第2話

「逆に考えればイベントなわけで、何だかワクワクしてこないかい」

 そう言われても、マスターの声色がワクワクしていない。かえって不安だ。お客さんはというと、その襲撃話を聞いてなさそうな人たちも何人か会計をして店を出た。藁科君と三角さんは撮影に興じていたぶんまだカフェラテが残っていて、しかも二人の世界を持続させているのでとうぶん帰りそうにない。栗辺さんに到っては自身の世界を展開させたままブツブツ言っている。そういう人たちが残っているのだから私一人が帰っても影響は無いと思うのだが、マスターは引き留めたいらしい。スタッフもいるでしょうに。

「いやあひとりでも多い方が心強いと思ってさハハハ」

 巻き添えにされる人数が多くなるじゃないか、と思ったが、もしかしたら多くの一般人がいれば下手に手出しはできない、とマスターは考えているのかもしれなかった。

「煙山君、君は武道の有段者じゃなかったっけ」

「柊さん、俺、有段ですけど剣道っス」

「だいたい、なんだってあんな物騒な連中に狙われなければならないんですか。マスター、カフェの裏で何か悪いことでもしていたんですか」

「いやそんな滅相もない。僕は見ての通り何の変哲も無い喫茶店の店主だよ。奥さんがいなければこの店名物のガレットも焼けない」

「あのおっさんと一緒にえぐい取引とかしてたんじゃないのー」

 くるみちゃんはおっさんに容赦が無い。

「いやあまさか。僕は商才がないし彼みたいにえぐい先物取引とか紹介ビジネスとか得体の知れないタイプの暗号資産とかそんなことは」

 あまりその辺は、これ以上マスターにしゃべらせない方がいいのかもしれない。マスター自身は諸々の“ビジネス”に関わっていないだろうし、あくまでも推測や冗談で言っているのだろうが、本当は彼のビジネスについて知りすぎているのかもしれない。

「なんで彼の会社の次に僕のこの小さな店に押し入るんだろうね。大学時代の名簿でも見て当たっているのかなあ。ここに盗るような財産なんてあるとも思えないし」

 何を以て財産とするかは、難しい。

 金目の物、といえば、この店の場合は売り物の本や輸入珈琲豆、茶器と言ったところだろうか。それにしても、過氏の会社のような儲けはないだろうし、大人数で襲撃に入るようなところではないだろう。空き巣がこそこそと入るならまだわかるが。

「まいったねえ。もうすぐ開店20年というときに、とんだゲストが来るもんだ」

「もう20年になるのかい。早いもんだねえ」

 栗辺さんがようやく黙ったと思ったら、またボソッと呟いた。この人はどこからどこまで我々の話に聞き耳を立てているのだろうか。

「おかげさまでね。軌道に乗るまで長かったけれど、こんな市の中心部で続けられるとは思っていなかったよ」

「そういえばマスター、ここをやる前は何してたんスか」

 煙山君は今年に入ってからアルバイトを始めた大学2年生で、まだこのお店の歴史はよく知らない。

「運送業だよ。あちこち飛び回っていたけど、腰を痛めちゃってねえ。開店当時には、同じように腰を痛めていた学生さんがやってきて、腰を痛めた上に外国語の単位は落とすわ彼女と別れるわで心まで痛めたって話を聞いたらつい同情しちゃって。奥さんのお手製クッキーを内緒でおまけして、後で怒られたもんだなあハハハ」

 ただの喫茶店ではなく、あちこちから譲り受けた古本を本棚に並べ、新しく海外から手に入れた絵本とともに店内を賑わす。おそらく取引先も、その前職でできた繋がりによるものだろう。雑居ビルの片隅に、落ち着いたトーンの独特な空間を作って20年になるのか。栗辺さんがセピア色の思い出を語っていたけれど、この店内の調度品はセピアとか木材の天然の色合いとか、落ち着いた系統の色が大半だ。そこに12月になってからはクリスマスシーズンということで、あちこちにリースやツリーが飾られて鮮やかなアクセントが加えられている。

