第4話 スパイ
辺りには異様な香りが立ち込めた。これが硝煙の香りかと、普は気が付く。
「はずしてしまいましたか」と彼は言った。
手にしているのは拳銃1丁。文科省直属の「桜ノ島対策の会」の人間が持つには、およそあり得ない得物だった。対策の会は武力行使ではなく、話し合いによってのみ解決に導く。それは第二次世界大戦後に日本が学んだ交渉術の1つだった。
周囲にいる何人かも息を吞んで内山を見ていたが、また他の3人くらいの人たちがそれぞれ素手を構えていた。どうやら武器を持っているのは、内山だけらしい。
「え……?」
丸井が呆然としながら内山を見つめた。立ち上がろうとしたとき、銃口が彼女の方を向く。丸井はすぐさま身構えた。
「あんまり驚かないんですね。田村先輩も、斎藤さんも」
銃口を丸井に向けながらも、内山は普と斎藤を交互に見ながら問いかけた。
「……葵少年がね、教えてくれたんだよ。裏切り者がいるって」
「ああ、なるほど。だからあのとき彼は、先輩にぶつかったのか」
普の隣で斎藤が途方に暮れた顔で「何故だ」とつぶやく。内山の銃口は、今度は斎藤へと向く。
「政府から直々に頼まれまして。桜ノ島の巫女を保護に加担しなければ、報酬とそれに見合う地位を約束されました。新人でまだ若いもんですから、抜擢されたってわけです」
「――どこかおかしいと思ったんだよ。そもそも何故島から来訪する人間のリストがないのか。日本側が島の人間たちを注意しているはずなら、彼らが来訪した時点で逐一チェックを入れているはずだ。プライバシーの保護がどうとか言われたら、そりゃ個人情報の保護について何より敏感な日本はそうせざるを得ないだろうと、無理やり納得したけれど」
内山はケラケラとさもおかしそうに笑った。
「先輩は良い人ですね。そうやって良い子を演じていたから消されずに済んだんです。だけど彼は消された」
「
「はい。椋くんの宿泊している小桜の家に流しましたよ。まあ向こうも、彼の動きについて信頼できる情報をつかんでいたようですが、僕が流した情報で決定的になったってわけです。もともと日本政府は巫女なんてどうでも良いんですよ。たしかに島の連中は人身御供なんてヤバいことやっていますが、その分。島の風土、歴史、文化を何より大切にしている。決して今の生活を変える気なんてないんです。日本は緑と水にめぐまれた土地だなんて持ち上げる人がやたらいますが、戦後の開発でそれらは着実に失われていっています。環境に対してもよろしくないんです。その点、島の存在は都合が良い。日本がまだそういう国だということをアピールできるんですから。もし、島が完全に日本のものと認められたら、どうなると思いますか? 上陸した科学者らはまず最初にあの桜の木について調べようとします。いったい何故枯れないのか、もしかしたら枯れる方法があるのではないか。そして研究所を建てたり、観光名所にしようと多くのホテルや観光にふさわしい建物がうまれることでしょう。車が頻繁に島じゅうを行き来するようになり、やがて島は汚染される。くさってしまうんです。そうならないためにも、島は現状のままが良いんです」
「下手をしたら、人が何百、何千と死んでいるんだよ。そんなの」
「人がたくさん死んでいようと、自然だってその分だけたくさん失われています! 人間のほうが優れているなど、思わないでいただきたいっ!」
叫ぶなり、内山は銃口を天井へ向けた。瞬時にその場にいた全員が身構えるが、彼はそれから何もしなかった。「弾は限られているので、あまり無駄遣いしたくないんです」と笑った。
「今まで政府は、対策の会の行いについては黙認してきました。解体させなかったのは、世論の声があったからです。無能な集団は解体しろ、無駄な税金を払わせるな、そう息巻いている連中もいますが、そういった意見と同じくらい、ここで解散させたらそれこそ島の少女を見捨てることになると擁護する人もいる。だからあくまで政府は対策の会をそのままに放置してきた。しかし事態は思わぬ方向に動き出しました。島の住民である薬師という少年が今年に入って対策の会と接触をはかったというではありませんか。当時まだ学生で、対策の会に入社する予定だった僕は、突如文科省の方や政府の偉いさん方に呼び出され、こう言われました。『キミをスパイとして雇いたい。対策の会に所属しつつ、逐一彼らの動向を我々に伝えよ』と。スパイなんてしたことないから乗り気ではなかったのですが、報酬も将来性も約束されてしまえば、二つ返事でオッケーしましたよ」
「キミたちはどうやら四人体制らしいけど、その人数相手に僕ら全員を倒せると思っているのか?」
普の挑発に乗らず、内山は
