第17話 一年生 GW

「――おねーちゃーん!」


 トテトテと廊下を玄関まで駆けてきた幼女は、紗江の前まで来て身体を縮め、ぴょんと飛びついてきた。

 幼女とはいえ助走の乗ったタックルに、小柄な紗江は思わずつんのめる。紗江の胸部装甲は貧弱なのだ。


 突然の攻撃は困る。


「おねえちゃん、見てみて。綺麗にしてもらったの!」


 そう言って紗江の前でくるりと回ってみせる幼女は、発見時の病院着のような白い服ではなく、淡い青のワンピース姿で、動くたびに靴下についたポンポン飾りが跳ねるのが面白いのか、何度もぴょんぴょん飛び跳ねる。


 引きずるほどに長かった髪も、今は背中の辺りで切り揃えられて、端の方を結紐で丁寧にまとめられていた。


 服や身の回りのものは、昨日のうちに祖母と環で買い揃えたのだという。


「なんかね、これからお名前もらいに行くんだって」


「そうだよ。山を歩くからね。危ないから、お姉ちゃんと手を繋いで行こうね? お約束できるかな?」


「はーい!」


 幼女は笑顔のまま爪先立ちで手を伸ばしてみせる。


 結局、裏山へは、紗江と幼女に加えて、莉杏りあ先生と茉莉まつりも同行する事になった。二人共、知的好奇心旺盛で、ぜひ貴属きぞくに会ってみたいというのだ。


「名前をもらう?」

 莉杏先生の質問に、紗江は苦笑いしながら頷く。


「ウチのしきたりなんですよ。子が生まれたら、シロカダ様にお目通りして、名前を付けてもらうんです」


「ん? じゃが、紗江は……」


 紗江の両親の駆け落ちの話は華族界隈では有名な話だ。それで疑問に思ったのか、小首を傾げる茉莉に、

「わたしの時も、おとさんがわたしを抱えて、こっそり忍び込んでお目通りしたらしいよ。シロカダ様は結婚に反対とかしてなかったみたいでね」


 なんでもない事のように紗江が応える。


「さすがというか、なんというか……いやいや、御家の事情じゃ。ワシがあれこれいうべきではない」


 ブツブツと呟く茉莉を不審に思いながら、紗江は幼女に靴を履かせる。


「お嬢様、これを――」

 と、年重の女中が差し出してくるのは、白い雨合羽で。


「ああ、濡れちゃうかもだもんね。はい、これ着ようねー」

 と幼女に被せれば、白い猫耳幼女の誕生だ。


「なにこれ、可愛い!」


 思わず幼女を抱きしめる。フードに猫耳がついていたのだ。


「大奥様がたいそうお気に召して、買われたそうです」


「おばあちゃん、ナイス!」


 スリスリ頬ずりすれば、幼女はくすぐったそうにしてケタケタ笑った。


「はよ出発せんと、このままじゃと日が暮れてしまうぞぃ」


 呆れたように茉莉が声をかけ、紗江も仕方ないと幼女を降ろして手を繋ぐ。


 スマホを取り出して、伝文メールアプリを起動し、

「――これから向かいます。お客様もいるから、よろしく、と」

 極小の事象干渉領域ステージを開いて、スマホを包み、伝文メールを送信する。


 茉莉と莉杏先生を促して、裏門に向かって四人で歩き出す。


「貴属が伝文メール?」

 興味深そうに莉杏先生が問いかける。


「あー、普通の人だと、そう考えちゃいますよね。ザ・世捨て人っ! みたいなイメージ。

 でも、ウチのシロカダ様は長生きなおばあちゃんって感じかなぁ。普通にスマホも使いますし、テレビ見て大笑いもしますよ? ゲームとマンガ、大好きだし」


「なんとも、幻想を壊される話じゃな」


 裏門を抜けると、そこはすぐに森になっていて、踏み固められて伸びた一本の道以外は生い茂った木々や蔦に覆われている。


 右手から屋敷の塀沿いに伸びてくる道は、村民が山菜採りに来る際に使う道で、時折、村のお年寄りが草刈りをして道を維持してくれているそうだ。


 陽気にさらされて青々と生い茂る木々から、強い青臭さと森特有の土の香りが鼻腔に広がり心地よい。


「時々、滅多にないけど魔獣――魔狼とか魔猪とか、魔牛とか出るから、みんな気をつけてね」


 道に張り出した小枝を押しのけながら、紗江はみんなに告げる。


 魔獣は野生動物が強い精霊を浴びて魔道器官を備えるに至った生物で、異界に生まれる魔物と違い、普通に生存本能が存在する。


 基本的に野生動物同様に臆病で、傷つけられれば逃げ出すし、死ぬまで襲いかかってくる事はないのだが、都会育ちの人々の中には混同して考えて、大騒ぎする事もある。


 うっかり人里に降りた魔兎や魔猿相手に、熊でも相手にしているかのように大人達が大捕物する様が、毎年ニュースになるほどだ。


「魔狼や魔猪はわかるんじゃが・・・・・・魔牛?」


「うん、村の農家から牛が脱柵して、野生に帰って魔獣化したのが時々出るんだよ。わたしも小学生の時に見た」


 村の子供達と虫取りに来て、茂みの中からのっそりと顔を出してきたのだ。


 肩の高さが大人の頭より上で、頭だけでも人の胴よりでかかった。


「あとは、魔鶏なんてのも出るよ。知ってる? 野生の鶏って木の高さくらいまでなら跳べるんだけど、魔鶏は文字通り、飛ぶんだよ?」


「鶏さん、こっこーって、お家で見たよ」


 卵取りに飼っている鶏を思い出したのか、幼女が楽しそうに教えてくれる。


