2-44 春の魔女④


 状況が把握できずとも、何か自分の与り知らぬ所で大きな動きがあると言うことは感じ取れるようで、レオはしきりに周囲を気にしていた。

 

「あの、アキラさん。さっきの場所で、何を話してたのか、訊いてもいいですか?」

 

 おずおずと、レオがこちらの服の袖を引いてくる。

 不安そうな表情は当然の結果だ。彼は言葉が理解できず、俺にただ連れ回されて困惑しているに違いなかった。

 

「なんだかさっき、アキラさんもあのお爺さんも、すごく険悪な感じで怖かったです」

 

 レオの言葉に首を捻る。傍目から見て、あの邂逅はそんな風に見えたのか?

 表面上は丁寧なやりとりに終始していたと思うのだが。

 

「言ってることは分からなかったんですけど、二人ともにこやかなのに全然声が柔らかく無かったです。もの凄く寒くて、冷たい感じの響きがしました」

 

 感覚的な表現を述べながら、レオは頭頂部の猫耳をぴくぴくと動かした。

 彼には一体何が見えていたのだろう。いや、聞こえていた、というべきなのか?


 言葉の意味がわからないぶんだけ、それ以外の表面化しにくい情報が処理しやすかったのかもしれない。

 

「特にあのお爺さん、見た目はすごく優しそうなのに、喉の奥で唸り声を隠しているみたいな感じがして、本当に怖かったです。アキラさん、あの人と喧嘩するんですか?」

 

「大丈夫だよ、レオ。あの人は、俺に仕事を紹介しようとしただけだ。住む場所のない人に、住む場所を紹介する仕事だな」

 

 不安がらせないように気を遣いながら、端的な事実を伝える。感覚の鋭敏なレオに対しては嘘は避けた方が良いような気がした為だ。

 俺はレオを連れて、市街の中心区域から外れた道へ逸れていく。


 辿り着いたのは浮浪者などの貧困層が集う区画だった。『公社』に許可された物乞いや街娼たちの声が響き渡り、第五階層の多様な種族の中でも『弱い』とされる者達が大勢たむろしていた。


 治安が良くないため危険ではあるが、俺が注意しておけば問題ないだろう。

 美術品のように愛らしい少年の容姿も、ここでは容易く商品に堕する。早速声をかけられて怯えているレオを引き寄せて、離れることの無いように言い含める。

 

「ここには迷宮探索に失敗してしまった探索者が集まっている。国外からの出稼ぎ組や全てを捨てた連中、質の悪い組織から金を借りた奴らなんかが帰るに帰れず燻っているわけだ」

 

 それだけではない。他の区画に比べると、上の人種だと肌の色が赤褐色だったり黄褐色だったりする比率が高く、下の種族だと昆虫系や植物系、矮小複眼人などの戦闘能力が低めとされる者らが多い傾向にある。


 彼らはたとえ迷宮探索者として優秀でも、他の多数派と混じって住む事を拒絶されることが多い。加えて、排除される少数派の者達も協力して生きていこうとするために集まっていく傾向が見られる。二つの事象の相乗効果によって、ここにはゲットー的な隔離区画が形成されているのだ。

 

「弱っているから奪われやすい。奪われ続ければもう搾取される立場から逃げ出せなくなる。そうやって、骨まで組織にしゃぶられ続けるんだ」

 

「なんとかならないんですか?」

 

「どうだろうな。弱みにつけ込もうとする連中が居なくなれば再起できる奴もいるだろうし、故郷に帰れる奴もいるかもしれない」

 

 そして、迷宮に挑んで死んでいく者も。

 ここにいる者達は負傷したとは言え生還はできたのだ。もっとも、死んだ方がマシだったかもしれないが。


 治癒符などの呪術的な治療は急速に傷を塞ぐが、身体部位の欠損などといった状況はどうしようもない。手足を食い千切られる、溶かされる、燃やされる、凍結によって壊死するなどの負傷は探索者にとっては戦闘能力の大幅な低下、あるいは喪失を意味する。


 俺の左腕も似たようなものだ。この半年間生き残ってこれたのは運が良かったとしか言いようがない。

 義肢の技術があまり発達していないらしいこの世界では、手足の欠損は致命的な事態で、社会からの落伍に直結してしまうのだろう。


 そうした人々をすくい上げるセーフティネットが無いわけではない。

 しかし、そもそも松明の騎士団や探索者協会といった組織に入れない者、保険に加入するだけの資金を持たないため、再挑戦の機会が得られない者など、最初から機会を持てない者が圧倒的に多い。


