第4話 「獲物」
2021年8月1日。
1週間前の7月25日、この事件の捜査会議が開かれることになった。捜査には何人かの刑事が加わることになり、宮本は事件の詳細を話した。話を聞いていたみんなの表情に笑みなど一切なく、獲物を探すような鋭い目つきをしていた。目の前にいる刑事たちは、悪人を早く捕まえなくてならない、そんな使命感に駆られているのだろう。
会議室を満たす緊張をはらんだ空気の中で、この事件がいかに残虐な事件であり、いち早く解決しなくてならないのだと宮本は感じた。
宮本はその場で、今後の捜査方針について意見を出した。
__________
会議から1週間後の今日。2回目となる今回は、捜査報告をすることが中心になっている。
「では早速、捜査状況を報告してくれ」
低くて野太い声が室内に響く。捜査の指揮を担当する
村野の言葉を受け、一人の刑事が立ち上がった。
「宮本警部が聞き出した、松本太一さんが攫われた時の周辺の聞き込みを行いました。
「その地域に監視カメラはなかったのか」
「残念ながら」
知らせを聞いた村野は大きくため息を吐いた。報告した七三分けの刑事は、申し訳なさそうにゆっくりと腰を下ろした。
「じゃあ、次。交友関係について」
村野が尋ねると、別の刑事が立ち上がった。
「松本太一の交友関係についてですが、怪しい人物は見当たりませんでした。友人はもちろん、職場での関係も良好であり、近所トラブルも今まで一度もありませんでした」
「周りからの評判はどうだったんだ」
「人当たりがよかったそうです。なんでも、困ったときにはなんでも手助けしてくれるような人だったと。職場の人と近所の両方から聞いたことです」
「そうか。親族の方は」
報告している刑事の隣に座る男が立ち上がった。隣の刑事の部下だろうか、まだ20代くらいの男だった。
「そのことですが、彼に兄弟はおらず、彼の父は亡くなっています。彼が高校生の時に、病死しています。母の方は存命ですが、現在は認知症で介護ホームにいます」
「そうか。ごくろう」
村野はまた、大きなため息を吐いた。報告した坊主頭の刑事と部下が座った直後、会議室内に静寂が訪れた。
「なら、娘の方はどうだ」
「はい」
宮本は大きな声で返事をし、立ち上がった。
「娘の友人から、犯人と思しき人物と接触していたとの情報を得ました」
「本当か」
村野が前のめりになる。宮本は、愛実と交友が深い友人に会って話を聞いたときのことを頭の中で再生する。
「3日前のことです」
__________
3日前の7月29日。宮本と四谷は、閑静な住宅街にある一戸建ての前に来ていた。表札には“
愛実の交友関係を調べるにあたり、宮本はまず付き合いが長い友人から聞くことに決めていた。付き合いが長い友人の方が相談しやすいのではないかと考えたのだ。家族に迷惑をかけたくない、そんな気持ちがあるとき、付き合いが長い友人に相談したくなるのではないか。宮本自身もそんな考えを持っていたから思いついたことであったが、四谷もそんな感じだと答え、この方針を執ることにした。
四谷がインターフォンを押す。数秒して、女性の応答する声が聞こえた。
「突然すみません。草加警察署の者です。お母様でいらっしゃいますか」
「はい、そうですが」
「突然すみません。
「遥が何か悪いことでもしたんですか!?」
母親の短い悲鳴が聞こえた。
「いえ、ある事件がありましてね。松本愛実という女の子は知ってますか」
「ああ、愛実ちゃん!あの子がどうしたんですか」
「1週間前、彼女が何者かに殺害されました」
宮本がそう告げると、母親の絶句したような声が聞こえた。
「愛実ちゃんが?どうして」
知らなくて当然だ、宮本はそう思った。事件があったことはすでにマスコミに発表していたが、誰が殺されたのかは発表していなかったからだ。犯人も分かっていないのに、黒焦げになるまで焼かれた人物が誰か分かれば、遺族にマスコミが殺到し、捜査に支障が出る。上層部はそう考えたのだ。
