第7話 一年生 春
「それじゃ、魔道測定の喚器渡すから、みんな集まってー」
午後になり、再び校庭に集まった新入生達に、監督の上級生が声をかける。
「自前のスマホや喚器、楽器を持ってきてる子もいるだろうけど、今日はこれを使ってね。測定器が組み込まれてるから」
そうして、スマホとリストバンドが配られていく。
「そういえばおランちゃんって魔術得意?」
リストバンドを巻きながら蘭に尋ねると、蘭は小首を傾げながら、
「どーだろ。中学の成績は五段階で四だったよ。属精別だと雷精と風精が高評価だった」
ちょっぴり誇らしげに尻尾が揺れる。
「わたくしはいつも五でしたわ。火精が特に高評価!」
「それはこの髪を見ればわかるよぉ」
蘭はふわふわと風に揺れる紅葉の髪を、しゅっしゅっと猫パンチしながら言った。
「で、紗江さんはどうですの?」
「うんうん、穂月って魔道の大家でしょ。気になる」
そんな二人に紗江は乾いた笑いを浮かべ、
「見てたらわかるよ」
と、答えるしかなかった。
上級生が再度注目を集め、スマホ内のアプリの説明を始める。
「ご存知の通り、魔術は喚器に収められたフレーズと
上級生の言葉に、何人かが手を上げて返事をする。
喚器の携行性があがり、手軽にフレーズを再生できるようになった五十年ほど前から、魔術の進歩はめざましく、もはや日常生活には欠かせないほどになっている。
スポーツ面でもそれは例外ではなく、喚器が普及する前から生きている老人達に言わせれば、今の五輪などはマンガのようだと思えるらしい。百メートルを三秒台で駆け抜ける世界なのだ。
「さて、ここからが重要よ。いま、みんなが持っている喚器には攻性魔術が入ってる。だから絶対に、人に向けてはダメ。冗談でも人を標的にした場合、リストバンドがそれを記録して、査問にかけられるから、注意してね」
静まり返る新入生達。
「いい? 人を支え、人を守るのが、防人であり、その雛たる撫子なの。人を面白半分で傷つけるような人はふさわしくない。それを肝に銘じておいてね。
それじゃ、短距離走から始めましょうか。脅かすようになっちゃったけど、リラックスして行ってみよう!」
上級生の言葉に従い、新入生達が列を作って、合図と共に駆け出していく。
午前に行った体力測定と同様の種目が、魔術を用いて順繰りに進む中、紗江の記録は体力測定のそれとほぼ一緒で、だから魔術で底上げされたクラスメイトと比較して、最底辺を刻み続けた。
そして、いよいよ攻性測定。
土塁の前に、人の胴回りほどもある太さの鉄柱が十本立てられ、それぞれレーンを示すようにラインが引かれたその場で、上級生は新入生を見回す。
「攻性魔術はみんな初めてだろうから、お手本を見せるよ。
得意不得意はあるだろうけど、登録されてる属精は全部使ってね」
そうして上級生は喚器を左手に、右手を鉄柱に掲げる。
「――選択<火精>、接続」
上級生の胸の
大気に満ちた精霊がフレーズに触れて可視化しているのだ。
直線的だったそれが
「――喚起!」
その声と共に、黒線は右手に収束して、真っ赤な火線が宙を走った。
ドンという衝撃と共に爆発。煙が晴れると表面がわずかに抉れ溶けた鉄柱の姿があった。
どよめく新入生は思わず拍手した。
「やー、どーもどーも。照れるね。
それじゃ、ぶっつけ本番もなんだから、練習時間を取るよ。危ないから、レーンの中には入らないように。外してもいいから、思いっきってやってみよう」
そうして各々、鉄柱めがけて魔術を放っていく新入生達。
様々な属精のフレーズが和音のように、辺りに満ちる。
紅葉は火精だけでなく、どの属精もまんべんなく使いこなせていて、とりわけ火精が優れているという万能型のようだ。
蘭も紅葉ほどではなかったものの、どの属精もきっちり使いこなし、得意というだけあって、風精と雷精は上級生が思わず褒め称えたほどだ。その二つの属精を使いこなす魔術士は、上女には少ないのだという。
一方、紗江はというと、二人の友人を遠目に見つめながら、所在なさげに壁際で佇んでいた。
(わかってた事じゃない。今の撫子女学校は魔術訓練が主体だって。大丈夫。わたしは大丈夫)
両目を伏せて、胸の前で拳を握り、深く息をする。
なぜコレほどまでに魔術が普及したのか。
それはなにを置いても、その手軽さだ。
魔術喚器――初期はレコードやテープだったそうだが、現在では手の平に収まるスマホひとつで精霊に呼びかけるフレーズを流し、魔道器官と接続する事で――術士の力量にもよるが――思いのままに現実が書き換わる。
古式と呼ばれる魔法のように、自らの肉体と楽器をもって作法に従い、舞い歌う必要がなくなったのだ。
かつてマッチがライターにとって変わられたように、ライターもまた、いまや家庭魔術のフレーズに取って代わられている。そして、そんな風に魔術に代替されたものはたくさんある。魔法もまた淘汰されつつある技術のひとつなのだろう。
