第3話 「生存者」

 昨日の7月22日、二体の死体の身元が判明した。一人は中本通なかもと とおるという男。この男のことはすぐに分かった。過去に犯罪を犯した人物をまとめたデータの中にいたからだ。


 10年前、一人の女性をひき逃げし死なせた。飲酒運転をしていたということもあって、懲役7年という重い刑罰が下った。そして、今年の2021年6月に出所したばかりだった。


 もう一人の身元が分かった時、宮本は驚いた。松本愛実まつもと まなみという、まだ成人もしていない16歳の少女だったということもある。しかし、彼女ががなによりも驚きだった。


 共通点がある二人が一つの事件の被害者となった。偶然なのか、宮本は不思議な気持ちだった。


 宮本みやもと四谷よつやは早速、松本愛実の父である太一たいちに連絡を取ろうとした。自宅の固定電話にかけたものの応答することはなかった。携帯電話にもかけたものの、こちらも応答することはなかった。


 連絡する術がなく、困っていたところに一本の電話が来た。草加市にある総合病院で救急外来で働く藤井隆太ふじい りゅうたという男からだった。 


 2日前の7月21日、ある男性が藤井が勤める病院に搬送されたのだという。藤井は男性の状態を見て、違和感を覚えた。両手首と両足からは血が流れており、うっ血もしていたが、。それなら、内側に問題があるのではと思ったが、問題はなかった。


 男性が目を覚ましたのは、病院に搬送されてから6時間後のことだった。すでに朝の7時を迎えていた。


 気が付いた男性に、藤井は診察をしようとした時だった。男性の顔が苦悶の表情に変わり、大きく口を開いた。口を開いた途端、男性は誰かの名前を叫び始めた。叫びながら暴れる男性を何人かの看護師が押さえ続けていると、急にこと切れたように静かになった。


 男性の様子を見て、藤井は訝しんだ。搬送された時の状態と今の状態から、何らかの犯罪に巻き込まれたのではないか。こうして、藤井は草加警察署へ電話をしたのだった。


__________



 7月23日の午後1時。宮本と四谷は、藤井が勤める病院へ向かった。玄関を抜けると、広いホールにいくつかあるソファーの一つに白衣を着た男性が座っているのが見えた。一人だけ白衣を着ているものだから、目立って見える。


「初めまして。草加警察署の宮本と申します」


「私は四谷と申します」


 宮本と四谷は警察手帳を見せながら、自己紹介をする。ソファーから立ち上がった男性は頭を低く下げる。


「初めまして。藤井といいます。救急外来で働いてます」


 頭にパーマを当て、黒縁の丸眼鏡をかけた藤井が挨拶をする。年齢は30代前半と聞いていたが、40代くらいに見えた。白髪まみれの頭、うっすらと見えるクマから、毎日激務に追われているせいだろうと勝手な想像で宮本は結論付けた。


「では、あなたがお話しなさった“松本太一”さんの元へと案内してくれますか」


 宮本がそう言うと、藤井は二人の前に出て、案内を始める。


 広いホールの奥に進んでいくと、エレベータ―が見えた。3つあるエレベーターのそれぞれには3、4人の列ができている。宮本たちは真ん中のエレベーターの列に並ぶ。


「あなたが彼を“松本太一”だと知ったのは、ズボンに入ってた財布の中の運転免許証からでしたよね」


「はい。そうです」


 宮本は通報にあった話を確認するように尋ねた。続いて、松本の現在の状況を尋ねる。


「彼は今、どんな感じですか」


「ずっとうわの空っていう状態です。何を聞いても返事はないし、食事なんかもまったく食べなくて。今は点滴にしてますが」


「そうですか」


「きっとショックを受けるようなことがあったんでしょう」


「それは、外傷や目を覚ました後の状態を見ての判断ですか」


 藤井は頷いた。


「他に何か気づいたことは」


「診察に行くと、たまに“マナミ”ってつぶやくんですよ」


 それを聞いた宮本は、後ろにいる四谷の方を向く。四谷はこくりと頷いた。


「その人がどうしたんですかって聞くんですけど、何も答えないんです。きっと大切な人なんでしょうね。奥さんなのかな」


 藤井が推測を述べるとエレベーターが到着した。前に待っていた人と中に乗り込むと、藤井が4階のボタンを押す。静かに閉まったエレベーターの中で宮本は、心の中で藤井に返事をする。


