第5話 「捕縛」
「
白い割烹着を着た妻の
「待ってました!いただきます」
茶色いテーブルに座る
「うん!やっぱ美味いなぁ。どうやったらこんなに美味いラーメン作れるんですか」
「そりゃ、30年もやってきてんだ」
「朝早くからな、ダシを作ってな。ダシには魚はもちろん、俺が惚れ込んだ醤油をわ
ざわざ他県から…」
「また、始まった」
恵子が呆れたようにため息を吐いた。誠が声を上げて笑っている。そんな2人の姿を見て、敏夫は微笑ましくなった。
1か月前に初めて来てから、誠は週に3回ほど来てくれる常連になった。味が好みだということと、店の雰囲気にほれ込んだのだという。昭和の時代によく見られた中華店のレトロな外観にほれ込むとは理解しがたいが、敏夫は嬉しかった。
最初に抱いた印象は、体格のいい青年、ただそれだけだった。しかし、いつからか、ただの他人には思えなくなった。
何度も来る度に、自分が作った料理をおいしそうに食べる姿、感想を言ってくれる彼に良い印象を抱き始めたのだ。
それもあったが、やはり自分たちと同じ境遇に立たされた身というのが大きいのかも知れない。
店に来てくれるようになって二週間が経った頃だった。敏夫がずっと気になっていたことを尋ねた。
「誠ちゃん。なんでこんなくそ暑いのに、長袖なんて着てるんだ。もう7月の中旬だぞ」
「あっ、これは」
餃子を頬張っていた誠が箸を止めた。誠が暗い表情を浮かべたのを見て、敏夫は聞いてはいけなかったのではと心の中で悔いた。
誠が右腕の袖をまくり始める。露わになった右腕には、全体を覆いように残ったやけどの跡があった。だいぶ時間が経っているのだろうか、そこの部分が茶色くなっている。
「そいつは、どうしたんだ」
敏夫は思わず息を飲んだ。誠のテーブルの近くにいた恵子も同じような反応を示した。
「小さい頃、放火に遭って、その時にできたものです」
「放火?」
「ええ。その時に、両親を亡くしました」
よどみなく話す誠に対し、敏夫は憐れみの感情を抱き始めた。
「つらい思いをしたんだな。実は、俺たちも大切な人を失くしてるんだ」
「えっ」
自分でも、なぜ話し始めたのかが分からない。敏夫は複雑な心境のまま、話を再開した。
「誠ちゃんは知らないかもしれないが、20年前に俺たちの娘が殺されたんだ」
「そうなんですか」
誠は目を大きく見開いている。敏夫は恵子の方を向く。苦しそうに顔の表情を歪めている。
「当時、付き合ってた男がいたんだが、束縛が激しくてたった1カ月で別れちまった。それから、別の男と結婚することになったんだ。でもな、ある日急に別れた男が刃物を持って、うちに来たのさ。それで...」
途中でつっかえてしまう。話慣れていないというのもあるかもしれないが、辛い過去を話すと、その時の惨劇が頭の中で勝手に再生されてしまう。
白い割烹着が、刺された腹から赤く染め上げていく。悲鳴を上げながら助けを呼ぶ娘の姿。
勝手に過去の映像が再生される、そんな現象が制止を働きかけてくる。
恵子のすすり泣く声が聞こえてくる。それでも、話を止められなかった。目から涙が出てくる。
「実はな、ここで店を始めたのはまだ2年くらいなんだ。前は東京だったんだけど、事件があってからは料理店を閉じちまった」
「どうして、また始めようと思ったんですか」
「娘を殺された悲しみはずっと消えない。でもな、いつまでも悲しんでいるようじゃしょうがねぇって思うようになったのさ。それに、ずっとやってきたことをドブに捨てるようなことはしちゃいけないと思った。店に来てくれる客と話したりするのが好きだしな」
「両親を亡くしてからずっと、心の中が空っぽな気分でした。何をするにしても気力が湧かないし、ずっといなくなった両親のことを追いかけてました。でも、それではだめだと、思い直すようにしたんです」
そう語る誠は笑顔を浮かべている。
「俺たち、似たもの同士だな」
「ここで会えたのは、きっと運命ですよ」
