第6章

第1話 凶報

 あおい少年を本土に招いてから2日ほど経った頃だった。あまねはほぼ毎日、むくに託した腕時計兼発信器の居所を逐一チェックしていた。巫女の居場所はもうわれているから、そんな必要もないから、それは普の単なる暇つぶしだった。それが2日前、島の西の端っこにいってから微動だにしなくなった。そんな場所いったい何があるのかと思って航空写真と照らし合わせてみれば、ただの断崖絶壁である。柵も何もないからちょっと風に煽られれば海へ真っ逆さまに落ちてしまうだろう。何故、発信器がそんなところにあるのか。

 とはいえ崖ではあるが、周囲に遮るものは何もないから沈む夕日を見るには絶好のロケーションかもしれない。もしかしたら椋少年が夕日でも見るためにこの場所を訪れ、そのときに腕時計を落としてしまったのだろうと考えた。

 2日ほど経ったが、発信器は移動さえしなかった。一応、上司の斎藤さいとうに情報共有だけはしておいた。

 2日経ってようやく、動きがあった。履歴によると動いたのは夜の2時頃。だいぶ更けてかららしい。だがその移動先は不可解だった。いつもなら島の西側寄りの一点におさまる――おそらくそこが薬師の家なのだろうと普は推測していた――はずなのに、家を通りすぎ、かなり東の方まで進んでいって、やがて発信器は止まった。そこはサクラ様の住んでいる屋敷のあるあたりだった。

 それから発信器は2週間経ってもその場を動かなかった。椋少年はサクラ様の主治医の家系の息子だと聞く。とうとう彼も本格的な傍付きになったということだろうか。だが、彼は祭りが終われば本土に戻ってくると言っていた。それなのに屋敷に留まらせて何の意味がある。もし腕時計が椋以外の第三者の手に渡っていれば、島の連中のことだ。不審物として破壊するかもしれない。たしか椋は、島に時計はあるが腕時計みたいに常備できるものはないと以前教えてくれた。

 妙な胸騒ぎを覚えた普はあちこちで話し声の止まない部屋を出て廊下へでた。椋が以前残してくれたメモに書かれた番号に電話をかけると、二コールで相手は受話器をとってくれた。


「もしもし、小桜こざくらでございますが」


 電話にでてくれたのは、よく電話に出る若い女性のものだった。


「もしもし。僕はそちらでお世話になっている薬師やくし椋くんの学友で、田村たむら普と申します。椋くんは御在宅でしょうか?」


 いつもしているように、椋の友だちを名乗った。島に関わる人たちに気取られないための策だと椋が教えてくれた。

 すると電話の相手はしばらく黙った。いつもならすぐに椋に変わってくれるのに今日は変だった。だがここで気を揉んでも仕方がないので、普は気長に相手を待った。やがて女性の声は「すみませんが」と続く。


「番号をお間違えではないでしょうか。うちには薬師椋という名前の人はおりません」


 不意をつかれた答えに、普は思わず「は?」と口にした。


「それでは失礼いたします」

「ちょ、ちょっと待ってください! 薬師椋くんですよ。あなたもご存知でしょう、僕の声を。よく電話をかけている田村普です。覚えていませんか?」


 電話の相手は黙った。その沈黙は戸惑っているというよりも答えに窮しているように感じられた。普はさらに畳みかけた。


「まさか椋くんに何かあったのですか?」

「……っ、椋様が日本へ来ることはもうありません」

「何故?」


 電話の相手はまた黙った。何か言いかけたが、息を吸う気配のあと黙った。言い淀んでいるのか、それとも誰かに聞かれたくないのか。やがて相手は息を吐くほどに小さな声で続けた。


「彼は裏切り者として、島で殺されたと聞きました」

「――――っ」


 スマホが普の手の内から落ち、カランカランと乾いた音が廊下に響き渡った。それから電話は切れてしまった。

 薬師椋が死んだ。その事実は、普の頭を真っ白にさせるのに充分だった。

 殺された。裏切り者として。もしこれが本当ならば、重大な繋がりが断たれたことになる。それだけではない。巫女を助けるという使命さえ果たせない。だが何故殺されなければならない。彼はまだ16歳。大学に通っているとはいえ、一般から見れば普通の高校生だ。それが島のくだらない因習のせいで殺されたとなったら、島の連中はとんだ計画を企てたことになる。儀式を守り抜くためにそこまでするのか。

