第81話 お侍さん、約束を守る

「ほな第九問! 吸血鬼女子はいっつもだいたいスッピンです! その理由は!?」


「…………べに白粉おしろいが高価だからか?」


残念ブブーッッ! 正解は"鏡に映らないからお化粧したくてもできない"でした〜っ!!」


 人を食ったような口調と大げさな身振り手振り。

 眼をキラキラさせた表情は満足げで、芳香を嗅ぐように鼻孔が広がっている。


「こう、キメ顔でグッと気合入れてたら映るんやけどな。でも逆に、そこまでしてお化粧してたら必死感あるやん? うわ見てあの子、今日絶対デートやでアレ……みたいな。だからみんなここ一番ってときしかせえへんねん。おもろない?」


「……そうだな」


「せやろー? 不死者の迷宮って深層が居住区になってるから、お化粧してくれるお店とかも一応あったりすんねんで。入るの恥ずいし、いつ見てもガラッガラやけど。あっ、これ内緒のやつな? 絶対誰にも言うたらあかんで」


 この女童じょどう────本当に、感心してしまうくらいずっと喋っている。

 「第二回吸血鬼講座や!」と謎の宣言をしてから、訊いてもいない魔族の生態を延々と。


 『あんなー』『ほんでなー』『あとはなー』『他にもなー』と、勝手気ままに話しているのをぼんやり聞き流していたところ、どうやら、こちらの反応の悪さを見て作戦を変えたらしい。第一回がどこからどの部分だったのかは覚えていないが、長ったらしい講釈では関心を誘えないと判断したようで、唐突に謎掛け問答へ移行し現在に至る。

 

 かれこれ半刻一時間以上は休みなく喋り続けているだろうか。

 はしゃいでいる風にも見えるが、それだけではあるまい。

 

 "眼は口ほどに物を言う"とはよく言ったもの。つい今しがたの発言にしても、秘密にしろという言葉に反して、チラチラと期待感のこもった眼差しが向けられていた。それはもう、「こんな話題なら食いつくかな?」と言わんばかりに。年齢を訊いてもはぐらかされてしまったが、そういった挙動を隠せていない未熟さからして、大して年寄りでもないような気がする。


 いずれにせよ、少しでも信用されたいという思惑が見え透いていた。

 

 そこまではらうちが読めているのなら、雲煙過眼うんえんかがん、黙殺するのも一つの手段だろう。そもそも、知りもしない生き物の習性について答えられるはずがなければ、こんな茶番に付き合ってやる義理もない。

 しかし、この。構わずに放っておくと、猫が鳴くようになーなーなーなー騒ぎまくるのだ。そのやかましさたるや、吸血鬼には喋り続けないと死ぬやまいでもあるのか、と黒須が本気で疑い始めるほど。無視できず、かといって、また泣かれると面倒なので叱りつけることもできず。こうして不毛なやり取りを余儀なくされていた。


「どうどう!? ボチボチ吸血鬼に興味でてきたんちゃう!?」


「…………………………」


 否定すると話が長くなりそうなので、頷くか頷かないかくらいの首肯でもって応える。


 大きな抑揚をつけて語尾を長く上方言葉かみがたことばは、馴染みが薄いからか、随分と奇妙なものに感じられた。語法が独特で、まるで狂言の台詞を聞いている気分。一つ一つの所作が芝居じみているというか、実際の感情以上に仰々しく話しているというか。嘘を吐いているわけではないものの、常に要所要所を誇張するため、少なからず演技的に思える要素がある。


 だからこそ真意を正確に捉えきれず、確信が持てなかった。

 この魔族と名乗る小娘が、自分たちとは大きく異なる存在であると。


 黒須にとって、ルナの正体が吸血鬼かいなかはさしたる問題ではない。相手が何であれ、敵対するなら斬り捨てるのみ。ただ一点、頭のすみにひっかかっているのは、会話の中にあった何気ない一言だ。


『ヒト族って、魔物も魔族も一緒ごっちゃにしてんねやろ?』

 

 化粧がどうのと年相応の話題に花を咲かせ、他人から信用を得ようと試行錯誤するその姿。人間と────いや、そこらの町娘と一体何が違うというのか。


 実を言うと、以前にも似たような疑問を抱いたことがある。身分証欲しさに冒険者ギルドを訪れ、ディアナに逢った、あのときだ。小鬼が魔物で獣人は他種族。フランツたちの語るその"曖昧な線引き"が、黒須にはよく理解できなかった。


