第32話 一年生 夏
竜――それは神代から生きる、
鉱物の巨躯と高い知性を持ち、魔道とは異なる超常の力を持つ鉱物生命体だ。
生物図鑑によれば通常種として、火竜、水竜、空竜などが確認されており、彼らは特定の地域に群れで巣を作って定住しているのだという。
日本では、青森の八甲田山に住む水竜の亜種、氷竜が有名だ。
その名は、訓練中の
「――そして、そういった竜種の頂点のひとつと言えるのが、あの帝竜だ」
鼻息荒く、シロカダ様が空の巨大構造物を指差す。
光の扉から突き出したそれは、まだ鼻先ほどに過ぎないそうで、海上のため比較対象がないのでわかりづらいが、高さは百メートル以上、幅も数百メートルはあろうかと思えた。
風を巻く音が鉱物質の鱗に反響しているのか、金属を叩くような音が浜辺に響き渡る。
「普段はもっと南――太平洋のド真ん中辺りを回遊してるんだがな? 何年かに一度、いきなりあんな風に扉を開いて、
シロカダ様は得意げに続ける。
「昨日の晩、SNS見とったら、帝竜が扉に入ったと話題になっとったからな。今年は来ると思ったのよ」
「それで朝から海に来たいって騒いでたの?」
紗江が問えば、
「ああ。三洲山であれを見られれば、長生きできると昔から言われとるからな」
――まだ長生きするつもりなのか。
言葉には出さずに紗江は呆れ返る。
海水浴客達もその言い伝えを知っているのか、手を合わせたりする人までいる始末。
「ワシは知的興味じゃな。あれだけのサイズがどうやって浮かんで飛び続けておるのか、一度、実物を拝んでみたかったんじゃ」
茉莉もまた興奮気味で、スマホで写メりまくっている。
「お姉ちゃん、おっきいねぇ」
結愛が呆けたように空を見上げて呟く。
そうしている間にも、帝竜は扉からゆっくりと進み出て、その全容を明らかにする。
「明らかにキロサイズあるじゃん、アレ……」
鋭角に伸びた二枚の主翼と、後方に伸びる補助翼も二枚。全体的に歪なヒトデを思わせるフォルム。
それだけで都心の高層ビルを思わせるサイズの四肢は、胴体にピタリと寄せられ、胴と同じくらい長い尾が悠然と夏の空を泳ぐ。
赤黒い鱗に覆われたそれは、まさに帝の名を冠するに相応しい威容で、海上の空にその巨体を晒し出した。
日射しが遮られ、砂浜が影に覆われる。
「ふむ。あのサイズが移動しているにも関わらず、風がまったく起こらん。やはり慣性制御なんじゃろうか? いや、流体制御も並行して行っとるんか?」
「吾もそう当たりを付けておる。おまえに見せたら喜ぶだろうと思ってな。声をかけて正解だったようだの」
なにか紗江には理解できない小難しい話を二人が始めたので、紗江は首を巡らせて、環達の方に目を向ける。
「タマ姉達は、そんな興奮してないね?」
「私達は昔に一度、見てますからね」
のんびり焼きそばをすすりながら、環は答える。源三も苦笑いして頷き、政が引き継いで、
「いやぁ、懐かしいッスね。ミサお嬢がまだ中学に上がったばっかの頃ッスかねぇ。やっぱり今日みたいにシロカダ様に教えられて、ここに来たんスよね」
懐かしむような笑顔で教えてくれた。
「お嬢様、知ってます? 帝竜の落とし物を拾うと、幸運になると言われてるんですよ?」
「あー、タマちゃん、お嬢にそれ教えちゃうの?」
政が引きつった顔で環に尋ねる。
「なになに、どういうこと?」
「いやね、その話を聞いた美咲お嬢は魔法を全力で使いやして」
「すごかったっスよね。鱗の欠片がバラバラ降ってきて」
「美咲お嬢様は鱗をまるごと剥ぎ取るつもりだったそうで、悔しがってましたけどね。
――これがその時の欠片です」
苦笑しながら言って、環はいつも首から下げている、赤い石のついたネックレスを持ち上げて見せた。
「あー、似たようなの、美咲お姉ちゃんも着けてた。そっか、帝竜の鱗だったんだ」
改めて叔母の人外ぶりに感嘆させられる。
ゆっくりと頭上に差し掛かる帝竜を見上げれば、その無茶ぶりがよくわかるというものだ。
そもそもまともな頭をしていたら、いくら魔道に自信があろうと、アレをどうにかしようとは思わないだろう。
「お姉ちゃん、アレのウロコ欲しいの?」
と、
