第4話 邂逅
サクラ様の傷の手当てと着替えに時間を割いたことで、当初の予定よりだいぶ遅れてしまったが、今年の桜祭りも無事に催された。ひと悶着はあったものの、サクラ様は祭りのあいだ、大人しく過ごしていた。出番のあるところではしっかり実行し、その他のところでは静かに催しものを観賞していた。ほとんどの催しが桜の大樹の下で行われたために、葵は常にその傍に付き従うことはできなかったが、近くにいた人は誰もが「いつも通りのサクラ様でしたよ」と安堵の息をもらしていた。
祭りを終えると、葵が祖母や父にこっぴどく叱られたことは言うまでもないことだった。サクラ様を護衛する役割を担っているはずなのに、その持ち場を離れるとはいかがなものか。後夜祭では、サクラ様の捜索に手を貸してくれた人たちに順番に謝りに行くよう、ワタに命じられた。
後夜祭は毎年、島の学校の校庭で行われていた。
「この度は、私の不手際のために、満様にも大変ご迷惑をおかけいたしました」
満のもとへ謝罪しに行くと、満は笑顔で迎えてくれた。
「いえいえ、私こそ申し訳ないです。葵さんが御父上に呼ばれているあいだだけでしたら大丈夫だろうと、思っていたのですが」
「いえ。その後、サクラ様はいかがですか?」
「おそらく心労がたたっていたのでしょう。後夜祭には参加しないとおっしゃられて、お早く屋敷へと戻りました。今、葵さんの御父上が警護にしているはずです」
「そうですか。ありがとうございます」
葵は満に頭をさげて、その場を離れた。次は誰に謝罪にいけば良いかと考えていた時、不意に後ろから腕をつかまれる。振り向くと、そこには椋がいた。
「葵。その……話があるんだけど、いいかな?」
「今でないと駄目か? 俺今、謝罪の挨拶まわりをしているんだ」
「うん。今でないと駄目」
椋は頑固に首を横に振った。
仕方ない、と葵は彼の後をついていくことに決めた。彼にも責任があるとはいえ、どのみち謝罪とお礼を言わなければいけなかった。椋は葵を引っ張って校門から出た。どこへ行くつもりだろうかと葵はいぶかしむ。椋はどんどん先へ立って歩いていく。今宵は満月ゆえに、行く道は比較的明るかったがそれでも道がわかる程度だ。島には街灯が存在しない。
つれてこられた場所は、島に唯一ある宿だった。椋は玄関から入ると、受付に立っている宿の主人に「こんばんは」と挨拶をして、その前を素通りした。葵も主人に頭をさげてから椋のあとを追った。
宿は、主人以外はいないのかひどく静かだった。廊下を歩く2人分の足音と、庭から聞こえてくる虫の声は静かなものだった。きっと他の人たちも後夜祭のために出払っているに違いない。いつも玄関口には見張りなのか、誰かしらいるものだが。彼らさえもいなかった。
だが、島に唯一ある宿には、今日。本土から来た組織の人間たちが泊まっていると、祖母と父の立ち話で耳にした。そのことを思い出した葵は、椋の腕を思わずつかんだ。
「何?」
振り返った椋が葵を見てくる。
「この先にいるのって、誰? 俺が知ってる奴?」
「たぶん、知らないと思う」
「この島の人間?」
「違うよ」
「本土か?」
「うん」
葵は1歩後ろへとさがった。その手を椋がつかんでくる。
「大丈夫だよ。バレやしない。宿の主人には絶対誰にも教えるなって、金を握らせた」
椋は焦っているようで、小声でなおかつ早口でまくしたててくる。葵も同じくらいの声量で反論した。
「俺が言いたいのは違う! 宿にいるってことは組織の奴だろ? どうしてお前がそんな奴らと関係を持ってるんだ。下手すると消されるぞ!」
「そんなの怖くない。いいから早く。見張りが誰もいない後夜祭の……っ、今がチャンスなんだよ!」
突如、右脇にある障子戸が開かれた。葵は思わず身構えてしまう。そこからでてきたのは、昼間に屋敷裏の森で見かけた田村普だった。普側も葵に気付いたのか、目を見開いた。
「田村さん」
