第3話
煙山君が気を失った後に、先程彼を投げて押さえつけた2人とはまた別の茶色つなぎが2人出てきて、何やら煙山君の頭部に着けた機械と手元の端末を接続しているらしく、2人で確認し合っているようだ。声が小さくてよく聞こえない。
「一体、何をしているんだ。煙山君は無事なのか」
私は思わず、口に出していた。
「“検査”結果を確認した上で、適切な措置をする予定です」
「無事なのかと聞いているんだ」
要領を得ない返事に、つい苛立ってしまった。私もこうされるのかもしれない、と思ったが故のことだが。
「ああ、説明不足ですみません。“検査”というのは、この人のここ一年の行いについて、脳内の記録を確認して……」
「我々の措置では、賞与か処分か分かれます。これは子供のうちは事前にわかることで全員が対象なのですが、成年の場合は無作為抽出で通常行っていてそれが」
赤服の話はまた先程の棒ではたかれたところで中断した。しびれを切らして説明をしようとした黒服により指導が入った格好だろうか。どうもこの二人については、赤服が現場で初めて先頭に立った新人で、黒服は指導係を任されて極力口出ししないで済まそうとするも、口どころか手を出さないと済まない状態に陥っているというところか。赤服の説明が下手で、慌ててフォローと突っ込みをする黒服にも余裕がなさそうだ。後ろの9人の茶色つなぎはそのまた部下か。誰かが報告書を書かなければならないとしたら、大変そうだ。
それはともかく、叩かれて呆然としていた赤服のところに、先程確認していた2人の茶色つなぎが近づき、片方が耳打ちした。
「ほら、ぼっとしていないで、早く」
黒服が促す。
「ああすみません、“検査”結果は良好なようです」
「じゃあ渡すものを渡して」
「いえ、一通り“検査”してから、まとめて場合分けした方がよくないですか」
段取りもうまくできていないようだ。仰向けに倒れたままの煙山君は、顔の上半分は装置のせいでわからないが、よく見ると口元が幸せそうな表情をしている。脇では、9人の茶色つなぎのどれかが袋をもぞもぞして何かを探している。どうなっているのだ。
そして気がつけば、茶色つなぎがめいめいスタッフやお客さんの方に向かっていく。いつの間にやら皆それぞれ、手に例のヘッドセットを持っている。もしかしたらみんなにこれをつけるつもりなのか。つけて全員を“検査”するつもりか。“検査”すると結果次第で何かが渡されるらしいが、どうも黒服の言うように一人ひとりに検査→渡すというプロセスを踏むのではなく、赤服の言うようにいっぺんに検査をする方を茶色つなぎ達が選んでいる。赤服と黒服が揉めている間に、茶色どもがさっさと行動している。指揮系統はどうなっているのだろうか。
くるみちゃんとその近くにいた客二人ほどは、あっという間に装置をつけられてやはり倒れてしまった。マスターのもとにも茶色つなぎが近づく。マスターは割と体格がいいせいか、煙山君の場合と同様に二人がかりで“検査”をするようだ。
「こら君達、人の店で勝手に何をするんだい。ここはひとつ穏便に、というか、人の話を聞いてくれないか。上司達は喧嘩している暇があったらこの人たちを何とかしてくれないか。物騒な“検査”をするなら、私だけにして他の人たちを巻き込まないでくれないか。何が目的か説明もないので良くわからないけど、そんな妙なことをするよりも、オーダーしてくれれば美味しい珈琲を出せるし、本を読んでいてくれてもいいよ。ガレットは奥さんが出かけているので出せないけどさ。あっこら、何をする」
二人の茶色つなぎは、なんとかしてマスターをおさえようとする。さらに硝子さんのもとにも、茶色つなぎが一人。そんなに大きくない奴だが、硝子さんはさらに小柄なので分が悪い。そして茶色が頭にヘッドマウント装置を被せようとしたところ
「な、何するんですかー!」
の声とともに、茶色つなぎが宙に舞った。床に鈍い音が響き、茶色が投げ飛ばされてしまっていた。そうそう、先程思い出しかけたのだが、私は見たことがある。たまたま夜道で硝子さんを見かけたそのとき、彼女は路地脇から出てきた変な男に絡まれると、あっという間に投げ飛ばした場面を。彼女は護身術という鉄壁のガードを身につけている。
