第79話 吸血鬼さん、様子を窺う

「なぁなぁ」

 

「……………………」


「なあなあ!」

 

「何だ」

 

 足音の絶えた夜更けの通りに男女の声が木霊こだまする。片方は暖かい桃色で、もう片方は冷たい水色。温度差のあるそれらの声が混ざり合い、二人の間にはぬるま湯のような、極めて微妙な空気が漂っていた。


「もっぺん聞くけどさぁ。クロさんてホンマに人間なん?」

 

「お前には俺が豚鬼か犬鬼にでも見えるのか」


「だーかーらー! 見た目の話ちゃいますて!」


 橋の下を出発して三十分くらい経っただろうか。まだ警戒心という名の幕を一枚隔ててはいるものの、並んで話しているうちに、二人の距離感はほんの少しだけ縮まっていた。

 会話の割合は八対二。『何か話さなきゃ……!』と、不穏な沈黙に耐えられない片側が、一方的に喋り続けているような状態ではあるのだが。


「ウチかて別にカワイイだけで魔物には見えへんやろ? カワイイだけで!」


「……………………」


「いや、無視はキツいんすけど。せめてこっち見よう?」

 

 感情のコントロールを絶え間なく要求する緊密な関係。ここしばらく、けっして活発ではないけれど、辛うじて他愛のない世間話だけが続いている。


 これまでに会った中で、最も寡黙で無愛想な人物かもしれない。素性に言及する話題はことごとく知らんぷりされるので、名前を聞き出すことでさえ、それはもう大変な苦労を要した。しつこくしつこく食い下がり、三回くらい同じ質問を繰り返して、面倒くさそうな回答を得る。ずっと、そんな感じのやり取りだ。

 

 でも、本当は話題なんてどうでもよかった。せっかく出会った友達候補の第一号。口と耳と皮膚と目と匂い。まずは五感をくすぐるほど近くにいることが大切だと、以前、何かの教本で読んだことがあったから。

 

 そっけない態度のクロスの真横を歩きながら、ルナは再度くんくんと鼻を鳴らす。

 

「おっかしいなぁ……。吸血鬼どうぞくっぽい感じなんやけどなぁ」

 

 そんな独り言を漏らした途端、足早に歩いていたクロスが急停止した。

 図らずも追い抜いてしまい、おっとっとと、つんのめるようにして後ろを振り向く。

   

「…………なにその顔」


 それは、驚きと困惑が等分に入り混じったような表情だった。

 眉間に寄せられた皺の本数が増え、ただでさえ威圧的な風貌がよりいっそう凶悪に見える。

  

「お腹下してんの? 下痢ぴーぴー?」

 

「不死族というのは……なんだ。死人や屍人に対して、仲間意識があったりするのか?」


 こちらの質問を無視した返答。 

 やや気まずげな、奥歯にものが挟まったような言い方だった。

 

「さっき話したばっかりやろ。アレ魔物、ウチ魔人。ヒト族ってサルとかブタに仲間意識あったりすんの?」


「────そうか。なら、いい」

 

 険しかった眉はほどけ、止まっていた足が歩みを再開する。

 ほっとしたみたいに。

 

「大量発生とやらの現場にいてな。その時に少し、血を浴びた」

 

「なんや、そゆことかぁ。……少しって量とちゃう気もするけど」

 

 不死族と人間の血が混ざるとこんな匂いになるのか。知らなかった。

 飢餓状態だからか、圧倒的に多いはずの前者より、後者の匂いを敏感に感じる。


「あ、鼻かゆっ。ものすご鼻かゆいなぁ〜」


 誤魔化すように呟きながら、二の腕のそでに鼻先をこすりつける。実際はこするフリなので、ゴシゴシではなく、フガフガと。


 やっぱりどこか似た匂いだなと思う反面、早急に水浴びと洗濯をしなければという危機感に駆られた。あんな不潔な場所に二日もいたから当然ではあるのだけれど、自分から発せられている体臭が信じられなくて。


 クサイと思われていないかなと、若干の不安を感じつつ隣を盗み見る。

 ついさっき見せた動揺が嘘だったかのように、クロスはもう平静さを取り戻していた。

 

 ……ウチの仲間ってもうたと思て、言いづらそうにしてたんかな?

