2-45 春の魔女⑤


「トリシューラはなんか、ポストヒューマンっていうよりプレヒューマンって感じだよな」

 

「喧嘩売ってるの? 買うよ?」

 

 巡槍艦の内部を歩きながら、俺とトリシューラは下らないやりとりを交わす。

 あれからレオと共に階層の外れまで戻り、巡槍艦の内部に帰還した後、俺はトリシューラに呼ばれてとある区画に向かおうとしていた。


 背後からはレオも着いてきている。先程の光景に感じるところがあったのか、言葉少なに何事かを考え続けているようだった。

 

「――でね、さっきまでやってたのは国際送金ルート潰し。出稼ぎ探索者たちの国際送金は基本的に全て【公社】が取り仕切ってる非正規のルートを使ってるの。非正規のルートで送金すると獲得額のロスが少ないから皆そっちを使いたがる。第五階層には公的な送金システムが無いからね。規制のための法律が無いから非正規のルートが成立しやすいわけ。現在の最前線である第五階層に人が集まるのは送金の効率がいいからっていう理由もあるんだよ。効率よく稼ぎ、効率よく送金ができるからこれだけ出稼ぎ探索者が集まるの。で、その送金を取り仕切っているのは【公社】だから、そこを潰せば――ってねえ、アキラくん聞いてる?」

 

「え? ああ聞いてる聞いてる。てかそんなことしたらその出稼ぎ探索者が困るんじゃないか?」

 

「うん、だから私がもっと簡単で効率のいいシステムを構築するわけ。非正規の送金ルートは犯罪組織の資金洗浄にも使われてるから、【公社】の資産の動きを堰き止める役にも立つしね」

 

 トリシューラは淀みなく【公社】を潰す段取りを口にしていく。口で言うほど簡単な作業では無いと思うのだが、この女は明らかに並の人間から逸脱したスペックを有しているのだった。


 彼女は今やるべき事を正確に見定めている。

 未だ足場の不確かな俺や、何か迷いのありそうなレオとは対照的だ。

 そういえば、と思い出す。


 迷宮を踏破し、竜を倒すと言っていたコルセスカは今頃何をしているのだろう。

 こちらの思考が読まれたのだろうか、先導するトリシューラが振り向いて口を開く。

 

「ちょっと寄り道するけどいい?」

 

「寄り道?」

 

「セスカの部屋。これからやることを説明しようと思って」

 

 競争相手なのに自ら手の内を見せるのは少々意外――でもないか。絶対的な敵対関係ではないのだから、条件によっては共闘が持ちかけられる。コルセスカはわりと話が分かりそうな雰囲気があるし、そうおかしな行動でもない。


 コルセスカに割り当てられた部屋の前に辿り着くと、ひとりでに扉がスライドして開く。


 まだ日も落ちていないというのに、部屋は薄暗かった。窓には遮光幕がかけられ、照明も点いていない。即座に暗い環境に眼が順応する。トリシューラの後ろから室内の様子を窺うと、ちょっとひどい有様だった。


 まず目に点いたのは部屋の中央でもそっと膨らんでいる毛布の塊である。寝台からマットレスだけが引き抜かれ、部屋の中心に鎮座しており、それを布団にして寝ているらしい。床の冷たさが気にならないのだろうか。空の寝台は縦にして部屋の隅に追いやられていた。そこまではまあいいとして、問題は床の汚さだった。寝床を中心にして放射状に散らばる物、物、物。床に積み上げられているのは大量の本、そして菓子類やジャンクフードの包装の数々。そういや数日前に買い物した時に、ああいう日持ちのする食品類を買い込んでいたなあと思い出す。


 しかし、昨日移ったばかりの部屋をどうやったらここまで散らかせるのか。

 そしてプライベートでもしっかりしてそうなイメージが完全に崩壊した。

 部屋の中央で、蓑虫のような毛布の塊がもぞもぞと蠢いた。気持ち悪い。


 端の部分からぬっと白銀の頭が這い出て、下から仄かな燐光がそのアシンメトリーの貌を照らし上げる。何の光かと思ったらどうやら携帯端末のディスプレイから放たれる照明のようだった。正直怖い。

