第77話 お侍さん、迷子を拾う

「ユリウスってどの辺に住んでんの?」


「ギルドの近くにある〝踊る仔猫亭″って宿に部屋を借りてます」


 他愛のない雑談を交わしつつ、無人の目抜き通りを歩く。乗ってきた馬車でギルドまで送ってくれるものかと思いきや、ひっきりなしに戦地へ向かう車列が優先されているらしく、開け放たれた正門の横で降ろされてしまったのだ。


 普段は露店が賑わう門前広場には数多くの天幕てんまくが張られ、到着した負傷者が次から次へと運び込まれていた。服装からして治療にあたっているのは大半が宗教関係者のようだったが、不思議と男がほとんどおらず、修道女ばかり。


 女の医師など聞いたこともないが────これもまた、お国柄というものだろう。


 馬車から放り出された冒険者たちは明らかに不服そうな様子だったものの、必死の面持ちで治療にいそしむ金創医の気迫に負けたのか、大っぴらに文句を口にする者はいなかった。不満げな表情を浮かべたまま、皆とぼとぼと帰路についたというのが事の顛末あらましだ。


「…………………………」


 東の空がぼうっと青みがかっている。夜明けは近そうだが、この時間ではまだ乗合馬車が走っていないため、面倒でも歩いて帰るしかない。


「こんな都会で中央暮らしかよ? ……さっすがEランクのソロ、金持ってんなぁ」


「ちっ、違いますよ! あそこ、冒険者割引で格安なんですって!」


 皮肉めいたタイメンの言葉を、ユリウスはワタワタと大袈裟に両手を振って否定した。出世の幸運に恵まれた者はえてして天狗になりがちだが、彼の場合はそうでもないらしい。実力で勝ち取った評価、謙遜する必要はないと思うが。


「あ、でも……。今日は孤児院に寄ろうかな」


 人波行き交ういつもの喧騒が嘘のように、星のまたたく音さえ聞こえてきそうなほどの静寂。その小さな独り言は聞くともなしに耳に飛び込んだ。


「孤児院って?」


「傭兵ギルドの近くにあるルクストラ教の施設で、弟妹がお世話になっていまして。二人とも怖がりだから、きっと心配して寝ずに待ってると思うんです」


「それって────」


「オルガ殿の教会か?」


「あ、ご存知ですか? 先月まで北区の貧困街スラムで三人宿暮らしだったんですけど、ネネット教官に無理やり……いえ、ご紹介いただきました」


 気まずそうな顔で言い直したが、その様子で言わんとしたことは何となく分かる。恐らく、弟たちと散歩でもしてるところをネネットに拉致されたのだろう。世間は広いようで狭いとはよく言ったものだ。


「でもよ、いちおうユリウスが親代わりなんだろ? それでも孤児扱いになんのか?」


「ボクもそう思っていたんですけど、ご領主様の方針で、保護者が流民の場合には例外的に認めてもらえるそうなんです」


「いつ死んでもおかしくない冒険者は、後盾うしろだてとして不足ということか」


「ヤな言い方すんじゃねーよ……。多分、そういう意味なんだろうけど」


 自らがその分類に属してるつもりは毛頭ないが、‶流民″という身分について思うところはある。しかし、あれだけ気に掛けていた弟妹を預けられるのであれば、後顧の憂いなく仕事に励めるということだ。結果的には──────


