第6話 「何者」

 2021年8月2日の午前7時30分。四谷よつやの留守電を聞いてから、宮本みやもとは早足で事件現場へと向かった。


 事件の発覚は、30代の男性による通報だった。現場は、草加そうか市の隣にある八潮やしお市内の“大原だいばら公園”。


 その男性は、駅まで自転車を使い、途中で公園のそばを通るのだという。公園を囲う柵を横目に通りかかった時、柵の向こうに生える大きな樹の下にある何かに気づいた。妙に大きくて真っ黒な二つの物体。自転車を止め眺めていると、苦痛に呻くように歪められた人間の表情を認識し、慌てて警察に通報したのだという。


 宮本は、大原公園の入り口近くに車を停めた。すぐそばにある入り口には、“立ち入り禁止”の黄色いテープが張られている。辺りでは地域住民が何人が集まっている。


 入り口に立つ警察官に挨拶をし、中に入る。


「宮本さん。お疲れさまです」


「おう。証拠品は出てきたか」


 宮本は四谷に尋ねる。四谷は首を横に振った。


「だろうな」


 宮本は大きなため息を吐いた。前回でも、証拠品は出てこなかった。だから、犯人が証拠品を残すようなことはしていないだろうと考えていた。そうは考えたものの、何か証拠品が出てきてほしかったという願望が少しだけあった。


 宮本は、目の前に横たわる二体の焼死体を見下ろす。前回発見されたのと同じく、大きく口を開いている黒焦げの死体。死んでいるのに、宮本たちに向かって助けを求めているような表情は、見ていられないものだった。


 前回の件で、検死から学んだことがある。生きたまま焼かれたと判断するのは、喉が焼けているかどうかだということを。全身を襲う形容しがたい痛みに加え、呼吸も苦しくなる。苦しみを二つも味わうことになる。焼かれて死ぬのは絶対にごめんだ、宮本はそう思わざるを得なかった。


 宮本は地面に膝をつき、両手を合わせて黙祷を捧げた。


-一体、犯人の目的は何だ。


 膝をついたまま考え始める。人目の付く場所に死体を捨てる意図、どういった人物をターゲットにしているのか。


 その時、宮本のスマホが小刻みに揺れ始めた。スマホの画面を見ると、草加警察署からだった。応答のボタンを押す。


『あの、突然すみません。少し、よろしいでしょうか』


「ああ?手短に言え」


 同じ部署にいる後輩からだった。宮本は語気を強める。事件のことを考えている時に、邪魔が入ったと思ったことでのイラつきだった。


『あの、事件のことを知っている方がいらしてまして』


「何?」


横田敏夫よこた としおさんという50代の男性なんですが、奥さんを探してほしいっていうんです。それに、俺たちを襲った犯人を捕まえてくれって』


 宮本は心臓に強い衝撃を感じた。イラつきが一瞬で消え失せた。


「分かった。すぐに戻る」


 宮本は通話を切り、後ろにいる四谷に呼び掛ける。


しゅん。今すぐ、署に戻るぞ」


「えっ、何かあったんですか」


「早速、被害者が現れた」


 宮本がそう言うと、四谷は目を大きく見開いた。


「事件の詳細を聞きに行くぞ。本当に関係者であればいいが」



 警察署の1階にある相談室で、宮本は向かいに座る男に問いかける。


「どうして奥様をお探しになっているのか、理由を教えていただけませんか」


 男は睨みつけるような視線を宮本に向ける。


恵子けいこは見つかったのか」


「いえ、


 敏夫は失望したように項垂れた《うなだれた》。


 宮本はこの男の話を聞いてから、今日見つかった死体について話そうと考えていた。


 身元特定はまだ終わっていない。しかし、この男の話を聞けば、今日見た2体の焼死体がすぐに分かるはずだ。この男が、


「あなた方が巻き込まれたという事件のことをお話いただけますか」


 宮本は本題を切り出した。すると、下に目を向けたままの敏夫がゆっくりと顔を上げた。


「もう2日前になる…」


* * *

 


