第80話 冒険者さん、帰宅する

 月明かりに照らされた農場沿いの畦道あぜみちに、二人分の足音が寂しく響く。

 小砂利が塩を撒いたように凍てつき、乾いた空気を吸うたびに、鼻の奥がツンと痛むような冷たい初冬の匂いがした。


「そういえば俺、門から歩いて帰るのってこれが初めてかも」


「…………儂もじゃな」


 間を持たせるつもりで言ったフランツの言葉に、ため息を吐くような調子の短い同意が返ってくる。喋るのも億劫おっくうと言わんばかりの、会話を広げようとする意志の感じられない、心底気だるそうな声だ。


 ちらりと様子を窺ってみると、案の定、バルトの表情はこれ以上ないくらいに疲れ切っていた。深く落ちくぼんだまぶたと薄いくま。肉付きのよかった頬にも皺が増え、三つ四つ老けたような酷い有様かおである。


 しかし、それも仕方のないことだと思う。

 文字通り、飲まず食わずの不眠不休。昨日の朝迷宮を出発したときから数えれば、もうほとんど丸一日動き続けている計算になるのだ。


 マウリの誘拐から始まり、クロスの負傷、強制依頼への参加。立て続けのトラブルに加えて、長丁場の戦闘が終わってやっと一息ついたところに『歩いて帰れ』と無慈悲な宣告をされた。頑丈タフが取り柄の鍛冶人ドワーフだって、こんな顔になって当然だろう。


 暗い夜道を延々と歩み続けることしばらく。足が棒のようなるという表現が、まったく実感のある形容だということがよく分かった。いつも乗り合い馬車が走っている通りから外れ、広大な休耕地のど真ん中を突っ切る近道を選択したのだが、そもそもこれが失敗だったのかもしれない。


 見覚えのある畑、見覚えのある小川、見覚えのある星空。

 虫の鳴き声すら聞こえない農道は、歩いても歩いても同じ景色ばかりで、まるで時が止まってるような感覚だった。周囲の景色が単調なせいか、数分前に見た光景を繰り返している気分。着実に家路を進んでいるという達成感や満足感が、これっぽっちも得られないから。


「「…………………………」」


 倦怠期を迎えた夫婦みたいな沈黙。先ほどの短い会話から数秒が過ぎ、さらに数十秒が経過したが、どちらも何も話さない。


 ザッザッザッと足を引きずるような重く乾いた音をたてながら、二人はろくすっぽ口もきかず、ただただ懸命に歩き続けた。満天の星空が、ほんのわずか白んできたように見える。そろそろ夜明けが近い。



・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・



「一番乗りじゃなかったみたいだね」


「うむ。やけに早いが……誰かの?」


 ようやくうるわしのオンボロ屋敷を視界に捉えたのだが、一階の窓から蜂蜜色の明かりが漏れ、煙突からはもうもうと白い煙があがっている。どうやら誰かが先に帰っているらしい。


「ただいまー」


 建付けの悪いドアを開け一歩中へ入る。と同時、ぶわりと湿気を含んだ暖かい空気の波が頬を撫でた。暖炉には火が焚かれ、冷え切った外とはまるで別世界。バラバラだった心と体がやっと一つに戻るような気さえする。

 

「ん? もふぁえい〜」


 挨拶を返したのは、食卓でスープらしきものを食べているマウリだった。


 奇妙な言い方だなと思ったら、スプーンをくわえた口をモグモグさせたまま、両手でパンをちぎっては次々と皿へ放り込んでいる。

 よっぽどお腹が空いていたのだろう。こちらに目もくれず、テーブルの上は『アヒルが食べたの?』と思えるくらいとっ散らかった状態だ。


「お前さん一人か?」


「まあな。思ったより早く片付いてよ。そっちは────……」


 マウリはゴックンと口の中を空にして、プラプラとスプーンを振りながら答えた。が、すぐに煙たそうな顔で動きを止める。


「湯沸かしてあるから、先に裏で汚れ落としてこいよ。ひっでぇ臭いだぜ、二人とも」


 煮込まれた牛骨と香味野菜。

 こちらからは食欲をそそる香りしか感じなかったが、どうやら鼻が馬鹿になっていただけだったらしい。


「ありがとう。そうさせてもらうよ」


 風呂の用意をして勝手口から外へ出ると、湯鍋が火にかけられたまま沸騰していた。いまだに辺りは仄暗いが、気がつくと星々はすっかり消え、東の空も青白い。流石にこの時間から湯船に浸かる元気はないので、川の水を直接鍋に足して温度を調節する。


