第5章

第1話 真夜中の電話

「本日は貴重なお時間を頂き、誠にありがとうございました。この会談が意味のあるものとして、我々も期待しております」

「いえ、こちらこそ。ありがとうございます」


 斎藤と名乗る中年の男性に見送られながら、あおいは建物をでた。建物を改めて振り返ると、出入口のドアの上には「桜ノ島対策の会」と書かれた看板が釘で打たれて掲げられていた。

 付き添いの女性が葵の視線の先を見て、「ああ」と小さくため息をついた。


「会談はいかがでしたか、葵さん。あちらの国の方々に私たちの行いは理解していただけたのでしょうか」

「……おそらく、それほど良い印象は与えられませんでした。私の力不足です」

「いいえ、お気になさらないでください。そもそも国が違うのですから、そこで成り立っている文化も違います」


 その傍で、同じく付き添いの男性が小さく舌打ちをした。


「我々は1つの国として貫いているのに、先にこちらの人権を無視して勝手に手をだしたのは日本側ではないですか。何故、そのような方々にわざわざ理解を示してもらわなくてはいけないのです」

「サクラ様のお姿を見られてしまった以上、これは致し方ないことなのよ」


 そうたしなめたのは、付き添いの中では最年長の女性だった。葵の母と同じくらいの年齢で、葵が日本に滞在しているあいだ身の回りの世話などをしてくれる小桜家の当主である。名前を小桜こざくら撫子なでしこと言った。今回、付き添いに同行した他の二人は撫子の弟妹である。


「とりあえず、今日は帰りましょう」

「そうですね。車を持ってきますので、少々お待ちください」


 付き添いの男性は、浄衣にもかかわらず走って駐車場へと向かった。

 車に揺られて着いた先は東京都渋谷区と呼ばれる地域の、とある邸宅だった。櫻神之国でサクラ様と共に過ごす屋敷とは段違いに小さいが、それでも東京のど真ん中でこれほどの土地を得られることは早々にないらしい。百坪といわれても、葵はぴんとこなかった。

 日本は馬鹿みたいに人が多いんだなというのが葵の感想だった。そこかしこに車は走っていて危ないし、空を見上げればヘリコプターや飛行機がゴオオオと空気を引き裂くように飛んでいる。草木の代わりに建っているのは人工物の銀色に輝くビル群ばかり。その環境だけで葵は眩暈を起こしかけた。

 小桜の家に帰ってくると、「おかえりなさいませ!」と元気よく出迎えてきたのは、むくの弟のスズメだった。彼は今回の同行者でありながら、来月には椋も通う大学の医学部に編入することになっている。本当は来年のうちかという話だったが、早まったらしい。まだ10歳なのにすごいことだと、小桜の人間は大層喜び、歓迎している。

 しかし当の椋はというと、彼はまだ島にいる。会談が終わるまで島を出ることを禁じられていると、本人はいつぞや漏らしていた。葵が本土へ向かうと決まったときは、「田村さんによろしくね」と言ってきた。椋はどうやら、完全にあの青年を信用しきっているらしい。

 葵は信用できるかどうかはいまいちはかりかねていた。というのも、自分の行いは正しいのか正しくないのか。ここ最近わからなくなってきていた。きっと島の人たちにそれを聞いたら、「何を言っているんですか」と笑われて終わりかもしれない。しかし椋に相談したら「僕の言った通りでしょう」と熱弁を振るわれるだろう。葵のなかで自分たちの行いが正しいのか揺らぎ始めたのは、サクラ様の「死にたくない」という一言のせいだった。

 もしかして自分たちは、何かとんでもないことをサクラ様にしているのではないか。


「葵さん、どうかなさいましたか?」


 出迎えてくれたスズメが不安そうな顔をして葵の顔を見上げている。葵は「なんでもない」と口にした。年下の子どもに気を遣われるだなんて情けない。葵は自分のなかにある不信感を無理やりに打ち消した。


「きっとお疲れなのですよ。慣れない土地ですから」


 撫子のはからいで、葵は夕飯までしばらく休むことにした。あてがわれた部屋にある布団で目をつぶれば、一息のうちに夢のなかへと沈んでいった。



 再び目を覚ましたとき、葵は誰かに体を揺すられて起こされた。目を開けると、いつの間にか部屋は暗くなっていた。葵の体を揺すっていたのは撫子だった。


「葵さん、本国から電話の連絡です」

「誰ですか?」


 葵は起き上がって尋ねた。島と日本への連絡の行き来は、日本が戦時中に引いてくれた電話線を今でも使用している。手紙という手もあるが、電話をしてくるということは、相手は緊急の用事らしい。


薬師やくし椋さんからです」

「椋?」


 どうしたのだろうと思いながらも、撫子の案内で廊下にある電話の受話器を取った。使い方を知らなかったので、撫子に言われたとおりに受話器を耳にあてた。撫子はそのまま廊下からいなくなった。


「椋?」


 通話口に向かって名前を呼ぶと、「葵?」と向こうも呼びかけてくれた。声が少しくぐもって聞こえる。葵と呼んでくれた電話の向こうの人は、本当に椋なんだろうかと葵は不安に思った。


「どうしたんだよ。急に」

「……なんでもない。ちょっと声、聞きたくなってさ」


 しかし、話し方からしてどう聞いても椋のものだった。葵は椋の言葉に眉をひそめた。


「なんだよ、気持ち悪いな」


 電話の向こうで乾いた笑いが聞こえた。


「そうだね。気持ち悪いよね。ごめん」


 きっと今、椋は頭の後ろをかいているに違いないと葵は推測する。椋は困ったことがあるといつもそうしている。


「何かあった?」

「……別に、なんにも。ただ声を聞きたくなったって言ったじゃん」

「はあ?」

「怒らないでよ」

「別に怒らないけど」

「うん。そっか……」


 電話の向こうの椋は落ち着いていた。葵との電話を楽しんでいるようにも思えた。


「会談は無事に終わった。明日にでも帰る予定だ」

「そうか。うん、気を付けてね」

「そしたらお前は、入れ替わりで本土へ戻るんだろうな」

「……どうだろうね。ちょっと厳しいんじゃないかな」

「厳しいって。初めからそういうやつだったろ。俺が本土で会談をしているあいだ何かあったら危険だからって、椋は島でおとなしくしてるって」

「うん。うん……」


 彼は口をはさむことなく、何度もうなずいた。まるで葵の言ったことをそのまま椋が、自分に言い聞かせているかのようだった。


「僕、やっぱりサクラ様は生きるべきだと思う」


 何の脈絡もなしに椋は不意にそう言った。


「だから僕は、キミと田村たむらさんに託すよ」

「なんだよ。変な言い方して」

「僕だけじゃ、どうにもならないんだ。だから、頼んだよ」


 おやすみ、良い夢を。だなんてきざったらしい台詞を残して椋は電話を一方的に切った。葵はわけもわからず、ツーツーと鳴る受話器を見つめる。

 もしかしてこれで通話は終わりなのだろうか。撫子を呼んで確認をすると、彼女はうなずいて葵に受話器の置き方を教えてくれた。

 薬師椋が遺体となって発見されたのは、その翌朝のことだった。

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