敏夫は大きな声を上げて笑った。先ほどまで涙を浮かべていた恵子も笑っている。
「運命か。確かに、自分と同じ境遇にいて前向きなやつを見ると、勇気づけられるな」
「それって、僕のことですか」
「お前以外誰がいるんだよ。ほら、早く食え。冷めちまうだろ」
敏夫は誠の肩を叩いた。誠は再び箸をとり、皿に残った餃子を食べ始めた。
_________
「ごちそうさまでした」
誠が箸を置き、両手を合わせる。
「どうだ、美味かったか」
「はい!」
誠は笑顔で答えた。やはりこの顔を見ると元気が出る、そんなことを思いながら敏夫は微笑んだ。
「敏夫さん。ところで、恵子さんのこと愛してますか」
「あっ?何だよ、いきなり」
誠からの変な質問に、敏夫は一瞬怯んだ。
「結婚するってどんな感じなんだろうって思いまして。実は、交際している彼女がいまして」
「あら、そうなの?」
恵子が興味を示し始めた。敏夫は質問に答えようとするも、恥ずかしい気持ちが邪魔して、言い出しづらかった。しかし、恵子の敏夫に向けられた視線に気づき、覚悟を決めた。
「そりゃ、もちろん。愛してるよ」
「あら、私もですよ」
満面の笑みを浮かべる恵子を見て、さらに恥ずかしくなった。
その時、店のドアが開かれた。全身黒づくめで、顔に白い仮面をつけた人が立っている。明らかに不審な人物、そう思った瞬間に何者かが敏夫に駆け寄った。
反応できないで立ったままでいると、全身に激しい痛みが襲ってきた。
「ギッ!ギギギギギギ」
痛みを感じながら、悲鳴を上げ始める。今までに出したことのない声。そのまま、受け身をとれずに地面に倒れた。
「敏夫さん!誰だ、あんたは」
誠の叫ぶ声が聞こえる。
「け...いこ、まこ..と、にげ…」
声を必死に絞り出すも、掠れてしまう。そして、徐々に視界が真っ暗に染まっていった。
__________
―首が痛ぇな。
敏夫は、首の痛みで目を覚ます。同じ体勢をとったまま、しばらく動かしていない時に感じ始める違和感に近かった。
―座ったまま、寝てたのか。
敏夫は、徐々に鮮明になっていく視界で目の前を見つめる。そんな視界の中で奇妙な光景を捉えた。
木でできた3つの棺。それぞれには南京錠が付けられ、左から順番にに“1”、“2”、“3”と白い紙が貼られている。3つの棺に透明な何かを塗ったのだろうか、ツヤがあるように見える。
「なんだよ、これ」
思わず身体が強ばる。その時、気づいてから恐怖の感情が芽生え始める。自身の腹回りと両足にロープが巻かれている。身体を動かすたびに、締め付けられる圧迫感と少しの痛みに襲われる。
-まさか、監禁?
なんとかしなくては、そう思い立って手を動かそうとする。しかし、ほとんど動くことがなかった。後ろに回っている両手も縛られていた。動かすたびに、痛みと圧迫感に襲われる。
「くそっ!どうなってんだ」
敏夫は大きく舌打ちをした。辺りを見渡すと、家具も何もない殺風景な部屋で寂しい印象を抱くことだけが分かった。上から照らす豆電球が、室内を黄色く照らしている。
その時、後ろからドアの開く音が聞こえた。バタンと閉まる音が聞こえた後、靴音が聞こえ始める。靴音の一つ一つがやけに響いて聞こえる。
靴音が自分に近づいてくる。顔が自然と左を向く。そこには、黒いパーカーを着て、白い仮面を付けた男が立っていた。敏夫は息を飲んだ。
「あんた、さっきの」
敏夫は唇を震わせながら尋ねた。襲われた時のことを思い出し、さらに質問を重ねる。
「恵子と誠ちゃんはどうした!?答えろ!」
敏夫が尋ねるが、仮面をつけた何者かは何も答えなかった。そのまま進み、3つの棺桶の前で止まった。
「はじめまして、横田敏夫さん。私はある実験をしたくて、あなたをここに連れてきました」
「実験?」
敏夫は聞き返す。“実験”、その言葉は敏夫にとって不気味に感じられた。
-俺は一体、何をされるんだ。
* * *
8月1日。午後22時過ぎ、
