第8話 一年生 春

「――お嬢さん達、ちょっと通してくれるかな? なにを騒いでるんだい?」


 そう言って、新入生の人垣を割って進み出てきたのは、短髪の後ろ髪の一房だけを伸ばして結紐で括った上級生。


「斎藤君、君の監督組だけ遅いもんだから、先生方がお冠でね。様子を見にボクが遣わされたワケなんだけど、なんの騒ぎだい?」


「た、帯刀たてわき様……」


 斎藤と呼ばれた上級生は、その上級生に明らかに怯み、バインダーを背後に隠した。が、帯刀と呼ばれた少女はスルリと流れるように斎藤の背後に回り込み、バインダーを取り上げる。


「なんだ。終わってるんじゃないか」


 項目に目を通しながら呟き、

「――ところで、斎藤君。なんで測定が魔術だけなんだい? 魔法での測定が成されていない。まさか『この組だけ、魔法使いがまったく居なかった』なんて事はないだろう?」

 手の平でバインダーを叩いて見せる。


「――君の思想はこの際、どうでもいいんだけどね。大事な新入生を君のそれで左右するのはどうかと思うんだ。

 ボクの言ってる言葉の意味、わかるかな?」


 帯刀がその切れ長の目を細めると、斎藤はカクカクと頷いた。


「わ、私が魔法を使えないので、うっかりしてました」


「ふうん。ま、そういう事もあるかもね。

 それじゃ、ここからはボクが仕切らせてもらう。君はもう帰っていいよ。先生への報告も、ボクがやっておく」

 そう言って手を振ると、斎藤は逃げ出すようにして駆け出した。


「――はたセンセによろしくー」

 その背にそう声をかけ、彼女はゆっくりと振り返る。


 ざわめく新入生達に、困ったように頭を掻き、


「ま、恥ずかしい話だけどね。上女かみじょも一枚岩じゃないって事かな」

 苦笑して、両手を打ち合わせた。


「さ、それじゃ自己紹介だ。ボクは帯刀天恵あめ。三年百合組で君らの先輩。よろしくね。

 さっそくだけど、君達の中に魔法使いはいるかい? ここまでの測定は残念ながら、さっきの先輩の独断で、魔法での測定がされてないんだ。困ったもんだよね」

 軽い調子の天恵の言葉に、それでも新入生達は手を挙げない。


 魔術が隆盛となった現代、魔法は旧家や華族のものという認識が強くなり、学べば扱えるようになるにも関わらず、魔術に比べて手間が多くかかる為、どうしても扱える者は限られてしまう。


 良家の子女が集められたこの組であっても、魔術より魔法の方がうまく扱えるという者はおらず、自然、挙手する者は居なかった。


 そんな中、天恵の背後で紗江がひょっこり手を挙げた。


「あのー、魔法で測定、してもらえるんですか?」


 直前までさんざんへこまされていた為、どうしても声が震えてしまう紗江は、自信なさげにそう尋ねる。入試の学校案内でも、現代撫子は魔術を重視したカリキュラムだと書かれていた為、それなりに覚悟はしてきたのだ。入試を乗り切れたのは、魔術教育が本格的に始まっていないからなのだと、紗江はそう思っていた。


 そんな紗江に振り返った天恵は、にっこり微笑みを返す。


「できる能力があるのに、それを縛ってどうする。そもそも体力測定も魔道測定も、君達の可能性をどれだけ伸ばせるかの目安とするものであって、君達の今を評価する為のものじゃない。

 ――さあ、君の魔法を見せてくれ」


 鉄柱に向けて手を広げ、歌うように指し示す。


「紗江さん!」


「紗江ちゃん!」

 紅葉と蘭が目を輝かせ、紗江を見つめる。


 できる気がした。

 やれると思う。


(二人が信じてくれるならッ!)


 自前の喚器や楽器は使ってはいけないという事だったから、紗江は無手でレーンの前に立つ。


 胸の前で拳を作り、紡ぐ言葉は自らの内へ。


「――奏でて響け、一欠片の勇気ブレイブ・ピース


 魔法器官が唸りを上げて鈴を転がし続けているような高い金属音を放つ。


 両手を掲げ、ふわりと打ち下ろすと、広げた両手の平を前方に突き出した。


(――今できる、ありったけの魔法をッ!)


