第2話 油断

 屋敷へ戻った葵は、満に会うと、早速吉野から預かった言伝をそのまま伝えた。満はにこやかに、「わかりました。時間を作っておきます」と言って、それを伝えるために遣いの者を離れに向かわせた。

 その夜、葵は再び実家に戻ってきていた。家から呼びだしを受けたわけではなかったが、明日の祭りのために必要なものが実家にあることを思い出して取りに戻った。時刻はすでに11時を回っていた。もしもワタに知られたらお叱りを受けるかもしれないと静かに家に入ると、家のなかは真っ暗だった。もしかしたらもう皆、寝ているのかもしれなかった。

 靴を脱いで、音をたてないよう気をつけながら家にあがる。電気は点けられなかった。足元に何もないか慎重に確かめながら、廊下を進んで階段へ向かう。その道の途中にある部屋の、わずかに開かれたドアの隙間から、明かりがもれていることに気が付いた。そこはワタの部屋だった。

 話し声がわずかに聞こえた。ワタの声と木槿の声。何を話しているのだろうと気になって、ついドアに耳を押し当てた。


「……近いのですか」

「ええ、そうです。もしかしたら此度は案外早く、儀式が来ることでしょう」


 ワタはため息をついた。


「まったく。このようなことはあまり言いたくはないのですが、とんだことをしてくれたものですよ、先代は。清らかな娘ではない体で、神と契りを交わしたのですから。きっとそのせいで、神も寿命が縮まっているのでしょう」

「しかし、その血を分けた娘というのも、また危険では? だから私は当時反対したのですよ。あの子どもを跡継ぎにするのは」

「咲様は当時、まだ幼かったでしょう。本当に女性なのかも疑われましたし。満様のような例があっては困りますからね」


 どうやら2人は、櫻巫女奉納ノ儀について話しているようだった。しかし打ち合わせをしているわけでなく、愚痴をぶつけあっているという感じか。ほとんどがサクラ様に対する悪態に聞こえたが、この2人でもそんな不満があるのかと葵は少し驚いた。

 サクラ様はこの島においては、神の次に偉い立場にある存在だ。むろん、悪口を大きな声で言えば、死罪にあたる。だから小さな声でしか愚痴を言い合えないのだ。

 葵はそっとその場を離れ、階段をあがった。時折、ミシッという音がしてひやりとした。階段の下を振り返るが、何も変化はない。どうやら彼らは自分たちのおしゃべりに夢中で、葵のことはいっさい気が付いていないようだった。

 部屋に入った葵は、タンスの引き出しから、真新しい足袋を2足とってから部屋を出た。最後に母の寝室を振り返るが、そちらからは何の音もしなかった。ワタと木槿が延々としゃべっているのに、母だけが夜らしい時間を過ごしている。マイペースな母らしいと感じた。

 翌日、毎朝の恒例でサクラ様の朝の礼拝に付き従い、それが終わると島全体が一段と浮足だち始めたのを葵は肌身に感じていた。今日ばかりは浄衣ではなく、桜模様のある白の斎服を着る。姿見で自分の姿を何度も確認しておかしなところがないことをたしかめてから、葵は部屋をでた。

 廊下の前を慌ただしい足取りで、女中たちが各々の手に風呂敷を持ちながら、サクラ様の部屋へと入っていくところを見かけた。

 葵はサクラ様の部屋の前で待機をしていた。背後にある部屋では衣擦れの音や女中たちの明るい声が時々漏れ聞こえる。今、サクラ様は祭りのためのおめかしをしているのだ。それまで葵は、ここで待機していなければならなかった。

 そのとき、椋が部屋の近くを通りかかった。


「葵、おはよう。身辺警護中……?」

「ああ」

「今、サクラ様と話せない……?」

「今は無理。サクラ様は着替えている最中だから」

「わかった。……あ、そういえばさっき。木槿さんに会ったよ。えっと、葵を呼んできてほしいって」

「何の用事?」

「さあ、わからない。そこまでは、聞かなかったから……」


 椋はどうしてここにいるのだろうかと、葵は気になった。今日のサクラ様の体調が万全かどうかを確かめに来たのだろうか。


「離れても良いなら離れるけど、俺はサクラ様の警護中だ。役目は放棄できない」

「なら僕が代わりにやるよ。部屋の前で見張っているのなら、僕でもできる。簡単な仕事でないのはわかってるけど、わざわざサクラ様を狙う人なんてこの国にはいないよ……」


 葵は改めて、椋の顔をじっと見た。椋も葵のことをじっと見ている。そうしてしばらく二人で互いを見つめ合った。椋が何を考えているのか葵にはわからなかった。本当に父親が自分を呼んでいる? わざわざ役目を放棄させようとしているのかと考えると、いつもの父にしてはあり得ない気がした。疑い深く感じた。

 椋が噓をついているとしたら、果たしてそれは何のために?