しかしながら、今は茶色つなぎの一人を投げ飛ばした硝子さんが装置を壊しておろおろしている間に、また別のつなぎが近寄っていった。私の腕力は硝子さんの護身術には及ばないと思うのだが、それでも流石に乱暴狼藉を許すわけにはいかない。というか、怯えて遠巻きに眺めている他のお客さんは、自分の身を守ろうとする方で手一杯と見える。私に何ができるか分からないが、この場から逃げ出して妻と娘の待つ家に戻るためにも、まずは目の前の人を助けたい。と、踏み出したところで後ろから声をかけられた。
「ああそこの冴えない方、あなたとも何かのご縁ですから、“検査”を受けてください」
「誰が『冴えない方』だ」
と振り向くと、赤服の大男が例の装置を抱えていた。
「いや、その“検査”が何なのかわからないのに、手当たり次第に何をやっているんですか」
と文句を投げつけていると、赤服の左胸に名札のような金属のプレートがついていることに気がついた。アルファベットで何か書いてある。この男の名前だろうか。
Weihnachtsmann (Nikolaus)
なんだこれは、と頭を捻ったのがまずかった。
「おとなしくしてください。すぐ済みます。これもご縁ですから」
「何の縁ですか。というか、あんた“縁”という言葉を使いたいだけじゃないですか」
「重ね重ね、すみません。こいつ、今年が初めてなもので。あとでちゃんと説明しますので」
遅れてやってきた黒服が謝る。彼女のライダースジャケットの左胸にも、金属製の名札がある。
Knecht (Ruprecht)
やはり、なんだかわからない。どういうことだ、と考えているうちに、赤服に押さえつけられ、黒服にヘッドマウント装置を被せられた。重い。
何かのスイッチが入ったらしく、私の視界が急に店内から万華鏡のような空間に変わっていく。その周囲で、黒服の女性が赤服の男性を叱る声と例の棒で引っぱたく音が響いていたが、やがてそれが遠ざかっていった。
これは仮想空間なのか。それとも、拡張現実なのか。次第に、極彩色のうねりが、見慣れたような日常風景になっていった。
見覚えのある景色が目の前に表れる。ここは私の家だ。目の前には珠美と灯がいる。食卓を囲んでいる。これは拡張現実ではない。ほんの数日前の光景だ。この食卓を起点に、どうやらここ一週間の私の見た光景を追体験しているようだ。しかも早送りで。
ここ一週間……それこそ、私が灯が欲しい物とは何かわかりかね、ギクシャクしていたときのことではないか。できるだけ、思い出したくないものだが、何かプレゼントのヒントがあるのなら、思い出してもいいか……しかし、それがわかりそうな情景は出てこない。何気ない場面や、師走になって早々にハードワークで私がぐったりしている場面など、参考にならない。
しかし、ここ一週間の記憶にしては、出てくるダイジェスト場面での珠美も、そして灯も、笑顔で出てくる。最近、彼女たちはこのような顔をしていたか。私はぎこちない表情しか覚えていないが、こんなに微笑みかけてくれていたのか。私は、気付いていなかったのか。一緒にいる間に。それほど疲れ、余裕がなかったのか。
それ以前に、なぜこのような場面を見せられているのか。人はその一生が終わろうとするとき、走馬燈のように思い出が脳裏によぎるというが、まさかそれなのか。いやそれは御免被りたい……
わけがわからないうちに、私は気が遠くなっていった。
どれくらい、時が経ったのだろう。
目が覚めたとき、私はブックカフェ“レオン”のソファーの上に寝転がっていた。
「ああ、起きたようですね。良かった良かった」
黒いライダースジャケットの女性が、テーブルを挟んで向かいの席に座っていた。隣には、赤服の大男が申し訳なさそうな顔をしていた。
「良かった、ワダシューさんあたしが起きた後も結構寝ていたんだよ。だらしない顔してさ」
「鼾はかいてなかったけれど、エヘヘとかそんな感じの声は出ていたっス」
「な、なんか、楽しい夢でも、見ていたんですか」
隣の四人がけの席から、くるみちゃんと煙山君と硝子さんが声をかけてきた。
みんなテーブルの上にそれぞれ、ブレンド珈琲やらカフェオレやら、飲み物や、クッキーなどお菓子を並べている。
見渡せば、お店に残っていたお客さん達も、それぞれいつものように珈琲などを楽しんでいる。
