第2話 会談

 翌日はいつもより1時間も早く家を出た。桜ノ島とはこれまでも何度か会談を設けたいと呼びかけてはいたが、そのたびに島の人たちは拒否してきた。それがどうして今さら? 理由を尋ねたが、斎藤にもわからないという。だが、これは好機と見て良いようだった。

 千代田区の職場にやってくると、斎藤がちょうど玄関の鍵を開けているところだった。普がその背中に「おはようございます!」と声をかけると、彼は眠たそうな目で「おはよう」と返してきた。


「早いな」

「あんな電話聞いて、居ても立っても居られませんでしたよ」

「まあたしかに、田村ならそうするだろうと思っていたさ。さ、入れ」


 斎藤がドアを開けてくれる。普はお礼を言ってから中へと入った。朝一番に職場を訪れるのは初めてだった。誰1人としていない室内は普段よりも広く、その上寂しくも感じられた。


「おはようございます、斎藤会長。田村先輩」

「お、いつもギリギリの奴が。珍しいなこんな早くに」


 斎藤の後ろから現れたのは、内山うちやまだった。彼はいつも始業時間の1分前に出社してくるのに、今日ばかりは早かった。

 斎藤のからかいに内山は「失礼っすねぇ」と眉をひそめる。


「俺だって早いときくらいあります。今日はたまたま目が冴えちゃって。あれですかね。時差ボケかもです」

「桜ノ島と日本には時差なんてないぞ」


 普のツッコミに内山は「そうなんですか」と目を丸くする。表情をせわしなくコロコロ変えてくる様は、まるで懐いている子犬のような愛らしさがある。仕事をすればいたって真面目だが、どこかしら抜けているそのひょうきんさは、内山の長所でもあった。

 それから1時間半ほどして、職場には全員がそろった。始業の際、斎藤から早速報告があがった。彼は1つ咳ばらいをしてから、口を開いた。


「えー、昨日聞いている奴もいると思うが、桜ノ島と正式に会談の場を設けることとなった。詳細はまだ不明だが、あちらさんは互いの国交を友好に進めるために一度話し合いをしたいとお申し出だ。おそらく、今回の偵察で我々の目に巫女の正体を知られてしまったのが要因と思われる。きっと島の奴らは我々には知られたくなかったことだろう。これは良い機会だ。対策の会が発足してから初めてのチャンスだと思え。21世紀の現代において人身御供などあってはならないことだ。絶対に巫女の少女を救おう」


 誰からともなく拍手が沸き起こる。普ももちろん拍手に加わった。今回の報告は斎藤の言ったとおり、対策の会が発足してからずっと待ち続けた機会だった。決してこれを逃してはならない。


「もし本当に巫女が助け出せたのなら、私たちは歴史的瞬間に立ち会えるのね」


 丸井まるいが普の隣の席で同じく拍手をしながら言う。


「だが、ここで1つ報告だ。会談をするといっても、あちらは1人だけ人を寄越すと言っている。相手が誰だかはわからないが、話し合いの場に公平を期すためにも、こちらも人員は1人だけ選出させる」


 斎藤の目が普へと向いた。


「私は田村普くん。キミを推薦するよ」

「ありがとうございます」


 普は椅子から勢いよく立ち上がり、深々と頭をさげた。周囲からはまたも拍手が沸き起こる。その音に呼応するように、普の心臓は心拍をあげていった。

 2週間後の会談当日、「桜ノ島対策の会」本部にて桜柄の浄衣を着た男女混合数人の供を引き連れて、同じく似たような浄衣を着た少年が姿を現した。島に行ったあの夜に椋少年と一緒に宿へやってきた葵という少年だった。


