の最初の一日。トリシューラは遺憾なくその実力を見せつけてくれた。今更褒めるまでもなく、彼女は極めて傑出した能力を有している。


 そのスケールの広がりを、俺はもっと見ていたいと感じていた。

 

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