「よかったな、ユリウス」


「はいっ! 」


 ユリウスは大きな丸い瞳を細め、周囲がふんわりと明るくなるような人懐こい笑みを浮かべた。最高に幸せ、これ以上の満足はないというかのように。


 言外の意味を過分に含んだ短い言葉だったが、気持ちは伝わってくれたようだ。


「地下の避難所にも入れてもらえましたし、やっぱり弟たちには冒険者じゃなく、普通の住民として生きてほしいと────」




 ──────カタカタカタ。




 会話に割って入るような拍子で乾いた音が鳴る。無人の通りなのが災いし、やけに大きく響いてしまった。


「おほんっ! ……うんっ! ううんっ!」


「えっ? 今のって────」


「おい、オメーまさか…………」


 咄嗟に咳払いで誤魔化そうとしたが、少し遅かったようだ。タイメンは黒須の腰にある物入れにサッと手を伸ばした。


「おっ、お前マジでイカれてんのか!? こんなん街中に持って来てんじゃねーよボケ!!」


 笑うように歯を打ち鳴らす、つるりと白い骨人の髑髏。叩き壊されては困るので、急いで奪い返す。


「動けないのだから一つくらい構わんだろう。……もう名前もつけた。骨丸ほねまるだ」


 黒須は赤子でも抱えるように頭骨を庇いつつ抗弁する。


 いつか生家に帰った時、この国の奇譚きたんを信用させるのにこれほどおあつらえ向きのものはない。魔石もしっかり確保しているため、それさえ壊れなければ半永久的に保持することが叶うのだ。


「大バカ野郎!! 街に魔物連れ込んでいいのはギルドから許可された従魔師テイマーだけだ! 分かってんのか!? これ重罪だぞ!! ヘタすりゃ処刑台行きだ!」


「許可を取ればいいのか。では、明日にでもヘルマン殿に頼んでみよう」


不死者アンデッドなんか認められるワケねーだろ! また死霊術師ネクロマンサーって言われてーのか!?」


「俺は武士だ。他人から何と呼ばれようとも気にすることはない」


 冒険者、傭兵、そして流民。この国に来てから随分と肩書きが増えたが、正味、そんなものはどうでもいい。


 ‶一合取っても武士は武士″

 世間の風評が耳障りに感じるのは、自らの地位や立場に疑念を持つ者だけだ。たとえ他者からどう評されようとも、武家の誇りと本分さえ忘れなければ武士の身分が揺らぐことなど有り得ない。


「オレは止めたからな! フランツに怒られても知らねーぞ!!」


「自分の部屋で飼う。お前たちに迷惑を掛けるつもりはない。……ところで、骨人こいつは餌を喰うのか?」


「知るかッ!!」


 そこからしばらくユリウスを放置した言い争いが続いたが、ギルドの少し手前、大通りの分岐に差し掛かったあたりで口論は終焉を迎えた。


「じゃ、アルチェちゃん迎えに行ってくるわ。オレが帰る前に説明しとけよ!」


「分かっている」


 迷宮に出発する際、タイメンは東門の近くにある博労ばくろうに愛馬を預けていた。


 この国では馬が生活に欠かせないため、御者や馬丁、馬医などが所属する‶運送ギルド″などというものまであるのだ。馬小屋に一日置くだけなら銅貨三枚で餌や水の面倒をみてもらえる上、よほどの長期間でない限りは無期限で馬を預けることができる。


 ただし、引き取る場合は受付で渡された割符わりふを提示しなければならないのだが────


「あの、タイメンさん。やっぱり夜が明けてからにした方が……。この時間だと店番がいるかどうかも分かりませんし」


「いいんだよ! アルチェちゃん、一人ぼっちで寂しがってるかもしんねーだろ!」


 後日にすればいいものを、終始この調子で聞く耳を持たないのだ。


 ちなみにあの駄馬だば雌馬めすうまに囲まれたことが相当に嬉しかったらしく、熟練の馬丁が厩舎に入れるのを躊躇ためらうほどに興奮していた。隔離されている可能性ならあるが、寂しがっているとは到底思えない。


