2-43 春の魔女③

「いやあ随分と心配していたんだよ。君につけていたコルセスカ殿は護衛も兼ねていたんだがね。しばらく前から連絡も寄越さないし、今は一緒じゃないのかい?」

 

「ええ、恐らくまだこの階層にいるとは思います。ですが、こうして我々が会話できているからにはきちんと仕事は果たしてくれたということなのでは」

 

 当たり触りのないことを言いながら、俺は密かに、どう対応するべきか思案していた。


 偶然か必然か、首領と遭遇してしまった俺とレオは【公社】の管理下にある建物の中に案内された。広さからすると恐らく五、六人で創造したものだろう。


 【公社】の構成員と思しき姿が忙しそうに行き交う中、俺達は昇降機に通される。首領の太い指が最上階である六階のボタンを押すと、扉が閉じてちょっとした加重を感じる。

 

「エレベーターが再現可能とは知りませんでした。これ、動力はなんです?」

 

「いや何、極めて原始的な仕組みだよ。釣り合い錘の重量を呪力で変動させているのさ」

 

 確かに簡素な仕組みではあるが、重量を変動させるというオーバーテクノロジーが無造作に使われていて恐ろしい。

 それを言ってしまえば、呪符が短時間で負傷を癒したり物体の速度を変化させたりするのも俺のいた世界の常識からは外れている。

 ただ想像の外というほどでは無かった。魔法やまじないといった形で、そのような現象は想定されてきた。それが実際に存在するかどうかがこの世界では違うだけなのだろう。


 レオはこうしたギミックが珍しいのか、透明な壁面から見える第五階層の街並みを物珍しそうに眺めていた。


 最上階に辿り着くと、音もなく扉が開き、奥の部屋に通される。豪華な作りの執務机と応接用のソファが備えられた部屋は広々としていた。

 俺とレオは四角い卓を挟んで勧められたソファに腰掛け、対面に座る首領を見る。


 背後には護衛である黒服が二人控えていることが威圧感を覚えさせるが、それ以外はどこからどう見ても人の良さそうな壮年男性だ。敵意は感じないし、むしろこちらに対する厚意を強く感じる。

 

「異獣どもに襲撃されたと聞いて心配したが、無事なようだね。君ほどの手練れだ、そう過保護に心配することもあるまいとも思ったが、万が一ということもある。コルセスカ殿はしっかりと護衛の任を果たしてくれたようだね?」

 

「ええ、まあ。彼女がいなかったら今頃こうして首領と話すことも無かったでしょうね。言語翻訳の事もですが、感謝してもしきれません」

 

 掛け値無しの本心だった。俺のコルセスカに対する信頼はここ数日で揺るぎないものに変わっている。


 そして、そんな恩人たるコルセスカを紹介してくれた首領に対しても感謝こそすれ敵意を向けるような事態にはなり得ないと思っていたのだが――。

 

(わかってると思うけど、シューラの敵をアキラくんがどう思っているかなんて、シューラには関係無いよ)

 

 そうだ。そのくらい理解している。

 トリシューラに協力するのなら、俺は首領と敵対しなくてはならない。


 この世界に来てからの半年間、なんだかんだと仕事や生活面で世話になり、コルセスカと出会わせてくれたいわば間接的な恩人に対して、その信頼を裏切るような真似をしなくてはならないのだ。

 

(心が痛む?)

 

 いや、痛んだとしてもその痛みは殺すから別にいい。俺の内心、感情などは問題にならない。


 重要なのは、利害の為に裏切りを行う俺は、トリシューラやコルセスカに対しても平気で裏切りを重ねるのではないか、という疑念が生じかねないこと。


 俺の不実な行動は周囲からの敵意を買い、信用を失わせてしまうだろう。最終的にはトリシューラですら俺を切り捨てる可能性がある。それに首領と敵対するというのは極めて危険な行為だ。


 半年間【公社】を見てきた俺には分かる。

 目の前で優しげに笑みを浮かべる老人は、凶悪なマフィアの頭目なのだ。


「全く、下の連中にも困ったものだよ。まあいい機会ではあるがね。先日の動きをきっかけに、質の悪い連中が軒並み下に付いた。わかるかね? 潰す口実が出来たということだ。機を見て一掃するつもりだ。襲撃に失敗して勢いを失っている今の【モロレク】と【三報会】を潰すことなど造作も無い。【夜警団】や【マレブランケ】、【マグドール商会】も今のところは恐るるに足らずだ。今にこの階層は我々【公社】が支配することになるだろうね」

