第3話 一年生 春
最後に会ってからの三年間の話を祖母にせがまれ、あれこれととりとめなく話すうちに、時間はすっかり昼時となり、二人は昼食の為に母屋へ向かった。
十畳ほどの広さの畳敷きの部屋、中央に飯台の置かれた母屋の食堂で、二人向かい合って座る。
昼はあっさりめに、村の人がお裾分けしてくれたのだという春山菜に彩られた、天ぷらそばだった。夜に入学祝いと元服祝いで祝宴を開く分、昼は抑えたのだと、昼食を運んできた環が言っていた。
昼食を終えると、紗江はお茶を啜り、静江は食後の一服と煙管を吹かした。
初春の静かな空気に、古い家独特の線香と木の香り。ふんわり漂う煙草の匂いもまた、ひとつのアクセントとして溶け込んでいるように思える。
紗江は祖母の煙管の匂いは嫌いではなかった。自分で吸おうとは思えないけれど。
お茶を啜りながら、静江が一服を終えるのを待ち、煙管を灰皿に打ち付けたところで、
「――さて、おばあちゃん。わたし用の甲冑を用意してくれてるって聞いたけど?」
紗江は本題とばかりに切り出した。
これでも我慢した方なのだ。これ以上は待ちきれない。
「ああ。元服祝いだ。とっときを用意しといたよ」
ニヤリと不敵に笑う祖母は、かっこいいと思う。
「見せて! はやく! はやく行こう!」
静江の手を取って立ち上がらせると、二人は玄関から出て屋敷の南側――内門横に作られた蔵に向かった。
土蔵造りの蔵は、大が付くほどの大きさで、その扉もまた外門より大きく、八メートルはあろうかと思えた。蔵そのものは屋根まで十五メートルほどもある。
里帰りのたびに、このでかい蔵はなにを収めているのだろうかと不思議だったのだが、母に訊いてもはぐらかされてしまい、詳しくは教えてくれなかったのだ。
(なるほど。跡継ぎ用の甲冑があったから、内緒だったんだねぇ)
当時はいずれ叔母のものとなるはずで、だけど叔母は鎌倉に出奔中で。着者不在の甲冑となっていた為、母が軽々しく幼い紗江に口にできるものではなかったのだろう。
先祖伝来の甲冑が、なにかの拍子に盗難に遭うというのは、極稀にだが起こり得る事態なのだ。
そんな事を考えながら、大扉をあんぐり大口を開けながら見上げていると、
「そっちは甲冑を出す時のものさ。人用はこっち」
手を引かれて、大扉のすぐ右手にある二メートルほどの扉をくぐる。
中にはすでに、甲冑技師達が六人が詰めており、その中に源三を見つけて、紗江が軽く手を振ると、彼も気恥ずかしそうにしながら手を振り返してきた。
蔵の内部は奥行きもかなりあり、壁に設えられた棚には甲冑整備用の工具だけではなく、鎌や鍬などの農具も並べられ、棚の前には農作業機械なども複数台置かれている。かと思えば、別の棚には漬物の樽や瓶が置かれ、蔵の中は、土壁と埃と、金属油と漬物の匂いで、控え目に言ってもちょっと臭かった。
静江も同じ感想だったのか、
「なんだい、臭いね。紗江ちゃんが来るんだから、ちゃんと換気しときなって言っておいたろう」
「へい、すいやせん!」
帯から扇子を取り出してパタパタ扇げば、技師達は慌てて散らばって、窓を開き、ある者は大扉を開けるために扉横のハンドルに取り付き、また別の者は壁脇の梯子を登って整備橋を駆けて上部窓を開いた。
そんなカオスな雰囲気漂い始めた蔵の最奥に、それはあった。
専用の整備椅子に腰掛け姿勢で駐騎された、圧倒的な存在感を誇る金属の塊。
腕と脚を覆うほどに大きな逆雫型で、滑らかな流線型をした肩楯と佩楯。手足は移動時に見た<
全体が黒をベースに、山吹色のラインで縁取られた、その甲冑の頭部は、他の部分と同色の額甲に鎧われて、二本の角を生やしている。
背中にすらりと流れるたてがみは黒に近い青で、面はこの騎体唯一の純白で、着者に合わせて文様を
「穂月に伝わる雌型
どうだとばかりに顔を覗き込んでくる静江に、紗江は両手を握りしめてぷるぷる震える。
「控え目に言ってもサイッコー! おばあちゃん、ありがとう。大好き!」
喜んで抱きつけば、静江はまんざらでもない様子で破顔して紗江の頭を撫でる。
「ランドセル感覚で特殊甲冑を手配するのは、御前様くらいですよ……」
というのは技師達の言葉。そんな言葉も興奮した祖母と孫には届かない。
「名前は? ねえ名前は?」
祖母の胸にすがったまま、ぴょんぴょん跳ねて尋ねる紗江に、静江は誇るように胸を反らして答える。
「――穂月雌型特式甲冑<舞姫>。おまえが穂月流を体現する為の騎体さ」
甲冑を着るには、ふたつの準備が必要となる。
