第9話 一年生 春

 入学式から一週間は、さまざまなオリエンテーションが続き、学校や寮のシステムやルールを覚えるのに費やされた。


 翌週から授業がはじまったが、初授業ということもあり、ほとんどが担当教師の自己紹介と、科目の意味の説明に費やされ、本格的に授業が開始されたのは、桜もすっかり散りかけた、四月も下旬に入ってからだった。


「そんなわけで、来週から早くもGWゴールデンウィークなわけだけど、帰省する人は、しっかりと寮に長期外泊届けを提出すること。忘れると無断外泊扱いで懲罰されちゃうからね」


 朝のHRホームルームでそういって生徒達に告げるのは、担任にして魔道論理学教諭の御笠みかさ莉杏りあ先生。


 波打つ豊かな茶髪をハーフアップにした彼女は、大きな目を隠すように細いフレームの眼鏡をかけていて、きっちりと紅の塗られた唇が艶めかしい。

 羽織った白衣の下、豊満な身体が際立つような身体にピッタリとした衣装から覗く、ストッキングに覆われたお御足。


 エロい。とにかくエロい。


 胸元に切れ込みが入って零れ落ちそうな中身を覗かせる服なんて、どこで売っているのだろう。DTを殺したくて仕方ない秘密組織でもあるのか。


 莉杏が海側にある益荒男ますらお校の先生だったら、生徒達は毎朝大変だと思う。


「今日もリアセンセのエロゲージはMAXを振り切ってるぜ」


 紗江さえがこっそり隣のらんに囁やけば、

「アレで言い寄る男のセンセを一切受け付けないっていうんだから不思議。

 ナンの為にあんな格好してる?」

 蘭も同意してから小首を傾げる。


「露出が趣味?」


 蘭のその言葉に、紗江は思わず噴き出す。


「コラ、穂月ほづきさん、騒がない!」


 怒られているはずなのに、耳に心地よいアルトに和んでしまう。


「すみませーん」

 手を上げて謝罪し、紗江は話に聞き入る素振りを見せる。


 御笠莉杏、二十七歳。


 彼女と会うのは、この学校がはじめましてではない。


 二年前のあの事件で、彼女は主幹という立場であの場にいた。


 だが、あの事件の責任を取る形で所属組織を退任。所属大学の教授職も失い、片手間に取得していた教員免許を武器に立ち回るも、まるで流刑のように三洲山みすやま公国に送られて、上女の教師になったのだという。


 入学式の翌日に、紗江は彼女に呼び出され、改めて叔母の件を謝罪されたが、彼女も立場上、口にできない事が多いそうで、取り立てて叔母についての新情報は得られなかった。


「いち教師として、贔屓をする事はできないけど、魔道関係や身体の事で困った事があったら相談してね」

 というのは、彼女の言。


 紗江の身体の状態を担任としてだけでなく、あの事件当時を知る者として心配してくれているのだろう。


「――あとは、GWが明けたら、いよいよみんなも異界ラビリンス探索の許可が出るわ。上層だけだけどね。一年生はソロは禁止だから、かならず班を作ること」


 莉杏先生の言葉に、クラスメイト達はざわめく。


 そう。この学校、放課後に部活代わりに異界探索ができるのだ。


 上女と、その南側にある上洲かみす益荒男ますらお高校――通称上男かみだん。そして、その両校の西にある防人さきもり駐屯地。それらの敷地が三角形に囲い込み、共同管理地としているのが、三洲山上洲異界ラビリンスである。


「現地では上男の生徒や防人の方々、極稀に一般の探索者の人達と接する機会もあるかと思うけど、みんな撫子としての慎みをもって応対するように」


 要するにナンパ男に気をつけろという事だ。


「あー、あと、探索許可と同時に、上級生の部活動、部隊勧誘も始まります。毎年、過激な所もあるから、被害を受けたら報告するように。もちろん、気に入った所があったら、ばんばん入部しちゃってオーケーよ」