 事象干渉領域ステージが幕開いて伸び行き、十ある鉄柱すべてを飲み込んだ。


「あ――」

 それは、己の声さえも楽器とし、単音で奏でる原初の唄。鈴の音に乗せて紡がれる、その音律が辺りに響き渡り、そして――鉄柱から向こうが、音もなく吹き飛んだ。


「――は?」

 呆けたように天恵が声をあげる。新入生達は圧倒的な力の前に、言葉もなく立ち尽くすばかり。


 紗江は残心を解いて振り返り、恥ずかしそうに頭を掻いた。


「……この程度しかできません。すみません」

 ぺこりと天恵に頭を下げる。


 一流の魔法使いの技を見た事のある紗江にとっては、あまりに粗末なデキに思えたのだ。叔母ならば鉄柱は残骸すら残されていないはずだ。


 圧倒されて、言葉も出せない新入生達の中で、

「紗江ちゃん、そこでこそ『なにかやっちゃいました?』って使うべきだと思う」

 蘭がぽつりと呟けば、新入生達は一様に頷いてみせた。





 魔法を使っての魔道測定をし直した結果、紗江は上の下ランクで落ち着いた。どうしても魔術と比べると、予備動作でタイムなどが落ちてしまうのだ。


 穂月の技を極めた祖母や叔母ならば、何気ない動作に舞いの型を組み込むのだろうが、紗江はまだその域にまで達していない。結局、現状では魔術士にはまだまだ敵わないという事だろうと、紗江は自分を納得させる。


 すべての測定を終えた頃には、空は茜色に染まっていて、途中まで付き合って待ってくれていた蘭と紅葉は、今は教室に鞄を取りに行っている。紗江の分も持ってくるから、休んでるようにと言われてしまった。


 校庭へ降りる階段に腰掛け、紗江はすぐ隣に腰かける、天恵に視線を向ける。


「あの、今日はありがとうございました」


「礼を言われるような事はしてないよ」

 天恵は照れたように手を振り、紗江の肩を叩く。


「ボクは君がちゃんと実力を発揮できるようにしただけ。そして君はそれに見事応えてみせただけ。そうだろう?

 まあ……話には聞いていたが、穂月ってのは本当にトンデモナイと思い知らされた」


「でも、わたし、属精が使えませんから……」


「そこじゃないからね!? あぁ、もう! そうか、君は周りがおかしいから価値基準がズレてるんだな!?」

 わしゃわしゃと頭を掻きむしって声を張り上げる天恵。


「――そのおかしい周りには、ひょっとして私も含まれてますか? 天恵先輩」

 頭上からの声に二人で振り仰げば、階段の上でこちらを見下ろす守陵もりおか咲良。


「そうだよ! 君と彼女の叔母、そしてボクの姉、この子の周りは頭おかしい奴ばっかりじゃないか! 基準だって狂うだろう!」

 微苦笑で訊ねる咲良に、ジト目で返す天恵。


「あの! ボクの姉って……帯刀先輩って――」

 そんな二人に割って入り、紗江は測定中からもしやと思っていても、違っていたら失礼かもと、訊けずにいた事を思い切って訊いてみた。


「ああ。帯刀慈雨じうはボクの姉だよ。まあ、腹違いの、と付くんだけどね。あんまり似てないだろう?」


 そんな事はない。目元やスラリと通った鼻筋がそっくりだ。リハビリの励みに、毎日写真を眺めていたのだから断言できる。


 そう紗江が告げると、天恵は照れたように頬を掻いて笑った。


 髪の長さは違うけれど、そうして笑うとそっくりに見える。


「慈雨様には、本当にお世話になりました。本当に……」

 頭を下げようとして、しかし伸ばされた天恵の手に止められる。


「謝罪も感謝も必要ないよ。お姉様はそうする事が正しいと思って、それを貫いたんだ。

 そして君も、あの場で君ができる限りの事をしたのだと聞いている。

 君がお姉様に恩を感じるというなら、その分を誰かに返してくれれば、それでいい」


 優しい言葉に思わず涙が零れそうになる。


(今日は泣かされそうになってばっかりだ)