 魔族と他種族、その相違点はどこだ。


 外見が基準ではないだろう。口を閉じれば隠れる程度の牙と、頭から生えた大きな獣耳。どちらがより異形に見えるかは論をたん。蜥蜴人さえ他種族と認識され、代官に据えられている。

 仮に善悪をその境界とするならば、それこそ、種族などという単位でははかれないもののはず。なぜなら人間の中にも、生きる価値のない塵芥クズは大勢いる。野盗のように、笑いながら平然と赤子を踏み殺すような連中だ。


 となれば、評価すべきは"ぐん"でなく""。

 一人一人の性質であってしかるべきではないのか。


 黒須は無言のまま隣を見つめ、じっと注意深く観察する。

 次はどんな問題を出してやろうかと、眼をつむり、腕組みしてウンウン唸る魔族の様子を。


 …………魔物どころか、仲間の誰かが友人だと言って連れてくれば違和感すら持たんだろうな。


 ルナの言葉を全て鵜呑みにしたわけではない。ただ、この能天気な顔つきからして悪意がないのは確実だ。他の吸血鬼がどうかは知らんが、人を襲ったことがないという件も恐らく事実。


 それはつまり、善良な魔族が存在することの証左なのでは────?


「よぉーし! 決めたっ!」


 答えの出ない逡巡は、無邪気な掛け声によって掻き消された。

 今にも歌い出しそうな、明るく、二弦琴にげんきんのように弾んだ声だ。


「いよいよ最終問題……。これを逃すと賞品の獲得はなし! クロさん、まだ頑張れるか? 準備できてる!?」


「引っ張るな。着物がずれる」


 興奮しているのか、グイグイと遠慮会釈のない手付きで袖を引かれる。

 たしかに媚を売るような真似は好かんと言った。それにしても、いきなりここまで馴れ馴れしくなるとは予想外だ。


 ちなみに、賞品というのは『美少女から直接血を吸ってもらえる権利』のことらしい。自信満々に美少女だの権利だのと言ってのけるあたり、自己評価が高いのか低いのかよく分からん小娘である。

 一問でも正解すれば獲得できるそうだが、心底不要ものすごくいらない。さらに言えば、不正解のたび悲しそうに腹をさする様子からして、単に自分が血を吸いたいという本音も見え隠れしていた。


「じゃあ行くで! 第十問! 吸血鬼には屍人グール以外にも使役できる動物がいます! それを一種類でいいから答えなさ────」


「待て」


 ルナの意気揚々とした出題を、黒須は片手を挙げることで制した。

 その手をそのまま耳に添え、全神経を集中する。


「どしたん?」


「……この音は何だ?」


 北区の住宅街を抜け、間もなく畑の多い地域に差し掛かろうかというところ。どこか遠くから、カランカランという澄んだ音が聞こえてきた。鈴よりは大きいが鐘よりは小さい。神社の参拝で鳴らす本坪鈴に近い音色だ。


「それウチに聞く? 何時ですよ的なアレちゃうの。知らんけど」


「時の鐘は夕刻までだ。こんな真夜中には鳴らん」


 それにこの音、一つではない。黒須たちの進む三叉路の正面、二股に分かれた通りの左右両側から近づいてくる。まるで、


「…………嫌な予感がする。覆面をしておけ」


 黒須の真剣な言い方に危機感を覚えたのか、ルナは何も言わず忠告に従った。

 

 顔を隠している最中も音は絶え間なく鳴り続ける。静まり返った街にそぐわない音量は徐々にその大きさを増し、やがて靴音や怒鳴り声、鎧の上下するガシャガシャという騒音までもが加わった。


「クロさん、あっちあっち。なんか光ってるで」


 夜目が利くのか、先に気がついたのはルナだった。

 右の通路の暗がりに、ぼうっと浮かぶ小さな明かり。以前フランツが買ってきた角灯ランタンの揺らめきに似ているが、一点、大きな違いがある。


「気味の悪い色だな」


 明滅する赤紫の炎。道や人家をほのかに照らすその灯火は、季節外れの紫陽花のような色をしていた。


「急げ! こっちだ!」


 距離が近づき、建物の影に隠れていた姿が月明かりによって暴かれる。鎧の音から予測はしていたが、角灯を持って先頭を駆けているのは兵士だった。


 あの身なり……。衛兵、と言ったか。面倒だな。

 

