第3話 置き手紙

 次の日の朝、普は斎藤と丸井、内山。そのほか数名を連れてひそかに葵たちが出航する港へとやってきていた。船の手配は明け方までかかってしまったが、なんとか済んだ。物陰から葵たちの様子をうかがう。葵は昨日の態度とは打って変わって、すっかり年不相応な態度で周囲の大人たちと接していた。

 不意に葵が顔をあげて、あたりをうかがった。その目がわずかに普たちへ向いた気がしたが、彼はすぐにそらした。が、突如お腹を抑え始める。苦しそうに唸っている様子だった。大人たちが慌てたように彼をなだめる。葵は何事か口を動かしたあと、走って普たちの方へ突進したかと思うとそのまま脇を通りすぎた。彼が向かっていった場所は男性用トイレだった。


「腹でも痛めたか?」


 黒い帽子と黒いサングラス、そしてタキシードという暑苦しい格好をしながら斎藤が言った。変装のつもりだが、正直普は一緒にいたくなかった。

 やがて戻ってきた葵は、顔をうつむかせたまま今度こそ普に軽いタックルをくらわせた。不意のことでよろめきかけて、普は思わず「大丈夫かい?」と尋ねた。周囲に知り合いだと悟られてはいけない。あくまで道端の青年を装った。そのとき、腰のほうに何やらくすぐったい感触があったが、すぐに引っ込んだ。

 葵は顔をあげないまま、「すみません。よそ見をしていて」と言って頭をぺこぺこさげながら、大人たちの方へと戻った。


「なんだったのかしら」

「さあ、急いでたんじゃないすか? もうそろそろ出航ですし」


 普はズボンの両ポケットに両手を入れた。そのまま体を後ろにそらす真似事をした。丸井があきれた顔で「何してるのよ」と聞いてきたので、普は「出発前の準備体操」と適当に答えながら、体を起こして、今度は上半身を前に倒した。左ポケットをさぐる。紙。取り出して視界に入れた。それはいつぞや普が椋に渡した、普の連絡先が書かれた名刺の裏面だった。

 普はそこに書かれてあるものを素早く流し読みした。


「行くぞ、田村。いつまでやってる」

「――はい、すみません」


 知られないように紙をポケットにねじこみ、普は出航ゲートへと向かった。

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