2-41 春の魔女①
始まりはトリシューラの言葉からだった。
「二人で端末買いに行ってきたら?」
第六階層の戦いから帰還して、二日目のことである。
例の宣言後、行動を開始するための準備にかかり切りになるとかで自室に籠もっていたトリシューラは突然表に出てくると、手持ちぶさたになった俺と猫耳の少年に軍資金を握らせてそう言ったのだ。
今日のトリシューラは黒と白のボーダー柄のシャツに黒系のキュロットと赤いタイツを合わせ、シンプルな黒のパンプスという装い。グレーのベレー帽がワンアクセントになっている様子だ。くるっと回って促すようにこちらをじっと見てきたので、似合っているとコメントしておく。ここまでがお決まりのやりとりだった。
ちなみにコルセスカは個室に籠もって不貞寝しているらしい。お察しくださいとのこと。
「色々と必要になるだろうからね。私から支給ってことで。ちびシューラがアシストするから何でも聞いてね。粗悪品はきっちりフィルタリングするよー」
確かに、必要だとは思っていた。この世界ではほとんどの人が所有するという、呪術によって機能する携帯型端末機。情報面、通信面でこれがあるのと無いのでは全く違う。
しかし少年はともかく俺にまで金を握らせるのは何故だ。手持ちに余裕があるわけではないのでありがたく借りておくが、少し後が怖い。
「今って、表に出ても大丈夫なのか?」
「襲撃の事なら、しばらくは大丈夫だと思うよ。三報会とモロレクの連合が大規模な襲撃をかけて二度も失敗したっていうのは第五階層にすっかり知れ渡ってるし」
「まさかトリシューラが広めたんじゃないだろうな」
「なんでまさかなの? 当然私だよ? こないだの戦いは私がばっちり撮影してアップロードしといたよ。あ、ちゃんと無駄な所とかカットして、プライベートに配慮した編集してるから大丈夫だよ」
「その無駄の判断は何に基づいて下されてるんだよ」
「よほどの命知らずでもなければ、挑んできたりはしないと思うよ。仮に挑まれたらちゃんと正面から相手して返り討ちにしてあげてね。できれば殺さずに、サイバーカラテの強さを喧伝させることを優先して欲しいかも」
「難しい注文を平然としてくれるよな」
とはいえ、トリシューラとの会話に心が躍り始めているのも否定できない事実だった。
既にトリシューラは動き始めようとしている。
俺が見たいといったものを見せてくれようとしているのだ。
「それなら、トリシューラが来ても大丈夫なんじゃないのか?」
「私はパス。今の第五階層、私の潜伏場所がこの辺だって判明したせいで松明の騎士がそこら中にいるんだもの。大掛かりな捕り物なんてできないとは思うけど、見つかったらどうしたってトラブルは避けられないよ」
というわけで引きこもりまーす、と気怠げに伸びをするトリシューラ。アンドロイドなのに、その行動に何の意味が。人工筋肉をほぐしてるのだろうか? それともそれっぽい仕草をしてるだけか?
そういやこいつはこいつで、何故上から狙われているのだろう。違法な人体実験でもやらかしたのか? なんだっていいが。
それはともかく、第五階層は中立地帯とはいえ、無法同然でもある。ほとぼりが冷めるまではしばらく表には出ない方針らしい。
そんな現状は、俺の無鉄砲な行動が原因で形作られたものだ。
「俺のせいで迷惑をかけてる。すまない」
「謝罪の気持ちがあるならさ、私のパートナーにならない?」
う、と返答に窮する。俺は三日間と区切りを決めた。俺の内心がどうであれ、公平性を理由にそう約束してしまったのだから、もう反故には出来ない。
トリシューラはそれを分かっていてこんな事を言ってくるのだ。
やはり、性格がこの上なく悪い。
「ねえ、戦いが絡むとあんなに思い切り良いのに、なんでこういう時だけ優柔不断なの? 死ぬの?」
詰る声すらどこか軽やかだった。ていうか絶対楽しんで罵倒してるだろこいつ。
それが何とはなしに分かってしまうので、俺もその言葉で不快になったりはしない。
お互いの了解の上に成り立つ、これは『それっぽい』儀式なのだ。
「言い訳のしようも無い」
「しろよ。ま、いいや。今のは冗談だしね。それよか変に気負わないで。私が勝手に行動して、勝手に背負い込んだ危険だもん。そういう考え方してると責任感と恩で潰れちゃうよ」
トリシューラの忠告はひとつひとつが的確に俺の欠点を浮き彫りにしていく。真正面から相対するには少々厳しい相手だが、それだけに妙な信頼感があるのも事実だった。