 その場合は所属届けを提出するように、と締めくくり、HRを締めくくった莉杏先生は教室を出ていく。


「異界探索だって、どーする紗江ちゃん?」


「お? おランちゃんも興味ありますか?」


 右手で耳を撫で付けるのは、蘭が興奮してる時の癖だ。プルプル耳が震えるから、毛が乱れるのが気になるらしい。


 紗江の問いに、蘭はうなずき、その碧の目を細める。

「あたし、探索者志望。この学校に来たら、在学中から探索できるって聞いて、ここ選んだ。あと撫子資格はAランク探索者資格と同等!」


 フンスと鼻を鳴らして拳を握りしめる蘭。


 探索者資格は、一般人が異界に入る為の資格で、Aともなれば世界中――過去に大侵災を起こしたような特級異界を除いて――現在確認されている、ほとんどの異界に踏み込む事ができる。


「わたしもおばあちゃんから、最低でも週に一度は異界で鍛錬して瘴気アンチ耐性つけとけって言われてるから、一緒に行こっか?」


 紗江が尋ねると、蘭は嬉しそうに頷き、それからふと気づいたように視線を左に。窓際の一番前の席でチラチラとこちらを伺っている紅葉もみじに向ける。


「たぶん、紅葉ちゃんも一緒に行きたい」


「あー、アレは絶対にそうだね。次の休み時間に誘ってみよっか?」


「休み時間になったら、向こうから誘ってくると思う。

 ――な、なんでしたら、お二人を誘って差し上げてもよろしくてよって」


「え!? ナニソレ、うまい!」


 親友の意外な特技に、紗江は目を見開く。本人の声かと思って、紅葉の方を見てしまったほどだ。


「にゃあ。あたしの一〇八つある特技のひとつ。ふふふ」

 猫のように顔を撫で付け、不敵に笑う蘭。


 そんな事を話してる間に、一限目の数学担当教諭がやって来て、授業がはじまった。





 上女かみじょ防人さきもり大付属とはいえ、高校であるため、五教科――いわゆる一般教養の授業もある。それらは中学の延長ともいえて、科目毎の得意不得意はあったが、多くの生徒にすんなりと受け入れられる。


 一方、上女独自のカリキュラムというのも存在する。


 座学で基礎知識を身に着けさせる事の多い一年の中で、多くの生徒が初めて経験するのが家政だ。

 良家の子女が多いが故に、自身で料理したり、掃除したり、縫い物をしたりといった経験がないのだ。

 上女では、立派な乙女、ひいては撫子を育成する為、御家の貴賤の別なく、生徒はみなそれらをきっちり仕込まれる。


 逆に比較的すんなり受け入れられるのが、茶道や華道、書道などだ。


 選択式となっているこれらは、令嬢にとっての技能のひとつであり、生徒達は家でなにかしらを学んでいる為、すんなりと溶け込む事ができるようだ。


 ちなみに紗江が選んだのは茶道で、経験があるとか、わびさびに目覚めたということは当然なく、「授業でお菓子が食べられるの? じゃあそれ!」という単純な理由で決めたのだった。


 体育と分離されて教えられる芸技は、音楽と体育の中間のような授業で、歌舞歌唱と共に、魔法動作を教わるためのものだ。


 魔術ばかりが優遇される世の中で、少しでも魔法に興味を持ってもらおうという魔道教育者の気持ちが表れたカリキュラムである。進級すると、この授業で具足や甲冑を学んでいくことになる。


 そして、魔道。


 魔術と魔法を総合的に学ぶ授業で一年の間は実技が少なく、主に論理面を、二年になると魔術と魔法は専攻式になり、より自身にあった分野を実技多めで学んでいく事になる。


(だからこそ、魔術士と魔法使いの対立構造ができあがっていて……)


 窓の外、三年生が甲冑で組打ちしているのを横目に見ながら、紗江はぼんやり考える。


 二階にあるこの教室は甲冑の頭部よりやや高い位置にあり、紗江の席からでも重厚な激突音を立ててぶつかり合う雌型甲冑はよく見えた。

「――そして三代目大公、義政よしまさ公は央洲おうすを公都と定め、上洲かみす下洲しもす、央洲それぞれに譜代の家臣を三洲魔王として封じ、自らは海尖山かいせんざん麓に居城を構えられて――」