「彼女に怪しい人物がいなかったか、友人の方に聞いて回ってるんです」
「そうですか。どうぞ、中に入ってください」
許可を出す母親の言葉は、弱弱しかった。
数秒経ってから、母親と思しき中年の女性が玄関から出てきた。宮本たちは会釈ををし、中沢家に上がり込む。
母親の案内でリビングに通されると、テーブルに一人の少女が座っていた。
「娘の遥です」
母親の声で、こちらに気づいたようだ。遥が立ち上がり、会釈をした。宮本たちもそれに倣う。
「突然押しかけてすみません」
「いえ。私に聞きたいこととは」
「1週間程前、あなたのご友人だった松本愛実が遺体で発見されました」
「さっき、母から聞きました。1週間程前から急に学校に来なくなって、おかしいなって思ってたんですが、まさか...そんなことに」
宮本の言葉を受け、遥の表情が曇り始める。
「我々は、愛実さんの周りに怪しい人物がいなかったのか、ご友人から聞いて回ってるんです。確か、あなたは幼稚園の時からの付き合いですよね」
「はい、高校までずっと一緒です。高校では、一緒のクラスではなかったんですが」
遥は涙声混じりに答えた。顔を両手で覆い隠した。そんな娘を見て、母親が駆け付け、肩を寄せ合う。
宮本は四谷の悲しそうな表情を見つめる。遥の母親も四谷と同じ表情をしていた。今日聞くのは厳しそうか、そう思った時だった。
「思い出したことがあるんです」
「なんですか、それは」
「お役に立てるのかどうか、分かりませんが」
「どんなことでもいいです」
遥は宮本の目を見て、頷いた。眼球は赤みがあり、涙が出ているが、それでも話してくれるようだった。
「とりあえず、お座りください」
遥の勧めで、宮本と四谷はテーブル席に腰を下ろす。母親はやかんを取り出し、湯を沸かし始める。
「すみません、これから用意します」
「お気遣いありがとうございます」
宮本と四谷は礼を言う。四谷はズボンのポケットから黒い手帳を取り出し、右手にペンを構える。
「昔っから、明るい子で人気者だったんです。運動もできたし、頭も良くって、正直幼稚園からの幼なじみとしてはうらやましい存在でした」
「そうですか」
「でも、毎年の6月になると、いつもとは違う彼女になるんです」
“6月”と聞いて、宮本は頭の中に浮かんだことを尋ねた。
「彼女の母親がひき逃げされた月だからでしょうか」
「はい、そうです。毎年、この月になると、犯人のことが憎くて、殺してしまいたくなる。頭がおかしくなりそうになるって、中学1年の時から相談を受けていました。一緒に病院に行って、薬をもらっていました。学校に行ける状態じゃないと言う時は、私が先生に適当な嘘をついていました」
遥が話していると、母親がこちらに振り返った。その時、やかんの笛から音が発せられた。大きな音は、ひどく驚いている母親の心の声のように聞こえた。黙っていたことへの怒りなのかは分からない。
「でも、その月を過ぎるといつもの彼女に戻るんです」
「毎年6月だけ、いつもと違う彼女になるということですか」
遥は静かに頷いた。四谷は宮本と遥のやりとりをメモする。
「お茶が用意できました」
「ありがとうございます」
母親が宮本と四谷の前に茶を出す。四谷は何度も息を吹きながら、茶を口に含む。宮本は茶に手をつけることなく、遥に視線を固定する。
「どうして、お父様には黙っていたんでしょうか」
「お父さんには相談しづらいって言ってました。私以上に、母さんのことを知っていて、ずっと悲しんでいるはずだからって。私がそんなこと言ったら、もっと悲しむんじゃないかって」
「そうですか」
「でも、今年の6月は違いました。下旬辺りから元気な彼女に戻っていたんです」
「どういうことですか」
「私の痛みを分かってくれる人に出会えた、そう言ってました」
その言葉を聞いて、宮本はある質問をぶつけた。
