夏休みとご先祖様と竜

第30話 一年生 夏

 いつまでも続くように思われた陰鬱な梅雨の空模様は、七月に入る頃にはすっかり晴れ渡り、熱い季節がやってきた。


 穂月ほづき村の水田は青々と伸び上がり、南から吹く風に踊るように揺れる。


 夏休みに入ると、上女の生徒はふたつのグループに大別される。


 インターハイの為に、寮に残って練習に明け暮れる運動部と、帰省する一般生徒だ。


 帰宅部の面々は紗江以外の全員が地方出身者で、実家に帰省する為、自然、活動は休止となった。


 当然、地元民の紗江は暇になる。


 朝、結愛ゆめと一緒に村の公民館でラジオ体操に出て、朝食前に祖母に稽古をつけてもらえば、やる事がなくなってしまうのだ。


 ――宿題? なにそれ食べたことないな。


 紗江はしなくて良い苦労はなるべくしたくないし、しなければいけないのなら、なるべく後回しにしたい派なのだ。


 居間の座卓にアイスを咥えたまま突っ伏し、縁側の下で朝顔の観察日記を付けている結愛を見る。


 およその家庭内教育を終えた彼女は、夏休み明けからいよいよ小学校に一年生として通う事になり、その編入に際して、夏休みの宿題を出されたのだ。


 淡い紫のワンピース姿に、リボンのついた麦わら帽子をかぶってしゃがみ込み、結愛は朝顔とノートを交互に見ながら、鼻歌を歌って書き写していく。


「……暇だ」


 咥えていたアイスがポトリと落ちた。





 そんな生活を送っていた七月も終わりのある日、ラジオ体操から帰ってくると、シロカダ様が珍しく、朝も早いというのに――基本的にシロカダ様は昼まで寝てる派だ――裏山から屋敷まで降りてきた。


 山道を徒歩で降りるのが面倒くさかったのか、銀大蛇しろがねおろち鬼道傀儡きどうくぐつに乗って。


「ヘビさーん!」


 結愛がはしゃいで飛びつき、それに気を良くしたシロカダ様の大蛇は、結愛を咥えて伸び上がったりする。


 怖がるかと思ったが、結愛は見晴らしの良さにご満悦なのか、手を叩いて喜んだ。


「で、こんな朝早く、なにしに来たの?」


 紗江が両手を伸ばして結愛を受け取って抱えると、大蛇は口を大きく開け、そこからシロカダ様が這い出してきた。


 完全に抜け出すと、勝手にトグロを巻いてお休み状態になる大蛇。


 相変わらず謎技術だ。


 結愛は小山のようになった鬼道傀儡きどうくぐつを登って遊び始める。


 シロカダ様は珍しく洋装で、『玄人プロニート』とやたら達筆で書かれたTシャツに、ハーフパンツという出で立ちで、仁王立ちになって紗江の反応を待つ。


 紗江はTシャツの文字を見なかった事にして、シロカダ様の言葉を待った。


 つっこんだら負けなのだ。


 根負けしたシロカダ様は、そんな無言の応酬などなかったかのように、フッと笑い、

「海に……行こうと思ってな」

 斜めに構えて、なぜか手で庇を作り、歌うように行った。


「は? なに言ってんの?」


 ツレない態度の紗江をよそに、目をきらめかせたのは結愛だ。


「海ッ!? 行くの!?」


 ちっちゃい握り拳を作って、大蛇の上から紗江を見下ろしてくる。その純真な目に、紗江は思わず視線を反らして、シロカダ様に向ける。


「突然なんで海? シロカダ様って、そんなアウトドアな人だっけ?」


 正直、惹かれないわけではないが、家でゴロゴロしていたい気持ちが、まだまだ強い紗江である。


「いいだろう? どーせ暇しとるのは静江に聞いとるんだ。と思ってちょっと付き合えよー」


 普通のご家庭では使わないパワーワードを用いて、紗江の説得にかかるシロカダ様。


 クソ暑い中、しなだれかかって来て正直、うざい。


茉莉まつりも行くってゆーとるんだし、ウダウダ言っとらんで、さっさと用意せい」


「え? なんでおまっちゃん? 実家に帰ってるんじゃ」


 怪訝な表情を浮かべる紗江に、シロカダ様は勝ち誇ったように胸を張る。


「研究が上手いこと進んどるらしくてな。帰るのは盆だけにするって伝文メールで言うとったぞ」


「なんで親友のわたしより、シロカダ様のがおまっちゃんに詳しいのさっ!?」


「なんでもなにも。言ってみればわれはあの娘の師匠みたいなものだし? 師匠が弟子の動向を知ってても、なんら不思議ではないだろう?」


「ええー? そうかなぁ」


 なにか納得いかなくて、紗江は首を捻る。


「いいから、準備はよぅ! はよはよ!」


 ついには地団駄を踏み始めるご先祖様、推定三千歳。


「はよはよー!」


 なにかの遊びと思ったのか、結愛まで大蛇のてっぺんで地団駄踏み始める。


「わかった。わかりました。

 ――タマ姉ぇ! 源さーん!」


 紗江は二人を呼んで事情を話し、準備の為に部屋に向かった。

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