  

 一連のやりとりを経て、なんとなく分かってきた。

 この冒険者、無愛想なだけで無感情ではないのだ。

 あのヘンテコなしかめっ面も、この男なりの困り顔だったのだろう。


 察するに、これは噂に聞く"ツンデレ"とかいうヤツに違いない。

 打ち解けていくにつれて徐々に心を開いてくれる、用心深い猫みたいな性格の人物。いや、どちらかといえば猫じゃなく、虎っぽい雰囲気の男だけど。


「ふへへ……。ちょー、置いて行かんとってやぁ」


 自分で自分の考えが可笑しくなり、ルナは小さく忍び笑いをしながら、たたたと駆け足でクロスを追う。


 嬉しいような、恥ずかしいような。不思議な気持ちだ。

 赤の他人の域を出てはいないが、ゆっくりと、着実に距離が縮まっている。

 相手の心情を理解し始めているという、その感覚がむず痒い。


 やっぱり、勇気を振り絞って地上へ来たのは正解だった。

 ヒト族となら、こうやって仲良くなれる可能性があったのだ。


 社交的な相手ではないけれど、それが逆によかったのかもしれない。

 自分のペースで会話を進められるというか、無理して会話を盛り上げる必要がないというか。同族でなかったとしても、ある種、同類なのだと思う。人付き合いが苦手という部分で。

 

 ただ、そんな共通点があるにせよ、この男の正体についてはいくつか疑問が残っていた。

 

「なぁなぁ。ほんなら、不死族の気配がすんのはなんでやの?」

 

「気配か。恐らく、こいつのせいだろう」

 

 クロスは特段考え込む様子もなく、おもむろに腰の後ろへ手をやって、取り付けられた大きなカバンを漁り始めた。


「……んん? ってのあぁあぁぁあッッ!!」

 

 間近に差し出された予期せぬ物体を目撃して、ルナは逃げるようにバッと飛び退く。乙女にあるまじき悲鳴が出てしまった。

 

「なんやその骸骨! 気色の悪いっ!」


「ただの骸骨ではない。骨人だ。名を骨丸ほねまるという」


名持ちネームド!? そ、そんな強そうには見えへんけど……」


「俺が名付けた」


「意味が分からん!!」

 

「……………………」


「えっ、説明してくれへん感じ!?」


 こちらの反応に傷ついたのか、クロスは無言のまま、少しだけ悲しそうな表情で骨丸を元の場所へ戻した。せっかく縮まった距離が、また離れてしまったような気がする。


「あぁビックリしたあ。怖いわこの人、やっぱ逃げていい?」

 

 聞こえなかったはずはないのに、クロスはルナの言葉を無視してスタスタと道を歩いて行く。

 

「骸骨持ち歩いてる系男子とか、しょうもないキャラ付けしてもモテへんと思うで?」

 

 何の反応も返ってこない。

 壁に向かって語りかけているのと同じだ。

 

「……おこ? おこなん?」

  

 まずい。どうやら機嫌を損ねてしまったらしい。

 正面から視線を剥がそうと顔を覗き込んでも、まったく目を合わせてくれなくなってしまった。

 

 でも、いきなり骸骨を見せられて、どんな反応をすればよかったのだろう。

 正解が分からない。

  

 自分は何も知らないのだ。

 クロスの好き嫌いを何一つ知らないし、これからも理解できそうにない。

 

「で、でもよかったぁ。最初に会ったんがクロさんみたいないい人で」

 

 空気を変えねばと、歯の浮くようなお世辞を言ってみる。

 関係修復を目的とした、精一杯のご機嫌取り。ちょっとあざとい、取ってつけたような言い方だったかもしれないけれど、褒められることが嫌いな人はいないと信じて。


「いい人……?」


 そんな思惑に反して、向けられたのはキョトンとした不思議顔。

 やっとこっちを見てくれたのはよかったが、コイツは突然何を言い出したんだ……と、追加の説明を求めるような顔つきだった。


「なんだかんだ言いながら、結局ウチのこと助けてくれてるやん? 吸血鬼知らんってのはビックリしたけど、ちゃんと話も聞いてくれたし。冒険者って、もっと凶暴な生き物やと思ってたからさぁ。ぶっちゃけ、いきなり襲いかかってきたらどないしよって考えてて………………」


 少しでも笑ってくれたかな、とルナは喋りながら横を見て────硬直した。

 そこにあったクロスの表情が、あまりにも冷たかったから。

 思わず、語尾を呑み込んでしまうくらいに。

 