「バルト、肩のところアザになってるよ」


「このごろ頭でなく肩で盾を支えるようにしとるからの。どってことないわい。お前さんこそ、脇腹が少し腫れとるぞ」


 互いの負傷を確認しながら、二人してジャブジャブと体を洗う。肌から薄っすら立ちのぼる湯気が、焚火の明かりに照らされて陽炎みたいだ。


「しっかし、こんなに落ち着いて風呂に入れるのも久々じゃな」


「ホントだね」


 実は、最近こうして風呂に入っていると、アルチェが誰彼構わず凝視してくるという問題が悩みのタネになっていたのだ。


 薪置場の横にある物置小屋をバルトが厩舎きゅうしゃっぽく改装してくれたのだが、彼はその入り口から頭を半分だけ覗かせた状態で、ジーッと粘り気のある視線を向けてくる。いつもいつも騒がしいくせに、その瞬間に限ってひっそりと。まるで気配でも殺すみたいに。


 気味が悪いというのは少し強すぎる表現かもしれないけれど、単なる馬の習性と判断するには納得のできない部分があった。どことなくゾワゾワするというか、興味本位で眺めているんじゃなくて、こっちが隙を見せれば襲いかかってきそうな、そんな雰囲気。小屋の場所を移設しようかなんて話し合うくらいには、みんな本気で嫌がっている。


 タイメンには申し訳ないが、今夜はアルチェが留守でよかった。


「ところで、今さらなんだけどさ。コレ、勝手に使っちゃってよかったのかな?」


「分からんが、元に戻しておけばバレやせんじゃろ」


「いや、うーん…………」


 周囲に漂う甘ったるい香り。

 風呂を囲む衝立にぶら下げっぱなしになっていた石鹸を拝借したのだが、普段使っている獣脂と木灰を混ぜた安物と比べて泡立ちがいい上、精油のような強い香りまでする。おしゃれな風に言うとフローラルな香りというべきか。染み付いた死臭を誤魔化すのにちょうどいいやなんて思っていたけれど、後から匂いでバレるのは目に見えていた。


 察するに、クロスかパメラの私物だろう。ただ、彼らがこんな大切なものを放置するとは思えない。となれば、無断で持ち出した犯人にはおのずと目星がつく。


「嗅いだことのない匂いだし、たぶん新品だと思うんだよね。コレ」


「パーティーの揉め事を解決するのも、リーダーの立派な仕事じゃと思わんか?」


 バルトは面白いことが起きそうだと言わんばかりに、いじわるそうな顔で笑った。

片眉を上げ、ひげの中でニッと微笑むような意味ありげな表情。


 元気になってくれたのは嬉しいけど──────


「都合がいいなぁ…………」


 だいぶ目減りしてしまった石鹸を手に、フランツは物憂げなため息を吐く。勝手に使ってしまった以上、自分たちも同罪だ。


 もしこれがパメラのものだった場合、彼女はきっと大騒ぎするだろうが、同じ石鹸を贈ると言って誠心誠意謝れば、それで許してくれると思う。

 問題はもう一人の方だ。彼の怒りを買った場合、次の訓練がどんな厳しさになるか、想像するだけでぐったりする。


「クロスはお風呂入りたいって言うだろうし、準備しとこうかな」


 まだどちらの所有物かは分からないものの、用心するに越したことはない。

 フランツは少しでも彼の機嫌を損ねまいと、湯冷めをいとうことなく風呂桶の掃除を始めた。



・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


 

 一通り装備品の洗浄も終え、二人は寝巻きに着替えて拠点の中へ戻る。

 いや、終えたというより、諦めたという方が正しいか。軽く水で流したくらいでは全然臭いが落ちなかったので、本格的な整備は夜が明けてからにしようということになった。布地と革が多く使われた装備は専門家に任せないとダメかもしれない。


「……ちったぁマシになったな。食うだろ?」


「ありがとう。腹ペコだったんだ」


「いただくわい」


 マウリはもう食べ終わったらしく、二人分の食事を用意してくれていた。先ほどのスープとパンに加え、サラダとホットワイン、ステーキまで。


 生肉の備蓄なんてしてたっけ、と一瞬不思議に思ったが、よく考えれば風呂へ向かう前に魔法袋を棚の上に置いていた。魔牛ワイルドブルの肉を取り出して、わざわざ料理してくれたのだろう。