 誤魔化すようにグシグシと目元を拭う紗江をよそに、天恵は再び段上の咲良を振り仰いだ。


「ところで咲良君は、なにをしにここに?」


「放課後に穂月を先輩に紹介しようと、二人を探してたんですよ。まさか先に出会ってるとは思いもしませんでしたが」


 不満げに見下ろしてくる咲良の視線を真っ向から受けても、天恵は笑みを崩さない。


「君がざんざん、写真を見せてくれたからね。ボクは紗江君がすぐにわかったよ。

 ――危うく現代派の餌食にされる所だった」


「どういう事です?」

 問われて、天恵は日中あった出来事を説明する。


「――よし、連中、潰しましょう。今すぐに」


「待て待て、そういうトコだぞ。君が頭おかしいってボクが評するのは」

 腕まくりして駆け出そうとする咲良だが、いつの間にか立ち上がってその腕を抑え込んだ天恵に制止される。


「その頭おかしい奴を抑え込む先輩も相当ですけどね」


「そこは年の甲だと思って欲しいかなぁ」

 咲良は腕を振りほどこうとするが、抑えた天恵の手はビクともしない。二人共笑顔のまま、繋がった腕だけがプルプル震えているのが異様だった。


「あのー、現代派って?」

 空気を変えようと紗江が挙手して問う。


「魔法は時代遅れで、魔術より劣った技術だという思想の集まりだ。ひどい者になると、魔法――特に古式は撲滅すべきと謳っている。一部の特権階級が魔法を独占するのならば、そんなものはなくなるべき、だそうだ」


 それは一種、焚書のような思想。


 しかも特権階級による独占など存在しない。跡継ぎ不足に悩むほとんどの古式門派は、身分に関わらず広く門戸を開いているのだ。


「愚かな話さ。確かに魔術は魔法にはない便利な道具などを生んだし、生活に欠かせないものになりつつある。けれど、ボクは魔術は決して魔法にはとって代われないと思っている」


 そうなのだろうかと小首を傾げる紗江。


 魔術を使えない身としては、魔術の方がお手軽で便利なものに思えるのだが。


「魔術は魔法の簡易劣化版だからだ。穂月はこれから授業で習うだろうが、魔術でできる事で魔法にできない事はない。もちろん、それそのものを万能と思い込むのも危険だけれど、な」


「え? でも、わたし、属精は使えないですよ?」


「必要ないからだ。穂月の技は芸と武の極地。その武において、なぜ火やら水やらに頼る必要がある? その気になれば、標的としたその存在そのものを破壊できるというのに」


「攻性測定で君自身がやってみせたよね?」


 二人に示され、紗江は両手を打ち合わせる。


「ぶん殴って倒せるなら、武器なんか要らない、みたいな?」


「それはまた独特な解釈だね」

「だが、おおよそ間違いではないです」

 苦笑する天恵に対して、咲良は鷹揚に頷いてみせる。


「まあ、上女にも色々面倒な事があって、初日から君はそれに巻き込まれちゃったわけだけど、今後はそういう事があったら、気軽にボク達を頼ってほしいかな」

 するりと階段を降りてきて、天恵は紗江の頭を撫でた。


「――紗江さーん、そろそろ終わりましてー? 鞄持ってきて差し上げましてよー」


「紅葉ちゃん、紗江ちゃんの鞄持ってるのは、あたしだけどね」


 遠くから紅葉と蘭の声が聞こえてきて、紗江は階段を駆け上がり、二人に手を振る。


「友達です。お二人に紹介させてください。特に紅葉ちゃんは咲良様の大ファンなんですよ?

 ――紅葉ちゃーん、ほら、咲良様! ここ!」


 濃密だった新生活初日が、ようやく終わろうとしている。


 駆け寄ってくる二人の友人に手を振りながら、紗江は満面の笑みを浮かべる。


(色々と大変な事もあるようだけど大丈夫。美咲お姉ちゃん。わたし、早くも友達ができたよ)

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