「本当にあの子が今回の会談の相手なの? まだ中学生じゃない」


 丸井が小声で普に耳打ちしてくる。葵少年と初めて会ったとき彼女も隣の部屋で聞き耳をたてて、彼の姿を見ている。


「薬師少年と同じく侮ってはいけない人物だと、僕は思うよ」


 丸井に小声で返す。そのとき、普の脇から斎藤が1歩前に出て葵に向かって「ようこそおいでくださいました」と歓迎の言葉を口にした。


「ここまで長旅だったでしょう。気分のほどはいかがですか?」


 葵は斎藤が伸ばしてきた手を握りながら、首を横に振る。


「いえ、ご心配いただかなくて結構です。初めまして。私は櫻神之国でサクラ様の傍役を務めている、葵と申します」


「初めまして。私は斎藤といいます。そして彼が田村くんです。今回の会談は彼が務めます」

「初めまして」


 普は1歩進み出て、葵に向かって手をのばした。葵は次に普の手を握った。

「会場は2階の会議室で一時間ほど行わせていただきます。ご案内します」


 斎藤はそう言うと、部屋の奥にあるドアへと向かった。普と葵がそのあとに続く。


「葵様」


 連れ立っていたお供の一人が葵に声をかける。葵はわずかに振り向いて「外で待機していてください」と言った。


「かしこまりました」


 お供全員が一斉に頭をさげる。一寸の狂いもなく同時に動くものだから、普はロボットみたいだとそんなことを思った。

 部屋の奥のドアの先には二階へ続く階段がある。人1人しか通れない狭い幅の階段で、上り下りですれ違うには、互いに体を横にして歩かなければいけないほどの狭い空間だ。そこを誰も何も言わず、たんたんと上っていく。上へ着くと先を歩いていた斎藤が上ってすぐ正面にあるドアを開いた。


「どうぞ」

「ありがとうございます」


 普と葵が同時に斎藤へお礼を言う。先に葵を中に入れさせ、続いて普が入ろうとしたとき斎藤から耳もとでささやかれた。


「カメラは仕掛けてあるから、好きにやってくれ。一時間くらいしたら戻る」


 普は黙ってうなずき、ドアを閉めた。一番に部屋に入った葵は広い会議室の真ん中に立ちながら、物珍し気に部屋じゅうをきょろきょろ見渡していた。


「どうぞ、おかけになってください」


 普は部屋の中央にぽつんと置かれている向かい合わせの椅子の片方を示した。葵は言われたとおりにそこへ座り、その正面に普は座った。互いに互いを見つめ続ける。普はゆっくりと深呼吸をしてから、頭をさげた。


「この度は会談の意思を表明してくださり、誠にありがとうございます。改めまして、私は田村普と申します。どうぞよろしくお願いします」


 葵は普のことをじっと見つめてきた。その表情から感情は読み取れないが、彼が何を考えているのかは普にはなんとなくわかっていた。おそらく、一度島で会ったというのに今さら初対面のふりをするのはどうしてだろうかと考えているのだろう。だが、屋敷に不法侵入をした件について普はあまり知られたくなかったし、反対に葵はあの夜の会談は内密のものとして、島の人たちに絶対に知られたくないはずだ。でなければ、椋がこそこそ動くはずもない。


「私は葵と申します。今回、会談に参加するきっかけとなったのは、日本側にサクラ様のお姿を見られたことで、そちら側の誤解を解いておきたくて参りました」

「誤解、といいますと?」

「私たち島の民は、サクラ様のことを櫻神と同等の存在として扱っています。サクラ様は普段から一般の方々と簡単に交流をすることができないお方なのです。まして、島の外から来た方たちでしたらなおさらです。もしもサクラ様の姿が外の方に見られてしまった場合は、ただちにサクラ様を清めなければいけない決まりとなっています」

「清めるとは?」

「単純な話です。体を綺麗にするとか。そちらの国でもお清めといったら、体を滝に打たせる修行があるとお聞きしました」

「なるほど。では、私どもがサクラ様のお姿をお見掛けした件については」

「もう島の人間のほとんどが存じていることです。だから隠す必要はありません」


 葵はそう言いきってから、また口を開こうとした。しかし何も言わずに閉じた。

 そのあとに「けれど夜の件は内密に」とでも続けようとしたのだろうか。別にそれは言われなくてもわかっている。あの日は普も大胆な行動をとりすぎたことを反省した。夜の件が島の人たちに知られてしまえば、島の裏切り者として目の前の葵や椋がどうなるかわからないし、もしもそうなったらせっかく手に入れた島の人間と仲良くなるチャンスを永久に失ってしまうかもしれないからだった。


