第11話 一年生 春

 その後も雑談を交えながら二人は刺繍を進め、刺し終える頃にはすっかり打ち解けていた。

 

 二人で教職員室に向かい、提出を終えて手を取って喜びあい、揃って昇降口に向かう。


 気づけばすっかり夕焼け空で、「今日の夕食はなんだろう」なんて話しながら靴を外履きに履き替える。


 遠くから部活をしている生徒達の声が聞こえ、砂埃の匂いに混じって、ほんのり水っぽい香りがする。夜から雨が降るのかもしれない。


 と、視界の隅で何かが動いた気がして、紗江はそちらに視線を巡らせる。


 昇降口の中庭に出る側、その向こうの回廊で、亜麻色の髪を引きずった、白い服の幼女が、すでに使われていない旧校舎の方へ向かってとことこ歩いて行くのが見えた。


「おーい、きみー?」

 声を掛けるが、幼女は気づかない様子で、旧校舎の中へ入っていく。


「どうした、紗江?」


「迷子かな。ちっちゃい女の子が旧校舎に入ってった」


「そりゃまずいのぅ。保護じゃ保護」


「うん!」


 二人は下足箱に鞄を押し込んで身軽になると、旧校舎目指して駆け出す。


 ハコが残ってるだけで、内装が取り払われ、解体待ちとなっている旧校舎には、照明なども当然なく、薄暗い昇降口まで来て、二人は思わずたじろぐ。


「と、突発! 肝試したいかーい」


「おヌシのそういう性格は、正直、頼もしく思うぞ……」


 木造の廊下に降り積もった埃。足跡を探そうにも、暗くて良くわからない。現在の校舎の陰に建つ旧校舎の中は、すっかり暗くなっていた。


 紗江が見た背丈の子供では、階段は怖がるのではないかと話し合い、一階から探していく事にする。


 大声も怯えさせてしまうかもしれないので、二人でひとつひとつ教室を覗いて周る。


 机も椅子も取り除かれた暗い教室はひどく物寂しく見えて、隠れる場所もないからと、二人は入り口から覗き込んで、次々に教室を巡っていく。


 けれど幼女は見つからず。


「ホントにおったのか?」


「それは間違いないんだけど……あそこは?」


 廊下の奥から渡り回廊を経てそびえる旧講堂。月明かりに照らし出されて、円形造りの影を廊下に落とすそれを指差し、紗江は茉莉まつりに振り返る。


 茉莉は頷きで応え、二人でまた走り出す。


 扉を外されたそこに飛び込むと、演壇を西に置いた、円形造りをした講堂の中央に、白い服の幼女は倒れ込んでいた。


「居た! ほら、ホントに居た!」


「わかったが、た、倒れとるぞ」


 紗江は慌てて幼女に駆け寄り、肩を抱いて抱えあげる。伝わってくる体温と鼓動からちゃんと生きてる人間だとわかった。


 小学生低学年くらいだろうか。細いながらもぷにぷにと弾力のある肌の感触が心地よい。月明かりを受けてきらめく長い亜麻色の髪は、引きずっていた所為か、それとも床に倒れていた所為か、今は埃まみれだ。