 靴の裏側くらいの大きさで、厚さも一センチに近い肉。正直、この時間から食べるには重たすぎる料理だし、あのおぞましい戦場を見たあとにステーキはキツい。それでも、フランツにこの好意を断る勇気はなかった。


「それで? やけに元気そうに見えるが、伝令隊そっちはどんな塩梅あんばいだったんじゃ?」


 酒杯を空にしてふうと一息ついたあと、ほどよく体が暖まったのか、バルトはやや紅潮した顔で話題を振った。


「どうもこうもねえ、グッダグダだよ。ラクできたのはいいんだが、結局、伝令で走ったのも一回こっきりだったしな」


「たったの一回……? 担当はどこだったの?」


「ギルドから前線基地までだ」


 それを聞いた二人は目を丸くした。なぜなら、マウリの言った区間は通常最も忙しく、最も多くの人員が配置される場所だったから。


 都市の命運を左右する大量発生スタンピードでは、当然ながら領軍が指揮権を握っている。各ギルドはその傘下に入り、あくまで実働部隊として戦っているだけだ。つまり指揮命令系統の最上位は領主となるため、領主城からギルド、ギルドから前線、前線から最前線へと大枠の指示が飛ばされ、現場の状況はまた逆の道のりを辿って報告される仕組みとなっている。

 ただし、目まぐるしく変わる戦況にいちいち領主の指示を仰ぐいとまはなく、実質的な指揮拠点を担っているのは前線基地だ。今回でいえば、自分たちが一時撤退した丘のふもとあたりに布陣していただろうか。最前線の指揮を執りつつ、ギルドへ適時支援を要請。中間地点としての役割を果たすため、必然、そこへ多くの人員が割かれることになる。


「いつもの強制依頼なら、アッチ行けコッチ行けって、ウザいくらい指示が飛んでくるもんだろ? 今回、お前らのトコに伝令って来たか?」


「そういえば…………」


 戦闘要員として参加するのは初めてだったので、あまり気にしていなかったが、たしかに、言われてみると伝令に来たのはあの兎獣人ラピヌの子一人だった。


「指揮が混乱しとったのか?」


「たぶんな。領軍の兵士が話してんの聞いた感じだと、どうも、城の方からの連絡がパッタリ途絶えちまってたみてえだ。俺が前線に送られたのだって、他の伝令が行ったっきり戻ってこねえから、その原因だけでも調べてこいって指示だったんだぜ?」


 マウリによると、戦略方針の定まらない前線基地は、現場の指揮官、つまりギルドマスターたちに対応を丸投げするという結論を下していたらしい。領主不在の影響があるとはいえ、ずいぶんとお粗末な話である。


「そんだけ長く待機させられてりゃ、誰だって眠くなんだろ? なのにディアナがずーっと不機嫌で、居眠りしてるヤツらに怒鳴り散らしたりしててよ。散々だったぜ」

 

 はっきりそう言わなかったものの、その表情は明らかに怒鳴り散らされた側の顔だった。元気いっぱいなのはそういうことか。


 ちなみに、ギルドは続々と集結する冒険者たちを、いつ、どこへ、どれだけ送り込むかなど、前線基地からの情報をもとに随時部隊編成を行っている。その報告が滞っていたとすれば、彼女の心情も分からなくはない。


「何時間も待ちっぱなしかぁ……。それはそれでしんどそうだね」


「今の体調なら、魔物より睡魔と戦う方が不利かもしれんわい」


 バルトは冗談めかして笑ったが、それは、何度も強制依頼を経験している彼だからこそ言える言葉だと思う。

 あれだけ大規模で長時間に及ぶ戦闘。自分なんて、いまだに『起きろ』という警報が頭の中でわんわん鳴っている。こういうのを一種の興奮状態と呼ぶのだろうか。高ぶった精神と疲れた肉体が上手につながっていないような感覚だ。


「そっちも見たとこ無傷みてえだな。明日からはどうする?」


「詳しくは全員揃ってから相談だけど……。迷宮の戦利品がそのままだし、いつも通り装備の整備と並行して売却する流れかな」


一番鳥いちばんどりが鳴きわたる時刻。朝日はまだ姿を見せていないものの、夜明けと呼べるだけの明るさが窓の外にある。

 もう"明日"ではなく"今日"じゃないかなと思ったが、どのみち皆の無事を確認してから一旦眠るつもりだったので、あえて訂正はしなかった。マウリ以外のメンツはクタクタだろうし、本当の意味で明日から行動開始になるかもしれない。