 歴史教諭の片辺先生の朗読の中、わずかに開けられた窓から風が吹き込んでカーテンを揺らし、甲冑達が蹴立てる砂埃の匂いが舞い込んでくるが、それに混じって、すでに散りかけている桜のほのかな香りが鼻腔をくすぐってくる。


 昼休みを挟んでの午後の授業。お昼をしっかり食べて栄養を蓄えた身体は、どうしても睡眠を欲してしまう。片辺かたべ先生のボソボソとした朗読もまた、それに拍車を掛けるのだ。


(おランちゃんなんて、もうぐっすりだし)


 窓の前で、隠す気もないのか、蘭は組んだ腕に顔を埋めて居眠りを決め込み、時折ゴロゴロと喉を鳴らしている。


 見渡すと、同じように突っ伏している生徒がちらほらと。


 歴史の授業はその時間割のタイミングもあるが、多くの場合が睡魔との戦いになっているのだ。


 窓の外、互いに出方を伺って対峙する甲冑は、学校貸与の練習騎<若葉〇式>で、練習騎だけあって、肩楯けんだて佩楯はいだてなどの大型外殻のない、すっきりとした青色フォルムが印象的な騎体だ。

 高出力稼働を前提としていない為、放熱器であるたてがみもない。量産騎の為、面も赤い横長なサングラスのような眼に、相の入っていない面頬とシンプルなものだ。


 左の甲冑が動き、組みかかろうと両手を伸ばすが、右の甲冑がそれを弾いて懐に入り、右肩を当てて、左手で相手の腕をホールド。それを下方に引けば、左の騎体が弧を描くように宙を泳ぐ。


 衝撃音が窓を震わせた。


 居眠りしていた生徒達が、轟音に驚かされてびくりと顔を上げる。


「……やれやれ、今年の三年は派手好きがいるようだ」


 一年にとっては衝撃的な事態も、老年の片辺先生にとっては慣れた出来事のようで、眼鏡を直して、窓際に歩み寄る。


 クラスメイト達も一斉に窓の外に目を向ければ、投げ飛ばされて倒れ伏した<若葉〇式>と、それに手を差し伸べるもう一体の<若葉〇式>。

 倒れた方を引き起こすと、その背部が開き、姿を現したのは具足姿の加賀鈴乃先輩で、面を外してぷるぷると汗を振るその姿に、生徒達から歓声が上がる。


 加賀かが鈴乃すずの――三年百合組の級長にして生徒会長。探索部隊のトップグループ<戦陣>の部隊長にして、加賀侯爵家のご令嬢である。

 長い髪を後ろで編みまとめた彼女は、甲冑の背から飛び降りると、対峙していた相手騎体へと向かう。


 一方、遅れて這い出してきた相手は帯刀たてわき天恵あめで、

「あー、もう! 完敗だよ、完敗! あんな綺麗に決められるとは思わなかった!」

 不貞腐れて地団駄踏む天恵は、そばにやってきた鈴乃にいーっと歯を剥く。


「貴女の得手は長柄でしょうに。無手で負けたからと、そんなムキにならなくてもよろしいでしょう」


「それでも悔しいものは悔しい!」


「まあ、わかりますけれどね」


「次は負けない」


「また投げ飛ばして差し上げます」

 互いにニヤリと笑って握手して、後に待つクラスメイトに騎体を明け渡す。


「加賀くんと帯刀くんは、良いライバル関係にあるようだね。負けても腐して相手を貶めず。撫子として大事な事だ。

 さ、みんな、授業を続けるよ。今度は居眠りしないようにね」

 片辺先生の言に、居眠りしていた生徒は恥ずかしそうに顔をうつむかせ、みんなも気を引き締めて、教科書に向かった。


(けど、それでも起きなかった、おランちゃん、つえー)


 いまだ耳と尻尾をぴくぴく揺らしながら寝入る親友に、紗江は思わず苦笑した。

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