 

 どれだけ人の良い顔をしていても。

 その口から発せられるのは、血なまぐさい犯罪組織の勢力争いに関する事だ。俺はこの半年間ずっと、そういう仕事に付き合わされ続けてきた。俺が身を立てる術が、暴力しかなかった為だ。首領に目を付けられたのは必然だったと言える。


 いい機会と言えば俺にとってもそうなのだ。

 この、恩義と暴力で固く結びついてしまった相手との縁を切る、絶好のチャンス。

 

「こうして言葉も通じるようになった事だし、そろそろ君にも色々仕事を任せてもいいんじゃないかと思っていてね。この半年間、随分と我々に貢献してくれた君を、幹部にと推す声もあるのだよ。まあ、私が言っているのだがね」

 

 そう言って、面白い冗談でも口にしたかのように大笑いする首領。だがその目は本気だった。

 俺を組織の内側に組み入れようという意図が透けて見える。


 悪い話ではないのだろう。首領の下で働くということを好ましいと思えるのならば。

 

「そうそう、娘もだいぶ君の事を心配していてなあ。君に会った時の為に必死になって日本語表現を練習していたものだ。ほら、どうしたアニス、そんなところで黙ってないで挨拶したらどうだ」

 

「ち、父上、ですが」

 

 首領が視線を向けた先は、背後で控えている護衛の一人である。詰め襟の軍服めいた黒服に身を包んでおり、身体の線から性別は分からないが、ゆるやかに波打つ豊かな黒髪と線の細い顔だちは年若い娘のものだ。


 首領の娘であり、父親の護衛も務める【公社】の一員、アニスとは面識がある。何度か仕事で協力したこともある間柄だった。

 

「あ、いや、その、何だ。今度こそくたばるかと思っていたが、よく生き残れたものだな。相変わらず悪運だけは強い奴だ。貴様とまた顔をつきあわせる事になると思うとうんざりするがな!」

 

「そりゃどうも。俺はあんたと会えて嬉しいよ」

 

「なっ、なっ、何を!」

 

 色素が薄いため、気色ばむとすぐに顔色が極端に変わる。アニスの頬の色は紅葉のようだった。


 動揺しやすいという欠点を除けば、アニスは優れた武人である。だぼっとした袖口の内側に、旋棍トンファー型の呪具が隠されている事を俺は知っている。仕事の際にちらりと目にした攻防一体の格闘術には目を見張るものがある。いつか手合わせしたいと会う度に思っているのだ。

 

「ははは、仲がいいじゃないか。どうかね、アキラ。娘を嫁に貰ってはくれんだろうか。堅物な性格が災いしてか、この年まで貰い手がいなくてなあ。君ならばと思っていたのだよ」

 

「ちっ、父上っ! なな何を血迷ったことをっ! 私がこんな、こんな男とけけ、結婚など!」

 

「娘もまんざらではないようだ。いやあ、私としても後を任せられる者が出来れば安心できるのだが。どうだろうね、アキラ?」

 

(へえ。随分と仲のいい相手がいるんだね、アキラくん。知らなかったな。まあ半年あればそういう相手くらいできるよね。ふうん。結婚かあ)

 

 何かちびシューラが険のある口調で呟いている。意味が分からないが、要するに首領は、異世界人で第五階層の掌握者候補という不安定な要素を血族に取り込んでおこう、という思惑らしい。

 

(冷めてるね、アキラくん)

 

 アニスのどもり台詞に茶番の響きがあるため、打算が透けて見えるだけだ。

 首領としては最大限に甘い蜜を垂らして見せたつもりなのだろう。実際、このまま彼に取り込まれるという道もある。


 しかし、俺は即座に首を縦に振れない。

 ちらりと、横でぼんやりと座るレオを見る。

 しばしの沈黙を経て、俺は返答する。

 

「申し訳無いのですが、今の俺は身の置き場も定まらない状況です。定まった職業も持たない身で、軽々しく誰かと結ばれるなどと口にするのは無責任というものです。魅力的なお誘いですが、謹んで辞退させて頂きます」

 

「そうかね。何だったらまた仕事を紹介してもいい。近頃、部下が新しい商売を始めてね」

 

 首領の応手は淀みがない。一切のタイムラグ無しに、俺の逃げ道を塞ごうとしている。

 

「とは言いましても、俺には大した事はできませんよ」

 

「仕事などやりながら覚えていけばいいのさ。実を言えば今日の本題はそれでね。君もそろそろ安全に働ける場所が欲しかったのではないかね」

 

 首領と俺の関係は、仕事を斡旋する側とされる側というものだった。言葉がスムーズに伝わるようになった今でも、それは変わらない。

 反射的に、意識が聞くモードに切り替わってしまう。

 

(ちょっと、わかってる? 邪魔したらアキラくんごと潰すよ?)