「一般の日本人は銃をこんな間近で見たことないでしょう? それにこの3人は政府御用達の用心棒ですから。あなたたちをびびらせるには充分です」
「けどキミはついこのあいだまで学生だったから、銃の扱いなんて知るわけもない」
「ふんっ、悪いですがこう見えて趣味はサバゲーですよ」
「嘘ばっか」
普はつぶやくなり、椅子を持ってそれを力いっぱい投げつけた。すぐに内山はそれを避け、銃口を普に向けざま、引き金を引こうとした。しかしそこから弾丸は発射されない。内山は慌ててスライドを引き戻そうとするが、一歩遅く普はテーブルを飛び越えて彼に飛びかかった。そのまま押し倒そうとしたとき、横から鋭いタックルを喰らわされる。彼の体はたやすく吹っ飛び、ホワイトボードに激しく体をたたきつけた。
「田村っ!」
斎藤はすぐに名前を呼ぶが、直後横から2人の男が斎藤に飛びかかった。斎藤は頭を強く床に打ちつけ意識を失い、続けざまに男は隣にいた丸井の鳩尾に拳をたたきつける。他の者たちはそれだけの動きを見てもう抵抗する力も失われた。呆然と目の前の光景を眺めるだけだ。
普は激しく咳き込む。体じゅうが痛い。その上頭もぐわんぐわんする。だが、船酔いは覚めた。全身を貫く痛みに体じゅうが悲鳴をあげたが、それでもなお起き上がろうとしたとき。内山の銃口が普に向いた。
「正解ですよ。僕、サバゲーなんてやったことありません」
「だろうね……」
「どうしてわかったんです?」
「弟の趣味が、ゲームでね。デジタルのサバゲーだけど、っ……、ちょっとだけ、僕もかじったんだ。はあ……、拳銃には色々あるけど、キミの持ってるその銃は自動拳銃といって、安全ピン、次弾を装填するためのスライドが、必要……。けどキミは、それらの操作をするのに手間取った。銃の扱いに慣れている人が……、そんな初歩的なミス。するわけがない……」
「へえ、なるほど。教えていただきありがとうございます」
今度こそ内山の銃の引き金は、引かれようとしていた――。
そのとき、ものすごい叫び声をあげながら、何人かの人間が一斉に内山にタックルを喰らわせた。吹っ飛ぶ内山。彼の手を離れる拳銃。タックルを喰らわせた人に、内山の配下の男が食らいつこうとするが、その後頭部に別の誰かが椅子を激しく叩きつけた。
そこから会議室は大乱闘の体となった。対策の会を止めようと実力行使に出る者、それに抗う者。武力的には向こうの方がはるかに勝っていたが、何分人数が少ない。すぐに決着はついた。
普は床に転がった拳銃に手を伸ばし、それに触れた。冷たい金属だった。それを手に取り、まず安全ピンをかけておく。それからズボンに引っ掛けるようにしてしまった。もしかしたらあとで役に立つかもしれないと思ったからだ。痛む体を無理やり奮い立たせて立ち上がる。近くで内山は伸びていた。
「大丈夫か、田村」
先輩の1人が声をかけてくる。彼も頬に痣があり唇は切れて血がにじんでいた。ひどい有様だった。普は笑って「大丈夫です」と言った。それからふらふらと覚束ない足取りで壁に設置してある受話器を取る。それは操舵室に繋がる電話だった。
「もしも、し……。操舵室、ですか?」
「――ああ、こちら操舵室」
船長のものと思しき声がした。
「雨が降りだした。視界が悪い。レーダーはどうなっている?」
「え……と」
普はジェスチャーで、先輩にレーダーはどうなっているか尋ねた。彼はレーダーを確認に行く。パソコンは壊れていないだろうかと不安になった。確認した彼はすぐに戻って、「西に向かっている」と告げた。普はそのように伝えた。
「わかった。このまま航行を続ける。ところで声が疲れているようだが、大丈夫か? 酔ったのなら甲板にでて新鮮な空気でも吸うと良い。最も、外は雨だが」
「ははっ、是非ともそうさせていただきます」
どうやら操舵室では何事もないらしい。そのことにひどく安心した。
普は受話器をもとの位置に戻すと、壁に寄り掛かって大きく息を吐いた。しばらく休んでも良いだろうか。しかし寝ているあいだに西の断崖に着いては困る。そのあとは内蔵のヘリで救出する予定だ。頭のなかでこのあとのことをシミュレーションする。
斎藤と丸井は大丈夫だろうかと、彼らのいるところを見る。2人は周囲にいる仲間たちに揺すられてなんとか目を覚ました。それぞれ頭を腹を痛そうに抑えていたけれど、無事らしい。普はホッと息をついた。
ふと、帰りたいと思った。また家に。両親と弟の顔を見て、安心したい。まだ社会人になって間もないけれど、これを機にかなり長い休暇をとっても良いだろうかと思った。
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