「映えるかなあ」
「映えますねえ」
三角さんは珈琲カップや本の前に綺麗なアクセサリーを置いて撮影しようとしており、藁科君はシャッターが切られる度にそれらを置き直している。
「これは珈琲が進むねえ……過去の世界……」
栗辺さんはまたボソボソ呟きながら、何やら画集のようなものに見入っている。
先程のパニック状態の店内が嘘のようだ。私は夢を見ていたのか。いや、目の前には何だか言い合っている赤服と黒服がいる。このテーブルを挟んでくるみちゃんたちと反対側のブロックでは、四人がけのテーブルをつなげて、茶色のつなぎ服の面々がズラリと並びながら、珈琲を飲んだりパフェを食べたり勝手にやっている。
違うのは、彼らが被っていたヘルメットやらマスクやらを外していたこと。赤服はやはり北欧系の金髪男性で、黒服の方は長髪を下ろした日本人女性だった。つなぎ軍団は人種も体格も様々だった。一人は鼻が赤い。
「おや柊君、起きたかい。見ての通り、今日の店じまいはまだ先になりそうだよ。君もお目覚めの一杯を飲むかい」
マスターもこちらに気付いて、近づいてきた。夕食メニューは出していないけれども、ご覧の通りそれ以外の注文が多いらしく、忙しそうだ。
「すみません、先輩。これもご縁とはいえ、ご迷惑をおかけしてしまって。私が、早く気付けば良かったのですが」
「それ以前にちゃんと説明しなかったことの方が問題だろうに。ほら、輪田さんだっけ、この人にも説明しなさい」
黒服の女性が肘で突いて促す。上司は大変だな。それより今、マスターのことを「先輩」と言わなかったか。
「私たちは、その、所謂、サンタクロースです」
いきなりの告白に、私は面食らった。そんなことを言われてハイそうですかと言えたものではなかったが、ここまでのあれこれを考えれば何が起きても驚かない。
「あれ、意外と受け入れてくださいましたか。話は早いですね」
「いや、どこから突っこんだらいいのかわからないだけなんですが。今日は6日ですよ。サンタクロースが来るにしても、まだ早くありませんか」
「サンタにもいろいろありまして、一般的には24日の夜から25日未明にかけて子供達のもとを回るのが通説ですね。それはそれで私どもは展開しておりますが、近年の多角化に伴い、旧習をよりモダナイズしたサービスをしてですね」
「説明は簡潔に。研修で何を聞いていたの」
黒服の女性が突っこむ。私は見てしまった。彼女が例の棒に手を伸ばしかけたところを。以後、赤服のぎこちない説明と、適宜入る黒服の突っ込みが続くが、まとめるとこうだ。
彼らは大人用のサンタクロースであり、子供全員を回るのとは別のチームだという。ただし大人に対しては全員を回るわけではなく、年度ごとに地域を限定して、かつ、無作為に場所を選ぶとのこと。だから過氏の会社の次にこのブックカフェ・レオンが選ばれたのは、ただの偶然だったということだ。
「あの、内閣支持率の調査みたいなものでしょうか。私の電話にかかってきましたけど、すぐに着信ブロックしたことがあって……」
「硝子さんえぐーい。まあ、ガチャみたいな感じ?」
「マスター、当たり引いたようなもんスか」
「公正取引委員会の取引調査みたいなものかもよハハハ」
なぜマスターがそのような生々しい例を出すのかはわからないが、話を続けると、大人部門のサンタは、クリスマスの週になる前に終わらせる予定だったという。実際に、今回の11人組のように、12月6日にプレゼントを配る風習がある地域が、ドイツなどにあるという。サンタクロースのモデルとなった聖ニコラウスの日が、12月6日とされている。
「私達もそのドイツ式を現代型にアレンジしたんだけど、いかんせん人手不足だし、碌に研修を受けられないまま実戦投入されてもうこの有様よ」
黒服がぼやくように説明する。赤服の手際があまりにも悪いので、途中から彼女の方が説明する場面が増えた。
なんでもつい数年前まで感染症が世界中の脅威となっていた頃に、高齢のサンタクロースが定年を前に退職することが多かったらしい。この業界で若返りが進んだといえばある程度聞こえがいいが、経験不足の者が増えたという。このチームもまだ平均年齢が若い。