「念のために言っておくが、乗って帰ろうとするなよ。あの暴れ馬はまだお前にはぎょせん――――」


「暴れ馬って言うな!!」


 …………にべもない、という言葉はこういうときに使うのだろう。タイメンは尻尾を怒らせながらこちらに背を向け、颯爽と夜の闇に消えて行った。


「一緒に行かなくてよかったんですか? タイメンさんってお貴族様なんじゃ……」


 不安げに尋ねるユリウスに対し、黒須は鳥のように両手を広げて答える。


「この姿ナリを見ろ。俺は一刻も早く風呂に入りたい」


「……相変わらずむちゃくちゃですね、クロスさんは」


 足取り荒く去っていく大蜥蜴を見送りつつ、ユリウスは力なく苦笑した。少し遠回りにはなるものの、孤児院を経由しても拠点に帰れるため、二人は同じ方向へ歩き出す。


「お前は随分といい面構えになったな。見違えたぞ」


「えへへ……。実はね、先週はじめて討伐依頼も達成したんですよ」


 彼は首から下げていた銅板を握り、照れくさそうに鼻をかいた。馬車の中では謙遜してたが、やはり昇格は嬉しいのだろう。


「そうか。では、名実ともに立派なEランク冒険者だな」


「ギルドで〝栄光の剣″に会うと、ちょっぴり気まずい感じなんですけどね」


「栄光の……何だ?」


「お、覚えていないんですか? ほら、新人講習でボクらと一緒だった――――」


 ユリウスは口やかましいタイメンに遠慮していたのか、あるいは、普段こうして語り合う仲間に不足しているからか、別人のようによく喋った。


 聞き上手とはお世辞にも言えず、話題をのびやかに提供する性質たちでない武士が会話の相手で、楽しいかどうかは分からないが。


「わざわざ送っていただいてありがとうございました。久しぶりにお会いできて嬉しかったです。じゃあ、また――――」


「ときに、ユリウス。明日は手隙ひまか?」


 孤児院の玄関前でぺこりと頭を下げ、別れを告げようとした言葉を遮る。


「え? すみません、明日は伝令部隊の報告会に参加しないといけなくて」


「明後日は?」


「えっと……」


「明々後日は?」


「あの、遊びのお誘いとかじゃ────……ないですよね?」


 ブランドンとのやり取りを聞いていたのだろう。すでにこちらの要求を察しているらしく、ユリウスは逃げ場を求める小動物のようにキョロキョロと視線を彷徨わせた。怯えで瞳が揺れている。


。俺は勝ち逃げされたような気分でな。あれからどうにも寝つきが悪い」


「そんな、とんでもないですよ! ボクなんてまだクロスさんの足元にも及びません!」


 ‶まだ″――――か。


「お前、ネネットに師事しじしているな?」


「ど、どうしてそれを――――」


「戦場での動きが酷似していた。いい修業ができている証拠だ」


「いえ、修行なんて大したものじゃ……。遊びの延長というか、なんというか」


「まあそう嫌がるな。不安なら、ギルドの訓練場でネネットに立会人を頼んでも構わん」


「う、うーん……」


「剣や槍が苦手だと言うなら、無手での格闘戦でもいいぞ」


「それなら……」


 渋るユリウスを半ば強引に口説き落とし、二日後の夕刻に対戦が決まった。



・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・



 ユリウスにブランドン。強者二人との立ち合いが実現するとあって、鼻歌まじりに帰路を行く。


 さてさて……どちらから先に味わうべきか。


 ブランドンを相手に無傷で勝てるとは思わない。しかし、互いに丸腰となればユリウスも善戦してくるはず。無手での殴り合い、そういった趣向の力比べは久方ぶりだ。


 で、あるならば————


 ぼんやりと宙を見つめ、夢のような未来に想像を膨らませていたが、不意に漂ってきた喇蛄ざりがにのような臭気に思わず現実に引き戻される。


 前を見ると、濁った水に一ひらの板橋がかかっていた。以前バルトたちと散策した際にも思ったが、この辺りはやけに水路が多い。


「……………………」


 なんとなく橋の上に立ち止まり、甘美な夢想を途切れさせた原因を探る。


 たもとの、いつも日陰になっている一角から、小便や嘔吐物の湿っぽい悪臭がたちのぼっていた。対照的に美しい建物のかげを宿して、流れるか流れないかの速度で西へ動いていく川の水が、夜の月光を吸っている。


 川の水音の他には何も聞こえない。

 街全体が眠り込んでしまったようだった。


「ちょいちょい、お兄さん」


 ………………何だ?