―殺された娘さんだよ。


 

「松本太一さんでいらっしゃいますか」


 宮本は目の前の男に話しかける。ベッドに横たわったままの男は、ベッド脇の椅子に座る宮本と四谷に見向きもしない。真上の天井に目線を固定したままだ。


「あの、宮本さん。これじゃあ…」


 隣に座る四谷が心配そうな声で話しかける。


 宮本は、四谷の言いたいことが分かっていた。こんな状態の人に、一番聞きたくないことを言ったらどうなってしまうのかを。しかし、言わなくてはいけない。遺族がどんなに悲しむことになろうが、いつかは知らなくてはいけない。真実を知らないで死ぬ方がつらいはずだ。宮本はゆっくりと深呼吸をした。


「松本さん。あなたの娘が遺体で発見されました」


 そう告げると、ベッドの向かいに立っている藤井が大きく見開いた目を宮本たちに向ける。宮本は一瞥し、松本の方に視線を移すと、変化を見て取った。松本の目が大きく見開いて、口が少し開いている。


「場所は」


 ゆっくりと絞り出された声に宮本は返事をする。


「草加市にある、そうか公園です」


 松本の目から涙が出てきて、両手で顔を覆い隠した。


「そんなところにいたのか」


 覆い隠された両腕の隙間からすすり泣く声が聞こえる。次第に嗚咽を漏らし始める。


 隣の四谷は悲しげな表情を浮かべている。四谷にも分かるのだろう。


 宮本がベッド脇にあるティッシュ箱を差し出すと、松本は一枚取って鼻をかんだ。鼻をかみ、もう一枚のティッシュを取って涙を拭いた。宮本は、松本の枕の傍に置いた。


「私たちに何があったのか、お話します」


 松本の言葉を受け、宮本は四谷に目配せをする。四谷は慌てて、ズボンのポケットから手帳を取り出し、ペンを構える。向かいで佇む藤井が声を宮本たちに声をかける。 


「あの、私はこの辺で失礼します」


「藤井さん。ここまでありがとうございました」


 宮本は立ち上がり、頭を下げる。四谷もそれに倣う。藤井が部屋を出て、扉が閉まったのを見て、宮本たちはもう一度座る。


「それはつまり、あなたが事件に関係している、そう捉えていいんですね」


 宮本が尋ねると、松本はゆっくりと頷いた。松本の手が震えているのが見て取れる。


「信じてもらえるか分かりませんが」


 松本はそう前置きをした。そして、ゆっくりと深呼吸をした。


「目が覚めたら、目の前に3つの棺があったんです。それぞれに南京錠が付いていて、“1”、“2”、“3”って番号が書かれた紙が貼ってあって、とても奇妙でした」


 松本から語られる内容に、宮本は内心呆れていた。隣の四谷も首をかしげている。


 急におかしな話をするなんて、残酷なことを言われたばかりで、精神状態がまいっているに違いない。そう思いながらも、黙って聞き続けることにする。


「そこに仮面をつけた男がやってきて、こう言ったんです。『今から、一分以内に一つ選べ』と」


「選べ?どういうことですか」


 宮本が間を挟む。


「選んだ一人は助かる。でも、選ばれなかった二人は焼け死ぬことになる、と」


「合計3人ということですが、それは誰でしたか」


「一人は自殺願望の強いという知らない男で、もう一人は中本通。そして、娘の愛実でした」


 宮本は驚いた。二人の被害者の名前が、松本が語る体験の中で出てきたからだ。先ほどまでは、頭がおかしくなったがゆえに作り上げた話だと思っていた。しかし、この時から、松本の話に信ぴょう性があると考え始めた。


「それで私は、知らない男を選んでしまったんです。娘は燃え盛る火の中、ずっと叫んでいました。『熱い、助けて』って」


 松本の瞳からまた涙が出てきた。


「あの仮面の男が言ったように、なんです」


「どういう意味ですか。犯人がそう言ったんですか」


 宮本は疑問を呈する。


「『娘に対する愛情が強ければ、こんな理不尽な目にあっても助けられますよね』、そう言ったんです」


 松本はため息をついた。枕のそばにあるティッシュを取り出し、もう一度目を拭いた。


 ここまで話を聞いていて、宮本は驚いていた。


―まさか、被害者の父親まで関係していたなんて。


 こんなに早く、事件の詳細が分かるなんて思いもしなかった。驚きながらも、宮本は質問を始めることにする。


「ここまで話してくれてありがとうございます。あなたにいくつか聞きたいことがあります。よろしいですか」


「はい」


「あなたがなぜ病院にいるのか、分かりますか」


「いいえ。娘の死のショックで気を失って、気が付いたら病院にいました」


「そうですか。では、事件に巻き込まれる直前、あなたは何をしていましたか」


「仕事から家に帰ってる途中でした。あっ、そうだ」

 

