第78話 吸血鬼さん、変な男に捕まる

 ─────くぅぅ………。


 薄い月明かりに照らされた悪臭漂う橋の下、情けない腹の虫の声が響く。


「………あかん。死んでまう」

 

 不死者の迷宮から丸二日、水以外、何も口にしていない。少女の空腹は限界に達しようとしていた。

 

 不安と飢えを少しでもまぎらわそうと、胸の中央に小さな拳をぎゅうっと押し当てつつ、どうしてこんな事態になってしまったのか、その原因に思いを巡らせる。


 大量発生スタンピードの混乱にかこつけて、地上へ出たところまではよかったのだ。しかし逃げ出すことに精一杯で、愚かにも、出てからのことを一切考えていなかった。

 

 地上に親しい友人はいないし、家族はもちろん、約束を待っている恋人もいない。行く当てなんてあるはずもないのに、冒険者による襲撃で同胞たちとははぐれてしまった。

  

 屍人の群れに誘導されるように、逃げに逃げ、走りに走り、たまたま見つけたヒト族の街。巨大な城門が、不用心を通り越した大胆さで開け放たれていた。城壁の上に門番らしき兵士は数人うろついていたものの、その視線は遙か西の地平線へ釘付けになっていて、街に逃げ込む集団はまったく見向きもされておらず──── 

 

 先を争う避難民の群れ、そのまま人混みに紛れ込んだ。

 

 しばらく街の中心へ向かって大通りを進んでいたが、群衆は突然パタリと足取りを緩めた。不思議に思って列の先を覗いてみると、路地の脇にぽっかりと大きな穴が空いており、先頭から順に地下へ姿を消している。その様子はまるで、ありの行列が巣穴に群がり入るようだった。

 

 入り口の両側には武装した兵士たちが立っていて、なにやら一人一人、身分証のようなものを確認されている。何を基準に選別しているのかは知らないが、どうやら人によって、避難を許される者とそうでない者がいるようだった。

 

 このまま並んでたら見つかってまう…………。 

 

 とうの昔に鼓動を止めたはずの心臓が、ドキドキと動き始めたように感じた。吸血鬼の特徴である牙は覆面によって隠しているが、こんな怪しい格好の人物が素通りさせてもらえるとは到底思えず、当然、顔を見せろと言われてしまうだろう。それに、ヒト族の街には魔族を探知する魔道具が多く出回っているとも聞く。

 

 急速に焦燥感が高まり、思わずキリリと歯軋りが鳴る。


 すぐ隣を歩いていた兎獣人ラピヌの双子が不安げな瞳をこちらへ向けた、その瞬間────少女は踵を返して逃げ出した。


「はぁっ……はぁっ……!」


 罪を知らない幼子の無垢な視線。こちらを心配する眼差しにも見えたが、緊張状態にある少女にとっては見咎みとがめられているようにしか思えず、狭い路地を自分の足音に追われるように走り続け、橋の下へと身を隠す。


 運悪く汚水の流れる川だったらしく、覆面をしていても胃液がこみ上げてきそうな不潔な場所。しかし、ただでさえ惨めで情けない気分がよりいっそう悪化してしてしまい、これ以上移動する気力はどうしても湧いてこなかった。 

 

「くっそ、どっからや……。どこで間違まちごうた?」


 そう小さく呟いた直後、少女はハッとし、涙ぐみそうになって力なく首を横に振る。ふいに口をついて出た自問が、いまさら考えるまでもない、分かりきった内容であることに気が付いたのだ。

 

 けっして突発的な失敗ミスではない。ずっと自覚がありながら、改善することのできなかったあやまち。この状況は日頃の間違いが積み重なった結果だと、結論は明快に頭に浮かんでいた。

 