 

 わかっている。そして俺にはトリシューラと敵対する意思は無い。

 二つの相反する恩義に引き裂かれそうになりつつも、俺は首領の言葉に耳を傾けてしまう。


「君はしばらく荒事からは離れた方がいい。なあに、うちの者を周りに置いておくからね、下の連中もそうそう手出しはできんだろう。その間に私が君を脅かす連中を残らず始末する。そうすれば君は安心して私の下で仕事ができるというものだ」

 

 俺をしつこく付け狙うモロレクや三報会が【公社】によって潰され、第五階層において最も強大な組織である【公社】に所属すれば、確かに将来安泰だろう。

 魅力的な提案だ。本当に、場合によっては首を縦に振ることもあり得る程に。

 しかし。

 

「君に任せたいのは住宅サービスの提供でね。今日の寝床すら定まらないような貧困層の為に、低価格で住居を貸し出そうと思っているのだよ。知っての通り、浮浪者の増加で治安は悪化し、街の景観も損なわれている。皆にとって住みよい街を作っていくために必要な仕事だと思わないかね?」

 

 なるほど、言葉だけ聞けば、首領はこの第五階層全体の公共福祉を考えた理想的な施策を行おうとしているように思える。

 だが、俺は背景を知っている。


 本来ならこの第五階層で住む場所が無くなるということはあり得ない。誰もが物質の創造能力を持つため、最低限の宿は自前で用意できるからだ。


 しかし例外がある。他者の前で窃盗や暴行、殺人などを行った者は、創造能力を奪われる。このリスクが抑止力となって、第五階層では表だった犯罪はある程度抑制されている。


 だがそれは表向きに過ぎない。裏では組織だった犯罪が人目を避けるようにして行われ、弱者は己の意に反して犯罪を強要され、創造能力を略奪される。


 創造能力を奪われた者の末路は惨めだ。生ける死体、人狼などと蔑まれ、第五階層の底辺で泥を啜る事になる。

 そうして数多くの弱者が宿無しとして第五階層のあちこちで野宿する羽目になっているのだ。


 この第五階層で宿泊サービスや住居の賃貸サービスを営んでいる連中は、全てこうした浮浪者たちをカモにすることを狙っている。

 そして創造能力を組織的に略奪しているのは、皆そうしたサービスを展開する犯罪組織なのである。


 弱者から物質創造能力を奪い、住む場所を失った者達に住居を貸し出して利益を得る、マッチポンプのビジネス。略取によって需要を創出する、それは極めつけに下劣な商売だった。


 脱法ハウス。

 この階層に明文化された法などは無いに等しいが、こう呼ぶのが相応しいほどに腐ったやり口だ。


 そう。

 こいつらはどのような表情を見せていても、その本質は犯罪組織。暴力によって利益をかすめとる略取者だ。


 それを、俺はこの半年間ずっと見てきた。

 そうしながらも、この階層にとって、そして俺の生活に必要であるという理由から見て見ぬふりをし続けてきた。見るに堪えない程の醜悪さ。善意と穏やかさでは隠しきれない腐臭。


 俺はこのロドウィという男と会う度に、鼻が曲がりそうだと思っていたものだった。

 それを、今ふたたび思い出した。


 【公社】は確かに第五階層のインフラストラクチャを握っている。

 しかしその実体は、他者から奪った生活基盤で利益を得る、マッチポンプの寄生虫なのだ。


 生産性が無く、存在する価値が無い。

 否、負の価値を生むと言った方が実態に即しているだろうか。

 

『恩義なんて虚構だよ、アキラくん。断言するけど、ロドウィに出会わなかったらアキラくんは別の組織に雇われて似たようなことを繰り返していたに違いないもの』

 

 俺が交換可能な消耗性の兵隊に過ぎないように、【公社】もまたかけがえのないものなどでは無い。

 だからといって潰して良いなどというのは傲慢で極論だろう。


 しかし、潰さない理由も特に無いのも事実だ。

 敵対に大層な理由がいるのか?