 彼の真意を探ろうとしていた矢先、満までもが現れた。


「おはようございます、お二人とも」

「満様、おはようございます」


 葵と椋は満へ、同時に挨拶をした。


「どうかしましたか? サクラ様の部屋の前で」

「……いえ。すみませんが、満様。父から所用を言付かったので、しばらく持ち場を離れてもよろしいでしょうか?」

「ええ、大丈夫です」

「ありがとうございます」


 葵は満に頭をさげ、最後に椋を見た。彼はあえて無表情を貫いているかのようで、葵へは見向きもしなかった。

 葵は廊下を歩きだした。木槿を探すつもりで屋敷のあちこちに顔を覗かせてみるが、屋敷は広いためあまり時間をかけているとあっという間に過ぎていく一方だ。いっそ、一度実家に戻るのもありかもしれないと感じて、屋敷を出る。木槿が昨夜家にいたことはすでに確認しているが、これからあと一時間もすれば祭りが始まる時分にいつまでも家にいるわけもないかと思った。

 しかし、木槿は実家の玄関の前にいた。ワタや他の人たちと立ち話をしている様子だった。何を言っているのかはよく聞き取れない。真面目な顔をしているあたり、真面目な話をしているのだろうなと思いながら、葵は「父上」と声をかけた。

 振り向いた木槿は、驚いた顔をして葵を見た。どうしてお前がここにいるんだと言いたげな顔で、今まさにそう言おうとしてなのか、口を開こうとした。しかし木槿が言う前に傍にいたワタが言った。


「おまえ、ここで何をしているの! サクラ様の警護はどうなすったのですか!」

「父が私に用事があると言伝を受けました」

「そんなことは言っていない」

「そうでしたか」


 やはり椋は噓をついていたかと、葵は納得した。しかし何のために? 今すぐに戻って、椋を問い詰めるべきかと考えたが、サクラ様の近くには満もいるから一応大丈夫だろうかと思った。


「誰から聞いたのです。用事があるだなんて」

「……女中からです」

「そう。だとしたら勘違いです。用事なんて」

「お待ちください、母上」


 木槿がワタの言葉を遮った。


「葵もサクラ様を守る立場ゆえ、一応話されたほうが良いかと思います」

「何かあったのですか?」


 葵は木槿とワタを交互に見ながら、問いかけた。ワタは仕方ないと言いたげにため息をつきながら、口を開いた。


「日本から昨日、何人かの視察団が派遣されたようです。一応、島の人間が24時間の監視を行っていますが、視察団のリーダーと思われる方が、サクラ様を一目見たいとおっしゃっているようです」

「無理とおっしゃれば良いのでは?」

「むろんそうしています。しかし言うことを聞かなくて困っているという連絡がありました。まったく、この国の人間でもない方にサクラ様のような高貴な方とお目通りかなうなんて、万に一つもありえません。そのため、私がこれから視察団の方と面会をしていっそのこと、追い返してしまおうかと考えている次第です」

「決断は早い方が良いでしょう」


 その場にいた人が賛成の意を示す。ワタはそれに後押しされる形で「そうですね」とうなずいた。


「視察団の方が泊まっている宿へ案内してください」

「かしこまりました」

「葵、あなたはサクラ様から片時も離れないように。木槿と共にしっかり連携してください」


 葵がうなずこうとしたそのとき、慌ただし気な様子で女中が姿を現した。


「あ、葵さん! こちらにいらっしゃったんですねっ!」


 女中は束ねていた髪を振り乱し、汗もかいていた。立ち止まって、ハアハアと息を整えながら、「サ、サクラ……様がっ」と口にした。


「サクラ様が、どこにもいらっしゃいません!」

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