 私は5年前に転職に伴い、この杜都市に越してきた。営業を担当していたときに知らない町を歩き回ってひいこら言っていたときに、ふと立ち寄ったのがこのレオンだった。珈琲の味に惹かれ、そのまま常連になったと自分では思っているが、この本のある空間に惹かれたのかもしれない。やがて娘が生まれ、部署も変わり、足が遠のいたときもあった。だがそのときそのときでペースが変わりながら、今は常連と呼ばれる立場になった。マスターの宿木夫妻を始め、安護くるみちゃんや煙山草生君、星硝子さんといったスタッフのみなさんに名前を覚えられ、今では下の名前で呼ばれるくらいだ。

 娘が生まれる前に妻と一緒に来たこともあれば、娘の幼稚園へのお迎えを私が担当する日に時間潰しでここに寄ることもある。娘を連れてここに来たこともある。妻は私以上の読書家だし、娘もここの絵本が好きなようだ。ただし、輸入品故に外国語が分からないことも多いだろうから、まだ殆ど買って帰ったことはないが。

 私以上の常連さんも、20年ともなれば多いだろう。一見さんも、最近気に入ったお客さんも、このレオンは受け入れてくれる。接客担当の二人は私よりもこのお店との付き合いは短いが、馴染んでいる。最も古株のスタッフは硝子さんで、彼女は過去についてあまり話してくれない。でも私は見てしまったことがある。幸さんが開店当時の話をして当時のスタッフ集合写真を見せてくれたときに、アルバイトだった当時高校生の硝子さんが、写っていた。幸さんに聞いたら当時17歳だったそうだから、見た目が年齢不詳の硝子さんがいくつかも分かるわけだが、それは胸に秘めておく。過去を語らない彼女も他の勤めを経て今はここの経理など事務を引き受けるスタッフになっているのだから、ここは彼女にとっても居心地が良い場所なのだろう。このお店に来る人それぞれに、思い出がある。

 私や、他のお客さん、それにスタッフのみんなにとっては、美味しい珈琲も、この本達も、茶器も、このお店の空間自体も、みんな財産だと思うのだが。あの金に汚そうな……いや、何でも持っていそうな過氏であっても、わざわざこの店の豆や茶器を選ぶ。彼ならば、ここでなくてももっと大きな輸入業者との繋がりもあるだろうに。わざわざここへ珈琲を飲みにくることだって珍しくない。

 そんな疑問はあるのだが、私は私で早く帰った方が良さそうだ。もう妻は娘とともに帰宅しているだろうが、うちが襲撃されるとも限らない。もともと、帰る時間を早めて娘から話を聞きたいと思っていたのだし、会計をしよう。

「まあ、あのおっさんの聞き間違いかもしれないし、わかんないんじゃない?」

「それもそうっスね」

「そうだねえ。珈琲や絵本が好きそうな人たちには見えないしね」

 店内はだいぶ落ち着いてきたようだ。マスターも軽口を叩けるようなら、大丈夫ではないだろうか。放っておいてもなんとかなりそうだ。やはり帰ろうと腰を浮かす。

「ああ、待ってよ柊君。それにこの天気でしょ。連中はあの会社からうちには来られないよ。君も今出たらびしょびしょになっちゃうし、雨宿りでやり過ごすくらいの時間はあるでしょ、ねっ。しばらくここにいた方が安心だよ」

「でもあのおっさんの会社でやばいセキュリティーとか破ったんでしょ」

 マスターは自身やここにいる人たちの不安を和らげるべく、僕に不安を抱かせないようなコメントをしているのに、くるみちゃんは不安を増すようなことを言う。

「それに、柊さんは今日何か急ごうとする理由があるんですか」

 煙山君はそう来たか。正直に言った方が良いのかもしれない。

「娘との、約束というか」

「あーワダシューさん娘ちゃんいたんでしたっけ。名前は?」

「灯です。灯と書いて『あかり』」

「かわいい名前! で、ワダシューさん、もしかしてこれから家族でディナーだったの」

 私もおっさんの筈なのだが、こういうお話にはくるみちゃんは興味があるらしい。ちなみに灯と名付けたのは、妻の珠美だ。

「いや、そういうんじゃなくて、というか、約束があるというのではなくて」

「え、何、意味がわかんない」

「その、既にした約束があるというより、これからする約束を確かめたくてですね」

「俺も意味分からないっス」

 先輩を立てる煙山君でも正直にわからないという。それもそうだ。私は娘について、いつの間にかわからないことが増えてきた。

「娘がクリスマスに何が欲しいのかが、わからないんだ」

 正直に、口に出した。

「柊君、それはどの親御さんも通る道だよ。そんな悩まなくとも」

 マスターの心遣いは嬉しいが、憧れの存在であるサンタクロースに直接言いたいからお父さんには内緒……というのではなく、そもそも父を信頼していないのではないかという心配の方が上回っている。

