第2話 後編
「それで……結局あの子を住まわせることになったの?」
夏美が問い詰めるように秀人に言った。
「うん。家事とかしてくれるらしいし、食事も要らないから食費掛からないしね。あとは、たまに充電が必要なぐらいかな」
秀人が答える。
朝のHR前、2人は教室で向き合っていた。
昨日あんなことがあって、彼はチハルを家政婦代わりに家に置くことにしたのだ。
彼女の方もそれで納得したらしく、今は家でおとなしくしているはずだった。
「それにしても、『刺客』とやらが来るのに、こんなにのんびりしてていいの?」
「あ……それなんだけどさ、もうその刺客はこっちの世界に居るらしいよ」
彼はなんでもないことのようにそう言った。
チハルが未来と通信して、昨日のうちに刺客が送り込まれていることを教えてくれたのだ。
「……大丈夫なの!? それ!?」
「まあ、チハルには分かってるらしいから大丈夫なんじゃない?」
夏美は呆れている。……なんとまあ、緊迫感のないことだろう、と。
実際、危機感の欠片もなかった。
始業のチャイムが鳴った。
「お~い、HR始めるぞ。みんな席に着け」
くたびれた感じの男性教員がそう促す。それに続いて入ってきた女性にみんなの目が釘付けになった。整った顔立ちに色気を感じさせる凹凸、すらりと伸びた足。
「この人は、今日からこのクラスの副担任の
「二宮です。よろしくお願いします」
教室の中でざわめき、特に男子が注目する。
その中で秀人は反応が薄かった。夏美はそれを見て、少し安心したような表情を見せた。
だが――
「七瀬秀人君、君は放課後、生徒指導室に来なさい」
二宮は彼の机の前に来るとそう言い放った。
まだ誰も自己紹介すらしていない、名前も覚えていないはずなのに、だ。
「オイ! どうしてアイツなんだよ!」
「まあ、確かに問題児ではあるけど……」
「放課後、女教師と2人きりとか――」
今度もクラス中からざわめきが起こった。その中には、彼に対する敵意が含まれていた。
放課後、秀人は生徒指導室へと向かった。
戸を開けると、既に二宮先生が座っていた。
「七瀬君、よく来たわね。さあ、ここへ座りなさい」
先生は机を挟んだ向かい側の席を指さした。彼はおとなしく指示に従う。
「
五十嵐――というのはあのくたびれた男性教員、クラスの担任教師の名前だ。いつもよれよれのシャツを着ていて、生気がない。クラスの大半はこの教師の言うことを無視していて、はっきり言って学級崩壊寸前だった。
「テストでは、それなりに点数は取ってますが?」
彼はそう返した。実際、テストで点を取ってさえいれば大半の教師は何も言ってこなかった。彼自身の生活態度など、実のところどうでもいいのだろう。
「でも、度々学校を無断欠席してるわね。休んで何をしてるの?」
「ああ、それは不法投棄場で機械を分解して遊んでます。学校の授業なんかよりも、実践的でよっぽど役に立ちます。この前家の電気ヒーターが壊れた時も――」
「それはいけないわね」
女教師は立ち上がって言った。
「はい?」
「だから、本来なら友人や恋人と親交を深める時期の思春期に、そんな勝手なこと――よりにもよって機械いじりなんて、論外だわ」
そう言うと、彼女は自分の服の上着のボタンを外し始める。
「ねえ……人間同士の肌の触れ合いって、機械なんかよりもずっと楽しいことよ」
上着を脱いでシャツとスカートだけになった。
「ふぇ?」
彼はうろたえている。
その間にも、彼女は更に脱いでいき、下着姿となった。服の上からでもはっきりと分かった凹凸が強調される。
彼女はいつの間にか彼の隣に居た。そして、彼の手を取ると、その豊満な胸元に押し付けた。弾力と熱気に彼がひるむ。
「どう? 気持ちいいでしょう? 機械と違って、生身の人間はずっと気持ちいいんだから……ね?」
彼はとっさに胸に押し付けられていた手を引いた。
だが、今度は彼の股間に手が伸びてくる。彼の股間は生理現象によって硬くなっていたが、それを彼女は愛でるように撫でまわした。驚いた彼が椅子から転げ落ちると、彼女は覆いかぶさるように身をかがめた。
「ふふ……こんなになっちゃって。可愛い。
いい? 無理しないでいいのよ。我慢できないのなら先生が相手してあげる……だから、あなたはあんな機械のお人形さんなんて捨てちゃって――」
もう疑いようがない。彼女が刺客なのだ。それも既にチハルのことを知っているようだった。
「アンタ……未来から来たんだな!」
「だったらどうなの? あなたは将来、全人類を敵に回して、あんなガラクタ共の味方をしたせいで孤立して……独り寂しく死んでいくの。
私はそれを変えてあげたい。あなたの力は、人類のために使えば極めて有益なものだから」
彼女はそこで一呼吸置いた。
「今ここで、あなたに人間の素晴らしさを教えて――」
彼女はそう言うと、ブラジャーのホックに手を伸ばし――
ガツン!