 答えは否だ。特に、殺人鬼である俺にとっては尚更のこと。

 誰かを殺すのに理由は要らない。それが恩人であったとしても。

 ちびシューラに意識を傾け、思考の中でだけ言葉を形作る。

 

(うん、ちゃんとわかってるよ。アキラくん。もう準備だってできているから)

 

「ああ。それなら今すぐだ。やってくれ」

 

 唐突な言葉に、ロドウィが不可解そうな表情を浮かべる。

 が、その次の瞬間彼の端末がメールの着信を伝え、俺に断りを入れてから表示を確認する。


 穏やかな仮面が引きはがされ、愕然とした素顔が露わになる。

 

「――すまないが、急用が出来てしまった。仕事の話はまた今度にしよう」

 

「それなら仕方ないですね。この辺でお暇させてもらいますね」

 

「ああ。今日は話ができて良かったよ。それと、できれば手持ちの財産はなるべく複数の通貨に分散しておくといい。近頃は相場が荒れやすいようでね。まあ言うまでもないことだが」

 

「そうですか。気をつけておきます。どうもありがとうございます」

 

 状況が理解できず困惑するレオの手を引きながら、退出していく。昇降機の中に入ると、アニスが着いてきて一階のボタンを押してくれた。見送りに来たらしい。


 扉が閉まる直前、首領が部下に向かって何事か俺に分からない言語でまくし立てているのが耳に入った。

 当然、意味は理解できない。


 見送りに来たアニスが連絡先の交換を申し出てきたので、端末を出してアドレスを教えて、その場を離れた。

 

「で、最後なんて言ってた?」

 

(泡を噴きそうな勢いで部下に指示飛ばしてたよ。事実関係の確認と、治癒符増刷のストップ。これからその他の財の確保に忙殺されてアキラくんに構う所じゃなくなると思うよ)

 

 俺には彼らの言葉がわからずとも、ちびシューラには理解できるのだ。どうせ理解できないと思い込んで目の前で会話をしてしまうのは迂闊と言うほか無い。

 

(どんな対策を打っても、この事態を防げなかった時点で『公社』の信用は地に落ちる。いつまでも代用通貨なんかに頼って経済を安定させないからこういうことになるんだよ。まあこのへんが社会の寄生虫の限界だよね)

 

 小さな身体でさらりと毒を吐くちびシューラの表情は、いつになく酷薄だった。

 ということは、上手く行ったということなのだろう。


 トリシューラによる『公社』への攻撃。その第一段階。

 街に、治癒符が溢れかえっていた。


 あらゆる端末に一斉に治癒符のデータが送信され、物理的にも呪術的な意味を持つ模様と文字が描かれた札が飛び交っている。階層の天蓋すれすれを飛行する無人の回転翼機が、ぶら下げた大きなコンテナから大量の治癒符をばらまいているのだ。


 空から降り注ぐ治癒符、言い換えれば今の第五階層にとっての金に、人々は目の色を変えて飛びついた。

 少しでも財産を得ようと必死になって治癒符をかき集めている姿はかなり滑稽で浅ましい。


 いずれ彼らは落胆するだろう。降り注ぎ続ける治癒符は、しばらくすればもはやその価値を失ってしまう。


 本来の消耗品としての効果は保証されるのが救いだが、数多くの人々の財産が、じきに紙切れになってしまうのである。路頭に迷う人もいるだろう。

 そういう者達を残らず迷宮の前線へと追い立てようというのが、トリシューラが立てた苛烈にして悪辣な計画だった。

 

(迷宮っていうのはね、闘争と探索こそが本来の姿なんだよ。ここは安住の地なんかではあり得ない)

 

 【公社】の手によるものだろう。呪術による炎や閃光が、上空の回転翼機に向かっていくが、それらは絶妙な制動や旋回によってことごとく回避されてしまう。そして、今度は逆に反撃の機銃掃射が大地を這いずる刺客たちを蹂躙していった。

 

(格の違いを思い知らせてあげよう。さあ始めようかアキラくん。私は、この迷宮を破壊する。見届けてくれるかな?)

 

 ああ、そういう約束だ。

 三日間、それでトリシューラという魔女の悪辣さを見極める。

 その邪悪さが、殺人鬼たる俺の相棒として相応しいのかどうか。

 

「まあ、最初の光景としては悪くないな。露悪的な趣味の悪さとスケール感がいい味出してる」

 

 降り注ぐ金、狂乱する人々、天からの銃撃によってゴミのように散る命。

 これから起こるであろう混乱を予期した者達が、戦々恐々としながら次に打つべき一手を思案し始める。


 そんな中で、俺はレオの手を引きながら、悠々と狂騒の中を歩いていった。

 

 

 

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