第4章
第1話 帰郷
祭りを終えた次の日の早朝、すぐに
証拠の写真もぬかりなく、普は密かにおさえてあった。それから、協力者として自分を使ってくれと、医者の卵の少年――
本土へ帰ったら、早速対策をたてようと帰りの船の中は、その話題で持ちきりだった。特に対策の会の会長である斎藤は、肩の荷が少し降りたとでもいうのか、だいぶ晴れやかな顔をしていた。
船が本土にたどり着くまでのあいだ、皆は暇を持て余しながら、寝たり起きたりしていたが、普だけはずっと起きていた。船の窓から見える変わり映えしない景色を眺めながら、ぼうっと物思いにふけっていると、肩を叩かれた。振り向くと、人懐こそうな笑みを浮かべた内山がいた。
「先輩、隣いいですか?」
「ああ」
普は堂々と占領していたベンチの端っこに座りなおし、
「眠れないんですか?」
「そうかもしれない。きっと興奮しているんだ。内山くんはどうだ? 初めて島を訪れた感想は」
「どうもこうも、怖かったっすよ。生きてきて今まで、周囲からあんなに目を光らせられたのは初めてっす。寝るときも監視ついてましたよね、あれ」
「そうだな」
本来、内山は今年の偵察部隊のメンバーには選ばれていなかった。斎藤が幾人かのベテランと普と丸井をつれて、それで充分なはずだった。しかし出発の前日になって突如日本政府が「新人を1人連れていきなさい」と命令をだしたせいで、内山が加入することになったのだ。
「内山くんも大変だったでしょう。突然、任務に同行することになって」
「そりゃね。こうなるなら、もっと早くに教えてほしかったです。おかげで歯磨きセット忘れちまったんですから。まあ、そこらへんは宿の方のご厚意でどうにかしてもらいましたが、なかなか使いづらい歯ブラシでした」
内山が困ったように笑ったのにつられて、普も笑った。船の中は静かだった。夕飯を食べたのはもう1時間も前のこと。窓の外に広がる海の景色は暗かった。
日本に戻ると普たちには1日だけ休暇が与えられた。普はついでに事前にとっておいた有休で、埼玉の田舎に帰ることにした。山手線から池袋で乗り継ぎ、実家のある川越までは一時間と少ししかかからない。実家に近い側の川越市駅のホームに降り立つと、普は大きく深呼吸をして、久しぶりの故郷の空気を味わった。
電車にはほんの1時間しか乗らないのに、それだけで景色はビル群から一気に田んぼの広がる風景へと変わる。しかし、川越は駅前だけはお店や学校などがあるおかげでまあまあ栄えていた。駅からちょっと離れれば、小江戸の風景だって見ることができる。
改札を出ると、駅前に停まっていた真新しい白の軽自動車にクラクションを鳴らされた。運転席の窓が自動で開き、そこから無精ひげを生やした60くらいの男が顔を出す。驚いた普は車へと近づいた。運転席にいたのは、父の
「父さん。仕事はどうしたの?」
「ちょうどさっき終わったんだ。で、メールでもうすぐ着くって連絡が来たからついでだ。乗れよ」
「ありがとう」
助手席のドアを開けて、普は車に乗り込んだ。まだ新品のにおいがした。
「車、変えたんだね」
「まあな。母さんがこの町は狭い路地が多いから、いつまでもデカい車じゃ嫌だって言うから」
「昔からそれ言ってたもんね」
輝夫はシフトレバーをRに動かして車をバックさせ、それからDへと戻し発進した。新品というだけあって、静かな排気音で車は進む。普は座席に深く腰を落ち着かせた。
「にしても、よく休みをとれたな。忙しいんじゃないのか?」
「無理やりとったんだよ。まあ上司も良い人だからとりやすいってのもあるんだ」
「でも父さんも母さんも、鼻が高いよ。お前がそんな立派な職に就いているんだから」
車は駅前から通りすぎ、市街地へと入った。夕方近いとあってか、帰宅途中の子どもがわらわらと歩いていた。住宅地が立ち並ぶ路地に入ると、車のスピードが少し落ちた。
周囲には何軒か、新しい家が建っていた。通り過ぎる景色を眺めながら、もともと何があっただろうかと普は思い返してみた。正月以来だったが、たったそれだけのうちなのに随分変わってしまった。この町を離れた大学生の頃まで、この住宅街で普の実家は1番新しい家だった。しかし、ほんの少し来ていないだけでどんどん新しい家が建っている。それは不思議な感覚だった。
