第33話 一年生 夏

 帝竜から落ちてきた卵は、五〇センチほどの大きさをしていて、茉莉まつりの目の前まで落ちてきて、ピタリと制止する。


 ビクリと身を震わせる茉莉をよそに、


「なーにをビビっとる。ほれ、起動認証だ。触れてみい」

 シロカダ様はご満悦の様子で顎をしゃくって見せた。


「さ、先に説明を要求するのじゃ! なんじゃ、起動認証って!」


「んー、わかりやすく言うと、帝竜が紗江と結愛ゆめを監視したいと言い出してな? かといって、紗江達には、どんな影響が、あー……自分らに出るかわからんから、スフィアリンク……んー、憑きたくないとか、わがまま抜かしおって、吾に憑かせろと言ってきた」


 かなり言葉を選んでいるのか、ところどころで呻いて説明するシロカダ様。


われは吾で連中とはそもそも規格……相性があまりよくなくての。憑かれるのは困るもんで、おまえを指名したのよ。

 どうした茉莉、喜べ。竜の子を調べ放題だぞ?」


 完全に善意の笑みを浮かべている。


「そ、それでワシに、なにか影響は?」


「少なくとも現代の技術が、今日明日にでも一気に数百年規模で進まん限り、いっさいない。保証しよう。むしろ生産され……誕生する竜の子には、おまえの護衛機能――護衛する能力を持たせるよう交渉した。メリットしかないだろうよ」