そんな風に自分を卑下ひげするようになったのは、一体いつからだっただろう。


 きっと、孤高を気取って周囲と群れなかったのがいけなかったのだ。


 本当はちっとも独りでいたくないのに、友達とか愛情とか恋愛だとか、しゃに構えた自分にはみんな縁遠いもののような気がして。誰かがはしゃいで話をしている横で、そこへ混ざろうと一歩踏み出す勇気もなく、まるで興味のないフリをして。目の前にあるものが全部、嘘で塗り固められた造り物のように見えていて。

 

 それは生来の性分というわけではなく、幼稚で下らない自己演出だったのかもしれない。それを悟られたくない気持ちと、理解されたい気持ち。相反する感情を二つ同時に抱えていた。いつも独りぼっちでいるくせに、他人の優しい言葉をほしがっていた。

 

 誰かに話しかけられればきちんとそれに答えたし、幾分かぎこちなさはあったにせよ、愛想よく振る舞うことだってできた。でも、自分から率先して人に話しかけることはしていなくて、だからこそ、周囲は自分に対してあまり気を許そうとはしなかった。

 

 まさか、大量発生に乗じて各々の保有する屍人を暴走させる計画があったとは────……


 自分一人がはみ出し者で、異端者で、常識外れな存在だと思っていたのだ。ここは自分が本来いるべき居場所ではないと、自由を求め、逃げ出したいと考えているのも、自分だけだと信じ切っていた。


 同じ価値観を持った者同士、それを仲間と呼ぶのなら、自分に仲間はいなかった。


 収拾のつかない後悔と自己嫌悪で涙が零れそうになる。避けるべき方法はあとから思えば幾らでもあり、だからこそ、少女は余計に苦しんでいた。


 こんな気持をどう言えばいいんだろう。


 まるで一人小舟に乗って、当てもなく、広大な夜の海を進んでいるような気分だった。誰かに無理やり乗せられたのか、それとも自分で勝手に乗り込んだのか、そのへんの事情は今でもよく分からない。周りを見回しても誰もいなくて、でもとにかく漕ぎ進めるしかなくて、もう岸に戻ることはできなくて。 

 

 なんて傷つきやすい心だろう。

 他のみんなは何をしているんだろう。

 この孤独の海をどうやって進んでいるんだろう。 


「あっ……」

 

 ふと水路から地上を見上げると、橋の上でぼーっと月を眺めている男がいた。同時に強烈な血の匂いが鼻孔をくすぐり、抑えようのない本能的な食欲の炎に襲われる。


 いてもたってもいられないほどの渇望。もう、我慢の限界だった。 

 

 ……あの男にしよう。


 そう決意して水路に誘い込んだはいいものの────間近で対面して驚いた。

 かなり微弱、しかし、

  

 言葉が通じているため吸血鬼どうぞくだとは思うが、珍しい黒髪黒眼に見覚えはなく、軽く日に焼けた肌の具合からしても、同じ迷宮から逃げてきた者ではないのは明らかだった。

 

 ……これ、もしかして土着の魔人? 


 閉鎖された環境に嫌気がさし、外の世界を求める魔族は古来から一定数いる。中でも、ヒトとの共生を望む魔人が、正体を隠して街で暮らしているのは有名な話だ。彼らは真の姿が露見することを極度に嫌い、あくまでも一住人としての生活を死守しようとする傾向があるらしい。

 

 ────ど、どないしょ……。


 こんな腹ぺこ状態で戦っても絶対に勝てない。 

 事情を話してかくまってもらう?

 正体をバラすぞと脅してみる? 


