かつてあったこと
第1話 過去
――あの日、わたしはなにもできなかった。
神器召喚儀式の最中、美咲お姉ちゃんが消えて、
わたしもなにか役に立ちたくて。
……だから、がんばったんだけどなぁ……
慈雨がその背に、魔道を全力行使している証である家紋を背負い、鳴槍を振るう。
粘液質な黒色の肌に鈍色の甲殻を持つ鬼女が、鉤爪の生えた右腕の甲殻でそれを受けた。
ぶつかり合う金属音が何度も響き、そこに時折、慈雨の唄が混じる。
咲良も攻撃に加わり、整えられた二重奏が鬼女を時に左右から、時に前後から攻め立てていく。
(これが一流撫子の魔法戦闘なんだ)
倒れた伏した多くの乙女達の間を走りながら、横目で二人の様子をうかがい、
ふたりとも必死の表情なのに、その動作も唄も流れるようで淀みなく、荒々しく暴れる鬼女を抑え込み、まるで演舞を舞っているかのよう。
と、はじめは勢いのままに走れていた紗江だったが、歩を進めるほどに、やがて足が重くなっていくのに気づく。
「これが
魔道を使うものにとって毒となる、異界の空気だ。
「でもッ! 負けないッ!」
スカートのポケットから大好きな叔母にもらった鈴扇を取り出し、両手を使って広げて捧げ持って、足を止め、鈴扇を振るう。
「――響いて。
紗江の唄に、心臓と同じ位置にありながら、異なる位相にあるとされる魔道器官が応え、鈴の音を奏でる。
紗江の周囲、一メートルほどの空間が陽炎のように揺らいで、
魔道士が舞い唄う事で、現実を書き換えられる領域だ。だから、ステージと呼ばれている。
この一メートルほどのちっぽけな
魔法の行使に反応し、背後に現れる
「でも、走れる。だから十分ッ!」
目指す先は倒れた乙女達が囲む最奥。
そこには高さ五メートルほどの、歪な球形をした物体が置かれている。
太古から伝わる大釜なのだというソレは、銀色の地に時の流れのためか、所々に青緑色の錆が浮かんでいて、中央には一メートルほどのサイズの青い石が埋められている。
その大釜のわずかに手前に浮かぶ、白く輝く球体こそが、紗江が確保するよう二人に指示されたものだ。
――神器
そう呼ばれる、太古の遺物。
そして、この異変を呼び起こしたと思われるもの。
歩を進めるたびに、
だが、辿り着いた。
割れる寸前の兆候なのか、紫電迸る
輝きを放つ神器は、水晶玉のような見た目に反して、触れてみるとほんのりと暖かく、そして柔らかかった。
「取りました! 守陵様! 帯刀様!」
掲げて見せて喜んだ瞬間――
「――避けろ! 後ろだ!」
「――ッ!?」
慈雨の声に、紗江は思わず振り向いてしまった。
鬼女の顔が見え、次いで鉤爪が伸びる右手が突き出されたのがわかった。
痛みが来るより先に、まるで引っ張られるように後ろに吹き飛び、地面をごろごろ転がって、外壁にぶつかったところでようやく痛みが熱さとなって追いついてきた。
「な……こ、れ……」
喉の奥から血が込み上げてきて、声が声にならない。
バチバチと電流を流されたかのように迸る痛みは胸の辺りで、見ないようにしていても、視界の下の方で噴き出す血しぶきが否応なく現実を知らしめてくる。
横倒しになって歪んだ視界の中で、黒い脚が見えて、鬼女が自分を追ってきたのを理解した。
右手に伝わる神器の感触に、自分がまだそれを握りしめたままなのだと気づき、これだけは守らなければと、身体を丸めて覆いかぶさると、その暖かさになぜか涙が出そうになった。
再び衝撃がやってきて、蹴られるかなにかしたのだと気づくけれど、神器の暖かさが身体の芯まで伝わり、なぜかあまり痛みは感じなかった。
「――――ッ!!」
悲鳴のような声が聞こえた。
ぼやけた視界の中で、咲良に抱きかかえられたのがわかる。
慈雨が鬼女の前に立ちはだかるように仁王立ちになり、唄い始める。
「――君を想う」
それは自決決戦魔法を喚起する為の唄。
「――もう誰かが嘆かぬよう、この命をもって、ただ乞い願う」
柏手がひとつ響き渡り。それをもって魔法は完成された。
静寂の中、すべてが白く塗りつぶされていく。
――あの日、わたしはなにもできなかった。
みんながただ、家に帰りたくて、一生懸命がんばっていたのに。
だから、わたしはなりたいと思った。
慈雨様のような、誰かを助けられる誰かとなれるように。
たとえ、ポンコツになってしまったこの身体でも、きっと誰かを――
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