撫子女学校

第2話 一年生 春

『――間もなく、前方に三洲山みすやま公国が見えてまいります。展望デッキをご利用の方は、お足元に気をつけてご利用ください』


 船内アナウンスを聞きながら、紗江はハッチを押し開いてデッキに出た。


 まだ登り始めたばかりの朝日に照らし出され、水平線の向こうからにょっきり伸びてくる山影を目にすると、否が応でもテンションが上がる。


 千葉は銚子からフェリーで船出して船内泊一晩。凝った身体をほぐすために伸びをして、ほんのりと潮の香りのする朝の冷たい空気を胸いっぱい吸い込む。


『本州沖九百キロに浮かぶ彼の地は、総面積が岩手県と並び、海尖山かいせんざんを中心に、公都のある東の央洲、西側北部の上洲、その南、下洲という4つの島から構成されております』


 アナウンスを聞きながら、スマホを取り出し、パシャリと一枚。気に食わなかったのか、更に数枚、撮影を繰り返す紗江。


『彼の義経公が奥州より落ち延びた後に発見したというこの地は、三代目の代になって全域の統治が完了し、朝廷に献上され――』


 歴史の授業のような内容を語りだしたアナウンスを聞き流しながら、納得の一枚を今はどこかで楽しく旅行中の両親に送信。もう一度伸びをして、あくびを噛み殺す。


 ――穂月ほづき紗江さえ、十五歳。


 元服を迎えた彼女は、唐突に降って湧いた父の退職を機に、母の実家のある三洲山公国にある上洲かみす撫子女学校を受験。

 二年前に負った怪我による様々なハンデを、持ち前の努力と根性で乗り越えて、なんとか合格に漕ぎ着けていた。


「……もうすぐ会えますね。咲良さくら様」


 あれからもう二年と少し。つらいリハビリや授業の遅れを取り戻すための猛勉強も、すべてはこの為だったと考えれば、よい思い出とも思える。


 胸の前で拳を握りしめ、紗江は頷きひとつ、荷物をまとめる為にデッキを後にする。


 もうじき上陸だ。





 三洲山公国の中央から西に傾いで、まるで牙のように屹立する海尖山。標高二〇〇〇メートル弱と高さこそそれほどでもないものの、地元民は「かしいでなければ富士山より大きい!」と言い張る、押しも押されもせぬ三洲山のシンボルである。


 その海尖山山頂の直下、上洲南部にある港に、紗江が乗ったフェリーは寄港した。


 小柄で混雑が苦手な紗江は、下船客の列の最後尾に並び、ぴょんと跳ねて背負ったリュックの位置を直す。列は順調に進み、キャリーバッグをゴロゴロ鳴らしながらタラップを降りると、


「――お嬢様ぁ!」


 出迎え客の一団の中からぴょこぴょこ跳ねて手を振る、和装にエプロンを付けたショート髪の少女の姿。


「あ、タマ姉!」


 少女に駆け寄り、ぎゅっと抱きつく。


「久しぶり。タマ姉! 来たよ!」


「はい。本当にご立派になられて……お身体はもう大丈夫なのですか?」


 涙声で抱きしめ返す少女の名は穂笹ほざさたまき。穂月の家の家臣団筆頭の娘で、紗江のひとつ上の十六歳。初めて里帰りをした九つの時に出会って、それからなにかと世話を焼いてくれる為、紗江は姉のように慕っている。


 慕っているのだが……


「うん。聞いてるかもだけど、いろいろと後遺症は残ったけどね。だいぶ良くなったよ。

 ――そんな事よりタマ姉、その喋り方、どうしたの? 変だよ?」


 少なくとも前回の里帰りの時は「紗江ちゃん」と呼んでくれたはずだ。三年来なかった間に好感度が落ちたか。よもやNTRイベントでも発生したのか。


 距離感を感じて、しゅんとする紗江に、環はあたふたと手を振って慌てる。


「ち、ちがうのよ? 大奥様に『お前も紗江も元服し、女学校に通う年になったのだから、しっかり立場をわきまえるように』って。紗江ちゃんを嫌いになったとか、そういうのじゃないのよ?」