「何処の子じゃろうな」


「少なくとも村の子じゃないよ。村で一番小さいのは、山村さんちの五年生になる将太のはずだから」


 甘ったれと普段、両親に怒られながらも、隣町にある小学校まで毎朝二キロを三十分かけて通っている元気っ子だ。


 村の子達とは、昔、夏休みに里帰りした時に一緒に遊んだから、顔と名前が一致している。少なくとも三年前に来た時に、この幼女は居なかった。


「となると、観光客の子か? 早めのGWゴールデンウィークかの?」


「とにかく、職員室に――」


 言いながら幼女を抱えて立ち上がった瞬間、紗江は全身が総毛立つのを覚えて、咄嗟に茉莉を突き飛ばした。


 刹那、硝子が割れるような、それをこすり合わせたような、不快な音が耳朶を打つ。


「――なっ!? 紗江!?」


 茉莉の声がくぐもって聞こえ、刹那、濃密な香の香りが紗江の鼻腔を貫く。幼女を茉莉に投げ渡そうとしたが、彼女は尻もちついて倒れていて、間に合いそうにない。


 そう。紗江はこの感覚を知っている。


 なんせ二度目だ。


「――おまっちゃん、突発インスタント異界災害ダンジョンだ! 天恵あめ先輩と咲良さくら様に伝えて! 二人ならなんとかしてくれる!」


 言い終えると同時に、視界がぐにゃりと歪み、やってくるのは浮遊感。


 紗江ははぐれてしまわないよう、幼女をぎゅっと抱きしめる。


「な、な、なぁ――!?」


 取り残された茉莉は、すぐ目の前で渦を巻いて燐光を放つ異界口ゲートを前に、驚愕の声を上げた。


 じっと見つめると酔ったように吐き気がしてくる異界口からは、離れていてもわかる腐臭と、それを隠そうかというように濃密に漂う香の匂い。


 一瞬前までそこにいたはずの紗江と幼女は、今や渦巻くそれに取って代わられ、影も形もなくなっていた。


「は、初めて異界に人が取り込まれるトコ見たのじゃ――と、それどこではないのじゃ!」


 下手に立ち上がるとそれがきっかけで巻き込まれるかもしれないと、茉莉は四つん這いのまま出口へと向かい、十分異界口から離れた所で立ち上がって駆け出す。


 旧校舎に戻るのももどかしく、回廊から直接中庭に出て校舎を駆け抜け、昇降口は経由せずに金網フェンスを乗り越えて、寮の前に辿り着く。玄関で内履きに履き替えるのももどかしく思い、靴を脱ぎ捨て靴下のままで食堂に飛び込んだ。


「――天恵様! 天恵様はおるか!?」

 声の限りに叫べば、食堂で夕食をとっていた生徒達が一斉に視線を向けてくる。


「ぅっ、ぬぅ!?」

 恥ずかしさに呻くが、今はそれどころではない。


 周囲を見回し、再度叫ぼうと息を吸い込むと、

「茉莉君、こっちこっち!」

 咲良と向かい合って座っていた天恵が、手を振って応えた。そばに駆け寄る手間さえ省き、茉莉は吸った息をそのまま声に乗せる。


「旧校舎で突発インスタント異界災害ダンジョン発生じゃ! 紗江が巻き込まれた! 天恵様、助けてくれ!」


穂月ほづきが!?」

 真っ先に立ち上がったのは咲良だ。


 騒然となる食堂内で、天恵と咲良が素早く駆け寄ってくる。少し遅れてらん紅葉もみじがやってきて、


「どういう事ですの? 突発インスタント異界災害ダンジョン!? なんで紗江さんが!」


 紅葉が茉莉の肩を掴んで問いただすが、天恵がその手を抑えて離させる。


「それは後だ。時間が惜しい。準備しながら必要な情報をもらう。茉莉君、ついてきて」


「私もご一緒します!」


 横手からの声に天恵が振り返れば、たまきが顔を真っ青にしながら歩み寄ってきた。


「お嬢様の一大事。否と言っても行きますよ」


 天恵の襟を縋るように掴んで、そう断言する。


「<剣姫>の力を借りられるなら、是非もないよ。

 茉莉君、異界口の場所は?」


「旧講堂。規模は小。異界口ゲートから一メートルも離れとらんかったワシが無事じゃからな。少なくとも講堂よりでかいという事はないと思う」


 頷きを返し、天恵は咲良と環を見る。


「――部室で具足着用の後、現地集合。

 一年、紅葉君は職員室に報告。そのまま教師には加賀様に後詰に回るよう伝言を頼んでくれ。今の時間は生徒会室のはずだ。

 蘭君は医務室で救護教諭に声をかけて、旧講堂前で待機。

 茉莉君はボクと移動しながら状況説明。

 突入は三人揃ってだ。穂笹ほざさ君、先走るような真似はするなよ。

 さあ、開始!」


 パンと手を打ち合わされて、それぞれが指示に従い動き出す。

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