まずは精霊伝導を上げる<装束>の着用。穂月家の場合は巫女服をより軽装にした、身体の線が出やすい扇情的なデザインになっている。
元服を迎えたばかりでナイチチ属の紗江は、これを着た時点で先程までの興奮がしぼんでしまい、和装であってさえはっきりと分かる、祖母の巨大な胸部装甲を妬ましく見つめてしまった。
(まだだ。わたしは遺伝子の力を信じる)
母も叔母も祖母ほどではないが、それなりの装甲持ちだ。今はまだ年齢が足りないだけ。頑張れ成長期。
続く段階は<具足>の装着だ。
胴丸や手甲、沓を一回り大きくしたようなそれは、装束によって上昇させられた精霊伝導を受けて、着用者の膂力を底上げしてくれる。近年、米国――
(名前は確かパワードスーツ……陸軍名は強化外骨格だっけ)
あの事件の後遺症で悩んでいた紗江にとって、そのニュースはちょっとした希望の光に見えたものだ。機械的に具足を再現できるならば、いずれ甲冑も再現できるのではないか、と。
技師達に補助されて具足を着け終えると、祖母は扇子で口元を隠しながら頷く。
「ここからは魔法を使っていくわけだが、紗江ちゃん、改めて訊くが、魔法は、問題ないんだね?」
問われて紗江は頷きで応える。
「じゃあ、最小
言って、静江は指を弾く。
途端、彼女の周囲一〇センチほどの規模で
紗江は再度頷き、具足の手甲に覆われた手を胸の前で握りしめた。
「――応えて。
壊れて名前すら変わってしまった魔道器官。もう一つの心臓ともいえるそれは、それでも紗江の声に応じて、確かに
ゆっくりと集中すれば、ぽつりぽつりと精霊が浮き出し、それは胴に刻まれた家紋を撫でて、全身に伝わっていく。
「ここまでは問題ないようだね。それじゃ、いよいよお待ちかね。甲冑を着てみようじゃないか」
静江の声に、技師達が動き出し、紗江は源三に指示されて<舞姫>の背後に向かう。
甲冑用の椅子の梯子を登り、すでに開かれた背面装甲を前に、源三は紗江に一枚の面を差し出した。白い、額に角の生えた無貌の面だ。<舞姫>のそれをそのまま小さくしたようなそれを受け取り、紗江は小首を傾げる。
「同調器です。それを着けると、<舞姫>と視聴嗅覚がリンクされやす」
促されるままに面を着ける。
「触覚は具足でリンクされやす。慣れないと身体感覚が狂って酔っ払ったみたくなりやすんで、いきなり大きな動きはしないようにしてくだせえ」
そう言って源三は紗江を<舞姫>の背部に導いた。
覗き込んでみると、中には具足に覆われた手足を保持する器具と、身体を保持する大綱があり、腰を降ろす為の鞍があった。
「この鞍から文字って、この部位を鞍上と、米帝風に言うならコクピットですかぃ。甲冑を駒と見立てて、
にやりと笑って、源三は紗江を鞍に座らせ、胴を大綱で固定する。途端、具足を器具を掴み上げ、面の内側に草書体の文字が映し出されて、右から左に縦書きで流れていく。
静江が言っていた、陰陽寮仕込みの祝詞だ。
「じゃ、お嬢、閉めますよ」
そう言い残して源三が背部装甲を閉じれば、途端、面に外の景色が映し出される。
「――紗江ちゃん、聞こえるかい?」
面を通して、静江の声が聞こえる。
鞍上の中は痛いほど静かなのに、それにかぶさるようにして、外の音がはっきり聞こえるのは不思議な感覚だった。
「うん。聞こえるよ」
紗江が応えると、静江は扇子で自らの胸元を指し示し、
「それじゃ立ち上がってみよう。
ワクワクとした表情でそう指示をする。
いつものように胸の前で手を握ろうとした紗江だったが、手足が拘束されてできないのに顔をしかめながら、やったつもりで声だけで紡ぐ。
「響け、
凛と鈴が転がる音を奏でて、具足を覆っていた事象干渉領域が広がり、紗江の背後に月下穂群の家紋が描き出される。それに呼応するように具足の胴丸に刻まれた家紋も輝き、それが<舞姫>へと伝播していく。
手足の拘束が緩み、感覚が動けると理解する。
無貌だった<舞姫>の面に相が入るのがわかる。
「た、立つよ!」
――できる。
そう思って安堵し、源三に言われたように、一気に動いてしまわないよう、できるだけゆっくりを意識して、四肢に力を込めた瞬間――
「――お、重いぃぃ」
身体が思うように動かず、気づけば紗江は――<舞姫>は、轟音を立てて前のめりに倒れ込んでいた。
「やっぱりこうなったかい! 誰か、環を呼んできておくれ。あっははははは」
地面で覆われた視界の中、静江のカラカラという笑い声だけがやたら大きく耳に響いた。
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