最初こそ帝竜の大きさにはしゃいでいたものの、そこは子供らしく、見慣れてくると興味は海の家の料理達に移っていたのだが、紗江達の話はしっかり聞いていたらしい。
「落ちてきたら良いねって話ね。拾ったら幸せになれるんだって」
紗江がその小さな頭を撫でると、結愛はカレーを食べるのを止めて、にんまりと紗江を見上げた。
「わかった。じゃあ、ちょっともらえないか、お話してみるね」
「結愛?」
紗江達が首を傾げる中、結愛は紗江にカレー皿を預けて立ち上がり、左手を前に伸ばした。
そこに右手を添える。
瞬間---
異変を感じたのか、シロカダ様も結愛の後ろに立って彼女を見下ろす。
いつのまにか結愛の左手に菱形の水晶体が浮き上がり、青い輝きを放っていた。
「
シロカダ様が声をかけて肩を掴むと、結愛は困ったような顔でシロカダ様を見上げた。
「シロカダ様、なんかね、あの子達、シロカダ様にお話があるんだって。チャンネル?を開けろって……」
「――なに!?」
帝竜を見上げたシロカダ様にツラれて、紗江も見上げると、その巨大な腹の一点が、細かく明滅しているのがわかった。
「なあ、紗江よ。いったいナニが起こっとるんじゃ?」
「おまっちゃんにわからないコトをわたしがわかると思う?」
「なるほど。道理じゃ」
そうしている間にも、シロカダ様は短くうめいて親指を歯で噛み切り、浮き出た血を眉間に付けて、短い線を描いた。
途端、ギョロリと蠢くようにして、縦長な楕円をした赤い水晶が浮き上がる。
「どうしよう、おまっちゃん。家族のうち二人も身体に変な石を持ってる」
「しっ。今は黙って見守るターンじゃ」
茉莉に窘められて、紗江はシロカダ様を見上げる。
彼女は頭上を見上げて再度呻き、
「――おう。そうだ」
シロカダ様の額の眼の中で、チカチカと光が明滅する。
「――いや、保護者のようなもので――ちがう。そうじゃない。こやつは後付けだ。奴らとはいっさい関係ない。赤子の時から知っとる。吾が保証しよう。
――む? むうぅ……仕方ない。しばし待て。
おい、紗江よ」
急に名前を呼ばれて、紗江はビクリと肩を震わせた。
「な、なに、急に? びっくりするじゃん」
「――唄え」
「は?」
「一瞬でも構わん。アレで唄え。言ってる意味はわかるな?」
シロカダ様に有無を言わせぬ表情で見つめられる。
「わかるけど、わたしの喚器、車の中だよ」
「ぬぁ!? なんで常に持ち歩かん!? おまえホント、そういうトコだぞ!
――政! に取りに行かせるより、こっちのが早いか」
シロカダ様は頭に挿した
途端、簪は伸びて刃となる。溝と穴の彫られた鳴響処理済の短刀だ。
「刀剣演舞からでも喚起できるな? というかやれ」
短刀の柄を押し付けられて、紗江は頭を掻く。
「うーわっ、短ドスなんて、マジでヤクザのお嬢じゃん。
――
ぼやきながらも立ち上がり、ブルーシートから砂浜へと躍り出た。
「足場も砂だし、うまくできるかなぁ」
くるりと振り返り、身内を観客に見立てて砂浜に両膝を突く。
短刀の刃を咥えて目を伏せて。
深く息を吸い込み、両手を膝の横に。
集中した意識に、周囲の海水浴客らの視線が集まって来ている事がわかった。
――一気に息を吹き出す。
鋭く発せられた呼気は刃を通り、高らかに吹鳴を響き渡らせる。
それを皮切りに、目を見開いた紗江は、下ろした両手を振り仰ぐようにしながら旋回。
伸び上がるようにして立ち上がる。
笛の音が奏でられて魔道器官から精霊が湧き出すと、
首を振って短刀を頭上に放り上げ、くるりと回って両手を掲げれば、弧を描いて飛んだ刃の柄が、狙い定めたようにピタリと収まる。
観衆から拍手が飛んだ。
それを――振り下ろす。
「……鳴り渡れ、
抑えた声で唄えば、魔道器官は応えて、高らかに笛の音を響かせる。
右の脚を踏み出し、左手に柄を刃に右手を添えて、左に振り抜く。
風切り音が吹鳴を奏で、精霊が踊るように光りだした。
その美しさに海水浴客達も思わず息を呑む。
空間がたわんで小鼓が打たれ、その拍子に合わせて魔道器官の笛の音が高音域で唄い始める。
(……やれなきゃ、めっちゃ怒られそう)
背後に
できると思う事にした。
やるしかないと思う。
――それは報われる事のない願い……
(ええ、そこから!?)