 我が家は共働きだ。5歳になった灯を幼稚園にお迎えに行ったり、帰ってご飯を作ったり、というのは、私も珠美もそれぞれのスケジュールを確認した上で当番を決める。その時その時の各自の忙しさにもよるので、完全とはいかないが、なるべく均等に割り振っているつもりだ。ところが最近、灯は珠美とは仲良くしているが、どうも私との折り合いが悪い。

 原因がわからないうちにクリスマスを迎え、何をプレゼントしようかという話になった。それとなく話を振るも、灯は頑として私に答えを教えてくれない。サンタさんにだけ言う、というより、貴様には簡単に教えるものか、という態度である。

 彼女が好みのキャラクターはある程度把握している。しかし彼女の好きなアニメーション番組でも特撮番組でも、動画サイトのナビゲーターでも、そういったキャラクターのグッズを当てずっぼうに振ってみても、明確な回答が得られない。当たりを引けば、口では明言せずとも表情が明るくなりそうだが、そうではないらしい。

 珠美には打ち明けてくれたのかというと、実はそうではない。

「私には懐いているかって? そんなことない。現に、欲しいものを教えてくれないもの。あと、私には欲しいものを聞いてくれないの?」

 と返された。まだ12月も6日目だが、師走は師匠よりも速く時が走る。あっという間に走る。早いうちに知りたいものだ。

 今日はお迎えや夕食の当番は珠美の方だったが、私も予想外に仕事が早く終わったので、一緒に準備をしようかと思ったが、プレゼントの件が引っかかっていたので何かいい作戦がないか考えることと、一旦落ち着くこと、その二つのためにレオンで道草を食っていたのだった。

 常連になって、ここのスタッフやお客さんについてはいろいろなものを見てしまって、いろいろなことをわかってしまっているのに、肝心な自分の家族が求めているものがわからない。情けないものだ。父親失格だ。

「そういうわけで、今日は帰って探りを入れた方がいいのかなと。読み聞かせ中なら、私に対しても心を緩めてくれるようだし、珠美……奥さんも、久々に一緒に夕食を作れれば和むかと思って」

「まあそう焦る気持ちはわかるけどさ、思い過ごしかもしれないじゃないか。別に今日わからなくてもいいんでしょ。まだ霙が激しいけど、積もらず止んだらすぐ解けちゃうだろうから、もう一杯で待ってからでもいいんじゃないかなあ」

 同一メニューのおかわりサービスは割引料金になるので、それに甘えたいところでもある。今は落ち着くための珈琲も欲しいというのが正直なところだ。

「そこまでして、頼りになるかどうかわからない私を引き留めるくらい、マスターはまだ内心びびっているんですか」

「そ、そんなことないぞ。安心してもらうためにも、うちのセキュリティー担当にも何か作戦を立ててもらおうかなあ」

 マスターが向き直った視線の先で、吃驚した声があがる。

「わ、わわ、私がですか」

 話を聞きつけたか、いつの間にか硝子さんも事務室からカウンターに出てきていた。セキュリティー担当とは、まさか硝子さんのことなのか。

「そう。うちの鉄壁のセキュリティー担当」

 硝子さんは先述の通り、17歳の時に……いや、歳の話はやめておこう。兎に角、高校時代に親戚の紹介とかでアルバイトで入ったと幸さんから聞いた。大学に進学し、その後に就職したが、数年で辞めたという。ここに転がり込んだが、前のように接客をすることができず、事務を担当したらあれもこれもできるものだから、正式採用されてそのまま今に至る。