 唐突に聞こえた場違いに甲高い呼び声に周囲を見渡すが、当然、誰もいない。


「こっち来て、コッチ。早く!」


 声のする方向を追って橋の下を覗き込む。月明かりに照らされた水路、橋の影から小さな青白い手がにょっきりと伸び、急かすようにこちらを手招きしていた。


 ……こんな夜更けに、童子こども


 不審に思いながらも、通りの端に設けられていた階段で水路へ降りる。


「こんなところで何をしている?」


「へっ!? ……うわ、同族やん」


 橋の下にいたのは想像通りの女童。いや、外見で年齢は判断できないが、少なくとも耳は普通だ。


 心持ち吊り上がった血のように赤い緋色ひいろの瞳、薄桃色に近い白金の長髪。身長はマウリと大差ないが、露出した腕と脚のせ細りが目立つ。顔色も死人のように青白いため、長い間満足に食えていないのだろう。みすぼらしい貫頭衣かんとういに身を包み、覆面のつもりか、顔の下半分を布で覆っている。


「えと、同郷ちゃうよな? 見たことないし。どっから来たん?」


 上方言葉かみがたことば……?

 生国を尋ねられたのだろうか。


「日本国だ」


「ニホン? どっかで聞いたような……。まあええわ、ボチボチ?」


 覆面の下の口元が、ニヤリとゆがめられたような気がした。


「片足立ちで右手挙げてみ」


「………………?」


 いきなり何が始まったのか、さっぱり意味は分からないが、何らかの童子遊びだと思い素直に従う。


「よぉーし、いけてんな。あー、めっちゃ久しぶりやから同族相手に上手いコトいくか不安やってん」


 こちらが遊びに付き合ってやったことに安堵したのか、少女は『はへぇ~』と気の抜けるような溜息を吐いた。


「ほな、とりあえずお兄さんいこか。しばらくそこで潜伏して……そっからどうするか考えるわ」


「お前、親はどうした」


 なにやら勝手に話を進めようとするので、そもそもの疑問を口にする。


「はぁ? そんなんずぅーっと昔にバイバイしたきりや。生きてんのか死んでんのか知らんけど」


「……いくら無人とはいえ、わっぱが一人で出歩くような時間ではない。家はどこだ。送ってやる」


「行くトコないからこんな臭っさい場所でコソコソしてんねやろ! 帰れるんやったらハナから帰ってるっちゅうねん!」


 てっきり地下にあるという避難所から這い出てきたのかと思ったが、迷子、そのうえ孤児か。不憫ふびんな。


「つか何なんコイツ!? 魅了されてんのに何でこんな普通に喋ってんの!?」


 ————どこかで聞いた単語だ。


「これのせいか?」


 黒須は迷宮からずっと身につけていた首飾りを取り出して見せる。本来、戦利品はフランツかバルトが管理しているのだが、強制依頼のゴタゴタで渡しそびれていたのだ。


「何それ?」


「魅了無効の首飾り、だそうだ」


「「………………………………」」


 奇妙な沈黙が流れる。

 少女は急に眼の焦点を失って、だらだらと脂汗を垂らし始めた。


「あの、つかぬことをお聞きしますが————……です、よね?」




 ﹏﹏﹏﹏﹏﹏﹏﹏﹏﹏﹏﹏﹏﹏﹏﹏﹏﹏﹏﹏

 いつも拙作をお読みいただき誠にありがとうございます。


 本当は73話から今話(77話)までが一話の予定だったのですが、長々と書いてしまってすみません。。。蛇足的な文章が弱点だという自覚はあるものの、なかなか上手に話がまとめられず・・・・皆さまからご紹介いただいた書籍を拝読し、勉強していく所存にございます。


 P.S.

 昨夜、寝ぼけて数十話先のエピソードの下書きを公開してしまいました。すぐに消したので目にされた方は少なかったと思いますが、どうか記憶から抹消していただけると幸いでございます。。。

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