2-42 春の魔女②
レオはとりあえず一枚のカード型端末、俺は四十枚一組のライブラリを購入。店員さんと相談しながらアドバイスを受けながらオススメのものを選んで貰いながらの四十枚であった。トリシューラに渡された資金ではなく普通に自腹である。悔いはない。
もはや苦言を呈することすら止めてじとりとした目でこちらを睨み付けるちびシューラは気にならない。
店員さんにお礼を言いつつ店を後にする。出口まで見送りに来てくれた店員さんは「何か分からないことがございましたらお気軽にお尋ね下さい」とアドレスを教えてくれた。何これどういうことですか店員さん。
(いや、普通にお店のでしょ。サポート用窓口だよ。ばかじゃないの死ぬの)
「目的も達成したし、どこかで昼飯でも食うか?」
「はい、賛成です! 外で食べるのって初めてですね! どんなものがあるんでしょう」
「そうだな、ちょっと歩いて色々見てみるか」
(おーい。おーいってば。無視かよー)
無視だよ。うるせえ。
店舗が現れた次の日にはもう消えている、といったことが日常茶飯事である第五階層は土地の流動性が高い。次々と居場所を変える店、気がつくと現れている隠れた名店、みたいなものもあるらしい。
この街で特定の店の常連になろうと思えば店が配信するメールマガジンの情報を頼りに日々移動する店を探すのがセオリーである。
今まで端末を持っていなかった俺たちはとりあえず適当に良さそうな店を探すしかない。
こういうのは全てコルセスカが教えてくれた情報だが、彼女ならいい店を知っていたりするのだろうか。
今頃どうしているのやら。
(さっき起きてきてお昼を要求してきたので、二人分作って一緒に食べたよ?)
そりゃ良かった。
というか、けっこう険悪になってたから心配だったんだが、不要だったな。
(いや、食事中の会話は無かったけどね? まあ昔から喧嘩してもご飯は一緒に食べてたから)
本当に姉妹のようだな、と思ってしまったが、それは地雷だ。すぐに思考を打ち消す。
今は俺とレオの食事だ。
ふとレオを見ると、どうやら屋台に関心を寄せているらしい。串に鶏肉や野菜などを刺したバーベキューっぽいものを売っているようだ。昼飯だし、こういう軽いのでもいいかもしれない。
軽やかな手さばきで串が炙られていく。肉汁とタレがなんともいえない芳香を漂わせている。街の混沌とした臭いをかき消す美味そうな香りに、ふらふらと引き寄せられてしまう。
と、串を炙っている店員さんと目が会う。
「あら、先程の」
「え? 何でここに?」
それは紛れもなく端末購入の時にお世話になった店員さんであった。
え? そっくりさん? じゃないよな?
「あのお店のシフトがお昼までなんですよ。お昼時はここで働かせてもらっています」
ああ、パートタイムの雇用なのか。
いわゆるアルバイトの店員さんだったらしい。
にしても、あの後すぐに移動してこの場所にやってきたとしても結構ギリギリではないだろうか。息一つ切らしていないが、全力疾走して俺たちの先に回り込んだので無ければ、何らかの呪術的な力で高速移動したのかもしれない。
「探索者一本では中々やっていけないものでして。最近は治癒符の価値も上がってきていますし、探索も中々はかどりませんね」
「そうなんですか? 見たところ後衛の呪術師のようですが、引く手あまたなのでは?」
「そうですね、確かに後衛としての役割を求められることは多いです。ですが、その、こう言ってはなんですが、あまり柄の良くない、といいますか。もっと言ってしまうと、探索者としての能力以外を求められてくる方がそれなりの数いらっしゃるので、結局一人で探索に行っていますね」
「ああ。それは災難ですね。お察しします」
確かにそういうこともあるだろうなあ、と店員さんの少し困ったような表情を眺めながら考える。
ところで、俺は何人かにそれなりの前衛として評価されているわけだが、もしやこれは天の采配なのでは?