「何か、思い違いをしていそうだから訂正しておく」


 愛想を振りまく道化に叩きつけられたのは、背筋の凍るような低い声。

 嫌悪や憎悪とは違う、白け切ったような声だった。


「お前を助けるかいなか、その判断は。我が身かわいさに出鱈目でたらめを言っているとも限らんからな。今の時点で無害と断じたわけではない」

 

 ズキン、とナイフで刺されるような痛みが胸を走る。


 『仲間のもとへ連れて行く』

 クロスのその発言を、都合よく解釈していた。自分の身の振り方について、相談に乗ってくれるのかもしれないと。もしかすると、友人たちに紹介してくれるのかもしれないと。


 でも、違った。ただ単に、判断材料が不足していただけ。

 助けるどころか、まだ、味方ですらなかったのだ。


「俺は俺の都合で救うべき命を選ぶ。人に危害を加えたことはないと、お前はそう説明したな。あの話が虚偽であれば、当然ながら約束は白紙なしだ。魔物として滅するつもりでいるが、それでも俺は"いい人"か?」


 まるで路傍ろぼうの石でも見るような目つき。

 不信感や拒否感といった他人へ向ける感情ではなく、汚物へ向けるのに近い、軽蔑の光をはらんだ眼差しだった。


 咄嗟に言葉が返せず、ルナは胸の中が奥底からぶるぶると震えるのを必死でこらえる。恐怖したのではない。その眼差しにトラウマが刺激され、嫌な記憶が蘇ってきたから。


 いつもそうだ。いつもいつも。

 他人を極度に恐れていながら、それでいて、他人の好意をどうしても諦められなかった。甘い期待を勝手に抱いて、裏切られた気分になって、独りぼっちで泣いて。毎回毎回、その繰り返し。


 こんなに淋しいのに、どうして他人が怖いのだろう。 

 こんなに淋しいのに他人が怖いなら、いったいどうすればいいのだろう。


「逃げたければ好きにしろ。追ってまで斬るつもりはない」


「え……?」


 そう言われて初めて、自分がジリジリと後ずさっていることに気付く。

 本能的な衝動というか、逃げる気なんてさらさらないのに、意図せず体が動いたような感覚だった。


「う、嘘なんか、ついてへんし……」


 どうにか反論できたものの、泣き出しそうになるのをぐっと耐え、震えを帯びた声は、自分の声じゃないみたいだった。


「それなら堂々としていればいい。俯仰天地ふぎょうてんちじず。たとえ真実を語っていたとしても、媚びを売るような真似は人の信頼を損なうだけだぞ。全ての言葉が嘘臭くなる」


「……………………?」


 なんだろう、まるで、大人が子供にする助言のような。

 遠回しに『消えろ』と言われたのかと思ったが、もしかして────……


「吸血鬼なんかと、な、仲良くなれるかって、意味じゃなくて……?」


「誰がそんな話をした? 吸血鬼かどうかは知らんが、少なくとも、俺は種族などというくくりで人品骨柄じんぴんこつがらを評価するほど狭量なつもりはない。お前自身の礼節の問題、薄ら寒い御為倒おためごかしを続けるようなら、これ以上は付き合えんという意味だ」


 距離の詰め方を誤って────のだと思う。


 絶対に改善しようのない事柄。つまり、種族的なことが原因でないと知り、多少、心が軽くなる。そして同時に驚いた。吸血鬼という大きな枠で一括りにするのではなく、自分という、一個人を見てくれていることに。


「しかし……。まさか、小言の一つ二つで泣くとは思わなかった。許せ」


 ズビズビと鼻をすするルナの正面に立ち、クロスは短く謝罪した。

 先ほどの態度から一変、こちらを気遣うような表情で。

 口調にも、ほんのりと申し訳なさが漂っている。


「泣いてへんし。ぜんぜん、これっぽっちも泣いておりませんし?」


 注意されたくらいで取り乱したのが急に恥ずかしくなり、赤面した顔を背けて涙を拭う。


 無口で気難しい男だと認識していたが、たぶん、そうじゃない。

 嫌味なのではなく、並外れて率直なのだ。

 裏表がないというか、思ったことをそのまま口にしているだけ。

 本音しか言わないから口数も少ないし、必然、言い方もキツくなる。


 そう考えると、これまでの立ち振舞いにも一本筋が通っているように感じた。

 