 彼女が大学を卒業して就職した後に何があったかはわからないし、彼女も語ろうとしない。だが、現在の経理等事務なんでも、というポジションは天職なのではないだろうか。マスターはよく言う。「こんな儲からない店が続いているのは、硝子さんのおかげだよ」と。幸さんもすっかり任せてしまっている。

 硝子さんは黙っていれば年齢不詳というか若く見える。今日のふかふかフリースのようにいつもだぶだぶの格好をしているから体格がわかりにくいが、小柄だし華奢な感じだろう。接客をしていた高校時代の頃のことは私にはわからないが、少なくとも今は裏方に回って正解のように思う。

「て、鉄壁って、トタン板くらいです」

「何を言っているんだ。君のおかげでうちのサイトは成り立っているんだ」

 マスターの言うセキュリティーというのは、つまりネット関連か。店舗案内やメニュー、通販といったこの店のサイトの管理も全部硝子さんが管理している。SNSも三種類ほどやっていて、時々わけのわからないちょっかいレスポンスが来るときもあるが、適切に“処理”して見えなくしてしまう。蚊を発見次第殺虫剤を噴射するように。

「サイトだけでなく、この店の我々や顧客情報を知られたら叶わないからね。過君のところは何やら暴かれたらしいが、我々は大事なお客さんの情報などを知られては困る」

「えーでもあの会社の頑丈なセキュリティー、破られたんですよね」

 くるみちゃんの「頑丈なセキュリティー」という表現は何か金庫に情報が入っているような印象だが、それは兎も角、過氏のあの会社のビルにはまず部外者が建物に入るだけでも大変だろうし、ああいう手合いは相当念を入れて情報を保護するだろう。連中が何をどう破って暴いたのかはわからないが、過氏があれほど慌てるくらいだから「頑丈」なものも破られてしまったのだろう。クラッカー集団なのか、それとも物理的なクラッシャー集団なのか。

「あたし自分のSNSとか自宅バレとかしないように写真は外で撮ったのしかアップしないし、匂わせもしないのに、そういうのも暴きに来るの?」

 くるみちゃんはこの状況で、何の心配をしているのだろう。自分から匂わせがどうとか言っているし、さっきは人に会うとかどうとか言っているし、聞き耳を立てる下世話な人たちに対してガードが甘いのではないだろうか。そういう私も見てしまっている。帰り道で、オフだったくるみちゃんが、それはそれは地味で冴えなさそうな男性と連れだってお食事中だったところを。普段は比較的派手な見栄えで、高い理想を語る彼女だが、実際は背伸びせず安らげる相手がいるのだ。

 そんなことを思い出している場合ではなかった。とりあえず、観念してしばらくここにとどまることにしよう。珠美にはスマートフォンのアプリからメッセージを送る。

《すまない珠美、今日はもうしばらく遅くなる》

 すぐに返事が来た。怒ったり困ったりしているのだろうか。

《どうしたの? 今日は私が灯のお迎えと晩ご飯の当番だけど》

《いや、念のため》

《変なの。いつも自分の当番じゃないときにそんな気を使ってたっけ。私たちも普段先に食べているのに》

 何故遅くなるのか、は聞かれなかった。代わりに、なのかは知らないが、可愛いかどうか判断しかねる動物のスタンプがついてきた。喜怒哀楽どれともやはり判断しかねる表情のため、文字情報と合わせても珠美が私にどういう感情とともに文面を送っているのかわからない。怒っているのだろうか。ましてや灯が今はどんな心境なのか、わかるはずもない。私はこれにどう返したものかわからず

《鉄壁のセキュリティーかどうか、確かめるために遅れる》

 とだけ打ちこんで返信した。返事は文でもスタンプでも来ず、既読マークすらつかないので、そこで画面を消した。

 さて、その鉄壁のセキュリティーだ。確かに硝子さんは電子情報の管理については鉄壁だとは思う。彼女のPCもスマートフォンも要塞並みのガードを誇るということもよく聞く。マスター夫妻は自分の店のデータも、硝子さんの許可を得ないことには閲覧できないと聞く。うちの娘のクリスマスプレゼントに関するガードと、どちらが堅いだろうか。