 そのときドアが開いて、丸井まるいが姿を見せた。スマホを落とした音に気が付いたのだろう。丸井は普の顔を見るなり、目を見張った。


「どうしたのよ」

「……ああ」


 言葉のその先が出なかった。何と説明したら良いだろうかと頭のなかで考えるが、何一つとして浮かばない。普はしばらく丸井を見ながら惚けていた。すると丸井は、ハイヒールでつかつか音をたてながら近づくと、普の前に立ち彼の肩を揺さぶった。


「どうしたのよ!」


 今度は大きな声で怒鳴られる。その声は廊下に反響した。何事かと上司の斎藤と後輩の内山うちやままでもが顔を覗かせてくる。普はもう一度「ああ」とつぶやいた。


「……薬師椋が、死んだそうだ」

「薬師って。留学に来てた子どものこと?」

「ああ」


「なんで!」と怒鳴る丸井の声は、震えているように聞こえた。


「わからない。島の連中に怪しいと目をつけられたのか、知らないけど。死んだらしい」


 丸井はよろめくように数歩下がって、呆然とした表情を浮かべた。その場に沈黙が訪れる。開かれたままのドアの向こうからは、相変わらず騒々しい話し声やキーボードをたたく音が聞こえていたが、それが遠い世界の音のように普には感じられた。


「島の人間は、子どもに対してもそうなの? ――っ、どうするのよ。彼が死んだら、繋がりも何もなくなる!」

「わかってるよ。それは僕もわかってる。だけど、――っ」


 頭を抱えるが、何も考えは浮かばない。薬師椋が死んだ今、状況は振りだしに戻ったこととなる。そうすればあの少女を救うことなんて叶うはずもない。


「一度落ち着こう、田村。丸井も」


 傍でずっと状況を見守っていた斎藤が口をはさんだ。彼は内山に視線を向けて、「コーヒー2つと紅茶を1つ、用意してくれ」と言った。内山はうなずいて、部屋に戻った。

 それから3人は2階にある部屋に腰を落ち着かせた。そこは以前、葵と普とで会談をした部屋だった。

 普は斎藤と丸井に改めて、全ての事情を話した。彼らは黙って話を聞いてくれた。やがて全てが終わったとき、2人は黙り込んだ。最初に斎藤が嘆息した。


「そうか……」

「16歳って、まだ子どもじゃない……」


 普も深く息をついて、組んだ両手に額を押し当てた。付きまとうのは、後悔の念だった。もしあのとき、自分の好奇心と早く巫女を助け出したいと逸る気持ちのまま、薬師椋に接触していなければこんなことにはならなかっただろう。普は奥歯をかみしめた。


「田村。これはお前のせいじゃない」


 普の心境を察してか、斎藤はそう言った。


「お前も、そしてあの薬師という少年も、1人の少女を救うために起こしたことだ。そこに間違えなどない。間違っているのは、島の連中だ」

「ですが……」

「それに薬師椋はあの島で唯一、自分たちの文化の異常性に気付いていたのだろう? そういう人間もちゃんといたんだ。そして彼はきっと、死ぬ間際になってまで巫女のことを考えていたはずだ。残された発信器。それはきっと誰かに託されたんだ。心ある、まともな誰かに。そうは思わないか?」

「誰かって誰ですか?」


 丸井の質問に斎藤は「わからない」と口にした。


「だが屋敷に発信器があるということは、巫女の傍についている人間に違いない。そのなかでも薬師椋が唯一信頼していた人物がいるのかもしれない。たとえ周りが敵になっても、ただ1人だけ味方をしてくれると望んだ相手が」

 斎藤の言葉を聞いて、普の頭のなかにはある一人の少年の顔が浮かんだ。

 サクラ様の傍付きをしているという、あの少年。祭りの夜に椋が連れてきた葵という名前の少年だった。

 普は初めて顔をあげて斎藤を見た。丸井も同じことに気付いたようで、彼女も斎藤を見た。


「もちろんこれは私の推測に過ぎない。だが、賭けてみる価値はある」

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