「あ、でもでも私、貰えるものは貰っておく主義だから、アキラくんが何でもしてくれるって言うのなら~」
「そこまでは言ってねえよ」
そして直後に台無しにする。狙ってやっているのだろうか、これは。
きっと聞いてもはぐらかされるんだろう。
「巡槍艦で真下に潜行してるから、いざって時は回収してあげるよ。安心して行ってきて」
「本音は俺たちを餌にして【公社】の反応を見たい?」
「違うよ? 私ってアキラくんにどんな悪女だと思われてるのかな?」
ちびシューラが視界隅で吹けていない口笛のジェスチャーをしながらあさっての方を向いている。芸が細かい。
図星のようだった。
「ご、誤解だよ!」
「お前は現実側じゃなくてちびシューラの方が内心が出るんだよ! 外面を取り繕おうとしても無駄だ」
トリシューラはこの状況でも不動の微笑みだったが、二頭身のデフォルメキャラはあたふたとしている。
――ある意味で、わかりやすい奴だと思う。
「それじゃあ、行ってくる。他にも買うものがあったらちびシューラから伝えてくれ」
という次第で、俺は再び第五階層に降り立つことになった。
階層の果ての壁につけた巡槍艦からひっそりと侵入した俺と少年は、中央の市街へと進んでいく。
少年は猫耳を隠すようにしてフードをかぶり、マントでその身を包み込んでいる。一方の俺はというと綿生地のシャツとズボンとかいう面白みの欠片もない服装である。長袖なので右腕の義肢はほぼ隠れている。
左腕はというと、あれからトリシューラが用意してくれた代わりの義肢を付けているのだが、これはただ腕の形をしているだけの急場凌ぎの装飾用義肢で、動かしたりは出来ないタイプの物だ。
いつの間に採型したのやら、抗菌ポリウレタンの四辺形ソケットはぴったりと断端にフィットして吸着しており、摩擦や圧迫はほとんど感じない。上腕にはカフと呼ばれる帯が巻き付けられ、肩からはハーネスで吊り下げて固定している。体幹の動きで肘と手の動きまでならある程度制御できる上に見栄え、重量、強度のいずれも悪くない。
『サイバーカラテ道場』にプリセットされている訓練プログラムを一時間ほどかけて消化したので、義肢の操作に不自由することもない。近代までならいざ知らず、現代の精錬されたリハビリテーション技術のノウハウがあればこのくらいの事は朝飯前である。
とはいえ、右腕の性能に慣れた身としては少々物足りないのも事実だった。
選んでくれるまで高性能な義肢はおあずけ、とのことだ。
本当に、この上なく意地が悪い女だった。いや当然と言えば当然なのだが。
久しぶりの第五階層、その喧噪と猥雑の中を歩いていく。と、すこし後ろのほうで戸惑うような呼吸。
それとなく、左の新しい義肢を示す。
「はぐれないように、これでも掴んでおくといいんじゃないか」
「あ、はいっ」
ぱっと表情を輝かせて、子犬のように俺の義肢にとびつく。猫耳なのに犬とは一体。多少の引っ張りではとれたりはしないのでまあいいのだが。
手を繋いで、というか腕を組むようにして歩く男の二人連れは周囲にどう思われていることやら。
どうでもいいか。別に他人の事なんていちいち気にしたりしないだろ普通。
記憶喪失のせいか、少年は目に入るもの全てが物珍しく映るようだった。せわしなくきょろきょろと街を見回すその姿は子供のようだ。
ちびシューラの示すデータを参照しながら進み、辿り着いたのは一軒の店だ。第五階層のほとんどの建物の例に漏れず、角張った箱形をしている。おそらく複数人が協力して創造した為に細長く、周囲の建物に比べて大きかった。
端末そのものはともかく、回線事業者のシェアはほとんど【公社】の一強状態である。ちびシューラ情報によると、この店は【公社】以外の提供回線サービスが充実しているらしいのでオススメとのことだ。
中に入ると、陳列された様々な端末が目に入る。
形状や性能を比較検討しながら、二人で色々と見て回っていると、不意に声がかけられた。
「何かお探しの商品はございますか、お客様」
声の方向に視線を向けると、そこには店員らしき女性が立っていた。
といっても発言の内容から店員だと判断しただけで、制服を着ているわけでもなく、見た目からはちょっと店員だとは気づけない。
女性は一見すると探索者のようだった。黒と紫を基調とした呪術師の服装で、手には大きな杖を握っている。杖の先端には皿のように窪んだ巨大な円盤が取り付けられており、巨大な匙のようにも見える。立ち姿に隙が無い。
