第10話 一年生 春

 授業が終わると、夕食までおよそ2時間、時間が空く。


 寮の食堂は一八時から二〇時までで、それまでの間、生徒達は部活や異界探索に励んだり、明日の授業の予習したり、趣味に勤しんだりして過ごす。


 紗江はというと、その時間は基本的に運動着に着替えて、校庭でランニングして体力づくりをしていた。


 二年前の事故で半年間、寝たきり生活を余儀なくされた紗江は、同年代の子に比べて筋力的に劣っている。背も小さい。


(いや、背は関係ないはずだ)


 そこを補う為に始めたのが、毎朝晩のジョギングである。『鍛えられた持久力は、どんな場面でも役に立つ』というのは、かつての咲良の言葉だ。その言葉を信じて、とにかく愚直に毎日走り続けているのだ。


 そんな彼女の横を、同じように運動着に着替えて、髪をまとめた姿で走るのは紅葉もみじ


 彼女もまた、TVで見た咲良の言葉に感化されてジョギングを始めた口だ。親友で同志なのである。


「――それで、わたくし、紗江さん、蘭さんで班を作るのは確定として、部隊の方はどうしますの?」

 走りながら、紅葉は朝の話題を振り返る。


 予想通り、一限目終了と共に紗江と蘭の元にやってきた彼女は、らんのモノマネ通りの口調で、班の結成を宣言し、二人は思わず噴き出した。


「部隊、ねぇ。それが困ってるんだよねぇ」

 応えながら横目で見ると、紅葉の豊かな胸が上下に揺れている。バインバインだ。


 悲しくなるのでなるべく下を見ないようにしつつ、紗江は続ける。

「わたしとしては、天恵あめ先輩と咲良様にも誘われてるし、二人の部隊に行きたいんだけどね」


「あら、迷う必要なんてないじゃありませんの。紗江さん、わたくし達お友達ですわよね!?」


 あわよくば三個イチで売り込もうという現金な親友に紗江は苦笑。


「や、紅葉ちゃんとおランちゃんも誘ってオーケーって言われてるから安心してね。

 問題なのはそこじゃなくてね、身内――タマ姉の事なんだ」

 嘆息すると、紅葉は怪訝そうに小首を傾げる。


「紗江さんのおうちの女中さん、でしたわよね? 二年で<戦陣>に所属してらっしゃる」


 たまきと紅葉はすでに面識がある。入学式の夜、寮で紅葉と蘭を友人として紹介したのだ。


「その<戦陣>に入らないかって、タマ姉に言われててね。

 でもほら、加賀先輩と天恵先輩ってライバルみたいになってるでしょ? 断ったら角が立つんじゃないかなぁって」


「断る気はあるんですのね?」


「そりゃね。先約は咲良様だし。こんなわたしにも目指すものはあってさ、<戦陣>じゃそれは達成できそうにないし」


 <戦陣>は異界探索を鍛錬の場とし、より深奥を目指す為の部隊だ。紗江にとって、その姿勢に寄り添う事はできても、共にあることはできそうにない。


「そのままお伝えになれば、よろしいではありませんか。

 そもそもなんで女中が<戦陣>で、しかも二年なのに甲冑駆ってトップエースなんですの?」


「なんか、わたしに仕える為に鍛錬したんだって。あと元々、武の御家だからってのもあるのかな」


「これだから穂月は、頭おかしいんですのよ!」


「ええぇぇ……」


「紗江さん、ご存知? <戦陣>っていうのは、上女の異界ラビリンス探索部隊の頂点が冠する部隊名ですの! そこで先陣を切るエースがどれほどのものか!」


 寮の食堂で環とは毎晩一緒に食事をとっているが、あのニコニコ顔からはそんな雰囲気微塵も感じられないのだ。


「まあ、そんなトコにわたしが入ったら、またコネとか言われそうだしねぇ。

 ――あ、これ使えるかも。この切り口で説得してみるか」


「そうですわね。わたくし達は咲良様の部隊に! これは決定事項ですわ!」


 夕日をバックに紅葉が拳を突き上げ、

「おー」

 紗江もまた同意するように拳を突き上げた。





 そんな学校生活にも慣れ始めた四月の終わり。いよいよ明日からGWだという頃。


 紗江は放課後、家庭科室に居残りさせられていた。


 家政の授業の刺繍の宿題をうっかり忘れてしまったのだ。


 隣の席には、同じく宿題を忘れた梅組の物部ものべ茉莉まつり


 紗江と同じくらい小柄な子で、東北の妖属ようぞくの血が入った御家だそうで、その血が濃く現れたのか、左右で結われた彼女の髪は、透き通るような白髪はくはつだった。


「紗江様、どんな塩梅あんばいじゃ?」


 そう声をかけてくる茉莉に、思わず紗江の表情は緩んでしまう。


(のじゃロリ白髪はくはつインテ……うふふふ……)

 イロモノ系は完全に紗江のストライクゾーンだ。ああ、お友達になりたい。


「紗江様? だ、大丈夫か? よ、涎が……」


「おっと、いけない。妄想世界が手招きしてたぜ」


「は?」

 妖属特有の縦に太い線が入ったように見える赤い瞳に怪訝そうな色を浮かべ、茉莉が小首を傾げる。


「いやいや、えっと進捗だっけ? ようやく最後の桜だよ。茉莉ちゃんは?」


 課題はクラス花を最低五つ仕上げる事だ。


「いやー、ワシも手先は器用なはずなんじゃが、刺繍って奴ぁ苦手でなぁ」


 紗江の記憶の中の華族・旧家リストの中で、物部は紋章学、特に刻印系家紋の大家のはずだった。本来ならば刺繍は得意分野のはずなのだが、

「ガキの頃からジジババにずっとやれやれと迫られてな、大人に強いられると子供は反発するじゃろう?」


「あー、わかる。わたしもおかさんにピアノ習わされそうになって、嫌いになった」


「じゃろう。家を継いで、いずれ紋章学の道に進もうとは思っとるんじゃが、どうしても刺繍は拒絶反応がのう」


 そう言うものの、茉莉の手は淀みなく、紗江のモチーフをガタガタになぞったものに比べて、梅の花弁特有のカーブも綺麗に象っているように見える。得意不得意と好き嫌いは別という事なのかもしれない。