上級生が練習を終えるよう指示を出し、列を作らせて順番に測定を始める。
紗江は一番最後に並んだ。
列は滞りなく進み、瞬く間に紗江の番となる。
「じゃ、君で最後だね。大トリなんだし、一発ドカンと派手に決めちゃってよ」
笑顔でバシバシ紗江を叩きながら、上級生が言う。
「は、はぁ……」
みんなが注目する中、紗江は一歩進み出る。
(しまった……最後のが目立つじゃん。真ん中辺りに紛れ込んでおくんだった)
邪魔にならないように気を遣って、静かにしてくれている同級生達の視線が痛い。
お手本通りに喚器を左手に親指で攻性アプリをタップ。右手を突き出し、
「――せ、選択<火精>、接続」
しかし、喚器はピクリとも反応せず、胸にも光は灯らない。
「――選択<火精>、接続!」
繰り返しても、喚器は無反応。
(……ああ、やっぱり、ね)
紗江は大きく息を吸い込み、それから諦めたように吐息。くるりと後ろを振り返ると、後ろ頭を掻きながら、笑みを浮かべた。
「わ、わたし、またなんかやっちゃいました?」
紗江がてへっと舌を出すと、紅葉が進み出て人差し指を突きつける。
「やれてませんわできてませんわ! そしてなんでそんな言ってやったみたいな得意げな顔してるんですの!? ちょっと紗江さん!?」
両肩を掴んでガクガク揺さぶるのはやめて欲しいと思う紗江。三半規管はそんなに丈夫にできていないのだ。
「貴女、穂月でしょ? 穂月と言えば魔道の大家! 今のご当主様や
「そ、それはさすがに誇張されすぎなんじゃ……」
どんな化け物だ。いや、あの叔母ならありえるのか?
「紗江ちゃん、体調悪かった?」
蘭も心配そうにやってきて、紗江の顔を覗き込んでくる。耳がピクピク震えてるのが可愛い。
「え? そうですの? それはさすがに……ごめんなさい。そんな時に勝負なんて持ちかけてしまって」
紗江を離して素直に紅葉も謝罪を口にする。
「そうじゃないよ。二年ちょい前に事故でね。わたしの
へらりと笑うのが精一杯。
「リハビリして、家伝機器なんかは、なんとか使えるようにまでなったんだけどね。攻性魔術みたいな具象系の事象介入は絶望的だって、お医者のセンセがね」
それがどんな苦悩と共に吐き出された言葉かを想像し、紗江が積み重ねてきた努力を想うと、蘭も紅葉も身震いし、思わず縋り付くように紗江を抱きしめた。
撫子を志す者にとって魔道器官の損壊は死活問題だ。そもそも家伝製品を使うのさえ困難だったと紗江は言ってた。それはつまり日常生活さえ困難だったという話で。
「紗江さん、貴女は……」
「紗江ちゃん」
二人に抱きしめられながら、反面、紗江はちょっぴり誇らしい気持ちになっていた。友達に選んだ二人がこんなに優しくて良い子だったのだ。自分の見る目も捨てたものではない。涙が出てきそうだ。
「……盛り上がってるトコ悪いんだけどさ」
「――なんです!? 先輩、空気読んでくださいまし!」
紅葉が歯を剥いて反論するが、上級生は肩を竦めて右手に持ったバインダーを叩く。
「穂月君、君の魔力測定はどれも測定不可。つまり魔術が使えてないって事だよね? それでどうやってこの学校の入試を通ったんだい? まさか穂月のコネかい?」
この学校に在籍している誇りがあるからこそ、彼女は不正が許せないのだろう。厳しい視線で紗江を見据える。
「今の状況では、そう思われても仕方ありませんが、御家の名に賭けて、それだけはありません」
鎌倉の地元で受けた入学試験では、そもそも魔術、魔法の実践のような試験はなかったのだ。魔道器官の稼働効率のみが重要視された試験だった。だから紗江もパスできたのだと思う。
だが、上級生は納得いかないのか、紗江の言葉に肩を竦め、
「どうだかね。君ら華族はすぐそうやって、『御家の名に賭けて』って言うけどさ、君のお祖母様も叔母上も、型破りな事で有名な方だ。ポンコツな跡継ぎの箔付けに、コネを使う事もありえるんじゃないのか?」
前言撤回だ。どうやら彼女は華族自体がお気に召さないらしい。
悔しさに握りしめた拳の中で、爪が手の平に食い込む。自分の所為で祖母や叔母まで愚弄されている事実に、情けなさで涙が出そうだ。
「先輩! 言い過ぎです! 撤回と謝罪を!」
なおも噛み付く紅葉を鬱陶しそうに見つめ、
「必要ない。それを求めるなら、コネ合格ではない証明をしてからだろう」
勝ち誇ったように、顔を歪める上級生。その表情は、先程までの親切な先輩のものではなく、攻撃できる者を見つけた嗜虐性が見て取れた。
「――同じ口で撫子心得を口にしていたと思うと、反吐がでる」
蘭が呟き、紅葉が同意する。
先の読めない事態に、周囲の新入生達がざわめき始め、「紗江のコネ入学が本当なら、許されない事だ」という声が混じり出す。
そんな時――
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