 諸所の警衛に当たる、日本の番士に相当する役職だったと記憶している。数は五人。いや、左の通りから来る連中も合わせれば十人か。それぞれ角灯を持つ先頭とは別に、小型の鐘を振って走る者がいる。初めて見たが、どうやら警鐘けいしょうの一種だったらしい。


「やり過ごすぞ。お前は黙っていろ」


「で、でも────」


 弱々しい怯え声。向かってくる連中がどんな相手かも知らないだろうに、ルナは眉を曇らせ、酷く不安げな顔をしていた。


「案ずるな。仲間の意見を訊くまでは護ってやるという約束だ」


「…………ウチのこと、信じてくれるん?」


 不信、動揺、狼狽、憂苦。

 こちらをまっすぐ見上げる赤い瞳に映るのは、臆病な童子こどもの感情そのものだった。それ以外の何者でもない。まさに、打ち捨てられた迷い子の眼だ。

 

「吸血鬼云々うんぬんは眉唾だが、友が欲しいと願うその目的は信じていいと思っている」

 

 ルナの頼りない表情は、黒須がそう結論を下すに足る十分な理由となった。

 寄るのない無告の窮民きゅうみん。弱き者。戦えぬ者。これを護らずして、何が武家か。何が武士か。ここでこの眼を信じねば、祖神英霊から嘲笑わらわれよう。


「お前、俺を……人間を怖がっていただろう。不死だなんだと言いながら、震えて、べそをかくほどに。それでも懸命に訴えたな。自分は悪辣あくらつな存在でないと」


 この国の人間と魔族の間に何があったのかは知らん。種全体を害獣と同列に見做みなすなど、余程の事情があるに違いない。ただし、そんな軋轢あつれきも、確執も、対立も、他所者たる俺には関わりのないことだ。


「踏み出した勇気の分だけ、お前自身を信用しよう」

 

 背中にルナを隠すようにして、黒須は一歩前へ出る。

 庇護欲をくすぐられたわけではない。ただ、武家の本領が童子を見捨てるという選択を許さなかった。それだけだ。


「そこの男、止まれッ!!」


 衛兵どもはこちらへ到着するやいなや、開口一番そう叫んだ。

 やけに離れた位置で停止したかと思えば、なるほど、全員がいしゆみを携えている。


「伍長、この色は……?」


暗紅色ローズマダー、か? 完全な赤色反応せきしょくはんのうではなさそうだが……。油断するな」


 角灯と警鐘を持つ兵が密談でもするかのように顔を寄せる。

 この様子からして、隊を仕切っているのはこの二人か。


「おい、人を呼び止めておいて何をぼそぼそ話している。用がないなら行くぞ」


 いつまで経っても話しかけてくる気配がないので、あえてこちらから声をかける。

 すると突然、困惑するようなざわめきが起きた。


「────聞いたか、今の?」


「共通語を話したぞ」


「どうなってる……。魔道具の誤作動か?」


「二つ同時に? まさか、ありえん」


「いや待て……。後ろにもう一人いる」


 無数の視線が一斉に黒須の足元へ注がれる。

 できるだけ身を縮めてしゃがみ込み、黙りこくっていた小さな影に。


「いくつか聞きたいことがある!」


「何だ。先を急ぐので手短に頼む」


「お前じゃない! そっちの子供にだ!」


「悪いが、この娘は生まれつき口が利けん。話なら俺が────」


 舌先三寸で煙に巻こうとしたところ、ふいに、声をかけてきた兵士の顔が強張った。ぎょっと、氷で背筋を撫でられたような驚愕の表情だ。


「そ、その瞳……っ!?」


 振り返ると、ルナも兵士と同じような顔で硬直している。

 互いの視線の向きからして、どうやら足の隙間から眼が合っているらしい。


「吸血鬼だ! 総員、射撃用意!!」


「──────ッ!?」


 慌て者め、問答無用か……!


 衛兵が弩を構えた瞬間。脳が危険を察知したせいか、時間の感覚が大幅に延伸された。ゆるやかになる視界と裏腹に、思考速度は加速する。


 この距離、この数────かわしきれん。

 ルナを掴んで横へ跳ぶより、矢の届く方が数段早い。

 斧槍で弾くか? いな、それで防げるのは己の身一つ。下手に動けば背後に被害が。

 

 永遠のように長い一瞬。衛兵どもの指が引き金にかかった。

 もう悩んでいる暇はない。


「撃てぇッッ!!」


 号令に合わせ、斉射が実行される。

 斧槍を投げ捨て両手を広げる、黒須の全身に向けて。

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