「今回は魔物の素材が多い。整備組と売却組、二手に分かれて動くのがええじゃろ。お前さんのブーツも、一度しっかり魔導具師に調整してもらわんとな」


「俺、午前中はギルドで報告会に参加しなくちゃなんねえからよ。悪りぃが、それ終わってから合流しても──────」


 マウリはそこまで言って口をつぐみ、玄関の方を振り向いた。

 突然、何かを察知したみたいに。


 数秒の間を置いて、コンコンコン、と規則正しいリズムでドアを叩く音が響く。


「…………ウチの連中なら、わざわざノックなんてしねえよな」


「でも、こんな時間に来客なんて────」


 密談でもするかのように声を落とし、テーブルの中央に顔を寄せて話す。

 深夜と早朝の境目。人の家を訪ねるにはあまりにも非常識な時間帯に、いやおうにも警戒心が強まる。


「待て待て。ティルタンたちがパメラを連れて帰って来たのかもしれんぞ」


「「あー……」」


 台本でも用意していたように二人の声が重なった。 

 彼女は旧友との再会をことのほか喜んでいたし、魔力切れになるくらい調子に乗った可能性は高い。


「なんか、目に浮かぶなぁ。それ」


「あの馬鹿、ハリキリすぎて寝ちまったパターンか?」


 フランツはやれやれと苦笑しつつ玄関へ向かう。

 ガチャリと、いつもより重たく感じるドアを開けた、その瞬間────綺麗に磨かれた革靴が勢いよくじ込まれた。


「どーもどーも、夜分に失礼!」


 耳障りな甲高い声。訪問者はグッと強い力で無理やりドアを開き、隙間から体を滑り込ませるようにして勝手に中へ入ってきた。

 見ず知らずの男だ。背丈が低く、色白の小太り。ギョロギョロした大きな瞳と膨れ上がった下腹が、どことなくカエルっぽい印象を抱かせる。


「人間、鍛冶人ドワーフ小人ホビット……。残念至極、三人だけか」


 男は呆気にとられる面々の顔をゆっくりと順に見回し、真横で立ちすくむフランツにニッコリと笑いかける。


「さてさて。フランツくんというのはキミのことだね?」


 決めつけてかかるような断定口調。

 表情は一見穏やかでも、言葉の端々に高圧的な態度が見え隠れしていた。


「そうですが……。あの、どちら様で────?」


「確保しろ」


 その一言を待っていたかのように、開け放たれたドアからドカドカと数名が踏み込んできた。背後から急に羽交い締めにされ、フランツは反射的に振り払おうとする。


「ちょっと、何を────!?」


「抵抗するなッ!!」


「おいっ! いきなり何のつもりだてめぇら!!」


 マウリはテーブルの上にあったステーキナイフを手に、椅子を蹴飛ばして威嚇する。が、侵入者たちはそれを一切気に留める様子もなく、淡々と会話を続けた。


「副長、この二名は?」


「放っておけ。連行対象はこの男一人だ。それより二階を捜索してこい」


「了解」


じゃと……!? 何者じゃ貴様ら! 名乗らんかッ!!」


「はぁ……。いつだって騒々しいね、冒険者ってのは。せせこましい家なんだから、そんなに大声でわめかなくたって聞こえてるよ」


 面倒そうな顔でツカツカと歩み寄ると、男はバルトの鼻先に一枚の紙を示した。

 次にマウリ、最後にフランツ。まるで住み慣れた家にでもいるかのように、好き勝手に歩き回る。


「キミらが文字を読めるかどうかは知らないが、この書類の意味は分かるだろう?」


 男が元の位置に戻るころには、怒号を上げ、殴りかからんばかりに勢いづいていた三人の顔から血の気が引いていた。部屋は吐息が聞こえるほど静まり返り、二階の個室を荒らし回る音だけが虚しく響く。


 突き出された書類には、よく見覚えのあるものが描かれていたのだ。


 城門や広場や大通り。この街に暮らす者なら誰もが知る紋様。そう、ちょうど先日、レナルド様が乗っていた馬車に刻まれていたのと同じ家紋だ。


「私はアンギラ領軍所属、衛兵部隊副長のニコラス。領主代行の命により、Eランク冒険者フランツを国家転覆罪の嫌疑で逮捕する」


 男は何ら感情を交えず、事務的に逮捕状の内容を読み上げた。




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