第2話 叱責

 実家へ再び呼ばれたのは、それから1週間も経たないうちだった。

 最後に実家へ行ったのは、盛られた毒にうなされたあのとき以来だった。ワタに会うのは本土から帰ってきて以来だったが、なんとなく近づきがたかった。椋とのことで島の人たちから相当目をつけられていたから、迷惑をかけたくなかったのもあった。

 実家から呼ばれていると教えてくれたのは、またも満だった。葵は何度か満に先代が葉を産んだときについて聞こうと思ったが、その勇気がなかった。周囲からの監視の目が比較的緩くなっているのはすでに気付いていたけれど、だからってそう簡単に行動が起こせるはずもなかった。

 よくも椋は本土の人間が島に来たとき、平然としていられたものだ。小心者な彼を葵は称えたくなった。

 実家へ帰る道の花壇には、春に種を植えたタチアオイが、美しく鮮やかな花を咲かせていた。家へ入ると、玄関には祖母と母の草履しかなかった。父はきっと葵の代わりにサクラ様の身辺警護を担っているはずだ。

 洗面所の方向でゴゴゴゴゴと地鳴りのような音が響いている。正体はあのおんぼろ洗濯機だ。居間に入って「ただいま」と言うと、出迎えた紅葉もみじはいつものように明るい声で「おかえり」と言ってくれた。


「気分はどうかしら、葵さん」


 ワタが問いかけてくる。葵は軽く頭をさげた。


「おかげさまで。すっかり疲れも癒えました」


 椋を亡くした心痛については触れなかった。ここで余計なことを言っては異端者だと思われてしまうだろうから。実の家族さえ信頼できないのは苦しいことだった。


「早速で悪いのだけど、桜沢さんからまた連絡が入ったわ。日本でもう一度会談をしたいとのことだそうよ」


 本土へ行ってからまだ1ヶ月も経っていなかった。だがこれほど早い会談を向こうが望んでいるということは、葵のメッセージにあの人たちは気付いてくれたのかもしれない。

 わずかな希望が芽生え始めたが、葵はそれを表情一つださなかった。ここで嬉しそうな顔をしてはきっとワタに白い目で見られる。だから葵は適当に「またですか」とつぶやいた。

 ワタは深いため息をついて、片手で額をおさえた。


「そう、またよ。それも葵さん、あなたあのときの会議でとんでもないことをしたそうね。サクラ様が死にたくないと言わないのかという向こうの方の問いかけに黙ったそうじゃない」


 そういえばそんな質問をされたなと葵は思い出す。あのときはどう答えたら良いかわからなかった。まして葉の本音を聞いたあとであんなことを聞かれたら、答えに迷うのは当然だった。


「どう答えればよかったのですか?」

「そんなの『ありえません』と答えれば良いのです。サクラ様はこの国に命を賭す身。それを宿命とわきまえているからこそ、むしろ国にその身を奉げるのは本望です。何より死にたくないなどと、ふざけたことを。これではまるで私たちが人殺しみたいではないですか」

「みたいじゃなくて、殺しているのでは」


 思わず口走ってしまい、葵はしまったと口を閉ざした。ワタが目を吊り上げ、葵をものすごい形相でにらんでいた。葵は委縮してしまう。こんなに怒っている祖母を見るのは初めてだった。ワタの隣で黙って話を聞いていた紅葉も、その表情を見て青ざめた。

 ワタはテーブルを激しくたたき、その勢いで立ち上がって葵へと身を乗りだした。彼女が座っていた椅子が激しい音をたてて倒れる。


「殺しているだなんて、そんなことあるはずがないでしょう! これはサクラ様の宿命です。むしろサクラ様は神と結ばれるために選ばれたお人なのです! そのための儀式なのです! あなた、まさかとは思いますが、あの薬師椋と本当は国への反逆を企てていたのではないですかっ!」

「お、お義母さま」


 紅葉が慌ててワタをなだめる。ワタは髪を逆立てながらも、倒した椅子を戻して座りなおした。葵は顔じゅうに冷や汗をかいた。うっすらとした寒気も感じた。

 葵は心を落ち着かせた。ゆっくりと呼吸をする。椋の顔が思い浮かんだ。彼はそれでもサクラ様を救おうと思ったのだ。椋は良い子だ。葵にとって一番の親友だ。昔も今もそれは変わらない。彼の存在は、葵に勇気を奮い立たせた。


「サクラ様から『死にたくないと思ったことはありませんか』と聞いたことはありません。何故ってサクラ様は櫻神に選ばれたお人だからです。だからサクラ様が『死にたくない』と思っているなんてこと考えたこともありません。我々はサクラ様を殺しているわけではなく、神と結ばせることで同時に島の永遠の繁栄を願っているのです。むしろ私は、本土の人間がそのように考えていた方が不思議です。それとも祖母上は、サクラ様を殺している自覚があるのですか?」

「――っ」

「葵、やめなさい!」


 ワタがまたも髪を逆立て肩を怒らせたとき、紅葉の叱責が飛んだ。葵は黙った。

 紅葉が厳しい目つきで葵をにらんで一転、その鋭い目をゆるませた。葵を見つめながら、「きっと疲れているのよ。あなたも。お義母さまも」とつぶやいた。


「そうかもしれません」


 葵は立ち上がった。


「いつまでも父上に警護を任せきりにしては申し訳ありませんので、失礼いたします。本土の会議は出席すると桜沢さんにお伝えください。それでは」


 頭をさげ、葵は部屋をあとにした。家を出る前、洗濯機がか細い音を最後にたてて、やがて大人しくなったのを聞いた。

 屋敷へ戻ると葵は、そこで会った木槿と交代した。「お疲れ様です」と口にした葵に彼は「ああ」としか答えなかった。ふと葵は、父がかつて先代の傍付きを担当していたことを思い出した。彼なら四季について知っているはずだし、もしかしたら仲だって良かったかもしれない。

 だがそれを聞いてみる勇気はなかった。持ち場を去る木槿むくげに葵は会釈をしてそれから障子戸を軽くたたいた。向こう側で「はい」と返事する満の声が聞こえた。


「葵です。ただいま戻りました」

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