 腕組みしたシロカダ様は、再度、顎をしゃくって茉莉を促す。


「うぅ……よくわからん言葉もあったが、悪影響がないなら、竜を調べられるのは確かに魅力的じゃ」

 呟いて、茉莉は意を決したように、宙に浮かぶ卵の前に立つ。


 周囲に注目される中、恐る恐る手を伸ばし、触れる。途端、卵の表面に刻印のような幾何学模様が走り、次の瞬間、そこから分割するかのように卵の殻が割れた。


 生まれたのは、プラスチックのような光沢を持つ、白い肌をした仔竜だった。

 胴に対して大きめに思えるまん丸い頭。その側頭から後ろに伸びた角は短くて先も丸い。

 零れ落ちそうなほどに大きな目は瞳の色が赤い。

 胴体もまん丸く、背中から生える四枚の翼も、丸く小さかった。


「うわー、かわいいー!」

 結愛が仔竜に触ろうとぴょんぴょん跳ねるが、触れられたくないのか、仔竜は高度を上げて逃げてしまう。


「なんというか……おまっちゃんカラーのぬいぐるみ?」

 紗江が率直な感想をこぼすと、みな同じ感想を抱いていたのか、一様に頷いた。


 と、周囲が仔竜に気づいたのか、ざわめき始める。


「いかん。茉莉、竜の子を隠せ。みな、退くぞ! 撤収だ撤収!」


 源三がアロハを脱いで仔竜にかぶせ、それを茉莉が抱き上げる。


「うわわ!? この見た目でモサモサで柔らかいのじゃ。気持ちワルっ!」


 そんな茉莉の呟きをよそに、一同はブルーシートを片付け、荷物をまとめ始める。

 気持ち悪いと言われたのが不満だったのか、仔竜が茉莉の耳に噛み付いた。


「茉莉さんは先に車へ」


 政が周囲から茉莉を隠すように壁になって、車へ先導する。


 せっかくの海は、そんなこんなで唐突にお開きを迎えたのだった。





 帰りの車中で。


 はじめは仔竜になんとか触ろうと、頑張って手を伸ばし続けていた結愛だったが、海で遊んで疲れていたのか、やがてうとうとしはじめて、紗江に膝枕されて眠ってしまった。


 一方、仔竜はというと、まだまだ元気に車内を物珍しそうに飛び回っている。


「――飛ぶのに羽ばたきは必要としておらんのじゃな。

 ん? 翼の極小文様で慣性制御?」


 興味深げに仔竜を観察していた茉莉が、不意に左耳を押さえてよくわからない事を言い始める。


「おまっちゃん?」


「なあ、紗江よ。ちょっとワシの耳を見てくれ。こやつに噛みつかれてから、なんか違和感があっての。ついには変な声まで聞こえてきたのじゃ」


 言われて紗江は、差し出された茉莉の左耳を見て、絶句する。


「うわ、ついには親友にまで変な石が!」


 言いながら、スマホで写メって茉莉にも見せる。


 そこには五ミリほどの丸くて赤い石がピアスのように埋め込まれている。


 シロカダ様が後ろから茉莉の頭を掴んで左を向かせて覗き込む。


「ああ、コミュニケーター……要するに仔竜と意思疎通の為の器官を植え付けられたんだな」


「それってヤバくない?」


「ヤバいもんか。むしろ直接会話できるんだから、しつけに便利だぞ」


「のう、さっきからこやつ、さーべいなんとかって繰り返してるんじゃが、なんじゃろ?」


 シロカダ様は顎に手を当て小首を捻り、やがてなにか納得いく事でもあったのか、手を打ち合わせた。


「ああ、こやつは生まれたばかりだからの。特に指示がなければ、帝竜からの命令を優先するんだ。この場合は監視だな」


「よくわからないんだけど?」


「しつければ、いずれもっとちゃんと会話できるようになるって事さ。

 ちょうどいいから、こやつの名前はサーベイでどうだ?」


 訊ねられて、茉莉は困ったように仔竜を抱えて見下ろす。


「どうと言われてもの。おまえはどうじゃ?」


 問われた仔竜は、その名前が気に入ったのか、高い笛の音ような声で鳴いて同意を示した。


「その耳の石があれば、こやつはおまえの問いに答えるからの。おまえの浮舟の研究の助けにもなるだろ。よくしつけるんだよ」

 と、シロカダ様は茉莉の頭を撫でて言った。


「石と言えばさー」


 紗江がシロカダ様を振り返って首を傾げる。


「結愛のアレはなんなの? 帝竜とお話するーなんて言い出すし、いったいなにがなんだか」


 シロカダ様の額の石も気にはなったが、そっちは「シロカダ様だし」でなんとなく納得できる。今は結愛の方が大事だった。


 途端、シロカダ様は困ったような表情になり、天井を見上げる。


「どう説明したもんかのう。

 ――まず、アレは結愛に害あるものではないのは断言しておこう。アレは古い古い道具でな。

 わかりやすく言うなら、茉莉の石の上位版みたいなものなんだ。すべてと繋がろうとした、人の意思の名残とでも言おうかの」


「神器って事?」


 だから結愛は紗江の神器に干渉できたのだろうか。


 だが、シロカダ様は嘆息して首を振る。


「……もっと古い。吾が小娘だった頃か――ヘタしたら吾が生まれるより前に使われていたものだ」


「それを持ってるって事は、結愛は――」


「恐らくその辺りの時代からの還俗だろうな。哀れな事だ。もう家族は遺っておらんだろう」


 紗江はヒュッと息を呑んだ。思わず涙が零れ落ちそうになる。


 いつか結愛とは、無事に家族が見つかって、寂しいけれど幸せなお別れを迎えられると、紗江は漠然と思っていたのだ。


 まさかそれがもう叶えてあげられないなんて。


 服の袖で涙を擦り上げ、紗江は堪えるように天井を見上げる。


「いいよ。なら、ならさ。わたし達が結愛の本当の家族になればいいだけなんだから。

 ……それだけの事だよ」


 そんな紗江の肩を撫でるように擦り、シロカダ様はうなずく。


「ああ。そうだな。紗江よ、おまえはこれからは自身だけではなく、結愛も守れるようになれ」


 帝竜の監視対象は紗江だけではなく、結愛も含まれている。


 あの超越種がすぐに二人をどうこうするとも思えないが、思考が読めないだけに、なにがきっかけで状況が傾くかわからない。


 備えておくに越したことはないと、シロカダ様は考える。


「明日からは、吾も朝稽古に加わってやろう。

 差し当たっての目標は<舞姫>での戦闘に耐えられる身体作りだ。

 免許も夏休み中にさっさと取ってしまえ。特騎でさえなければ、普通に動かせる程度に魔道器官も成長しとるだろ。

 おい、おタマ。お前は学科の勉強を見てやれ」


「――かしこまりました」


 どんどん勝手に決められていく夏休みの予定に、紗江は思わず顔を引きつらせる。涙が引っ込んだ。


「わ、わかったよぅ」


 返事が不満げになってしまったのは、仕方ないことだろう。


 苦くて重い話が終わったところで、茉莉は空気を変えるように、努めて明るい声音で、サーベイの飼い方などをシロカダ様に質問していく。食事や寝床、トイレの用意などだ。


 シロカダもまた、明るい声音で冗談を交えながら説明し、車中の重かった空気は洗い流されていくかに思えた。


 と、スマホが鳴る。


「おっと、失礼。俺ッス」


 政が断りを入れて伝話を受ける。


「――おう、俺だ。おう」


 そうして伝話に出る政は、実際のところは村の年寄り達に「坊」付けで呼ばれて可愛がられてる好青年のはずなのだが、

「やっぱヤクザかチンピラだよねぇ」

 自分の言葉にツボって、紗江は伝話の邪魔にならないよう、クスクス忍び笑いを漏らす。


「おう……それ、大奥様には? わかった。じゃあ、俺から伝えとく。

 ――おう。その辺りの詳細は伝文メールで送ってくれ。おう、引き続き頼む」


 伝話を終えて、政は源三に耳打ちする。


 それを聞いた源三は、深い溜息を吐いて、バックミラー越しに紗江を見る。


「お嬢、落ち着いて聞いてくだせえ」


「ん? なに? 今の伝話の話?」


「ええ。帯刀たてわきのお嬢さんが婚約なさったそうでさぁ」


 一瞬、なにを言われたのかわからなかった。


(――え? 婚約? 誰が?)


 やがてその言葉の意味が染み渡り、理解できると、

「はあっ!?」

 紗江は裏返った声をあげた。


「出稼ぎからの連絡です。信憑性は高いかと。普通ならめでてえ話なんでしょうが、今回のコレは、どうも臭い。

 ――なんにせよ、今は詳細待ちなんで、戻ってから大奥様を交えて話しやしょう」


 そう告げる源三の隣では、政がしきりに伝文メールを打ちまくっている。出稼ぎへの指示を出しているのだろう。


 一度は明るくなりかけた車内に、再び重い沈黙が幕を下ろした。


 穂月家のバンは、ようやく上洲に差し掛かったところだった。

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