「いや、野生の鶏がそこまで跳べるってのも初耳じゃ」


 そんな事を話しながら一行は山道を進む。


 やがてパラパラと雨が振ってきて、莉杏先生と茉莉は不思議そうに頭上を見上げた。


 木々の間から覗く空は快晴で。


「はじめてだと驚くよね。海尖山から滲み出した湧き水が、ちょうどこの辺りに降り注いでるんだって」


 それで女中は幼女に雨合羽を用意したのだ。幼い子は身体を冷やすとすぐ熱を出すから。


 晴れた日に遠目から見ると、この辺りの上空にはいつも虹がかかって見える為、一部の写真家の間では絶好のスポットになっているのだという。


 濡れるのを避けるために、紗江は幼女を抱え上げ、二人を促して急ぎ足で進む。


 やがて茂みが途切れて、道は苔生した渓流に差し掛かった。


「ここまで来れば、大丈夫」


 歩速を緩めて、小休憩。灌木に腰掛け、持ってきた水筒から冷やされたお茶を汲み取り、順番に回し飲む。


 渓流の音を伴奏に、遠く野鳥の歌声が響き渡り、風が火照った肌を優しく撫でていく。


 水の匂いに混じって香る苔の青臭さと、ほんのり漂う木の実の甘い香り。それらが一体となって疲れた身体を癒やしてくれる。


「良い所ね。強い精霊の豊かさを感じるわ」


 莉杏先生は機嫌良さそうに周囲を見回す。


「学生時代、ESAアメリア精霊帝国妖精郷フェアリ・ランドを調査した事があるのだけれど、あそこに似た雰囲気を感じるわ」


 妖精郷とは、異界ラビリンスの逆で、精霊に満ちた空間の事だ。そこには魔物の代わりに、濃密な精霊が、自我を得て妖精となって舞い遊ぶそうで。


「わかります? ここってシロカダ様がでっかい結界が張ってるそうで、その所為なのか、子供達が遊んでても、怪我もしないし迷子も出ないんですよ」


 自慢の秘密基地を褒められたようで、紗江は嬉しくなってそう言った。


「山ひとつを覆うほどの結界……さすがは旧き者というわけね」

 莉杏先生は興味深げに呟き、メモを取り出して考察を書き込んで行く。


 それを待って、紗江は水筒をポーチに戻し、立ち上がって、みんなを促した。


 ゴールまでもう一息だ。





 渓流はやがて谷川になり、岩肌むき出しの岸壁の上を紗江達は進む。落ちると危ないので、幼女は紗江がおんぶだ。


 高くなった視点に、幼女はきゃっきゃと笑い声をあげる。


 轟々と流れる下方の川を見ないようにしてしばらく進み、たどり着くのは大きな滝だ。


 落差三〇メートルはある、豊かな水量の大滝の下、谷川の源流となる深い滝壺の淵を前にして、紗江は幼女を降ろして息を吸い込む。


「シーローカーダーさーまー! きーたーよー!!」


 大声で叫ぶと、途端、淵の中央がボコボコと泡立ち、大きな水柱が上がって、巨大な影が降り注ぐ滝の水を二つに割る。


 ザバザバと水音が辺りに響いて淵の水面を波立たせ、現れた影は横幅だけでも二メートルはあろうかという巨大な銀色の蛇だ。


 その胴周りは紗江が三人手を伸ばしてやっとという太さ。


 そんな巨大ヘビが水を滴らせながら、岸の上にいる紗江達に首を伸ばせば、莉杏先生と茉莉は顔を青くして後ずさり、

「おっきいヘビさーん!」

 一方、幼女は両手を振り上げ楽しそうだ。


 あの夜、居並ぶ小鬼をものともせずに結界を抜け出した事といい、案外、肝が座っている。


 紗江はというと、額に手を当て首を振る。


「絶対にやると思った……」


 嘆息して大蛇を見上げれば、蛇はくるりとした両目を細め、チロチロと舌を出し入れする。紗江もまた、数年前、初めてここに来た時に同じようにやられたのだ。


「なんだ、紗江はでかくなって擦れてしまったようだの。昔は大泣きして楽しませてくれたのに」


 不満げに応える大蛇。


「ち、ちっちゃい頃の話でしょ!

 いいから、出てきてよー!

 ――二人共、コレ、シロカダ様の鬼道傀儡きどうくぐつだから安心して。食べられたりしないから」


 ペシペシ銀の鱗を叩けば、大蛇は鼻を鳴らしてその顎を開いた。そこから這い出てくるのは、くるぶしまであるぼさぼさの銀髪を数か所で雑に組紐で結わえ、シワの寄った浴衣を着崩した妙齢の女性。


「うわ、またそんな格好! お客様が居るって言ったじゃん!」


 今にも零れ落ちそうな乳を隠すように、紗江は慌てて駆け寄り、前合わせを閉じる。


 当の女性はされるがままにされながら、何処からともなく煙管を取り出し火をつける。


「だって紗江よ。唐突にそんな伝文メール寄越すから、こっちだって慌てるだろう? 溜まってた着物を全部洗濯器に入れたところで気づいたんだ。

 ――あ、着るものがないって」


「そうなる前に洗濯しなよー!」


「だって、面倒なんだもん」


 不満げに口を尖らせてボサボサの頭を掻く女性に、紗江も思わず大きなため息をつく。


「さ、紗江ちゃん? その方が?」


 莉杏先生に恐る恐る声をかけられ、紗江は羞恥に赤くなりながら頷いた。


「はい。ウチのご先祖様で、貴属のシロカダ様です……」

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