葵の隣にいた椋が、普に親し気に声をかけるから、なお葵は驚いてしまう。
「紹介するよ、葵。彼は、田村普さん。本土の「桜ノ島対策の会」の人だよ。――そして、田村さん。こちらは僕の友人で、サクラ様の傍付き、護衛を担当している葵」
「葵さんですか。昼間以来ですね」
普が親し気に声をかけてきたので、葵は黙って頭をさげた。そうしながら、まさか椋は普に会わせるために自分をここまで呼んできたのだろうかといぶかった。しかし何故? それに椋は普とやけに親し気な様子だ。いったいどこで彼と知り合ったのか。本土にいた頃だろうか。でもどうやって? 様々な疑問が頭の上でぐるぐる回り続ける。しかし、見ず知らずの相手に動揺をさとられては、体裁が悪いので冷静でいるためにもと、表面上は顔色ひとつ変えなかった。
葵は顔をあげて、椋と親し気に会話をしている普をじっくりと観察した。
「まさか田村さんが本当にこちらへうかがうとは、思ってもみませんでした。先ほどは申し訳なかったです。うまく周りを出し抜けたと思ったのですが」
「そう簡単にはいきませんよ。ですが、巫女の方もすぐに見つかってよかったです。本当は、私の方が先に見つけるつもりでしたが、土地勘のない人間では駄目ですね」
言いながら普は、葵に視線を向けてきた。葵は目をそらすことなく、黙って見つめ返す。
「葵。そんなにらまないであげてよ……。田村さんは悪い人ではないんだから」
「大丈夫ですよ、薬師くん。歓迎されないであろうことはわかっていますから。ここでは人の目があるかもしれませんから、よろしければお部屋で話されませんか? 今、上司も同僚もいませんので」
「はい」
普はでてきたばかりの部屋へと引っ込み、椋もそのあとに続いた。葵も仕方なくそのあとに続く。部屋は6畳間の、人が1人泊まるには比較的普通の大きさのものだった。部屋が繋がっているのか、四方の壁のうち2つは、襖だった。
たしかに部屋に人はいなかったが、きっと襖の向こうで聞き耳をたてている人たちが何人かいるはずだと葵は推察する。いったい何をしゃべらせるつもりだろう。大人を呼んでくるべきだろうかと考えた。
勧められた座布団に、椋と隣同士で腰かける。普は備え付けの急須からお茶を淹れてくれた。椋は差し出された湯呑を手に取って、口をつけた。葵は口をつけなかった。いつまでも湯呑を凝視していると、普が笑いかけてきた。
「そんなに警戒しなくても良いよ。何もしないから」
「――では何故、私はここに呼ばれたんですか? 椋もどうして呼んだんだ」
椋は湯呑をテーブルに置くと、ひどく真剣な表情で葵に体を向けてきた。
「葵は、サクラ様に最も近い場所にいる人間なんだ。だから折り入って相談がある」
「どんな?」
「サクラ様を、本土で保護してもらう手助けをしてほしんだ」
「椋、最近おかしいぞ。お前」
「違うよ、葵。おかしいのはこの島の人間だ。1人の人間を犠牲にしてまで島を存続する意味があると思う? 僕はそんなの間違っていると思った。昔は全然、そういうの……当たり前だって受け入れてきたけど、日本を見ると違うよ。外の世界に目を向けると違うってわかるよ。おかしいのはこの島。おかしいのはこの島の風習やしきたりに従って生きている人間。正しいのは、外の世界の人間なんだって!」
「島と外じゃあ、価値基準が違う。お前、今言ったことを俺以外の人間に言うなよ! 島のじじばばに似たようなこと言ってみろ。間違いなく異端児扱いされる。薬師の人間は頭がおかしいって、ハトさんやツバメさんたち家族にまで泥を塗ることになるぞ!」
「家族のことは関係ないだろっ!」
「落ち着いてください、2人とも」
白熱していく言い合いを遮ってきたのは、普だった。
「まず葵さん。これを見てください」
言われたとおり、葵は普をにらみつけるように目を向けた。普はその手に自分用の湯呑を手にすると、それをあっという間に飲みほした。意図がわからず、葵は普をじっとにらみつける。別段、何も起こらなかった。