ドイツの聖ニコラウスの日には、聖ニコラウスと、その従者であるループレヒトの二人組が子供達の元を訪れ、彼らの行動記録を閲覧し、良い子もしくは反省した子にはニコラウスが贈り物を与えるが、悪い子はループレヒトに引っぱたかれるという。
「サンタとナマハゲがコンビを組んで来るってこと? うけるー」
「も、もしかして一緒にいらしている9人の方はトナカイさんたちの役ですか」
くるみちゃんの言葉に苦い顔をしていた茶色のつなぎ組は、続く硝子さんの言葉に揃って頷いた。
赤服と黒服の胸にあったプレートの名前は、その形式に則ったコードネームだった。Weihnachtsmannとはドイツ語でサンタクロースに当たる人物像で、Nikolausは聖ニコラウスのこと。つまり赤服はサンタクロース役。黒服の Knecht Rubrecht は、その罰を与える従者クネヒトの役ということ。従来は男性が担当するらしいが、数年前までサンタ役をしていた女性が、人手不足と指導係を兼ねてこの役割を担当することになったらしい。仕事ができる彼女は罰を与える役もできるが、新人に現場でモノを教えるのはまだまだ苦労しているようだ。
「先輩はサンタの時も、そつなく、勤勉に、仕事をこなしていましたよね。20歳くらいから続けて何年目でしたっけ。今の、お歳は……」
「余計な話はしない」
今度は棒が飛んでいった。黒服のループレヒト役お姉さんは、悪い大人相手よりも赤服ニコラウス役の指導でこの棒を使っているのではないだろうか。
それは兎も角、現代風のやり方では、あのVRヘッドマウントのようなもので過去の行いを見るプログラムがあるということだ。それをただ“検査”とか言われても、やはりわからない。ただ、大人の場合はその行いが単純に良いか悪いか、その事業内容だけを見ただけではわからないだろうから、ああやって内面の記憶を探るまでしないといけないのか。
「なるほど、過氏があれほど手ひどくやられたわけだ」
私は思わず口に出してしまった。
「まあ、無作為の偶然とは言うけれど、僕も悪い子だから過君の次に押しかけられてもしょうがないか。大学時代の友人があくどい金稼ぎをしていても、諫められなかったわけだからねハハハ」
そうだ、マスターもあの装置をつけられそうになっていたわけだが、どうなったのだろうか。
「でもマスターはその“検査”で問題なかったんですよね」
煙山君が確認するように問う。
「いえ、事前にあなたが我々の先達であることを事前にわかっていれば、こんなご無礼をせずに済んだので……すみませんこいつが確認もせず焦らなければ」
黒服は平謝りだ。
「いいんだよ。これがもらえたんだしね」
マスターがカウンターの下部から、一冊の分厚い本を取り出した。随分と年期の入ったものだ。
「“検査”の結果、あなたが欲しかったものがこのような本だったことに驚きました。場合によっては博物館の所蔵で手に入らないかと思ったのですが、問い合わせの結果入手可能だったので」
赤服が説明するには、このサンタチーム各自が持つ袋は、ヘッドマウント装置や手持ち端末と連係して、“検査”した者の望んだ物を取り出せるという。
「これは私が前の仕事をしていたときに、ドイツの古本屋で見つけた絵本でね。それこそ、12月6日の聖ニコラウスの日について書いてあったから、よく読んだものだよ。結構なお値段で駆け出しの私には買えなかったけれども、先輩が子供用に買ったのを良く借りていてね。それと同じ物か違う物かわからないが、よく取り寄せてくれたね」
「その“前の仕事”が、同業だったわけで。“検査”でやっと証明できました」
「僕の頃はもっとアナログというか手作業だったよ。でも早々に腰を悪くして引退したからね。そのおかげで、こういう場ができたし、君の言う“ご縁”も偶然できたんだから」
赤服に答えるマスターが、ちらりと茶色つなぎのうち一人に目を遣ると、何だか恥ずかしそうな顔をして少し下に目線を逸らす。そうか、先程一人だけマスターの方を見て、何やら気付いたような仕草をした者か。右から何番目に立っていたかはもう忘れたが。
「彼が学生の頃に、開店当初のこのお店で世話になっていたとは……“検査”中に耳打ちしてきたから、『遅い!』と叱っておきました」
20年前に彼はこの町の大学に通っていたのか。それは確かに”ご縁”だ。赤服君はこういうときにこそその言葉を使った方がいい。