荒事に慣れている雰囲気。俺をシナモリアキラだと認識して日本語を使用している。
他の店員が遠巻きに見守っているのを感じた。団子虫人や矮小複眼人など、ほとんどが小柄な種族で、荒事が得意そうではない。
つまりそういうことだ。
何かトラブルがあった際にはこの探索者風の店員さんが対処するということだろう。積極的に問題を起こすつもりはない。おとなしくしていよう。
「あの、こういうところ、僕はじめてでよくわからないんですけど――」
持ち前の素直さを発揮して店員さんに話しかける猫耳の少年。俺はちびシューラのサポートがあるから特に質問しようとは思わなかったが、彼にしてみればこうして親切に話しかけられたら聞き返すのが当たり前だろう。
しかしだ。俺の言葉が理解できる少年は日本語を聞き取ることができるが、彼の話す古代語は俺にしか理解できないのである。通訳が必要だろうと思い、俺が口を開きかけたその時。
「はい、それでしたら、何でもお訊き下さい。可能な限り答えさせて頂きます」
店員さんの口から滑らかに滑り出す、少年と同じ言語。彼の言葉が理解できるためか、俺にもそれが聞き取れた。あれ? 話者がほとんどいない古代の言語じゃなかったのか?
(そのはずだよ? たまたま古グラナリア語に通じていただけの呪術師さんじゃない? 正規の言語魔術師だとしたら、狭い業界だから私でも知ってるかも。名前聞いたらわかるかな?)
初対面の相手にいきなり名前を訊けるか。
俺は成り行きを見守ることにした。
「あの、そもそも端末ってどういうものなんでしょうか」
そこからか。いや、実を言えば俺だってちゃんと仕組みや用途を理解しているわけではないのだが。
店員さんは黒いベールを揺らしながら、その大きな金色の目を少しだけ見張った。あまりにも常識を知らない相手に驚いた様子だったが、すぐに微笑みを作って説明を始める。
「この世界における端末とは、通信と情報処理の役割を果たす小型の機器のことを指します。一番多いのは、このような長方形をしたものになりますね。用途としては、遠隔地にいる知人と会話したり、ネットに繋いで情報を検索したり、記録を書き込んだり、呪術情報を格納したりといったものが主でしょうか」
長い黒髪の店員さんはそこまで説明して、少年がついて来ているかを確認するように視線を向ける。なるほどなるほど、と頷く少年の目に熱が生まれているのを見るに、興味や関心が高まったようだ。
店員さんはそこから更に移動して別の端末が陳列してある場所に移動する。上着の裾にほとんど隠れている淡い色のショートパンツとそこから伸びる黒いストッキングに包まれたすらりとした脚がリズム良く動く。
(ねえアキラくん)
「書かれたもの(エクリチュール)としての文字情報は、再帰的な自己参照を繰り返す性質を持ちます。この性質を利用して論理演算を行うのが伝詞回路です。現代の情報機器はほぼ全てこの仕組みで動いており、魔導書やスクロール、呪符などと基本原理は同じですね」
その細い指先で黒革の書物や布製の巻物を持ち上げながら解説を続ける。このへんは俺も知らない話だった。
端末にはこういった書物型や巻物型のものもあるのだという。俺のいた世界におけるタブレット端末とかノートパソコンに相当するのかもしれない。
(ねえ)
「通常の端末に比べると、大型の魔導書などは性能面で大きく差が出ます。こちらの端末は、最新式の
「わっ、ぬるぬる動いてる! 快適そう!」
少年はすっかりセールストークに嵌っているようだ。本のページから立体投影された情報は確かにぬるぬる動いていて使いやすそうではあった。立ち上がりの際に一瞬ラグがあったのはご愛敬というものである。
が、それは実演販売の罠だ。値段をよく見ると、完全に予算オーバーである。
「確かに性能はいいみたいだが、いきなりこんなもの手に入れても使いこなせないだろう。店員さん、もうちょっとシンプルで使いやすいのは無いですか」
「そうですね、それでしたら」
店員さんは細い顎に人差し指をあてて少し思案する。金色の首輪が喉元を隠しているが、その下の胸元、肩、脇は大胆に露出した紫と黒のキャミソールドレス。紫の生地を覆うように、黒く透ける生地が胸元から広がっており、重ね着風のデザインが印象的だった。
(ねえアキラくんってば。さっきから目線がやらしい)
ちびシューラが何か言っているような気がするが何も聞こえないな。
本来、人間の視線とは誰にも冒されてはならない不可侵の領域のはずだ。だよね?