「その人は、男でしたか」
「はい。最初は、良いお医者さんにでも出会えたんだと思ったんですが、そうじゃなかったみたいです」
「どうしてですか」
「恋愛話をしているようなテンションで話していたんです。どうやって仲良くなろうかとか、好きな食べ物は何かなって。どんな人なのって聞いても、教えてくれませんでした。でも、ある日偶然見かけたんです。愛実と話に出ていた男が駅前を歩いてい
たのを」
「それは、いつのことですか」
「7月の中旬辺りだったと思います」
“7月の中旬辺り”、事件の1週間前程になる。宮本は質問を重ねる。
「どの辺りだったのか、具体的に教えてもらえませんか」
遥は目を閉じ、頭に手を置いた。必死に思い出そうとしているようだ。
「
「どんな男でしたか」
「顔はマスクしていたせいで見られませんでした。髪は黒くて、短かったです。スタイルが良かったのが印象的でした。背が高いし、肩幅が広く、身体は引き締まっていましたから」
宮本は四谷の方を向く。互いに頷きあう。
-こいつが犯人の可能性が高い。
松本太一が言っていた犯人の特徴に合致している。それに、新たな情報も得られた。宮本は犯人の足跡に一歩近づいたと実感した。
_________
「以上の話を聞いて、7月中旬辺りに駐輪場の近くにあった防犯カメラを調べました」
「それで、どうだったんだ」
「7月16日に松本愛実とその男が一緒に歩いているのを捉えていました」
宮本がそう言うと、辺りが騒然とし始めた。
「接触していたということで間違いないな」
村野の言葉に、宮本は返事をする。
「その男がここ最近、駅周辺の防犯カメラに写っていたのか徹底的に調べるぞ」
村野の提案にみんなが大きな声で返事をした。宮本は席に腰を下ろした。
「じゃあ、最後に。事件で生き残った男の足取りは」
「はい、私から報告させていただきます」
小太りな男が立ち上がった。
「草加市にある精神科のクリニック3つの患者記録を見ましたが、焼けた肌で短髪の男は見られませんでした」
「やはり、これは相当時間がかかりそうだな。それに、名前もわからないんじゃあなあ。でも、いつかは見つけられるかも知れない。引き続き、捜査を続行してくれ」
村野が席を立った。
「今日はここで解散とする。ごくろうさん」
みんなが席を立ち、会釈をした。
会議が終わったと同時に、何人かの刑事が席を立ち、出口に向かう。宮本たちは席を立つことなく、座ったままでいる。
「この後、どうします」
「そうだな、聞き込みって言ってもこんな時間だしな」
窓の向こうを見る。午後9時を過ぎた外は、すでに真っ暗だった。
「だったら、奥さんのところに戻った方がいいんじゃないですか」
四谷が背伸びをしながら言った。
「そうだな。しばらく帰ってなかったな」
「愛する奥さんが寂しがってますよー」
からかうように言う四谷の頭を宮本は小突いた。
-久しぶりに会いてぇな。
* * *
「ここでいいんだよな」
目の前にあるのは、『横田中華店』という赤い暖簾が下がっている店。近くに会社や工場が立ち並んでいるが、すでに夜であるために人気がほとんどない。
誠はガラス張りのドアを横に引く。引いていくの同時に、ガラガラと音が出る。
「いらっしゃいませ!」
「いらっしゃいませー」
奥から快活な女性の声が聞こえてきた。その直後に、語尾が間延びした男性の声が
聞こえてきた。
誠は店内を見渡す。白い蛍光灯で照らされた店内には2組の客だけで、あとの席は空いていた。どの席に座ろうか、視線を左右に動かしていると、割烹着を来た女性がやってきた。
「1名様ですか」
「はい」
杉浦は笑顔で返す。笑顔を張り付かせたまま、頭の中で何度も見た写真の人物を思い浮かべる。
―間違いない。この人が、
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