「僕のことはいいよ。それより柊君、君も良い子だったみたいだからプレゼントがあったんだよ。まだ見ていないのかい」
私の目の前には、一冊の本があった。子供向けの童話だ。
「それがあなたの求めていたものです」
赤服が言う。
私は、良い子だったのか。自分の家庭のこともよくわかっていないのに。よく見ると、周りのみんなが、贈られた物とみられる何かを持っている。硝子さんは手で隠しているのでよく見えないが、どうも最近ベストセラーとして評判の恋愛小説を持っているようだ。煙山君は料理のレシピ本のようだ。この店の味を何としても覚えたいと話していたものな。くるみちゃんは歴史ものの漫画本か。そういう趣味があったのか。ブックカフェのスタッフだからか、皆、本が欲しかったようだ。そして、常連である私もそう判断されたのか。
「良いか悪いかでいうのは、難しいです。輪田さんでしたか、あなたに限らず。なんというか、“検査”で合格したかどうかですのでそれを受け取る資格があります」
「もうちょっといい説明はないの。あと『どうぞお受け取りください』とかそういう一言を」
黒服の小言が始まったところで、私は本を手に取った。英語の絵本だが、”Father Christmas”というタイトルとともに描かれたサンタクロースに見覚えがある。たしか作者名はレイモンド・ブリッグズ。私が子供の頃に読んでいた本だ。確か日本語の題名は「さむがりやのサンタ」。今でも覚えている。
「柊君、その本は、うちでも売っているよ。もしかして、ずっと欲しかったのかい」
マスターの質問に対し、私はいい答えが思いつかない。すると、茶色つなぎのうち一人が手を挙げた。黒服が説明を促す。赤服が説明するより良さそうだと判断されたのだろう。
「輪田様の“検査”を担当した者です。輪田様のクリスマスに関する記憶は12月になってからのここ一週間のものがとても色濃く、関心が強かったものと思われます。他の時期の記憶で“検査”に関係するものもAIに選んでもらったのですが、特に映像記録として多く抽出されたのが、お嬢様がこのお店で本をご両親に読んでもらっているところでした」
灯をこの店に連れてきたときは、確かに自由に閲覧できる棚の絵本を彼女がすぐに持って来るので、その場で読んであげていたことも多かった。彼女にとっては、親が飲む珈琲よりも、本のインクの匂いの方が記憶に残っているのではないか。説明が続く。
「ただし、お嬢様が去年の同時期くらいにこのサンタクロースの本をお席に持ってきた頃に、帰る時間が来て読めなかったようですね。お手に取ったのは日本語版ではなく、英語版だったことも影響していたようです。販売用の棚にも同じものがあったようですが、輪田様は外国語の絵本については購入記録がないようでした」
「それは私ではなくて、娘が欲しがっていた本じゃないか」
と口に出して、私はハッとした。
「今は、灯ちゃんが欲しがっていた物が、ワダシューさんの欲しい物と同じになっていたってことなの」
「柊さん、家族思いだったんですね」
くるみちゃんと煙山君に続き、硝子さんが「あ、あの」と前置きして付け足す。
「灯ちゃんが欲しいのは、本もそうですが、ご両親に読んでもらうことも含めたことじゃないでしょうか。その、時間というか、空間というか、経験というか。で、輪田さんが欲しいのは、それらがあって幸せになれることというか……やだ、私、何をもっともらしいこと言っているんだろう、忘れてください」
照れる硝子さんをマスターがフォローする。
「硝子さん、よくまとめたねえ。さすがうちのセキュリティー担当だ」
何がどうセキュリティーと結びつくのかはわからないが、言われてみれば合点がいく。説明してくれた茶色つなぎ君に礼を言い、私は本のページをめくった。絵本というか漫画のようなところもあるが、一人の労働者としての視点も交えたサンタクロース像が面白い。灯が何を思ってこの本を手に取ったかはわからない。英語の台詞を読んでもまだ意味はわからないだろう。でも、それらの意味がわかるのはあとからだって良かったのだ。そして、今からでもこの本に親しんでもらえればいい。私が子供の頃にこの本を親とともに読んだときのような思い出が、彼女にも残ってくれたら。