「なんだよ」
「私はお茶を飲み干しました。その結果、異常はありません。お茶には毒も何も入っていませんから、どうぞ飲んでください」
「今は気分じゃない」
葵は湯呑を普へと戻した。
「すみません、田村さん。葵は人から差し出されたものには、いっさい口をつけないんです」
隣でペラペラと人の個人情報を話す椋が、心底憎らしかった。最近、椋の様子がおかしかったのもきっと、本土で普と接触したせいがあったのだろう。でなければ、サクラ様を殺すだの、本土に保護してもらうだのと言うはずもないのだ。
「椋、お前は何が目的なんだ」
葵の問いかけに椋は「サクラ様を保護することだよ」と繰り返した。
「サクラ様を保護するというよりも、ごく普通の人間として生活してもらうことが僕の本心なんだ。いつか殺されるサクラ様を見て見ぬフリすることなんて、僕にはできない」
「殺すわけじゃない。奉納するんだ」
「生きたまま櫻神の根に埋める。殺しと何が違うのか疑問だよ」
葵はため息をついた。このままでは埒が明かない。本当に椋はどうしてしまったのだろう。昔はこんな奴ではなかったはずだ。大人の言うことによく従い、周囲の反応を常にうかがう弱々しい人。そういう印象が彼にはあった。だからそういう弱い面が度々周囲から、弟のスズメと比べられてきたことも、葵は知っている。
「まさか、今日サクラ様が失踪したのも、椋が後押ししたとか言わないよな」
「そうだよ。僕が後押しした。サクラ様はすぐに従ってくれたよ。そのあとで対策の会の人に相談するつもりだったんだ。そうする前に、田村さんが行動してたみたいだし。サクラ様はさっさと葵に捕まったわけだけど」
椋は白衣の袖口をまくって、そこから銀色の時計を見せびらかした。椋の趣味には合わなそうな腕時計で、葵はずっとそれが引っ掛かっていた。同時に、普がわずかに反応したのを葵は見逃さなかった。
「この腕時計にはおそらく、探知機能みたいなものがありますよね。田村さん」
「気付いていましたか」
「僕が島の人間で、サクラ様のもとに頻繁に出入りしている者だとわかれば、サクラ様の居場所を突き止めるためにも探知するための機械が必要だろうと思いました。僕が田村さんの立場だったら、似たようなことをすると思ったまでです」
「やはり薬師くんは頭が良いですね」
いきなり褒められて照れたのか、椋は困ったように笑い、頭の後ろをかいた。
「この腕時計でサクラ様の居場所を突き止めた田村さんは、当日に屋敷へ忍び込んだ。そこでサクラ様と鉢合わせたんだと考えました」
「正解です」
椋は葵へと向き直る。
「サクラ様にはあのとき、『どこでも良いから逃げてください』と僕は言ったんだ。きっとそのあとすぐに田村さんがサクラ様を助けてくださると見越して。だからサクラ様を逃がしたのも、田村さんをサクラ様のもとへと導いたのも僕だ。だからもし非があるのなら、僕自身なんだ」
「そうまでして、椋はサクラ様が島の人間のために犠牲になっていると言いたいのか」
椋ははっきりとうなずいた。
「この風習を終わらせるためにも、サクラ様にはこの島をでていってもらいたい」
もしこれを島の大人が聞いたら、椋は今日のうちに死体になるか。あるいは屋敷の地下牢にぶちこまれてしまうだろう。この秘密を知っているのが自分で良かったと安心できるのはそこだけだった。自分が話さない限り、椋の悪行が島の人間たちに知れ渡ることはまずない。
「今日はここまでにしましょう。2人とも。もう夜も遅いですから」
「そうですね」
椋が座布団から立ち上がったのを見て、葵も立ち上がった。最後に普は、葵に向かってこう言った。
「葵さん、もし本土へ来ることがあったのなら是非いらしてください。歓迎いたしますよ」
葵は最後までそれを聞かずに、さっさと部屋から立ち去った。
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