「────って、ちょっと待って」


 そんな風に生きられたらどれほど楽だろう。開放的ともいえる生き様に無垢な憧れを抱いていたが、クロスの発言の中に、聞き捨てならない点があったことに気付く。


「クロさん、さっき『吸血鬼かどうか知らんけど』って言ってたやんな。それ、どゆコト?」

 

「そもそも、俺はお前が人間ではないという部分からして、まだ納得がいっていない」


「そっから!?」


「何を驚くことがある。お前も俺が人間かどうかを疑っていただろう」


 要するに、こちらはあちらを吸血鬼かもしれないと、あちらはこちらを人間かもしれないと、互いに互いの種族を疑い合っているという、意味不明な状況である。なんでやねん。


「え、じゃあずっとウチのこと人間やと思てたん?」


「というより、虚言癖のある浮浪児かもしれんとな」


「なんで!?」


「自分で自分の身なりを見てみろ。それに、これまでに逢った他種族は何かしら身体的な特徴を持っていた。お前は耳も普通なら尻尾もない。どこを見て信じろと言うつもりだ」


「ええわ! ほな証拠見せたるわ!!」


 隠していたのが馬鹿らしくなり、ルナは鼻から下を覆っていた覆面を引き下げ、ンアーっと大きく口を開けて見せる。

 

「……………………舌か?」


「牙や!!」


 たっぷり十秒ほど観察した上で、トンチンカンな感想が返ってきた。

 口の中を見せるの、ちょっとだけ恥ずかしかったのに。


「ベロは別に普通やろ!? 人と見比べたことないから不安になるわ!」


「多少大きいとは思うが、世間はそれを八重歯と呼ぶ。他には何かないのか」


「いや、他って言われても……」


 吸血鬼最大の特徴をあっさり否定され、ムムムと唸りながら頭を抱える。 

 "身体的な"と言われてしまうと、正直、他に見せられるものがない。


 魅了させてくれと言うとまた怒られそうな気がするし、血を吸わせてくれなんて言えば、それこそブチギレられそうで怖いし。体をどこか傷つけて、瞬時に治る様子を披露するのが一番手っ取り早いかもしれないが、痛いのはイヤだ。


紅眼こうがんは? 吸血鬼ってみんな目ぇ赤いし、コレ特徴ちゃう!?」


「たしかに見たことはないが、青や緑の瞳があるなら、赤があっても不思議ではないだろう。俺と同じ黒い瞳を持つ者にも逢ったことがないしな」


「た、太陽の光とかちょっと苦手やし!」


「そんな女はザラにいる。それに真夜中だ、今は」


「あっ! 飛べる……やつもおる!」


「お前は?」


「ウチはまだ成長期というか、なんというか────」


「もういい、分かった。知り合いに孤児院をやっている者がいる。今日は拠点に泊めてやるから、明日そこへ行くぞ。治療院も隣接しているから、ついでに頭も診てもらえ」


「吸血鬼のことナメてんなぁ!? こちとら不死者の王ノスフェラトゥって呼ばれてんねんで!!」


「臭そうな王だな」


 ヒト族ってみんなこんな感じなんかな……?

 

 初めて出会った人間がかなりの特殊事例だと気付かぬまま、少女は一抹の不安を抱えつつ、一生懸命力説を続けた。



﹏﹏﹏﹏﹏﹏﹏﹏﹏﹏﹏﹏﹏﹏﹏﹏﹏﹏﹏﹏


いつも拙作をお読みいただき誠にありがとうございます。

四辻いそらでございます。

 

明日8月25日(金)、拙作の第二巻が発売されます!

前巻よりもずいぶん頑張って加筆いたしましたので、書店でお見かけになった際は是非お手にとっていただけると幸いです!


また、近況ノート、X(旧Twitter)ではお知らせいたしましたが、今回は各店舗様のご購入特典SS以外にも、MFブックス様の十周年記念SS、初回出荷分限定の特別しおりSSなどがございます。詳しくはMFブックス様特設HP(https://mfbooks.jp/anniversary/10th/)をご確認くださいませ。


さて、筆者は来週から世間様とは周回遅れの夏休みが始まります。

第三巻の原稿は10月末が締切と言われておりますので、ようやくWeb連載へ復帰できそうな展望となりました。せめて一回くらいどこかへ遊びに出掛けたいとは思いますが、執筆も頑張りますので、どうか気長にお付き合いいただけますと幸甚でございます。

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