 松本は何か思い出したようだった。


「途中で、急に後ろから何者かに襲われたんです。首を絞められて、それで意識がなくなって」


「その場で急に襲われたということですね。どのあたりだったか、覚えてますか」


「確か、タカノさん家の近くを通りかかった時でした」


「タカノさん?」


「はい。タカノの“ノ”は野原の野じゃない方なんです。木が2つあって、下に土って

書く漢字で、見たことのない字だったからよく覚えているんです」


「すみませんが、書いてもらえますか」

 

 メモを取っていた四谷がメモ帳とペンを差し出す。松本に書いてもらい、宮本たちはその名前を見る。


「これで、“高埜”。確かに見たことがない」


「それも特徴的だったんですが、屋敷のように大きな家なんです。家までの道しるべにしたりしてね」


 松本が言ったことを四谷が書き加えていく。宮本は別の質問をする。


「職場はどちらですか」


「北千住です。外国語を学ぶ専門学校で事務員をしているんです」


「なるほど。では、あなたの周辺で怪しい男はいませんでしたか。それか、恨まれるようなことをした男性は」


「いません。ていうか、なんですか」


 松本が疑問を呈する。


「あなたは犯人らしき仮面をかぶった人物を男だと言ったからです」


「ああ、そういうことですか。背が高かったし、肩幅も広くて体格がよかったんです。それに声も低かったからです。あんなに体格の良い男なんか知り合いにいませんよ」


「身長はどれくらいでしたか」


「すみません、そこまでは」


「そうですか。では、娘さんのほうはどうですか。最近、男性のことで困っていたとか」


「いや。そういった話は聞きませんでした」


 宮本は黙ってうなづいた。そして、最後の質問をする。


「あなたが選んだ男はどこにいるか、分かりますか」


「分かりません。犯人は結局、彼をどうしたんでしょうかね。どこかで生きているのか、死んでいるんじゃないでしょうか」


「どうしてそう思うんです」


でしょう。別の場所で自殺しているか、口封じでもされたんじゃないか、そう思っただけです」


「でも犯人は、選ばれた一人は生かすと言っていたように思いますが」


「どうでもいいです。あんな男が生きていようが、死んでいようが」


「そうですか。その男性の特徴はどうでしたか」


「短髪で、少し焼けた肌としか分かりません」


「分かりました。ありがとうございます」


 宮本は小さく頭を下げた。四谷はペンを走らせ続ける。


 ここまで聞いて今後どうするか、頭の中で考えをまとめる。今の話で得た情報を生整理し、やることが3つ浮かんだ。


 松本が攫われたという場所で目撃情報があったのかを確かめること。高埜という大きな家の周辺に集中して、聞き込みをする。


 松本と娘の交友関係から、怪しい人物がいなかったか確かめること。


 そして、松本が選んだという人物を探すこと。松本の話から、その男は自殺願望が強いと聞いたことから精神科を受診している可能性があると見た。精神科に受診歴のある人物を病院やクリニックと、一つ一つ調べていくことを考えた。しかし、それはとてつもなく時間がかかる作業だと想像できた。一つの町にどれだけあるか分からないし、そもそも通院していない可能性もある。それでも、宮本は草加市内から探していくことを決めた。その男の顔の特徴も得ている。


 宮本は四谷に目配せをする。四谷がメモ帳を閉じる。


「では、このへんで失礼します」


「あの!」


 宮本たちが席を立った時、松本が宮本の右手を掴んだ。  


「お願いします!犯人を絶対に捕まえてください」

 手に強い圧力を感じる。この力強さから、怒りと悔しさを感じた。それと同時に、松本の無念を晴らしたい気持ちに駆られる。宮本は、片方の手を松本の手に添える。


「全力を尽くします」

 

 そう言うと、松本は頭を下げ、感謝の言葉を何度も言った。

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