 保険に加入できるかできないかの違い。自分との余りの差に、ぞっとする。

 探索者の組合に入れない者の多くは国外から一山当てに来た者や、失業した移民らである。傷病、あるいは精神的な後遺症により探索の続行が困難になった者もいる。


 迷宮においてそれらは『行き止まり』に等しいのだ。

 手足を失うという不便さは説明するまでもなくレオにも想像できたのだろう。道ばたに寝転んだり座り込んだりしている人々が皆そうであることに気付くと、顔を青ざめさせた。


 しかし、続く反応は意外なものだった。

 俺の左の義肢を見て、更に右の義肢をじっと見て、レオは俺に問いかける。

 

「アキラさんが付けてるみたいな腕は、みなさんに差し上げられないんですか?」

 

 一瞬、返答に窮した。

 卑劣な行為を弾劾されているような気分になって、気息の流れが停止する。


 俺の右腕は、この世界には本来あってはならないものだ。

 有り得べからざる異物。不正によって持ち込まれた技術。多世界間の規範を乱す犯罪行為。


 俺だけが恵まれていて、ここにいる多くの弱者たちは何も与えられず、奪われるだけ。俺は半年間、彼らをいないもののように無視し続け、間接的に奪う側に荷担さえしてきた。


 レオが純粋な優しさからその言葉を発したのはわかっている。それでも俺には、その言葉が右腕を引き千切って差し出せという要求に聞こえた。


 一人だけ恵まれているのは卑怯だ。右腕を失え、感情を制御して戦闘を補助する脳内の機器も「ずる」だから置いていけ、脳髄を引き摺り出し脊髄を抜き取って細胞内のマイクロマシン群を全て摘出して全身の血液を撒き散らしながら今すぐ死ね。


 苦しんでいる人々と同じだけ苦しめ。それがこの世界で生きるということだ。

 

(そんなわけないじゃん、馬鹿じゃないの)

 

 時間が止まった。

 行き交う人々、目の前で純粋な瞳をこちらに向けるレオ、ノイズとして入ってくる音、それら一切が停止して、視界の中で動くのは二頭身のデフォルメ体だけ。


 舌に甘みが広がって、棒付きのキャンディーが突き出されていることに気付く。ちびシューラが呆れと怒りを半分ずつ表現しながら、此方を睨み付けていた。

 

(平等の為に不幸な人に合わせてたら、最終的な結論は全人類皆殺しだよ。まあそれはそれで邪悪な魔女っぽいけどさ、どうせならもっと明るくいこうよ)

 

 俺の閉塞した視界が急速に広がっていく。世界の彩度が上がっているようだった。

 ちびシューラはキャンディーを教鞭のように振りながら、軽やかに言葉を紡ぐ。

 

(アキラくんが義肢を捨てるんじゃなくて、みんなが義肢を手に入れられるようになればいいと思わない?)

 

 だが、この世界に電子制御義肢は無いとコルセスカは言っていた。

 

(うん、だからシューラが用意できるのは、呪術制御義肢。疑似科学の粋を集めた、擬似的に神経接続を行う呪われた腕だよ)

 

 そうだ。俺が協力する見返りとして、左腕を与えると彼女は言っていた。

 ならばその左腕の技術は俺以外にも適用可能な筈だ。

 

(幻肢ってあるよね。失ったはずの腕を、脳がまだあるように錯覚してしまう、幻の腕。シューラが用意する義肢は、幻肢と接続するの。アキラくんの場合、右の義肢があるおかげで脳が騙されることに慣れてるから、きっと成功するよ)

 

 例えば、脳内のニューロンネットワークを読み取って動かす、というのならまだ理解の範疇だ。あるいはより単純な表面筋電位を感知し、その出力が閾値を超えるかどうかでスイッチのオンオフを制御して動かすタイプの義手でもこの世界の技術レベルなら再現できるように思う。しかし幻肢と接続するという彼女の言い回しは、そういうことではないような気がする。

 

(うん、アキラくんの右腕みたいな仕組みは、残念ながら完全には再現できない。ある程度までならシューラの持っている技術で真似事程度はできるけど、それでも補助的な機能にするくらい。メインとなるシステムは、あくまでも幻影っていう呪術的な存在を捉えて物質と繋げるっていう理屈だから)