 敏夫は、目の前の光景に視線を固定する。黄色い光が照らす、殺風景な部屋。木でできた3つの棺の前に立つ白い仮面をつけた何者。敏夫は恐怖を抱きながらも、何者かに問いかける。


「おい!実験ってなんだよ」


「まあまあ。まずは、こちらの写真をご覧ください」


 なだめるような優しい口調の後、何者かは上着のポケットから3枚の写真を取り出した。その中の一枚を、敏夫の前にかざした。


「この男は、自殺願望の強い男です」


「誠ちゃん?」


 敏夫は問いかけるようにつぶやいた。耳まで伸びた黒い髪で、小麦色に焼けた肌。笑みを浮かべている表情は、1カ月ほどに知り合った杉浦誠すぎうら まことに似ていると感じたのだ。


 しかし、違う箇所が何点か見られた。左目にある涙ぼくろ、右頬に残る火傷の跡は誠になかった。顔の特徴だけではない。あんなに前向きに生きている姿を見せてくれた誠が、死にたがりの男だなんて思えなかったのだ。


 世の中には、自分にそっくりな人が3人いるという話を聞いたことがある。自分のことではなかったが、知り合いで見ることになるとは思ってもみなかった。


「続いてはこの方です」


 何者かが2枚目の写真を取り出し、敏夫の目の前にかざした。その写真に写る人物を見て、敏夫に黒い感情が芽生える。


「こいつが、何の関係があるんだ」


海藤丈介かいとう じょうすけ。20年前の2001年4月30日、あなたの娘を殺害した元恋人ですよね」


 怒りを抱きながら、何者かの言葉にうなづく。


 もう二度と思い出したくない名前と顔。瞬間的に、20年間の記憶が蘇る。


 裁判所で見る度、殺したい気持ちを必死に抑えてきた。あの男がしたように腹と胸を何度も包丁で刺し続けてやりたいと思ったものの、裁判による公平な審判を期待した。しかし、毎日激しい感情に揺さぶられるのは辛かった。


 2年に及ぶ裁判所の判決は、懲役15年。死刑、それが無理なら無期懲役を望んでいた敏夫にとって、失望する結果だった。殺人罪にしては、比較的重い処罰だと弁護士が言っていたが、もうどうでもよかった。敏夫は考えることを止め、呪うような願いを込めた。


 “このまま自分の前に現れず、孤独のまま苦しんで死ぬように。”


 そう願ったのに、まさかこの場で再び見ることになるとは思わなかった。願いを叶えてくれなかった神に敏夫は怒りを抱いた。


「最後の方です」


 何者かが3枚目の写真を敏夫の前にかざした。写真に写る人物を見た途端、心臓に強い衝撃を感じた。


「恵子。なんで、妻が」


「実は、今お見せした写真の3名は、これらの棺の中に入っております」


 何者かの言葉を聞いて、敏夫は目の前にある3つの棺の方に視線を向ける。


「横田さん。私が開始の合図を出してから一分以内に、一つ選んでください」


「ああ?どういうことだ」


「選ばれた一名は助かります。しかし、選ばれなかった二名には死んでもらいます」


「ふざけんな!とっと解放しろ、このくそ野郎!」


 敏夫は大声で罵声を浴びせる。仮面の何者かは反応することなく、黒いズボンからフリント式のライターを取り出した。


「そいつでどうするってんだ」


 敏夫は呆れたように鼻で笑った。何者かがヤスリを親指で回転させ、火を起こす。そして、ライターを棺の一つに近づけていく。


「おい、嘘だろ」


 敏夫は、火が近づいている棺を見つめる。棺を包んでいる透明な膜。それは何かを考え、結論に至った瞬間、敏夫は大声で制した。何者かは火を消し、敏夫の方に向き直った。


「横田さん。あなたは妻を愛しているんですよね。20年前に娘を失ってから、ずっと一緒に人生を歩んできた妻への愛情はとてつもなく強くなっているはずだ」


「どういう意味だ」


「強い愛情があれば、こんな理不尽なことに巻き込まれても、奥さんを助けられるはずですよね。私にそれを見せてほしい。死にたがりの男なんか、娘を殺した男なんか選ばないはずです」