 そういう点では鉄壁なのだが、あの物騒な連中が力尽くで何かをしようとしてきたときに対処できるかというと話は別だ。マスターはその対処のためにも、私が店に残ってほしかったのだろう。でも私の腕っ節に何を期待しているのだろうか。煙山君の方がずっと頼りになるし、お店に残ったお客さんの中にもいざというときに盾になってくれる人がいるのかもしれない。連中が一体何かわからない以上、警察も迂闊に呼べないし、この悪天候で来てくれるかどうか。

 ただ、私は見てしまったことがある。ある帰りが遅くなった頃に、この店の近所を通りがかったときに偶然見かけた硝子さんが……

 と思い出の再生途中で、突如天井の方から轟音が聞こえてきた。

「な、何? 今の音」

「地震スか」

「いや、地面じゃなくて上から来たねえ」

「ええっ、も、もしかして」

 店のスタッフがそれぞれ驚く。マスターの言うように、地鳴りではなく雷のような音が、上から響いてきた。雪深い日に、屋根から大量の積雪が落っこちてきたときの響きにも似ていた。だが、6階建ての雑居ビルの5階に、このレオンはある。一体、上で何が起こっているのか。すぐ上階ではなく、もっと上から、空から、思い響きが突き抜けてきたような感じだった。

 残っていたお客さん達も、再びざわつき始めた。この霙の中でも変えることに決めた一人が席を立ち、素早く会計を済ませて出ていった。

 すると程なくして、レオン入口の扉の向こうから

「うわっ何だあんたら、うわあああ」

 という声が聞こえてきた。

 これには店内のスタッフもお客さん達も、何より私も、青ざめた。

「ままま、まさか、あの連中が来たのでは……」

 珍しく硝子さんが真っ先に口を開いた。それも相まって、私は身の危険を感じ、客の身分ながら店の奥に向かってダッシュした。確か物置がある扉を開け、避難しようとした。中には逃げ込めそうなスペースがありそうかと覗くが早いか

「だ、駄目だ、そこは見ちゃ駄目!」

 裏返って可愛らしさすら混ざったマスターの叫びとともに、襟首を捕まえられて引き戻された。

「み、見ていないよね?」

 この後に及んでマスターが何を恐れているのか知らないが、

「いえ、まだ何も」

 と答えておいた。それにしてもものすごく早い対応で、ものすごい力でつかまれた。この腕力があれば、賊が来ても戦えるのではないだろうか。

 などと考えている場合ではなかった。私がまたカウンターの客席側に戻ったところで、店の入口の扉が勢いよく開かれ、勢いよく集団が店内に走りこんできた。

「あれって、もしかして……」

 煙山君が指を差した来客達は、何かの部隊のような出で立ちだった。そして、先程の過氏の会社から届けられた映像にノイズ混じりで映っていた面々も、並んでいた。

 隊列は二列。前列には、二人組の男が立った。片方は深紅のアウトドアウェアのような格好で、白の切り返しやパイピングが施されている。その脇に立つもう少し背が低い者は、真っ黒のライダースジャケットを羽織ったハーレー乗りのような出で立ちだ。ただしサイズは少し大きく体にフィットしていない感じなので、もう少し小柄なのかもしれない。フルフェイスではないけれどもヘルメットのようなものを被っていて、顔もよく見えない。黒服の方はマスクもしているので、顔がわかりにくい。

 後列には数えてみれば9人、似たような格好の連中が並んでいる。あの過氏のSOS通信に映っていた者達と見て間違いないだろう。

それぞれ、ガスマスクのような、ゴーグルのようなものを顔に着けているが、茶色のつなぎ作業服のようなものを着用しているところは一緒。それぞれ、焦げ茶や、セピア色と、微妙に違う茶系統で彩られている。

「噂の通り、赤い人がいるっス」

「と、隣は隣で噂された通り、黒ですよ、黒。どうしましょう」

「あれ、おっさんの動画で出てきた茶色がたくさん。ウケるんだけど」

「映える……かな……」

「映えます……かねえ……」

 藁科君と三角さんの疑問はさておき、煙山君と硝子さんとくるみちゃんが順に反応したように、それぞれの噂は本当だった。要は、三色それぞれが存在していたのだ。

「我々は、調査に、まいりました」

 いきなり赤い服の男が言いだした。大柄で、サングラスで隠された部分を除けば、日本人ではなくゲルマンやノルマンのような感じの掘りの深さも感じられる。国籍はよくわからないが、流暢なのだけれども何か妙な堅さを含む日本語でいきなり我々に呼びかけてきたため、店内は呆気にとられている。何というか、翻訳ソフトを通した日本語を、文法や訳語は正しいけれども素直に受け入れられないテンポで読み上げられた感じに似ている。