(言っておくけどその流れでいきなり誘ったりしても引かれたり警戒されたりするだけだからね)
と、ちびシューラが釘を刺してくる。分かっている。冗談だ。
雑談ばかりされては迷惑だろうし、俺たちはそこで何本か串焼きを購入して昼食とした。店員さんは何かの縁だから、と一本ずつおまけしてくれた。女神か。
屋台は毎日昼の間だけ出ているらしい。俺は通うことを心に決めた。
もちろん味が気に入ったからである。他に理由は無い。
(アキラくん、誰に言い訳してるの)
お前にだよ。他にいねえだろ。
無論、形式以上の意味は無いのだが。
(シューラ、早まったかなぁ)
ちびシューラの溜息。俺から特にコメントは無い。
することも無いのでもう帰っても良いのだが、せっかく外に来たのだから、レオに街を案内するのを含めてしばらく歩いて回ることに決めた。
街には様々な音が響いている。
どうということのない会話、客引きの声、雑多な足音、呪具が排出する騒音、その他様々な音が混ざり合い、混沌としたノイズが環境に満ちている。
レオの猫耳はそうした音を敏感に捉えているのだろうか。
フードに隠された猫耳に思いをはせていると、レオが唐突に足を止める。どうしたのだろうと怪訝に思っていると、彼が頭上を見上げていることに気付いた。
背の高いビルディング、その上の大型ディスプレイ。映し出されているのは黒髪の歌姫だ。
スピーカーからは歌が流れており、階層の喧噪の中でもはっきりと耳に入り込んでくる。
レオは、ぼうっとその映像に見入っていた。
いや、聞き惚れていたのかもしれない。
シンセサイズされ、どことなく無国籍な感じがする打楽器の音が小気味よい。
あの歌姫は、聴く度にどのような背景・歴史に基づいて成立したのかよく分からない歌を披露している。錯綜した国籍性が奏でる『何かよく分からないがそれっぽい音』は俺も嫌いではない。
端末で評価を検索すると、大量の検索結果が和訳されてずらりと並ぶ。
興味深いのは、聴く人によって受ける印象が全く異なる点だ。
エスニック風でワールドミュージックの色合いが感じられると言う人がいる一方で、無国籍さを感じている人がいる。背景の見えない軽薄さを感じる人もいれば何かしら裏打ちされた重みの存在を主張する人もいた。
歌姫の名は【Spear】だという。英語をそのまま使っているのは、一年ほど前、二つの世界が接触した頃から始まったこの世界のトレンドみたいなものなんだとか。
この世界の人々には、異世界で最も広く使われている言語が洒落たものに映るらしい。まあ、日本を見ても英語だらけだからな。そう考えれば別に不思議な事でも無い。
今流れているナンバーは【エスニック・ポリフォニー】。
美しいソプラノが混沌とした喧噪の中で、別格の存在感を持って流れていく。
「レオ、気に入ったんなら、有料配信サイトから端末に落としてみたらいいんじゃないか」
「あ、なるほど、そうやって活用すればいいんですね」
早速端末を活用するレオ。ついでに俺も。
この歌を結構気に入ってしまったのである。他の歌も視聴して、幾つか気に入ったのを購入する。
ちなみにレオの当座の生活費などは全てトリシューラが管理することにしたらしい。本格的に面倒を見るつもりになっているようで、時期を見て自立させてやるつもりのようだ。
(うー、アキラくん、それ気に入ったんだ)
どうも、さっきからやることなすことちびシューラのお気に召さないらしい。
別に、行動の全てを彼女のご機嫌取りに費やしてやるつもりはないので構わないが。
嫌なら覗き見をやめればいいのだ。
(別に【Spear】の歌がどうこうっていうわけじゃなくて、立場上、ちょっと複雑っていうか)
ちびシューラはなにやら歯切れ悪そうにしている。何かを伝えたいのだが、自分の中の何かが邪魔をして言えない、というような雰囲気だった。
急ぐ要件じゃないのなら別に今言わなくてもいいんじゃないだろうか。
(そうかな。ま、あのコは基本無害だし、後でもいっか)
ちびシューラは意外にあっさりと引き下がった。
そうこうしているうちに決済が終了して端末に音楽がダウンロードされていく。
レオは端末付属のワイヤレスイヤフォンですぐに聴き始めていた。イヤフォンは横の耳につけるんだな、とどうでもいいことを思う。
そもそも、あの頭頂部の猫耳は実際どういう役割を果たしているのだろう。
四つの耳全てが音を聞いているのなら、常人よりも聴力は遙かに上なのだろうか。
「え? これですか? うーん、僕もよくわからないです。別に音は聞こえないんですけどね」
「そうなのか?」
「はい。頭の横の耳でしか聞こえません。何なんでしょうね、この上の耳」
いや、俺に訊ねられても。
もしかすると、退化した痕跡器官なのかもしれない。記憶があればそういうこともわかったのだろうか。
そういえば、彼のような種族を俺は他に見たことが無い。猫科の獣人というのがこの世界では珍しいのか、それとも存在しないのか。
俺が今までに見たことのある猫といえば、審判である翼猫のヲルヲーラくらいのものだ。
そこで思い出す。そうだ、ヲルヲーラだ。
迷宮を監視してるヲルヲーラなら、レオがどこから来たのか知ってるかもしれない。もしかしたらその素性も。
(いや、多分それは無いよ。あいつが審判としての権限を行使できるのは第五階層を除いた第二階層から第八階層までの六階層だけなんだ。この階層と、地上である第一階層、地獄である第九階層にはヲルヲーラの目は届かない。だから、多分地獄からやって来たレオのことは知らないと思うよ)
ちびシューラの冷静な指摘に出鼻を挫かれる。初めて知る情報だった。というか、あいつ? ヲルヲーラと知り合いなのか。
(当然だよ。だってあいつは)
ちびシューラはそこで何かに気付いたように言葉を途切れさせた。
そして俺も同時に気付いていた。当然だ、ちびシューラの視界とはすなわち俺の視界なのだから。
雑踏の中、俺を真っ直ぐに見据えるその姿は。
「やあ、久しいな、壮健そうでなによりだ」
流暢な日本語で話す、恰幅のいい壮年の男。【公社】の首領ロドウィがそこに立っていた。
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