 何者かが顔を近づけてくる。仮面の目から覗く瞳と目が合い、敏夫はゾッとする。


「一分以内に選ばなかったら、あなたも含め、全員死んでもらいます」


 何者かが、黒いズボンからタイマーを取り出した。画面には“1:00”と表示されている。「スタート」のボタンに親指を添える。


「では、始めます」


「おい!ちょっと、待っ…」


 敏夫が制止するも、何者かはボタンは押した。画面に表示された時刻が一秒一秒と減っていく。


 “0:55”、すでに5秒が経過した。


-どの棺桶に、恵子がいるんだ。


 答えを探し求めるように、周囲を見渡す。しかし、そこには仮面をつけた不気味な人物だけ。こんな奴が教えるはずがない、敏夫は考え直してから3つの棺を見つめる。


 “0:49”、敏夫はとっさに浮かんだ数字の棺に視線を向ける。


 “3”と書かれた紙が貼ってある棺。直感で選んだ数字だが、まったく自信が持てなかった。


 正解なら良いものの、そうでなければ最愛の妻が死んでしまう。“3”という棺を選んだ結果、妻が死ぬという想像が勝手に浮かび上がり、敏夫は恐怖のあまり叫んだ。


「なあ!ヒントはねえのかよ」


 敏夫が視線を向けるも、何者かは何も答えない。


 さっきまで、あてにならないと見なしていた人物に助けを求めるなんて、愚かだと分かっている。でも、そうでもしないと気が狂いそうだった。


 “0:30”、敏夫は焦燥感が強まっていくのを感じた。


-1?2?3?どれなんだ、ちくしょう!


 敏夫は、3つの棺を左から右に見ていく行為を何度も繰り返す。何度繰り返すも、答えなんて浮かび上がらない。


 その時、ある疑問が頭に浮かんだ。


-恵子の好きな数字は。


 敏夫は、恵子と過ごした今までの記憶を必死に思い出す。いくつもの記憶を再生していると、ある記憶にたどり着いた。


-これでいいのか。でも、これ以外浮かばない。


 不安を抱きながらも、敏夫は何者かに向かって答えた。


「2番だ!その棺桶に恵子がいる」


 何者かがタイマーのボタンを押す。画面には“0:09”と表示されている。


「2番ですね。分かりました」


 何者かは、“2”の棺の前に立つ。


 “2”を選んだ理由は、恵子が20代の頃に交わした会話だった。


 “好きな数字かぁ。うーん、2かな。”


 “どうして。”


 “幸せを感じるのは、2だからかな。“2”って入るでしょ。”


 “はは、よく分かんねえな。”


 手を握ってくる恵子にそんな返事をした。その時はよく分からず、笑い飛ばすしかなかった。その時疑問に感じていたから、今日までずっと記憶に残り続けていたのかもしれない。