 いや、それよりも確実なのは………… 


 少女の赫眼かくがんが妖しく光る。

 

 闇属性の固有魔術、〝魅了チャーム″。

 一部の魔族だけが行使することのできる、強力な催眠魔術だ。この魔術をかけられると、対象者は術者を自分の家族や友人であるかのように思い込む。同族が相手の場合は抵抗レジストされる可能性が高いものの、少女はこの魔術の腕前には自信を持っていた。


 久しく使っていないが、相手が油断している今なら──────



・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・



「ちゃうねん」


「チャウネン?」


 男は小首を傾げながらこちらの言葉を繰り返した。

 とても中立的な声だ。特に友好的でもないし、敵対的でもない。


「いやいや、冗談キツいって……! 気配も匂いもバッチバチに不死族やし、言葉も普通に通じてるし。こんなん誰でも同族やと思いますやん? ウチわるないやろコレ。ていうか、そもそも何で耐性の魔道具とか持ってんの? しかも街中で。意味分からんし! 詐欺やんこんなん!」


 言葉が、べらべらと止めどなく薄い唇をついて迸る。男の気が変わるのを恐れるように、まじめな会話になるのを避けようとするかのように。

 

 淋しさや孤独が躰の芯まで喰い込んでいたせいか、相手が味方ではないと分かってなお、勝手に口が動いてしまう。それはもう、少しでも黙っていると息が止まってしまうのではないかというような切羽詰った喋り方で、自分でも止めようがなかった。


「……いくつか、訊きたいことがある」


「しょ、正直に答えたら見逃してくれたり?」


「内容次第、と言っておこう」


 否定とも肯定ともとれるその発言に、少女はゴクリと生唾を呑む。


 見たところ銀武器は所持していないようだが、耐性の首飾りと一緒に胸元から出てきたアレは、〝冒険者証″というやつに違いない。今、この状況において最も避けるべき種類の相手だ。それも、吸血鬼を前にしてこの余裕、かなり戦闘慣れしていると思った方がいい。


「吸血鬼とは、種族の名称だったのか? 俺はてっきり魔物のたぐいだとばかり思っていたのだが」

 

「────はえ?」


〝魔族と魔物は同一種なのか″

 過去から現在に至るまで、幾千幾万と繰り返されてきただろうその質問に、待ち構えていた気合がへにゃへにゃに緩む。

 

 魔族とヒト族が大陸の覇権をかけて争ったあの大戦。魔族が敗れ、大陸に残された者の大半が迷宮という地下世界へ追いやられたのも、突き詰めればその一点が原因だったと言える。


 何千年も前の出来事ではあるが、自分たち敗者側にとっては大きな歴史の転換点。しかし、勝者側にとってはその程度の認識なのだろうか。


「そらぁドッチ側から見るかによるわな。ウチらからしたら種族名やけど……。ヒト族って、魔物も魔族も一緒ごっちゃにしてんねやろ?」

 

「魔族……?」

 

 魔物とは、自然界の植物や動物に魔素が取りつくことで生まれる化け物たちの総称だ。理性もなく、欲望のままに行動する。

 対して、魔族は種族ごとに体系をことにするものの、言語を操り、知能や文化を有する存在。必ずしもヒト型ではないが、ヒト型である者は〝魔人″と自称したりする。


 子供でも知っているような当たり前の常識を、少女は簡単に説明した。

 

「よく分からんな。聞いた話では、吸血鬼どもは人を襲って喰らうような言い草だったが」

 

「もしかしてお兄さん『吸血鬼とはなんぞや』って話ししてる?」

 

 なんだか、妙にチグハグとした男だ。吸血鬼特効ともいえる魔道具を所持していながら、その相手のことを何も知らないとは。

 

「いや、実際そんなアホもおるっちゃおるけど、みんながみんなそうじゃないで。たしかに血は飲むし、そもそもウチらって血がないと生きていかれへんねん。でも別に、相手が死ぬほど飲む必要ないし……。あっ、アレよ。ヒト族にとってのお酒、みたいな? 飲みすぎると逆に気持ち悪くなったりハイになったりするから、マトモな吸血鬼はそんな一気飲みせえへんよ」

 

 吸血鬼の強さは生きた時間と飲んだ血の量で決まる。


 不死であるため無茶さえしなければ年齢はいくらでも重ねられるが、現在の環境下で血の摂取はそう簡単な話ではない。冒険者を呼び寄せるために一生懸命迷宮を改装したり、不死者特有の問題である瘴気をできるだけ抑える研究をしたり……。