「あー、なるほど……」


 身分の別が薄い世の中になったとはいえ、穂月家は領地持ちの華族であり、環はその家臣の娘である。


「大奥様も、身分にはそんなにうるさい方ではないけれど、よそでうっかりやらかしちゃったら、それが元で御家の隙になることもあるから、ね。自然に振る舞えるようになるまでは、このまま続けさせて」


 ただでさえ、娘二人が破天荒が過ぎてスキャンダルまみれだったのだ。そしてそんな二人の薫陶を受けた孫娘が、まともであるはずがないと祖母は警戒したのかもしれない。


 少なくとも、三年前、最後に会った時の祖母は、孫に甘い人だったが、紗江が元服を迎えたのを機に、跡継ぎとしてしっかり育てようと考えたとしても不思議ではない。


 御家の凋落は引いては家臣を路頭に迷わせることになる。孫の引き締めの前に、年が近く仲の良い環を引き締めさせようと考えるのは、祖母の立場なら当然の帰結だった。


「うぅ、わかった。わたしもお嬢様呼びに慣れるよう頑張るよ……」

 ずっと庶民生活だった紗江にとっては、かなり高いハードルだが、これも立派な撫子になる為、我慢するしかないと納得する。


 指をもじもじと手遊びしながら応えると、


「それはようございました」


 環はほっとしたように胸を撫で下ろした。


「あとは私の事も、環と呼び捨てになさってください。お嬢様の言葉遣いも徐々に直していきましょうね」


「うえぇ……わかっ……わかりました」


 撫子たるもの淑女たれ。言葉遣いはいずれ女学校で直されると覚悟していたため、不承不承受け入れる。


 環にキャリーバッグを引き取られ、二人は並んで港の端にある駐車場に向かい、車に乗って穂月の屋敷を目指す。お抱え運転手がいるという現実に、やはり母の実家は華族なのだと、紗江は実感した。





「そういえばタマね――環も上女なのですよね?」


 代掻しろかきを終えて、水を張られてきらきらときらめく田園風景が車窓の外を流れていく中、運転手側後部座席に座らされた紗江は隣の環に尋ねる。家では助手席が指定席だった紗江にとって、乗車席にも序列があるなんて、この日初めて知らされた衝撃の事実だ。


「はい。今年で二年に上がります。普段は私も寮におりますので、なにかあればすぐにお声掛けを」


 家では女中の立場、学校では先輩兼側仕えと、実にややこしい。


「寮では自立心を養う為にと、基本的に食事以外の身の回りの事はご自分でなさって頂く事になりますが――」


「ああ、それは普通にでき――できますから平気、です」


 父が退職金で母と二人、新婚旅行と言う名の世界一周旅行に出て半年。ご飯だって自炊してきたのだ。


「それよりさ、撫子なでしこ学校だと甲冑も教えてもらえるんでしょ?」


 それは撫子と益荒男ますらお、引いては防人さきもりの武の象徴とも言える武具の名。


 国によって、それを指す言葉は様々あるが、日本ではその構造と見た目から、鬼道甲冑、あるいは単に甲冑と呼ばれている。


「三年進級と同時に免許が発行されますね。一年で前期で装束、後期で具足の初歩教練、二年前期で具足の実鍛錬、後期で甲冑の仮免許が発行され、三年全体で甲冑実鍛錬というカリキュラムです。もちろん優れた方は先行して試験を受けて、免許を取得する方もいらっしゃいますが――あ、ホラ、お嬢様。ちょうど見えますよ」