 

 荒唐無稽な話だった。しかし、この世界ではその荒唐無稽が常識である。

 しかし、そうは言っても幻肢とは脳のはたらき――誤作動の一種だ。それを精確に読み取って義肢の動きと連動させることが本当に可能なのだろうか。できるとしても、コストの問題などはどうなるのだろう。

 

(正直に言えば、解析には結構手間がかかったかな。アキラくんの性格やものごとの捉え方といったデータ、つまりは世界観を理解しないと、その霊体がどういう構造をしているのかもわからないから。それに人間の認識とか神経組織ってシューラの仕組みとはだいぶ違うし、義肢技術の蓄積がこの世界にはあまり無いし。無いものは外から持ってくるしかないよね? だからシューラは第六階層でアキラくんを試して、それから身体の中を弄くり回して隅々まで見させてもらったの)

 

 ちびシューラが表示させたカーソルが、俺の右腕にフォーカスする。それでようやく理解できた。彼女は俺の頭部を開き、中にこのちびシューラを埋め込んで、ずっと俺のデータを採取していたのだ。俺というサンプルから得られたデータを元にすれば、トリシューラは義肢を作成可能になる。

 

(コストに関しては、実はあんまり悩む必要がないんだよね。インフラとして既に溢れているものだから)

 

 言い回しに既視感を覚える。ちびシューラが言わんとするのは、つまりこういうことか。第五階層限定の物体創造能力は義肢の素材にできる、という。

 

(正解。みんな大雑把な操作しかできないせいで建物ばっかり作ってるけど、より精密に扱えば義肢や装具だって再現可能なんだよ)

 

 正直その発想は無かった。誰もが建造物を創造してばかりいるので、てっきりそれにしか使えないのだと思い込んでいたのだ。

 

(シューラがアキラくんに用意できる義肢は、いわばサイバネティクスとオカルティズムのハイブリッド。遅延や違和感がゼロに限りなく等しい一点物。シューラと正式な契約を交わせば、特別に提供してあげるよ)

 

 なんか途中から話が俺への勧誘にすり換わってないか。

 舌を出すちびシューラを見ながら、しばし新たに得た情報を咀嚼する。トリシューラと契約することで、俺は新しい左腕を手に入れることが出来る。


 だが結局の所、創造能力を奪われた人々はそうした恩恵に与れない。

 事実をありのままに話せば、レオを落胆させてしまうだろう。

 

(それも対策は考えてある。ちょっと説明がめんどいから、帰ってきてくれる? 案内したい場所があるんだ)

 

 世界が色を取り戻し、音や臭いと共に時間が再び動きだした。

 そうして、俺はレオが欲している言葉を用意することができず、彼を落胆させてしまうことになった。


 何も言えない俺に、レオはただ静かに目を伏せて、そっと掴んだ袖口を離す。

 その時、レオの視線がある一点に吸い寄せられた。げ、と俺とちびシューラの呻きが上がる。


 彼が見ていたのは、数名の慈善活動を行っている者達だった。

 それはいいのだが、そいつらの所属が良くない。

 そこで人々に施しをしているのは、【松明の騎士団】と呼ばれる地上の大勢力だった。


 甲冑姿の者が三人、白く清潔な服装をした者が六人。集団で配給や傷病者の治療などを行っているらしい。

 

(松明の騎士団には病院修道会としての側面もあるからね。幾つもの宗教組織が集合して出来上がった連合体だから、探索を専門とする部門だけじゃなくて、慈善活動やセーフティネットとしての役割を果たそうとする部門もあるんだよ)

 

 ちびシューラの解説はありがたかったが、しかしこの状況はまずい。俺は彼らと敵対する身だ。組織全体に俺の情報が知れ渡っているかどうかは不明だが、見つかったらどうなるかわからない。


 ここはさっさと立ち去るのが最良の選択だろう。そう判断してレオの手を引こうとするが、少年はその場から離れようとしなかった。

 

「レオ?」

 

 澄んだ瞳で、じっと修道騎士たちの行動を見つめる。

 救われない人々に手を差し伸べる聖なる修道士たちに、彼は何を見いだしているのだろう。


 出会って間もないが、彼が純粋な心根の持ち主だということは明らかだ。もしかすると、俺といるよりも松明の騎士団に身を寄せた方が彼の為なのかもしれない。


 そもそも彼は、アズーリアと何らかの関係があるのではなかったか。

 俺は選択を誤ったのかもしれない。

 今からでも、レオを彼らに預けた方がいいのではないだろうか。

 

