第18話 一年生 GW
滝の裏に回ってそこにある風穴に入り、途中ある分かれ道を左に抜けると、やがて風穴は終わり、天井が開けた岩壁に覆われたドーム状の場所に出る。
陽光が天井から差し込み、光の柱のように見えるその下には、三枚の畑が拓かれており、春を終えようという今、夏野菜の作付けをする予定なのだと、屋敷の下男達が言っていた。そんな畑のかたわら、陽の光を避けるようにして、その屋敷はあった。
穂月の奥屋敷と呼ばれるそれは、本邸に比べて非常に小さく、生活に必要な設備だけを備えた、とても簡素な造りをしていた。
囲炉裏の敷かれた八畳ほどの板張りの居間に通され、紗江はまた頭を抱える。
「もー、食べたら捨てなよ」
スナック菓子の袋があちこちに転がり落ちている。紗江を真似て袋を上げていく幼女は、まだ残っていたのか、その中身に手を突っ込んで口に運ぼうとした。
「いつのかわからないから、食べちゃダメ!」
「はーい!」
幼女が元気よく手を挙げて応えると、抱えていた袋がこぼれ落ちて、床に中身をぶちまけてしまう。
「あーもー、シロカダ様、掃除器どこー?」
「騒がしいの。最後に見た時は納戸にあったぞ」
紗江はバタバタと掃除して、なんとか座れるように整える。
莉杏先生達に座布団を勧め、居間の隣の土間に降りて、流し台から水を薬缶に汲み上げて、お茶の用意を進めた。
「なんだ紗江、魔術が使えなくなったと聞いとったが、家伝は使えるんだな」
そんな紗江にシロカダが声をかければ、紗江は誇ったように胸を張る。
「頑張ったからね。魔術のように魔道器官と刻印を接続するんじゃなく、
その言葉に驚いたのは、技術屋の茉莉だ。
「それはまたなんとも……迂遠というか、才能の無駄遣いなのじゃ……」
「おまえは昔から、そういう謎の努力だけは得意だったな」
クスクスと楽しげに笑うシロカダ様。
人数分のお茶を用意して、一息。
互いに自己紹介を終えて、
「――それで今日、私達が来たのは」
莉杏先生が切り出そうとすると、シロカダ様は手の平を突き出して、それを制止した。
「先に紗江の用事を済ませよう。いつまでも名無しでは可哀想だ」
と、幼女に手招きして頭を撫でる。
「おまえ、名前がわからないそうだね?」
「うん。なんかもやもやーってして、気づいたら知らないトコにいてね、ちょっと歩いてみたんだけど、疲れて眠くなっちゃって、気づいたらお姉ちゃんがいたの」
幼児特有の要領を得ない返答にも、シロカダ様は切れ長の目を細めて微笑み、うんうんと頷いて気長に話し終えるのを待った。
幼くクリクリとした丸い目を覗き込み、まるで探るように幼女の胸に手を当てるシロカダ様。やがて「ふむ」とうなずき、
「じゃあ、おまえは
「ユメ? それがおなまえ?」
小首を傾げる結愛と名付けられた幼女に、シロカダ様は優しげにうなずきを返す。弾かれたように結愛は紗江に顔を巡らし、嬉しそうに両手を挙げた。
「お姉ちゃん! ユメ、ユメってゆーんだって!」
「うん。良かったね。ちゃんとシロカダ様にお礼を言おうね」
「シロカダ様のお姉ちゃん、ありがとー」
ぺこりと下げられた頭を撫でて、
「おまえの辿る道行きに、幸多からんことを」
そう呟く姿は、腐っても旧き者――貴属なんだな、と思う紗江だった。
そこから莉杏先生がシロカダ様を質問攻めにし、結愛は疲れたのか座布団の上で丸くなって寝息を立て始めた頃、紗江は昼食の用意の為に、再び土間に降りた。
茉莉も莉杏先生とシロカダ様の会話を名残惜しく横目で見ながら、
「おヌシだけ働かせるわけにもいかんのじゃ。ワシも手伝う」
と、一緒に土間に降りてくる。
「別にお客様なんだから良いのに」
律儀な親友に苦笑しながら、冷蔵庫を開けば、ビール缶とプリンがずらりと並び、外棚にはエナジードリンクが何本もストックされている。
またゲームにハマって、貫徹生活をしているに違いない。
はじめて里帰りでここに挨拶に来た時、一緒にゲームで遊んでもらい、すっかり沼にハメられて英才教育を施された紗江にはわかる。
プリン以外、いっさい食材の入っていない冷蔵庫を見なかったことにして、紗江は居間を振り仰ぐ。
「シロカダ様ー、食材、なんにもないじゃん。お昼どーするー?」
「あー、棚に釜があるだろ? 使っていいぞ。おまえもそろそろ使えるだろ」
「はいはーい」
言われて紗江は、爪先立ちになって食器棚の上戸を開ける。
丸く青銅色をした一抱えほどのそれは、四方に赤い石が埋められた造りになっていて、紗江はそれを調理台に乗せると、舌なめずりして腕をまくった。
「なんじゃ? ずいぶん古いもののようじゃが」
茉莉が小首を傾げて顔を寄せる。
よく見ると線模様と思えたそこには、びっしりと神代の文字が極小で刻まれている。
「れぷりけいたぁって言うらしいんだけどね、シロカダ様の説明は難しくてよくわかんないんだよね。
あ、おまっちゃん、なにが食べたい? 特にないなら、みんな同じのにしちゃうけど」
「ん? んん? よくわからんが、任せる――」
「じゃあ、いくね」
シロカダ様が使っているのは何度も見たが、自分が使うのは初めてだ。若干緊張しながら、紗江は
これを幼い頃から見ていたから、家伝を事象干渉領域で包むという発想が生まれたのだ。
そんな事を考えながら、
「目覚めてもたらせ、オムライス!」
紗江が唄えば、それに応じるように、四方の石がまばゆく輝く。それが収まると、紗江はおもむろに釜の蓋を開けた。
「おお、できてる! はい、オムライス一丁!」
取り出されたのは大皿に載ったオムライス――紗江の趣味で、半熟ふわとろの小洒落た奴ではなく、しっかり卵がケチャップライスを包んだもの――だった。
「ハアァ――っ!?」
あまりの出来事に、茉莉が裏返った声をあげた。
「うわ、びっくりした。な、なんだよぅ、おまっちゃん」
「お、おお、おヌシ! 今――これ、どこから!?」
ぶるぶると震える指先で釜を指差す茉莉。
「そういうモノなんだって。深く考えるだけ損だよ? ここにはこういうのいっぱいあるし。おまっちゃんだって、冷蔵庫がなんで冷たくなるとかわからないでしょ?」
「それはわかるわ!」
「おお、すげえ。わたしは知んないよ」
「いや、少しは不思議に思うもんじゃろ!」
「家伝の一種だってシロカダ様が」
「言い方ぁ!」
騒ぎを聞きつけて莉杏先生もやって来て、二人の前の釜に気づくと、顔をずずいと寄せてくる。
「ふむ、極小の
ブツブツ言いながら、釜をメモ帳にスケッチし始める。
「あのー、リア先生。邪魔です」
そんな莉杏の頭を紗江は押し退けて言った。
あと四つもオムライスを作らないといけないのだ。
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