車は黒い屋根の家の前で停まる。そこが普の家だった。建ってから20年以上も経過しているためか、白かったはずの外壁は少々灰色がかり、傷も目立つ。すっかり古ぼけた家になってしまった。
車から降りると、後ろから「兄ちゃん」と呼ばれた。振り返ると、弟の
「おかえり、兄ちゃん。すっげえ久しぶりじゃん。もしかして有休でもとった?」
「光もおかえり。そ、有休とった」
「いいなぁ、有休。俺も休みてぇ」
「お前は昨日までゴールデンウイークだったろ」
輝夫は光の頭を軽く小突く。
「つったってさあ、長い休みあるともっと欲しくなるじゃん! 俺もっと休みほしいんだけど」
父に小突かれた頭を抑えながら、光はぶうたれる。普はそんな弟の頭を撫でながら、やはり今どきの高校生はこうだよなと納得がいった。桜ノ島で出会った椋や
家に入り、3人で「ただいまぁ」と同時に中に向かって呼びかけると、「おかえりぃ」と言う声が二階から聞こえた。階段を降りてきたのは、母の
「お父さんと一緒だったのね」
「仕事終わったついでに拾ったんだ」
「――あ、兄ちゃん。休みならついでにゲーム攻略付き合ってよ。オンラインのメンバーが足りなくてさ」
「光。普は休みで戻ってきてるんだから、あんまり迷惑かけないの」
誰かが話すのにかぶせて、また誰かの声がする。田村の家はいつもこんな感じだった。普は改めて、自分が家に帰って来たという実感をかみしめる。普はまたも、光の頭を撫でた。
「いいよ、母さん。そんくらい」
「よし、じゃあ2階来て」
「宿題はぁ?」
「そんなのあとででいいよ!」
光は玄関で靴を乱暴に脱ぎ捨てると、自分の部屋がある2階へ走って行った。階段を軽快に上がる音を聞きながら、普はマイペースに靴を脱いでゆっくりとそのあとに続いた。
家に滞在したのは2日ほどだったが、久しぶりのまともな休日は普に充分な休息を与えた。いつもはたとえ休みの日でも、自宅のマンションに仕事の資料を持ち込むほどに、普は仕事人間だった。それがこの2日のあいだの休みだけは、時間にも縛られず好きに過ごせた。母が振るまってくれる料理はおいしかったし、何より好きな時間に寝て、好きな時間に目を覚ます環境が普にとっては最高だった。普段、どれだけ時間に縛られた生活を送っているのかと改めて実感しながら、明日の仕事について考えていた。
家を出るのは決まって夕方だった。「夕飯くらい食べたら?」という美紅の誘いを断る。夕飯までいたら、きっと帰るのがますます億劫になってしまう。
「じゃあ駅までは送るよ」
「そこまでしなくても良いのに」
「たまに家に帰ってきたんだ。少しは親に甘えろ」
輝夫はその手で普の頭をおさえ、ぐりぐりと撫でまわした。普は少し胸のなかがこそばゆく感じた。親にとって、子どもはいつまでも子どもなのだ。普は仕方なく「わかったよ」とうなずき、輝夫の運転で駅まで送って行ってもらった。
「じゃあまた帰るときあったら、連絡くれよ」
「たぶんそのときは夏になるだろうね」
自宅へ引き返す白い軽自動車を見送っていたとき、ポケットにいれていたスマホが音をたてた。手に取ると、上司の
「田村か。斎藤だ。今、大丈夫か?」
「ええ、大丈夫ですよ。どうかしましたか?」
「突然だが朗報だ。桜ノ島から今連絡が入った。私たちと真剣な話し合いの場を設けたいという依頼が来たんだ」
普は思わずスマホを取り落としそうになった。
「ほんとですか?」
「ああ。できるなら、2週間後ということで話し合いがついた。話し合いについては口外禁止。世間にも知らされないまま、極秘で行われることになる。私はもちろん参加するが、田村はどうする?」
「是非とも参加させていただきます!」
斎藤の言葉が全て終わらないうちに、普は通話口に向かって声を張り上げた。その大きな声に驚いたのか、通行人の何人かが普を見てきた。
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