宮本はズボンのポケットから鍵を取り出し、ドアに差し込む。鍵を左に回し、ドアノブを下に引いて開けると、オレンジ色の光が漏れ出てきた。
「ただいま」
「おかえりなさい」
ドアを開けると、妻の
「お疲れ様。3日ぶりかしら」
久々に見た妻の顔を見つめる。切れ長の目に、まっすぐ通った鼻筋。期間を開けて会うたびに、顔をじっと見つめてしまう。久しぶりに会った愛する人の顔をよく覚えておきたい、そんな心理が働くせいだろうか。
その時、宮本はある変化に気づいた。
「髪型変えたのか?」
「えっ、まあね」
愛子は照れくさそうに顔を下に向けた。顎までの長さである黒髪にはパーマが掛かっている。
変化があったのは今回だけではなかった。5月下旬のこと、背中まで伸びていた髪が顎先までの長さに変わっていたのだ。急な変化に宮本は驚いた。
「女はいつまでも綺麗でいたいの」
そういう愛子の言葉に、宮本は理解できないものの納得する素振りを見せた。
宮本は、今回の変化も愛子のそういった願望のためだと思いながら、彼女を見つめる。
「どうしたの」
「いや、なんでもない。綺麗だな」
宮本が正直な気持ちを告げると、愛子はまた照れくさそうに笑った。
愛子に出会ったのは20年も前になる。まだ交番勤務だった頃、スリにあった愛子を助けたことがきっかけだった。大学生であった彼女と、そこから何度か会うようになり、交友を深めていった。
結婚してから、15年経っているが子どもはいない。欲しいと思ったことはあったが、あきらめることにした。宮本の精巣に問題があった。宮本は不妊治療をすることを考え、何度か通い続けた。忙しく駆け回る日々の中で、金をつぎ込んできたが、2年経っても変わることはなかった。
良い結果が見えないたびに、愛子と口論するのはもう嫌だった。愛子はそれでもあきらめないつもりだったが、宮本が泣いているのを見て考えを変えてくれたようだった。
子宝には恵まれなかったが、妻に恵まれたと思っている。自分がつらい時、そばにいて慰めてくれる愛子には感謝している。特に、20年前の時のことは忘れない。尊敬していた先輩が死んだ日のこと。その後の死んだように無気力に生きていた数日間。その間、彼女には何度助けられたことか。
宮本は、目の前に立つ愛子を抱きしめる。愛子の両腕が宮本の腰に回ったのを感じた。
風呂に入り、寝間着に着替えてからベッドで横になる。横になりながら、事件のことを考える。
-犯人の目的は、一体何なのか。
人目に付く場所に遺体を捨て、焼き殺すという手段を選んだのはどうしてか。焼か
れる人間を見て、興奮する。そして、遺体を世間の目にさらして、反応を見て楽しんでいるのだろうか。しかし、今推測した理由は違うと考えた。松本太一から聞いたある言葉を思い出したからだ。
「“愛情があれば、こんな理不尽な目に遭っても助けられる”、か」
宮本はその言葉をつぶやく。つぶやいたものの、一体どんな意味があるのか、まったく分からなかった。しかし、一つだけ分かっていることはある。
-こいつは、野放しにしてはいけない。
危険な思考を持つ快楽殺人犯を早く捕まえなくては、その考えが毎日付きまとう。眠気が襲ってきた。捜査に奔走していて溜まっていた疲れが、ドッと来たせいだろう。宮本はそのまま、瞳を閉じた。
宮本は目を覚ました。左を向くと、愛子が寝息を立てている。ベッドのそばにある棚の上のスマホを見る。画面には“7:02”と表示されている。それと同時に、
「
留守番が入っていたのは30分前だった。何かあったことは間違いない、宮本は留守番を再生するボタンを押し、左耳にスマホを当てる。
『宮本さん、朝早くからすみません。また新たな焼死体が二体発見されました。これを聞いたら大至急、警察署にいらしてください』
留守番の再生が終わった。たった20秒の留守番。しかし、それを聞いて宮本は、スマホを握る手に力を込め続けた。
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