「私たちの国には、決して枯れることのない桜があるのはそちらもご存知のことと思います。その枯れないという不変性こそ、私たちが大昔から神と崇めている由縁なのです。ですがいくら神といっても、生きるものは皆、栄養がなければ生きることができません。そこで私たちはサクラ様と呼ばれる巫女を奉納することで神の栄養とさせていただいているのです。巫女が神と1つになることで、神は生きることができる。そして国に住む私たちはその恩恵を受けることができるのです」


 葵の説明を聞きながら、普は椋のことを思い出していた。椋は「あの桜の木は巫女の血を吸って生き永らえている」と言っていた。椋の言葉も葵の言葉もきっと間違ってはいないのだろう。だからこれは認識の問題だった。椋は桜の木に恐怖を感じていたけれど、葵は――というより通常の島の人間たちは、それでこそ神の所業だと納得している。普は口を開いた。


「私たちと島の方々で文化の違いが生じてしまっているのは、重々承知しています。だから1つ聞きたい。巫女はどのようにして奉納されるのですか?」

「巫女が20になった年に、櫻神の根元を掘ってそこに埋めます」

「それは生きているんですか?」

「はい。死体では神に必要な栄養分が抜け落ちてしまう可能性がありますので、生きたまま埋めるんです」


 普は自分の顔がしかめっ面になっていないだろうかと、ふと不安に思った。実際、背筋には寒気が走った。

 森の中で出会った少女は、おそらく目の前の少年や椋、そして弟の光とも変わらない年齢だ。そんな子が幼い頃から、自分が将来神の生贄として奉げられるために土のなかに生きたまま埋められる運命のなかにいるなんて、どんな心地がするのだろう。自分のことを神と等しい存在だと崇めている周囲の人々が、自分を殺すために生かしているだなんてどんなに怖いだろうか。

 大人だって、生きたまま埋められるのは怖い。どうせ埋められるのなら、普だって死んでから埋められたいものだ。


「文化の違いゆえの発言であることを、承知してください。もし、そのような行いが実際なされている場合、日本では犯罪になります」

「ええ。ですから余計に島の皆は、日本とは袂を分かちたいのが本音です」

「今回の話し合いの結果によっては、完全に国交を断絶するという見解でしょうか」

「いえ、そういうわけではありません。島の一部の過激な方たちは日本との完全な国交断絶を望んでいますが。たとえば、サクラ様にはお付の主治医がいます。しかしその医者でさえなあなあの知識でサクラ様を治療し、もし誤って死亡させることがあっては大変です。そこで主治医となる家庭では、家の子どもに医者の勉強を学ばせるためにあえて日本に留学をさせる道があるのです」

「そうですか。ちなみに留学制度は主治医の家庭のほかにもいるんですか?」

「いいえ。――ああしかし、たまに教育熱心な親が子どもと一緒に日本へ永住するため島をでていく場合があります。その際は2度と島に戻ってきてはならないと固く誓わせるそうです」

「故郷から追い出されるということでしょうか」

「単純にいえばそうなります」

「ちなみに、巫女の方は自分が奉納されることについてどのようにお考えでしょうか」

「……私は本人ではないのでよくわかりません」


 そりゃそうか、と普は納得する。だが、あの祭りの日に屋敷へ侵入したとき、普は駄々をこねる少女の声を聞いていた。普が巫女と葵の前に現れた途端に静かになったが、あれは間違いなく巫女の声に違いなかった。


「1度でも良いから死にたくないなどと聞いたことはありませんか?」

「…………」


 葵は黙った。

 そのとき、部屋にあるドアがコンコンとノックされた。普は「どうぞ」とドアに向かって声を張る。開かれたドアからは、斎藤が顔を見せた。


「1時間経ちましたので、会談をここで終了させていただきますが、よろしいですか?」


 普は葵に視線を向けた。葵は黙ってうなずいた。


「この度は貴重な時間をいただき、誠にありがとうございました」


 普はお礼を言って、葵に手を差し伸ばす。


「いいえ、こちらこそ。この会談が両国にとって友好的なものとなるよう、我々も望んでいます」


 子どもには不相応な言葉を並べたてながら、葵は普の手を握り返してきた。

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