 環が左手の窓の外を指し示すと、田んぼの向こうに左右に伸びる高い塀の上を、五騎編隊で低空飛行する甲冑が見えた。


上男かみだん――上洲益荒男高校の雄型おがた甲冑です」


 太く短い手足に胴と同じくらいの頭部。デフォルメされた和甲冑を五メートルサイズに引き伸ばした威容がそこにある。遠目で、しかも速度もある為、細部まではわからないが、


「あれは学校貸与の量産型<武士もののふ九十九つくも式>ですが、御家によっては先祖伝来の品を持ち込む場合もあります。お嬢様もそうなりますね」


 環が微笑みながらそう伝えれば、紗江は目をきらきらさせて身を乗り出した。


「あるの!? 伝来品!」


「ありますとも。美咲お嬢様が鎌倉の女学校にご入学された為に使われず、だからこそ、大奥様が紗江様の為に丹精を込めて現代改修を施した、魔改造品ですよ!」


 うっとりと両手を握り合わせて答える環。


「魔改造! 特別騎!」


 言葉の響きだけでフンフン鼻息が荒くなる。テンション爆上がりだ。だが、不意に胸元を見て、紗江の表情はしょんぼり曇る。


「……でも、わたしで動かせるかな?」


 あの事件の後遺症。それはハンデとなって今も紗江を苛んでいる。


 だが、環の顔は明るいままだ。


「大奥様もそこは気になさってましたが、元々が神代からあったとされるお品です。現代改修は外殻だけで、素体はそのままという事ですから、魔法が使えれば問題ないと仰ってましたよ」


 環が励ますようにそう言えば、


「なんだったら、着てみればよろしいでしょ。敷地内なら無免でゴタゴタ言う奴ぁいねえ」


 それまで黙って運転していた角刈りの運転手――平田源三がにやりと笑って親指を立てる。


「着ていいの!? ホント? 源さん!」


「こっちとしても、弄った塩梅が気になるってもんで、着けてくれるなら大助かりでさあ」


 源三は運転手の傍ら、屋敷で下男として働いているが、その主な仕事は技術仕事だそうで、鍋の鋳掛けから農具の手入れ、果ては甲冑に至るまで、それが技術畑の仕事なら、なんでもござれの技術男なのだ。


 ちなみに三十二歳、彼女募集中というのは、環情報だ。他の使用人同様、屋敷住み込みで暮らしているのだが、使用人の中でも女中の多くは村の嫁達で、源三と同じく住み込みの女中は後家か、子供達を立派に巣立たせた熟年が多いのである。


 つまり出会いがない。


 これは穂月家に仕える男衆共通の悩みなのだ。


 それはさておき、源三の言葉を受けて再度興奮した紗江は、環にも同意を求めるようにじっと見つめた。


「大丈夫ですよ。そもそも今日、お屋敷に呼ばれたのは、着感試験も兼ねてとの事でしたので、着けられると思います」


「ぃやったあ――ぁ痛っいったっ!」


 喜びのあまり飛び上がってしまい、両手と頭をしたたかに天井に打ち付けた紗江は、屋敷に着くまでゴロゴロと悶絶した。





 外門を車で通り抜け、内門前で降ろされた紗江と環は、そのままくぐって前庭を抜け、書院造の玄関から入って、廊下を巡って、母屋を抜け、渡り廊下を渡って奥座敷の向こう、離れまでやってきた。そこに祖母の執務室があるのだ。


「来るたびに思うけど、でかすぎでしょ。この家……」


「お嬢様、言葉遣いっ!」


 窘められて紗江はペロリと舌を出す。


 全部で六棟で構成される屋敷は、どの棟も紗江の暮らしていた家より大きくて広い。棟の棟の間の中庭でさえ、紗江の家ならすっぽり収まるくらいの広さがあるのだ。


「こんな家で暮らしてたのに、おかさんは良くあの家で満足してたなぁ」


 少なくとも暮らしに不満があったようには見えなかった母を思い、しみじみと呟く。


 やがて縁側状になった廊下を歩き、その突き当りにたどり着くと、障子の前に環が膝をついて、紗江もそれを真似てぺたりと廊下に正座する。


「大奥様、環です。お嬢様をお連れしました」


「――待ってたよ。入んな」


「失礼致します」

 環はすっかり慣れた様子で、作法に従い障子を開く。


 途端、ふわりと鼻腔をくすぐる白檀と煙草の香り。


 六畳ほどの祖母の部屋は、二段の書棚と卓袱台と文机があるだけの簡素な装いで、文机に置かれた香壺から、ほのかな煙が伸びて、奥手側にあるわずかに隙間の開けられた障子窓に吸い込まれて行っていた。そして、その文机のすぐ前に、和装でキリっと正座した、祖母の姿はあった。