 紗江など、上女に来るまで刺繍なんてやった事がなかったのだ。


「よく知らないんだけど、紋章学って?」


 途端、しかめられていた茉莉の表情はぱっと色づき、身を乗り出して来た。


「二年から授業で学ぶ科目なんじゃがな、簡単に言えば、現代家伝の源流技術じゃな。

 紗江様も家伝の内部に刻印が走っとるのは知っておるじゃろ?」


「うん。そこに魔道器官を干渉させて精霊に魔術的事象を発生させるんだっけ」


「そうじゃ。本来、音や動作でしか干渉できない精霊に対して、図形的アプローチから干渉できないかと試行錯誤したのが刻印であり、そこから派生した紋章学なんじゃな」


 一三世紀に欧州で生まれたその発想は、米国アメリア経由でまず三洲山みすやま公国に入り、三代大公義政公によって日本にもたらされている。


 そうして生まれたのが、事象干渉領域ステージを開いた時に現れる家紋だと茉莉は語る。


「家紋はその家の血に織り込まれ、その時々の場に合わせた力をもたらす。それは身体強化であったり、感覚強化であったり、攻撃耐性であったりな。御家によっては記憶力が良くなったり、思考加速さえ成す家紋もあるそうじゃ。

 まあ、言ってしまえば先祖が子孫に残した加護みたいなもんじゃろうな」


「でも、御家同士が結婚したら? 家紋もくっつくの?」


「そう。そこが紋章と家紋の面白いところでな、西洋の紋章はわかりやすくて、はじめから家同士の紋章が融合するよう設計されておるそうじゃ」


 言いながら、茉莉は鞄からノートを取り出すと、盾の絵を書いて紗江に示してみせた。


「例えば元々は獅子を紋章にしていた御家と、剣を紋章にしていた御家がくっつくと、その子の紋章は半分に獅子が、半分に剣を象った紋章が出るそうでな。代を下るごとにどんどん分割されて行く作りになっているんじゃと。一種、紋章が家系図みたくなっとるわけじゃな。

 まあ、その分、個々の力は薄まっていくというデメリットもあるようじゃがの」


 盾の中にどんどん線が引かれ、はじめにあった獅子と剣は左上の隅に追いやられてしまう。


「ところが日本の家紋は違っててな。先祖の別なく、父母どちらかの家紋が顕現するのじゃ。どっちが現れるかは、出してみるまでわからんそうじゃがの。より血の濃い方が現れるとも言われとるが、正直よくわかっとらん。家紋そのものを造る技術が失伝しとるんじゃな。

 両方を使いこなす両家紋デュアルウィザードなんて者もおるそうじゃが、少なくともワシは会った事はないの」


 紗江は茉莉の言葉を聞きながら、「そういえばおとさんの家紋って知らないなぁ」なんて考える。


 そんな紗江の鼻先に、茉莉はビシリと人差し指を突きつけた。


「あとは、両家の家紋がくっついて現れ、それが子孫に受け継がれる場合もごくまれにじゃがある。紗江様の家の月下穂群げっかほむらもそうじゃな」


「へ?」


「元々穂月家は上洲かみすの守護魔王、穂群ほむら家が初代のはずじゃ。そこに央洲おうすの守護魔王、望月もちづき家から姫を娶った結果、家紋がくっついたんじゃな。その折に姓を穂月に改めたと聞いとるよ」


「はあああ――?」


「なんじゃ、知らんかったんか?」


「いや、守護魔王って!?」

 自分でも知らない御家の歴史を告げられ、紗江は思わず叫ぶ。


「そっちかい。現代ではほぼ慣習化されてしまった名誉職みたいなもんじゃが、央洲、上洲、下洲しもすの三洲それぞれで、最も力ある魔道の家の当主、あるいは直系が名乗る事になっとる。当代の上洲魔王は紗江様のお母君のはずじゃぞ?」


「聞いてない。聞いてないよ。そんなの!?」


「まあ、親としても『私、魔王!』とか厨二全開な発言、しづらいじゃろうしのう」


「え? それじゃ、いずれわたしも魔王? せかいのはんぶんを勇者にくれてやったりするの?」


 言いながら、紗江は身体を斜めに傾けて立ち、右手を頭に絡めて左手で顔半分を覆う。


「――勇者よ、よく来たな!」


「ずいぶんトンチキな魔王もおったもんじゃな」

 茉莉は素気なく応えて鼻を鳴らす。


「えー、ノってよ、おまっちゃん!」


「おマッ?」

 唐突な呼び方に、茉莉の声が裏返った。


「良いでしょ。おまっちゃん。わたしの事も好きに呼んでいいよ。庶民暮らしだったから、様付けされると、なんかくすぐったいんだよね」


「お、おう……じゃあ、紗江と呼び捨てさせてもらおうかのぅ……おまっちゃん……」


(のじゃロリ白髪インテの友達、ゲットだぜ)

 内心で拳を握りしめる紗江だった。

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