第6話 疑心

 椋との交流は、彼が島へ戻る半年後まで続いた。

 そのあいだ、普は何度となく椋との接触を試みては、度々情報交換を行った。普は桜ノ島の情報や巫女がどこに住んでいるのかを聞き、その代わりに椋から自分が教えられる範囲での「対策の会」の情報を共有させた。


「どうしてそう、ちんたらやってるのよ。田村くんは」


 年が明け、日本でもそろそろ桜が咲き始めるだろうという3月。同僚の丸井まるい明理あかりに言われた。


「ちんたらって、こう見えて結構頑張ってるんだけどなあ」

「頑張りはわかってるわよ。母校で講演をしていたらたまたま島の人間に出会って、今日まで交流が続いているのは大したもんだわ。でもね、あたしたちだって暇じゃないの。情報はなるべくもっと、多く欲しい。そのためには前にも言ったけど、その薬師って子をここに連れてきて、洗いざらい吐かせるのが1番だと思うわ」

「キミは相変わらず野蛮だよね」

「勝つためには手段を選ばないと言ってほしいわね」


 いったい彼女は何と戦ってるんだか。普は心のなかでため息をつきながら、ミルクとシュガーがたっぷり入ったコーヒーを一口飲んだ。


「情報はなるべく早く、正確に。そして多く仕入れておきたい。丸井の気持ちはわかるよ。僕だって同じ気持ちさ。でも、だから慎重にいかなきゃいけないと思うんだ」

「どうしてよ」


 丸井は胸の前で腕を組みながら首をかしげた。普は彼女の疑問に答える。


「僕だって、相手が普通の中学生だったらここまで慎重にはならないよ。この仕事にやりがいだって感じている。だからキミの言うように、この事務所に招き入れて尋問でもなんでもしようと思えばできたさ」

「いきなり物騒な言い方をするのね」

「キミが僕の立場にいたら、それくらいしそうだけどね。まあともかく、それでも僕はしない。あの中学生と対面してると、それがはっきり分かるよ」

「もったいぶらないでよ」

「――彼、自分が情報を差し出す代わりに同じくらい価値のありそうな情報を、僕からも引き出そうとしている。並みの中学生にできることではないよ、あれ」

「今の中学生だったら、案外それくらい」

「僕には弟がいるんだ。ちょうどあの薬師少年と同じくらいの年齢のね。仮に弟がああいう交渉の場にいたとき、あそこまで手の込んだことはしないと思う。自分の知りたいことを一方的に聞いて、こっちの要求には包み隠さずペラペラしゃべる。中学生ってそういうもんだよ。薬師少年のこと、普通の中学生と思ったらいけないよ。彼は日本の中学生じゃない。あの桜ノ島で学んでいる中学生だ。いったいどういう教育があの島でされているのかは知らないけど、サクラ様とかいう巫女を守る立場にいる彼は、きっと幼い頃から大人と対等の立場で色々と学んできたのだろう。例えばほら、中学生になってから野球を始めるのと、物心ついた頃からボールに触れてバッドに触れて野球をしてきたのでは、ある程度の差がうまれるだろう。もちろん、才能うんぬんを抜きにする前提だけど」

「言われてみると、たしかにそうね」


 普は椅子の背もたれに深く寄りかかった。


「彼がいったい、どういう目的で僕から情報を得ようとしてくるのか。それは僕にもわからない。もしかしたら情報を仕入れることで島のみんなに危険を知らせようとしているのか、あるいは本当に彼の言った通り、自分の島の異常性に気付かされて現状打破のためにも行動を起こそうとしているのか。果たしてどちらなのか」


 そのとき、事務所のドアが開いた。そこから後輩の内山が顔をだす。その手には大きな紙袋を抱えていた。


「田村先輩。頼まれていた資料、持ってきました」

「ありがとう。わざわざごめんね」


 普は立ち上がり、内山から紙袋を受け取った。ずしんと来る重みが肩に衝撃を与える。中身は古い書籍と紙の束だった。


「いえ、これくらい全然です」


 後輩の内山はそう言って笑い、自分のデスクへと戻っていった。



 椋が島に帰る1週間前に、普は再び彼とカフェで待ち合わせた。3月最後の週。日本では桜が咲き始め、ぽつぽつと春がやってこようとしていた。普はアイスレモネードを頼み、椋は例によっていつものようにクリームソーダを注文した。


「帰るといっても、1ヶ月だけですから。5月にお祭りがあってその手伝いのために」

「そうですか」

「そちらも動いているんですよね。テレビで見ました。「対策の会」の方たちが近く、島への渡航を計画していると」

「ええ」

「気をつけてくださいね」


 何故、忠告をされるのかはわからなかった。島の人間が本土の自分たちを快く思っていないことを心配しているのだろうか。普はレモネードを飲む。春だからだいぶ温かくなってきたとはいえ、まだアイスは早すぎたようだ。少し後悔した。それにしても、椋は季節問わずに毎回クリームソーダ。よく選べるものだなと思った。


「そうだ。椋さんにこれを渡しておきます」

「はい?」


 普は右腕にしている銀色の腕時計をはずし、それを椋の目の前に置いた。椋はぎょっとして、「受け取れませんよ!」と腕時計を戻そうとする。

 その手を普は制した。


「いえ、受け取ってください」

「けどこれ、高価な時計でしょう?」

「大したことありませんよ」

「どうして僕に」

「そうですね。友情の証とでも思ってください」

「はあ……」


 椋はいまいち納得がいっていないようだったが、普が無理やりにでも時計を彼の手に握らせると、しぶしぶといった様子で受け取った。時計を左手首につけた。

 4時になったとき、また『さくらさくら』の音楽が鳴り始めた。椋は急いでクリームソーダを飲み干し、帰り支度を始める。その目の前で普ものんびりと支度を始めた。


「ではまた、もしも会えたら」

「はい。また本土に戻ったらそのときに連絡します」


 去り行こうとする椋に普が手を振ると、彼はぺこりと丁寧にお辞儀をして帰って行った。



 時は戻り、現在。普は斎藤から受け取ったメールに返事をしてからパソコンを閉じた。

 まもなく、明日は出発の日だ。東京から船にのって約丸1日かけて現地へ向かう。昨年はあまりに長時間のクルーズに途中で船酔いになってしまった。そのため、船酔い防止のための薬も忘れずに持参しておく。

 以前、内山からもらった資料を見て、わかったことがある。

 桜ノ島からは毎年、数人単位で本土に永住を決める人間がいるようだ。だがそれは「対策の会」の人間にはいっさい知られていない。「対策の会」にとって島の情報は喉から手がでるほどに欲しいものだ。それが例え小さな情報だとしても、島に住んでいる人から得られるものは割に合う。プライバシー保護の観点などもあるだろうが、せめて「対策の会」の人間にだけでも知らせておくべきなのでは?

 薬師椋に関してもそうだ。どうしてそういう重要な情報ほど、隠されているのか。政府が把握していないはずがない。もしかしたら、あえて隠されているのか。何のために?

 時計を見ると、すでに時刻は日をまたごうとしていた。明日は早い。9時には竹芝客船ターミナルへ行かなければいけない。

 普は立ち上がって、寝室へと急ぐ。これが終わったら有休をとろうともう一度自分に言い聞かせた。最近あまりまともな睡眠をとれていない。田舎に帰ってゆっくりしたかった。

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