 下ろせば背中まである黒髪をきっちりと後ろで結い上げ、キツい印象を与えるのが悩みだとかつて語っていた目元は、今は嬉しそうに細められている。

 

 祖父が亡くなってもなお、朝にしっかり化粧する習慣を欠かさない祖母は、今風に言うなら美魔女だ。


 ――穂月静江、御年四七歳。


 元服と共に家を継いだ祖母は、中学卒業と共に祖父を婿養子に取って翌年、紗江の母、静香を出産した。それだけなら華族にはよくある話だが、紗江が「祖母は頭おかしい」と尊敬するのは、出産直後から武家の勤めを果たすと撫子女学校を辞めなかった点だ。


 本来、全寮制である学校側を説き伏せ、屋敷から母を背負って通いで女学校に通学し、昼は勉学、夜は祖父と共に日中あった村の政務に勤しむ。使用人の助けがあるとはいえ、なかなかできるものでも、やろうと思えるものではない。


 母や叔母がアレなのは、きっと祖母の影響を受けたからに違いない。


 祖父を五年前に亡くしてからも、領主としての勤めを果たし、近隣の村の相談役をこなしながら、今も社交界では女伯として他家から一目置かれている。


 ――まさに女傑。


 だが、その女傑は今、煙管を咥えたまま表情を蕩けさせて手招きし、


「ほら、なにしてんだい。早く座んな」


 ウキウキと自分のすぐ横の座布団をペシペシと叩く。


 ――まさに孫バカ。


「わ、私はお茶の用意をしてきますね」

 そう言って環が出ていくと、取り残された紗江は思わずたじろぐしかない。


(立場がどうのとかどこ行った? タマ姉!)


 目の前で手招きする静江は、最後に会った時と変わらぬ「優しいおばあちゃん」のままで。紗江としては、母や叔母から聞かされていた女傑としての祖母の厳しい態度で出迎えられるのだと、正直、かなり緊張していたのだ。


「お、お祖母様。お久しぶりです」


 そう言って、中腰で部屋に一歩踏み込み、三指ついて一礼すれば、静江はこの世の終わりのような顔で青ざめていた。


「な、なんだい!? 紗江ちゃんは、ばあちゃんの事、嫌いになっちまったのかい!?」


「えええぇぇぇ……」


 その気持はよくわかる。紗江だって港で環に他人行儀にされて、ちょっぴりへこんだのだから、よぉっくわかった。けれど、その元凶となった人物がコレである。


「あ、あの……おばあさ……ちゃん? 言葉遣いとか立場がどうこうってタマね――環から言われたんですけど……」


 お祖母様と言おうとして、再度顔を泣きそうに歪めた静江に、紗江はわざわざ言い直した。


 理由を聞いた静江は、今思い出したとでもいうように、煙管を傍らの灰皿に打ち付け、


「ああ、そんな事も言ったね。でも、こりゃ思ったよりキツい。身内だけの時は好きにしようじゃないか。外では気をつけること。紗江ちゃん、できるかい?」


 緊張が一気に解けていく脱力感に、紗江は薄ら笑いを浮かべてうなずくしかできなかった。


「さすが紗江ちゃん。いやー、やっぱ孫は可愛いねぇ。こんなならさっさと静香とあのバカの結婚も認めてやるべきだったよ」


 屋敷の奥から静江の大きな笑い声が響き、台所に居た環にも聞こえたのだという。

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