鈴本くんと遠里さん

竹尾 毬

第1話

 6月の蒸し暑いある夕方、ぼくは遠里さんと並んで林鹿寺のブランコに座っていた。大イチョウの影になったブランコで、いつものようにとりとめのない話をしていたんだ。


 林鹿寺はぼくが住む町のわりと真ん中にあるお寺で、遠里さんはそこで修行をしているらしいお坊さんだ。お寺には水曜日の塾の帰りにたまによって帰る。小学校から塾をまわって大通りを戻ると見えてくるのが、よく磨かれた石標で、生えてくる苔に負けじと磨かれたそれを右に曲がると、どこかのお家につながってるみたいな細い道に入る。その先が林鹿寺だ。境内にはぽつんとブランコがあって、なんだかへんなお寺だなとはじめて来たときは思った。むかし併設の幼稚園をしていたからなので別にへんではないんだけど、お経を聴きながらブランコに乗るところを思い浮かべたら、なんだかおもしろいでしょ。


 もうすぐ来る「夏至の日」はとても影が短くなる日、なぜなのかっていう話をくわしく教えてくれて、大人ってなんでも知ってていいなあとか呟いたぼくを見ながら、遠里さんはいつもの穏やかな調子で「そうだね」とうなずいた。


 「だって大人だもんね。いろいろ知っていたいんだよ」言いながら遠里さんが門の方を向いたので、ぼくもそちらに向く。いつもこの時間に境内を通る猫が、たぶん遠里さんに目配せで挨拶していた。そして、たぶん遠里さんも猫に目配せした。猫が目を細めてから裏の墓地の方へ進んでいく。

 「知っていたいとじぶんで思うのと、いろいろ知ってていい、っていうのは何だかずれてると思う」

ぼくは猫を目で追いながら言った。

「どうしてそう思ったの?」遠里さんの少しグレーの瞳がぼくの方を向いた。どうしてって、なんでそんなこと聞くのかな、と思ったので少し間が空いてしまったけど、

「だって、知っていたら良いって話はいい悪いの話でしょ。遠里さんが言ったのは、それとは関係ない『知りたい』っていう自分の気持ちの話だったから」とゆっくり、意味を思い浮かべながら言った。改めて言葉にしてみると、だんだん合っているのか分からなくなる話だな、と思いながら。


「鈴本くんは、相手の話をしっかり聞いているんだなあ。ぼくがだいぶ濁そうとしたところも。」大きな目を細めて立ち上がった遠里さんに合わせて、ぼくも立ち上がった。考えがいのある話になりそうなところだけどそろそろ…ぼくの帰る時間ってこと。今から帰ると、仕事帰りのお母さんとちょうど玄関で合流できるんだ。


「知っていたらいい、と知りたい、を混ぜこぜにしちゃったら大変だったことがあったので。」

「遠里さんが?」

「そうです。でも今日は帰りの時間。また水曜日に、ね」

ぼくよりもずっと背の高い遠里さんを見上げると、夕日の影になった大イチョウといっしょに空に伸びているみたいだった。空がいろいろな色をしている。



 そういえばこの日、遠里さんははっきりと「また水曜日に」って言ったんだ。いつもは簡単に「じゃあね」だった気がするのに。まるでぼくが絶対に翌週ここへ来るような言い方をした。

 たぶんだけど、カンが働いちゃったんじゃないかなってぼくは思っている。遠里さんは、カンがいい。というのは林鹿寺の住職さんの受け売りだけど、あんなことがあった今なら、本当にそうだなって思えるから。

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鈴本くんと遠里さん 竹尾 毬 @mari-takeo

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