 冒険者から血をもらう時だって、昔のように直接首に噛み付いたりしない。気絶させた相手にあとから気付かれない程度に、専用の注射器を使って決められた分量を採取するのだ。もし無限に血が飲めるなら、それこそ、この世はすでに吸血鬼たちの支配下にあるだろう。

  

 たぶん、男が言っているのは地上で暮らす野良吸血鬼の悪行のことだ。『ヒトを家畜化すべきだ!』などと主張する一部の過激派が外へ出れば、そんな馬鹿をやらかすのも想像に難くない。

 

 男はこちらの説明を遮ることなく、半ば目を閉じるようして熱心に耳を傾けていた。


 一度も行ったことのない、興味深い風習を持った国の話を聞くみたいに。あるいは耳を澄まして、その説明の中に何か別の意味を見出そうとしているみたいに。 


「そうか。では、お前は何故こんなところにいる? わざわざ地上に出てこずとも、迷宮で暮らしていれば平穏に生きられたのだろう。殺されるかもしれない場所へ、何のために来た」

 

 その質問に、少女は正直に回答すべきかどうか、若干のためらいを覚える。

 

 この男、無愛想で口数も少ないが、恐らく相手の感情や心中を探りながら話すタイプだ。人の顔色ばかり気にしていたからよく分かる。この手の輩は、嘘を見抜く。きっと下手な言い訳は通用しないだろう。

 

「そ、そのぉ────」


 危険であると知りながら、地上へ出たかった理由。 

 他人に自分の本音を告白するのは初めてで、視線は徐々に足元へ落ち、語尾がモニョモニョと小さくなってしまった。


 男が怪訝そうに眉をひそめるのを見て、覚悟を決める。

 

「ヒト族となら……と、友達になれるかなって、思いまして…………」


 呆れられただろうか。惨めなやつだと思われただろうか。

  

 どうにか最後まで言い切ることには成功したが、頬が熱く、耳まで真っ赤になってしまっている感覚があり、男の反応を直視することはできなかった。

  

「……お前、名は?」

 

「ルナマリア・ガルサ・ノクテュルヌ=ヴルヴィエガレ────」

 

「長い」

 

「ル、ルナでいいっす……」


 くそお……!

 自分は名乗りもせえへんくせに…………‼

 

「ついてこい」


 男は急に背を向け、さっさと歩きだした。その唐突な行動が理解できず、少女は橋の影に立ち止まったまま問を投げる。 

 

「どこ行くん?」

 

「俺にはお前をどう扱えばいいのか分からん。仲間のもとへ連れて行く」


「仲間って冒険者やろ!? 絶対殺されるやつやんそれ!」


「早合点するな。吸血鬼がそこらの魔物と違うことは理解したつもりだ。命だけは保証しよう」


「やっ、約束やで! 絶対守ってな‼」


「ああ」


「ホンマにホンマ⁉」


「くどい」


 しばらく悩み、少女は意を決して奇妙な男の背中を追った。

 もうどうにでもなあれと、そんな気分で。 

 


﹏﹏﹏﹏﹏﹏﹏﹏﹏﹏﹏﹏﹏﹏﹏﹏﹏﹏﹏﹏

いつも拙作をお読みいただき誠にありがとうございます。


ご無沙汰してしまって申し訳ありません。

ようやく書籍作業が一段落し、仕事も落ち着きましたので、投稿を再開していく所存にございます。小説って、本文書いてお終いではないんですね・・・。


近況ノートではすでにお知らせしましたが、本作の第一巻がいよいよ2月24日(金)に発売されます!!


カクヨムの特設サイト(https://kakuyomu.jp/special/entry/web_novel_007)に一作だけ女の子が一人もいない浮いた作品がありますので、表紙だけでも見てみてください。


レーベルはMFブックス様、イラストは天野英先生。


書店で見かけた際はお手にとっていただけると嬉しいです。



 

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