空間が奏でる唄に内心でツッコミを入れつつ、紗江は平静を装って舞いを続ける。
ぼんやりとした
『あ~~~』
どこかやる気のないビブラートの原初の唄が響き渡った。
周囲で見ている人達も、自然、冷笑を浮かべてる気がする。
(――失敗してるわけじゃないのにぃ!)
(……くっそぉ、なんかわかんないけど、それもこれも全部あいつの所為なんでしょう?)
頭上の帝竜のクソでかい体躯を見据えて、紗江は内心で呟く。
そう思えば、ムカムカしてきた。恥ずかしさに涙が出てきそうになる。
魔道器官が裏返る感触はあった。
いける。
「目覚めてもたらせ
詞に従い、光が胸に収束する。
くるりくるりと二度身体を回し、そのたびに振るわれた短刀が鳴響音を奏でる。
(ちくしょう。こうなったら目にもの見せてやる)
刃を振るう動作でさらに一回転した紗江は、その残響を断ち切るようにピタリと動きを止める。
舞いで砂浜にできた、円形の跡の中心で、紗江は短刀を腰溜めに構えた。
胸の光が身体を包み込み、短刀の切っ先までもがきらめく。
花道はないが、どのみち一直線だ。
空間が琴を掻き鳴らした。
「――
唄と共に短刀を振り上げ、そのまま帝竜目掛けて解き放つ。
穂月の武は対空対地中、全方位対応だ。
「ハッ!」
「――あ、おい!?」
シロカダ様が咎めるように声をかけて来たけれど、知るか。もう遅い。
短刀は、伸び上がった
琴の一節の和音。小鼓の音が大きく響いて締められる。
バラバラと鱗の欠片が降り注ぎ、海水浴客が歓声をあげる。
残心を解き、深く息をついた紗江は、
「――――ッ!」
握りしめた拳を突き上げて、頭上の帝竜を指差す。
「――ばーかばーかっ! 人間ナメてっから、そんな目に遭うんだ。ばーかっ!」
涙目で顔を真っ赤にしながら、ゲラゲラ笑って帝竜をこき下ろした。
「……政、賭けは俺の勝ちのようだぞ?」
「ちくしょう! いくらサエお嬢でも、ミサお嬢ほど非常識じゃないと信じてたのにっ!」
「私も帝竜を見た時、こうなりそうな予感はあったんですよねぇ」
穂月家家臣の三人は諦めたように苦笑する。
「うわぁ、きれいだねぇ」
結愛がきらきらと舞い落ちる鱗の欠片に目を輝かせ、茉莉と一緒に集めていた。
と、シロカダ様は頭上の帝竜を睨み、
「――あぁっ!?」
ドスの効いた声音をあげた。
「――そもそも見せろつったのは、そっちだろうが! そう、そうだ。事故だよ事故!」
完全に逆ギレだ。額の水晶の光も、心なしか鋭い。
「どーせ身まではイッてないんだろ? ガワだけでギャースカ喚くな!
――ああ? 監視ぃ? いるかそんなモン。いらんいら……」
そこまで怒鳴って、シロカダ様はふと視線を茉莉に向けた。茉莉は拾った鱗の欠片を興味深そうに裏表ひっくり返して調べているところだ。
「――ふむ。その監視とやらは……竜か?」
一転して声色が柔らかくなるシロカダ様。ワルい表情を浮かべている。
「――条件がある。それを呑むなら受け入れよう」
それから数言、シロカダ様と帝竜のすり合わせがあり、やがて両者が納得できたのか、シロカダ様は満足げにうなずく。
「おい、茉莉よ。喜べ。竜が手に入るぞ!」
「――は?」
唐突に声をかけられた茉莉と、ようやく興奮から冷めた紗江の声が図らずも重なる。
目を丸くする二人をよそに、シロカダ様は頭上を指差した。
「来るぞ!」
その声と共に、帝竜の腹が一度大きく光った。直後、なにかが落ちてくる。黒くて楕円形をしたそれは――、
「――卵?」
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