「あの人たち」

 

 不意に、レオが口を開いた。

 視線は未だに松明の騎士団の慈善活動に向けられたまま――いや、そうではない。


 彼の視線は、そこから少しだけ逸れた場所に注がれていた。

 

「あの人達は、上の人たちだけしか助けないんですね。下の人たちには何もしない」

 

「本来は敵同士だからな。ここが名目上は中立地帯だから表立っては戦わないというだけで、一歩階層の外に出れば即座に殺し合う関係だ。施しなんてするはずもない」

 

 松明の騎士団は宗教組織であり、神の名の下に人々に慈悲を与え、救おうとする。ただし救いを与える対象は選別される。救われる資格。選ばれる価値。その高低によって排除と包摂の境界線が引かれる。


 たとえ上の人間でも、信仰の違い故に施しを拒絶する者も少なくないようだった。

 

「だが、下は下で互助組織とかが炊き出しとかをやっているみたいだぞ、ほら」

 

 下の人々は上からは異獣と呼ばれて蔑まれているが、知性を持ったこの世界の人類である。利他行為や篤志家は普通にいる。

 だが、レオは静かに首を振った。

 

「でも、その人達からも相手にされてない人がいます」

 

 確かに、レオの言うとおりだった。多様な種族がいるからこそかえってその間での差別が強まるのだろうか。

 とりわけ、植物系種族の扱いの酷さが目に余った。


 ただその場所にいるというだけで理不尽な暴力を受ける、舌打ちをされ、唾を吐かれるという光景が散見された。犬系の獣人が樹木のような種族に小便を引っかけようとするケースもあった。いやこれは習性のせいかもしれないがそれにしても酷い。


 獣人は何事かを呟いてその場から立ち去っていく。

 ちびシューラに言葉の意味を尋ねると、「枯れ木族が」と言ったらしい。


 彼らのような種族を、ティリビナ人というらしい。言葉の通り表皮が枯れ木のようにも見える種族で、頭部からは枝葉や花が生えており、全体的に樹木を想起させる。ちびシューラによると、彼らに対して枯れ木族という呼称を使うことは差別にあたるらしい。

 

(ここ数日間で第五階層に急増していて、独自のコミュニティを形成し始めているみたい。昔は上に住んでたっていう歴史もあって、上と下の両方から迫害されている種族だね。下での迫害に耐えかねて、この場所が中立地帯であるっていう噂を聞いて移住してきたんじゃないかな)

 

 昔は上に住んでいた?

 この世界の歴史を知らない俺だが、それは意外な事実だった。あそこまで見た目の違う種族が、かつては同じ大地に住んでいたのか。

 

(今いる異獣たちの大半は古い時代に上から追放された移住者とその末裔だよ。大神院――松明の騎士団がその教圏を広げる前までは、地上には沢山の種族が暮らしていたの)

 

 なるほど、いかにもありそうな話だ。

 というか、異獣という訳語の意味が理解できてしまった。【心話】とかの呪術が俺に適した造語を作り上げたのだろうが、多義的な日本語って一歩間違うと駄洒落に聞こえてしまってまずいな。


 上から追われ、行き着いた下でも余所者として扱われ、最後に行き着いたこの場所でも迫害され、彼らティリビナ人にはどこにも居場所が無い。

 端末で情報を検索すると、検索結果が日本語に翻訳された形で表示される。


 それによれば、彼らの表皮や外見などは過酷な環境に適応した結果として獲得した形質なのだという。家を造る習慣が無く、野宿でも生活可能な強靱な体構造を持った種族であるらしい。


 彼らにとって建造物を創造する能力などは無用の長物に見えたことだろう。その価値観に従って、この階層に来てすぐに売り払ってしまうものが続出したらしい。


 しかしそれは同時に、この社会から疎外されることをも意味した。住居や創造能力を持たない彼らは下層階級とみなされ、この区画に押し込められるように住んでいるようだ。


 彼らはどうしようもなく行き詰まっていた。

 レオは、そんな彼らをじっと見つめていた。何をするでもなく、ただ見て、聴いていた。


 かける言葉を持たず、するべき行動を知らぬが故に。

 それはきっと、俺も同じだ。

 何をするべきなのかが定まらないまま、俺達はしばしその場所に佇んでいた。

 

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