 

「あーあ。こんなに散らかして。ちょっとは整理整頓しなよ」

 

「勝手に触らないで下さい。それは散らかっているのではなくて、手に取りやすいように配置が最適化されているのです」

 

「そうなの? 私には無秩序に放り出されてるようにしか見えないけど。それより話があるから来てくれる?」

 

「なんですか。私は火竜を倒すための武器を集める作業で忙しいんです」

 

「療養中に何しようとセスカの勝手だけどさ、暗いところでゲームしてると目を悪くするよ」

 

「私の義眼はこの程度で機能が低下したりはしませんよ。そんなこと、共同開発者である貴方が一番良く知っているでしょうに」

 

「いや、左目は生身でしょ。いいから照明点けなよ。あとゲームばっかしていると駄目人間になるよ」

 

「下らない偏見を。いいですか、迷宮探索系のハックアンドスラッシュというのはですね、いわば競技なんですよ。極めてストイックな性質のスポーツなんです。一回性の死、シビアなリソース管理、突発的なアクシデントへの対応力。先を見越した最適なプレイングを行い、より高いスコアを目指す。試行を繰り返し、死に覚える事が上達への近道という点ではシューティングやアクションにも近いジャンルと言えますね。知識や経験が蓄積されることでプレイヤーが熟練していく。このようにしてゲームを通して高められていくプレイヤーのどこが駄目人間だと言うのですか」

 

「うーん、そういう事を真顔で言っちゃうとこかな」

 

 言いづらそうに、慎重に言葉を選択するトリシューラ。若干弱っているようでもあった。

 俺は困惑していた。え、これコルセスカなの? この残念な生き物が?

 ていうか手に持っているその携帯端末、普段使ってる物と違うと思ったらまさか携帯ゲーム機か。


 普段の凛とした面影は皆無だった。温度の低い声はただ怠そうな声にしか聞こえないし、涼やかな視線というよりはぼんやりとした視線でディスプレイを眺めるその様子はなんかもう。

 

「引きこもりか」

 

 思わず心の声が口から出てしまっていた。

 

「ええそうですよー私は世界の負け組で家族の脛を囓って享楽を貪る放蕩娘ですよ――ん?」

 

「都合のいい時だけ家族面するのやめてよ本当にもう。明かり点けるよ?」

 

 トリシューラが言い終わるより前に部屋が明るくなる。唐突に変化した光量の落差に、布団から頭を出していた生き物がうぎゃあ、と呻いた。うぎゃあて。

 

「くっ、やめなさいトリシューラ。私は敗者。闇の中に身を潜めているのがお似合いなんです。世界の輝きは私には眩しすぎる」

 

「馬鹿なこと言ってないでさっさと起きてくれる? アキラくんとレオと一緒に話しとく事があるから」

 

「アキラと、誰ですって? おや、そういえば先程、ここにいるはずのないアキラの声が聞こえたような。それとトリシューラ、さっきから何故わざわざ日本語で?」

 

「いや、俺ならいるけど。ここに」

 

「えっ」

 

 俺が存在をアピールすると、ぴたりと固まってこちらを凝視するコルセスカ。大丈夫かこいつ。

 トリシューラは部屋の中央まで進んでいくと、無造作にコルセスカの身体を包む毛布を掴み、引き剥がそうとする。

 

「ちょ、何するんですか止めて下さい! それは私が世界の残酷さから身を守るための最後の殻なんです!」

 

「はいはいもう起きるんだから寝言は止めようねー。はぁ、私はセスカのママじゃないんだけどなー」

 

 それ口癖か何かなの? それともフレーズが気に入っちゃったの? 何か不快な響きなんですけど?