「いやせめて、挨拶してからにしようよ」

 隣の黒服が小声で突っこんでいた。そう言いながら肘で赤服を小突いていたのを私は見逃さなかった。どうも声色からするに女性のようだ。

「君達、言っておくけどね、うちには金目の物はないし、単純に荒らされては困るんだよ」

 冷や汗をかきながら、マスターがなんとか事態を落ち着けようと試みる。

「それが、目的ではありません。ただ、“検査”する、だけです」

「だからまず挨拶とちゃんとした説明を」

 今度はしっかり聞こえる声で、隣の黒服の女性が突っこんだ。

「すみません、こいつ普段はもっと流暢なんですけれども、今年が初めてなもので、緊張しているんです。本番に弱いもので」

 黒レザーの辛口な身なりで、同僚には随分と手厳しいが、随分と丁寧な釈明だ。上司なのか。ますますこの連中がよくわからなくなってしまった。

そして私は見てしまった。赤服と黒服の後ろに整列している9人の茶色つなぎのうち、マスターが話したときに右から五番目の者がピクリと動いたことを。でもそれを気にしている場合ではなかった。“検査”とは何だ。

「あの、あなたがここの責任者の方でしょうか。実は今年の“検査”の対象でして、これは無作為で抽出される……」

「すぐに済みますので、ご安心のうえご協力をお願いしたく」

 割って入った赤服の方が、何やら手持ちの袋からごそごそと物を出そうとしたが、

「人の話は最後まで聞け! 割り込むな!」

 と、黒服もどこから取り出したか、座禅の警策のようなもので赤服を引っぱたいた。私たちは漫才でも見せられているのだろうか。

「あ、すみません、お見苦しいところをお見せしました」

 と黒服は謝るが、話が途中で切られたことで、何の“検査”なのかわからない。こちらが聞くより早く、激しい突っ込みも意に介さぬように黒服は変な機器を袋から取りだした。見た感じ、ヘルメットか、ゴーグルか、VRのヘッドマウントディスプレイか何かだろうか。

「よくわからないけど、私が協力すればいいのかい」

「いえ、関係者の方々も、これも何かの縁ですので、“検査”にご協力いただければ」

 まだ何というか声色が堅い。黒服君は緊張で周りが見えていない感じで、語彙の選択もぎこちない。縁とは何だ縁とは。

「うちらが一体何したっての」

「わ、私達関係ありますか」

 くるみちゃんや硝子さんの抗議も、連中には届いていないようだ。これは従業員ではない私も巻き込まれる流れだろうか。そうでなくとも、店の出入り口は赤服黒服茶色服の合計11人に塞がれている格好だ。

 などと思案していたら、カウンターから煙山君が飛び出して、あたふたと機器を取り出している赤服に飛びかかった。逃げる突破口を開こうとしたのだろうか。赤服は体格が良さそうだしまともに取っ組み合っても分が悪そうだが、隙を見せるのを待っていたのか。

 しかしあっという間に、煙山君は向こうの後列から飛び出してきた2人の茶色つなぎにおさえられ、投げ飛ばされた。

「すみません、ではこの方からやります。これも何かのご縁ですので」

 赤服が手に持っていた装置を、投げられて呆然としている煙山君の頭にはめた。

「最初は混乱するかもしれません。でも楽になりますし、痛くもないですから」

 一体何をされるのだ。まずはそれを説明しろ、と言いたいところだが、店内の皆はあまりの展開に驚くやら呆れるやらで、妙な装置を被せられた煙山君に注目が集まっていた。

「うおお何だこれは!」

 と言ったが最後、煙山君は唸り声やら悲鳴やら、兎に角文法的にはよくわからない言葉を叫んで、気を失ったようだ。あの装置の向こうで、何が起こっているのか。

(続く)

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る