不意に彼女が倒れ込んだ。彼はその下敷きになったが、脇にどけてなんとか這い出した。
消火器を手にしたチハルの姿があった。どうやらチハルがそれで女教師の頭を背後から殴ったのだと、彼は数秒後に理解した。
「大丈夫ですか!? 秀人様!」
「あ……うん。でも、どうしてここが?」
「すいません。念のため、昨日のうちに監視用のナノマシンを付けておいて、近くで待機していましたので……」
未来のテクノロジー安易に使っていいの?――彼はそう思ったが、口には出さなかった。
「この人が『刺客』なんだよね?」
「はい、間違いありません。おそらくはこの学校の教員をマインドコントロールして、うまく潜り込んだのでしょう」
「え? マインドコントロールとかも、あり?」
「それは…………実を言うと、タイムトラベルが可能になってからまだ日が浅いので、そういった細かい項目の許可の有無は定められていないんです。とりあえず、人殺しさえしなければなんでもOKみたいな感じで……」
――なんだそりゃ。
彼は未来をかけた戦いのルールが割とアバウトだと理解した。
「とりあえず、私は帰りますね。私服で校内をうろついていると目立ちますから」
「ああ、分かった。ご苦労様」
チハルは指導室を出て行った。
ピクリ。
秀人の背後で、気絶したと思われていた女教師が目を覚ましたことにまだ気付いていなかった。
ガシッ!
「うふふ……ははは……うふふ……邪魔者は消えた」
頭から血を流しながら、女教師は秀人を背後からがっしりと抱きしめていた。
「え?」
「おっと、助けが来るなんて考えないでね。さっきナノマシンジャマーを作動させたから、あなたに付いているナノマシンは正常に作動しないわ」
彼女は自身の腕の中で器用に彼を反転させると向かい合わせになった。
頭から血を流し、不気味な笑みを浮かべる彼女の顔が視界に入る。
その目は
「いい? これからあなたに、人間の素晴らしさを身をもって教えてあげるわ」
「嫌だ!」
彼はとっさに彼女の腕を振りほどくと逃げ出した。走って生徒指導室を出る。
「待てえええええええっ! 人類の裏切り者がああああああっ!」
彼女は追ってきた――下着姿そのままで。
逃げようとする男子生徒と、頭から血を流し、下着姿で奇声を発しながらそれを追う女教師――どう考えてもヤバい絵面だが、2人ともそれを意識している場合ではなかった。
2人は学校中を走り回った。男子生徒は興味津々といった様子で見ていたが、女子生徒は気の毒そうに目を逸らした。教員にも目に付いて、何人かが声を掛けて止めようとしたが彼女は耳を貸さなかった。
20分後、彼女は屈強な男性教員3名に羽交い絞めにされて、やっと捕まった。外には誰が呼んだのか、パトカーが停まっていた。
彼女はまだ何か叫んでいたが、パトカーから降りてきた警官に手錠をはめられると連行されていった。
こうして、第一の刺客は阻止された。
翌朝、副担任の二宮が逮捕されたと担任の五十嵐が言った。
事件の詳細まで明かされなかったが、下着姿で頭から血を流しながら秀人を追い回していたのを複数の人間が目撃しており、気に入った男子生徒に手を出して性犯罪者として逮捕されたのだというのがもっぱらの噂になった。
「はあ……まさか先生が刺客とはね。まあ、最初から怪しかったけど」
夏美は秀人と2人きりになると、事情を聞いてそう言った。
「でも、捕まったことだし……もうこれで、当分は大丈夫だろ」
秀人はあっさりそう言った。
実はあの後、警察に事情聴取を受けて
「そうだと……いいんだけどね」
夏美は
「そういえば、チハルが学校に来たいって言ってる。またこんなことが起きるかもしれないからって――」
「それは駄目!」
彼女がぴしゃりとそう言うと彼は黙った。
その4日後、朝のHRの時に担任に連れられて美少女が入ってきた。あどけない小動物を思わせる可愛らしい容姿だった。
また教室がざわめいた。
「初めまして、転校してきました。
そう言うと、秀人の方を見て笑った。顔は笑っていたが、目は獲物を狙う
――ああ、なんだかまた一波乱ありそうだなあ。
彼はそう思うと窓の外を眺めた。
昨日、また刺客が送り込まれたと聞いたばかりだった。
チハルは彼のことをまだ監視していることだろう。今も近くで待機しているのかもしれなかった。
△▼△▼反逆の救世主△▼△▼ 異端者 @itansya
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