 脳内でちびシューラに問いかけるが、無視された。

 それどころか、肩をすくめて『やれやれ』みたいなポーズをとられた。てめえ。

 

「なんで分かってくれないんですか! 嫌なことがあるともう明日が来て欲しくないじゃないですか! 布団にくるまったまま外界の時間を忘れて自分だけの世界であらゆる事をやり過ごしたいんですー!」

 

「うわめんどくさ。分かりたくないよそんなん」

 

 俺はちょっと分かるような気がする。

 でもそれ、後になって夕方とか夜に起きると、何でこんなに時間を無駄にしてしまったんだろうって空しくなるコース直行だからな。

 

「ああ、どうして世界は私に過酷な現実を直視させようとするのでしょう。ちょっと休んだだけであっというまにいろんな事が私を置き去りにしていく。私以外の時間が止まってしまえば、こんなに苦しまなくて済むのに」

 

「この駄目人間! こんなのが私より優秀とか、本当にどうなってるんだか」

 

「私の呪的性質が優秀なのは私がこういう人間だからですー! 文句があるなら私のような性格になることですね!」

 

「それは断固拒否で」

 

 聞くに堪えないやりとりを重ねる二人だが、何か今コルセスカの能力の核心っぽいこと言っていなかったか? 気のせい? ひょっとして物体を凍らせたり超高速移動したりといった超呪術はそんなしょうもない動機で生み出されてたの? いや切実なのはわかるんだけど――。

 

「ぐぎぎ、お布団にくるまって寝ることは言うなれば私にとって呪術の鍛錬だというのに――」

 

「鍛錬ばっかして、いつになったら実践に移る気なのさ!」

 

 しばらく毛布の押し引きを繰り返してた二人だが、機械と生身とでは馬力が違うのか、軍配はトリシューラに上がった。がばりと毛布が取り払われる。

 

「やめてほんとやめて、今下がアレなのでちょっと、ぎゃああああ!!」

 

 キャラを崩壊させながら絶叫するコルセスカの姿態が白日の下に晒される。裾の短いスリップ一枚で、白い肩や胸元、細い脚などが見えてしまっている。加えて、身体を横たえている為にウェストから腰にかけての柔らかく、そして引き締まった曲線がはっきりと浮かび上がってしまっていた。不摂生な生活をしている割に細く、女性的なラインを維持しているようだ。


 さっとコルセスカの白い頬に朱が差して、素早く枕に手が伸びる。常にその両腕を長い手袋で覆い隠している彼女だが、流石に寝る時には外しているようだった。


 違和感に目を瞬かせる。異様な光景だった。それは暗い紫の包帯であった。枕を掴んだ手から腕、肘にかけて、肌が見えなくなる程にびっしりと暗色の帯が巻き付けられていたのである。包帯には蚯蚓がのたくったような不可思議な紋様、あるいは文字のようなものが血液を思わせる赤い塗料で記されていた。


 どうしたわけか、コルセスカの両腕に異様な鬼気を感じる。センサーの類が何らかの脅威を察知しているというわけでもないのに、まるでアレがこれまで目にした中で最大の脅威であるかのような感覚。この世界に来て半年、俺にも霊感じみたものが備わってきているのだろうか。


 一瞬だけ感じた脅威と戦慄は、直後に伸びてきた弾道予測線によって遮られる。


 羞恥に頬を染めたコルセスカの一投が、俺の視界を遮るべく精確な狙いをつけているのだ。回避は容易だったが、俺はアラートを無視して枕をその顔で受けた。柔らかい衝撃。いい枕を使っているようだ。そのまま部屋の中が見えない場所に移動する。


 うん、今のは女性の部屋を勝手に見てしまった俺が悪い。

 

「ト、トリシューラの馬鹿ぁぁぁっ!」

 

「ちょっ、部屋で呪術使うの止め、ぎゃああああ!!」

 

 部屋から響く絶叫と漏れ出す閃光。しばらく後に、なにか争う物音がやかましく聞こえてくる。おい、今銃声がしなかったか。


 これは暫くかかるかな、と枕を手に廊下でぼんやりしていると、所在なさそうに立ち尽くすレオの姿。

 

「あの、止めなくていいんですか?」

 

「放っておけ、あれは多分」

 

 一瞬言い淀んだが、ややあってそのまま口にすることにした。

 躊躇うことは無い。本人達がどう主張したところで、あれは言い訳の余地が無く見たままだ。

 

「よくある姉妹喧嘩だ」

 

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