「ありがとう。皆さんの贈り物に感謝します」
赤と黒と茶色のチームに、私は頭を下げた。
「ただ、この次はもう少し穏便なかたちで、あと、ちゃんと事前に説明して、お仕事をしてくださいね」
苦笑する赤服を横目に、黒服が席を立とうとする。
「いろいろお騒がせしました。我々はここで失礼いたします」
店内の視線が集団の方に向くと、自然発生的に拍手が起こった。赤服が得意げな表情で立っているのに対して、黒服が頭を下げさせ、笑いが起こった。
チーム・サンタの団体さんは、この日にあと一軒あるという次の目的地に向かう。レオンのスタッフが戸口まで見送りに行き、それぞれ礼をしてチームは店を出る。最後に、黒服が向き直って、店内全員へ少し大きな声で呼びかけた。
「ああそうそう、この日のことは秘密にしていてください。“検査”の結果とか、内容とか。くれぐれもSNSとかにアップしないでくださいね。一応対策班はあるのですが、なにぶん新しい部門の仕事ですので、スタッフの対応が追いついていなくて。噂はだいぶ出回っているみたいですが、メディアとか誰かに聞かれても曖昧な感じで。箝口令は難しいと思いますから、ある程度ふんわりした感じでならいいですから。ああこら、何でこういう肝心なことを言わないまま撤収しようとしているんだ、待ちなさい」
黒服はそう言って、帰ろうとするチームを追いかけた。気苦労は絶えなさそうだが、多分こういう経験を通してサンタクロースらしい集団になっていくのだろう。ユニフォームなど改善すべき点は多々あると思うが、頑張ってほしい。
ノブにかけられたカウベルが鳴りながら出入り口が閉まり、あの来客達がどこかへ去っていったことを示した。
店内は、それぞれプレゼントを見せ合い、談笑する場になっていた。みんな“検査”に合格したのだろうか。盗賊団だの討ち入りだの嫌な予感とともにやってきた連中が、慣れない形式ながら本当のサンタクロースだったとは、今も信じられない。
「一緒に写真撮っておけばよかったな」
「そ、それは、あの方々のセキュリティー上、駄目なのでは」
くるみちゃんと硝子さんのやりとりに微笑みつつ、マスターが来客の食器を片付ける。
「まあまあ、こういうことは思い出にとどめておいてもらった方がいいんだよ。まあ彼らの仕事の始め方は乱暴だと思うけど、みんなそれぞれプレゼントもいただいたし、チームの皆さんもちゃんと珈琲とかのお代を払ってくれたしね」
窓の外を見る。いつの間にか、霙は止んでいた。あのチームも次の現場に行くのは楽になっただろうか。
「過君は、これから真っ当にお金を稼ぐようになってくれるかなあ」
マスターが呟く横で、私は席を立った。
「あ、柊さん、お帰りっスか」
「ああ。お天気も良くなったみたいだしね」
煙山君に会計をお願いして、私は家路につくことにした。
「お気をつけて」
お店のスタッフが声を合わせた。
足下は少しぐちゃぐちゃしていたし、交通機関が遅れているようでバス停は少し混んでいたが、家に向かう私の足どりは軽かった。
奇妙な夜だった。忘れろと言われても忘れられないだろう。そして私は見てしまった。倉庫に避難しようとしたとき、何やらラッピング途中の品物の箱があって、それぞれに従業員やご家族の名前が書かれた付箋がついていた。今思えば、マスターは引退しても、誰かのサンタクロースなのだ。それを含めて、不思議な12月6日だった。
本当は、この夜の出来事を、珠美にも灯にも話したい。珠美は呆れながら聞くだろうか。灯はわくわくしながら聞くだろうか。でも口止めをされたので、それは黙っておこう。
スマートフォンのメッセージアプリを見直した。いつの間にか、先程のメッセージには既読マークがついていた。返事はまだないが。
代わりに、この本を読んであげよう。そのサンタクロースが来た翌朝に。それまでの間に、ラッピングを考えようか。読み方もいつもより工夫した方がいいかな。その前に、珠美が欲しい物を聞くんだった……何せ、まだ時間はある。
聖夜には、まだ早い。
聖夜にはまだ早い 雪後 天 @setsugoten_KY
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