「こちらの、カードタイプのものはいかがでしょうか。コンパクトかつ機能も基本的な通話、ネット接続、記録媒体などが揃っておりますし、機能を拡張したい場合には新たにカードを追加購入することで対応できます。音楽を聴いたり、お財布や念写機能を持たせたり、ゲーム機として使用したりもできますよ」
店員さんはふわりと微笑むと、優雅な手の動きでそのカード型端末を示した。着脱可能そうな袖が鈴型に広がり、環のような装甲が複数とり付けられている様は拘束具を思わせる。清楚なイメージの容貌であるぶん、逆に何とも言えない淫靡さがあった。
(好みなんだ。ああいうタイプが好みなんだね?)
何のことかわからないな。
俺は店員さんの話を聞いているだけだ。
「実は、わたくしもこのカード型端末を愛用しておりまして。このように、四十枚一組の【
「あ、俺それにします」
即決した。
(アキラくん、ちょっとお話があります)
「うーん、じゃあ僕もそれにします。みんなお揃いですね!」
満場一致でカード型端末購入が決定した。満場一致と言ったら満場一致である。不正は無かった。いいね?
その後プロバイダとの契約など細々とした作業があったのだが、そこで、少年に名前が必要だと言うことにようやく思い至った。
むしろ、なぜ今までそこに考えが及ばなかったのか。
少年の持ち物に、その素性を示すようなものは何も無かった。そしてかろうじて名前だけは覚えている、というようなことも無かった。
つまり、彼の名前は一切不明なのだ。
となれば、暫定的にでも名前を付けるしかない。
「なにか、自分で名乗りたい名前、ないか?」
「うーん、いきなり言われても」
困惑した様子の少年。俺もどうしたらいいか分からずに頭を捻る。
そのとき、ちびシューラが提案した。
(じゃあアキラくんが名付けてあげればいいんじゃない)
え、俺?
若干のプレッシャーを感じつつその提案を少年に伝えると、またしてもキラキラとした瞳でこちらを見上げてくる。期待されていた。
「お願いします! アキラさんが名前をくれるなんて、なんだかすごく嬉しいです」
だから何でそんなに可愛くものを言うのか。そうやって小首をかしげていたら店員さんが無料で端末を譲ってくれたりするのではないか。いやマジで値切り交渉くらいなら現実味がある可憐さであった。
(おーい、アキラくーん。戻ってこーい)
いや分かってるよ。名前だろ。名前ねえ。
しばし思案する。呼びやすいのが良いだろう。奇抜なものは避ける。しかし覚えやすいよう印象的に。
(あんまり欲張っても決まらないよ?)
わかってるってば。
そうだな、それなら。
「【レオ】ってのはどうだ?」
元いた世界でも人名としてよく用いられる、獅子をその由来とする名前だ。
猫科なので想起するイメージもそう遠くない。
(そう? なんかこのコの名前にしては勇ましすぎない?)
そのくらいで丁度良いんだよ、と俺は思う。
といいつつ、俺の念頭にあったのは小さな仔ライオンである。
彼の猫耳が真っ白だったことが、俺にホワイトライオンを想起させたのである。
(んー、白? 白だったっけ?)
ちびシューラが首を傾げているが、彼の頭部の耳はどう見ても白い。
一体どうしたんだろうか。
「レオ、レオ、レオ――僕の名前は、レオ。わ、なんだかしっくり来るような気がする。アキラさん、ありがとうございます。とっても嬉しいです!」
「気に入ってくれたなら良かった」
というわけで、猫耳の少年ことレオの名前は暫定的にとはいえ決定したのだった。
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