 何者かは、棺についている南京錠を開け、蓋を横にずらす。人一人分の大きさ程の蓋をゆっくりと持ち上げ、床に置く。


「頼む。恵子!」


 心の声がつい漏れ出てしまう。


「起き上がってください」


 何者かが中に納まっている人物に声をかける。心臓の鼓動が速まり、落ち着かなくなる。


「恵子!」


 敏夫は大きな声で、愛する者の名前を呼んだ。中から起き上がってきたのは、死にたがりの男だった。口にガムテープが貼られ、生気のない瞳が敏夫を見つめている。


「嘘だろ。待ってくれよぉ!!」


 敏夫は力いっぱい叫んだ。仮面の男は、“1”の棺に向かった。南京錠を開け、蓋を横にずらし、中を開けた。中からゆっくりと起き上がってきたのは、妻の恵子だった。


「最後の対面です」


 何者かが恵子の口に貼られたガムテープをゆっくりとはがした。


「恵子、恵子…」


 敏夫は妻の名前を連呼することしかできなかった。恵子は、歪められた表情に涙を浮かべながらも、笑顔を浮かべた。作られた笑顔は引きつっているように見える。


「あなたに会えて、本当に幸せでした」


-やめろ。そんなこと、今言わないでくれ。


 こんなシチュエーションで聞きたくない言葉だった。何者かが恵子を中に押し付け、床に置いた蓋を乗せる。


「頼む!やめてくれ!」

 敏夫は必死に懇願する。懇願するも、何者かは止めるそぶりを見せず、南京錠をかけた。


 何者かはズボンからライターを取り出し、火を起こす。ライターを“3”の棺に近づける。火が一瞬で大きくなり、棺全体を覆った。それから、何者かは“1”の棺に火を付けた。敏夫は短い悲鳴を上げた。


 火が全体を覆ってから、一分も経たないうちに、男と女の悲鳴が聞こえ始めた。


「うーん!!うううううううう!!」


「きゃああああ!」


 海藤の呻き声と恵子の叫びが部屋中に響き渡る。


「恵子ぉ!」


 敏夫は叫び続ける。喉に違和感が生じてきても、叫び続けた。


-恵子までいなくなったら、俺は。


 敏夫は心の中で、神に懇願する。しかし、棺を包む火は勢いを無くすどころか、どんどん強くなっていく。火が増していくにつれ、棺に閉じ込められた二人の悲鳴も強まっていく。


 次第に、二人の苦しむ声は聞こえなくなった。敏夫は、慟哭をあげ続けた。

 

* * *



「ここまでが事件の流れだ。気づいたら、家の前にいた」


 敏夫は話し終えたかのように、大きなため息を吐いた。そして、鼻を啜り始めた。


「ちくしょう。恵子、ごめんなぁ」


 敏夫が嗚咽を漏らし始める。宮本は敏夫に憐れみの感情を向ける。そんな感情を抱きながらも、敏夫の話に出てきた死にたがりの男について疑問を抱いていた。


-前回と違うのは、どうしてだ。


 松本太一による話だと、死にたがりの男の特徴は、焼けた肌に黒髪の短髪であるということ。それを聞いて、草加市内にある精神科のある病院の患者をくまなく探すことにしたが、まだ発見には至っていない。


 そこで、宮本はある考えに至った。人を攫うのに一人ではなかなか厳しいところがある。反撃にあう可能性もあるし、逃げられる可能性もある。さらに、被害者を地獄に落とした前科者も捕らえなくてはならないと考えると、生き残った人物に協力させていたのではと考えざるを得なかった。


 しかし、敏夫の話から死にたがりの男の特徴は、左目にほくろと右頬に火傷の跡があるという。松本の時とは違っているため、選ばれた者が協力者になるという考えは間違いではないかと思い始めた。それに、最初の件はどう説明すればいいのかも分からない。


 解決できないもどかしさを抱きながらも、宮本は気になっていたことを尋ねる。


「先ほど、あなたはその男が知り合いにそっくりだったとおっしゃいましたが、その知り合いの名前は」


「杉浦誠だ」


「えっ」


 宮本の隣でメモを取っていた四谷が顔を上げた。大きな驚きを示すように、目を大きく見開き、口を半開きにしている四谷の表情を見て、宮本も同じ感情を抱いた。


-なんで、


「そうだ、誠ちゃんは見つかったのか。あいつも俺たちとともに襲われたんだ」


「なんですって!?」


 宮本は思わず大きな声を上げた。その瞬間、頭の中で忌々しい事件の記憶が蘇ってきた。

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