第5話 対話

 それから1ヶ月に1度の頻度で、普は大学近くのカフェで椋とよくお茶をした。もちろん、素性は隠したままだ。そして知られないように録音をすることも忘れなかった。

 お茶をしようと誘いをかけるのは、決まって普だった。渡されたメモ用紙から電話をかけたとき、受話器をとったのは女性の声だった。


「もしもし、小桜です」


 電話するところを間違えただろうかと一瞬焦ったが、そういえば椋は下宿先から学校に通っていると言っていた。


「僕は、田村普という者です。そちらに下宿している薬師椋くんの同級生なのですが、今椋くんはいらっしゃいますか?」

「あ、椋さんですね。少々お待ちください」


 どこまでも丁寧な口調の「小桜」を名乗った女性。直後、椋が電話に応じて2人でお茶をする約束を取りつけた。


「薬師くんは学校の寮に住んでいるわけではないんですね」

「はい」

「小桜さんという方とは、いったいどういう関係なのか。聞いてもいいですか?」

「え、っと」


 椋は今日も、クリームソーダを注文していた。飲もうとしていたのかストローを手にしたものの、すぐに離して答えに迷っている様子だった。

 もしかしたら、小桜も桜ノ島に関係している人物かもしれないと普は推測した。島にいる子どもが留学という形で本土にやって来ることがあるならば、彼らの保証人となるべき人間が必要だろう。


「いえ。答えたくなければ良いです」


 普はそう言って、紅茶を飲んだ。最近ようやく季節が冬になったという実感が湧いてきたばかりだった。その証拠に、紅茶は身に染みるくらいに温かかった。


「交換条件でも良いのなら」


 椋はうつむきながら、前髪のあいだに見える桜色の瞳で普を見あげた。


「僕も、田村さんにお聞きしたいことがあるんです。あのあと、家に帰って調べました。あなたは「桜ノ島対策の会」の方ですよね?」

「そうですね。あたっています」


 特に隠す必要もないので普はうなずいた。


「で。ではやはり、サクラ様を……。島の言い方ですみませんが、拉致するということですか?」


 椋の声は周囲を気にするように、だんだんと小さくなっていった。


「そうですね。我々は保護、と呼んでいますが」

「そうですか」


 椋は複雑な表情を浮かべていた。

 島にとって大切な信仰対象でもある巫女を失うことは、そこに住む人間にとってどれだけの不安を煽るだろうか。島に住む一般の人だったら怒っているかもしれない。だが、椋は怒っているわけでも、悲しんでいるわけでもなかった。何かを必死に考えてそれを頭のなかでまとめようとしているのか、口を真一文字に引き結びながら、じっと黙っている。普は答えを促すことなく、黙って紅茶を飲んだ。


「やはり僕らの島は、おかしいでしょうか?」

「どうでしょう。島には島の文化がありますから、私たちがおかしいと思っていても、島の人間にとっては普通でしょう?」


 桜ノ島をおかしいと思うかは、人それぞれの感性によった。日本でも「おかしいからやめさせるべきだ」と言う人もいれば、「大昔から続いている大切な文化を奪うことは、文化の衰退を助長させるだけだ」と批判する人もいる。世界的に見てもそんな感じだった。

 ただ、人を犠牲にさせてまで信仰を続けている宗教というのも、体裁が悪いから。日本は対策に乗り出しているだけ。結局周囲の目を気にしているだけなのだ。


「僕は日本に来てから、ずっとおかしいと思っています……」


 椋は両肘をテーブルの上でついて、組んだ両手に額を押し当てた。


「幼い頃はこれが普通なんだと思っていました。島の人間の大半は、産まれてこの方。島から一歩もでたことがないんです。だからこの環境が普通だと思える。けど、思えばおかしいんですよ。だってあの島、……っ。一人の女性を信仰して、最後は桜の木の下に、う、埋めるんですよ」


 普は紅茶のカップを持つ手に力を込めた。

 やはり人身御供は行われていたのだ! 普は椋の声を一言一句聞き漏らさないように耳をそばたて、彼の唇の動きに注視した。話を止めては駄目だと自分に言い聞かせる。ようやく手に入れた情報に、普は自分のなかで高揚していく気分を味わった。


「正直、あの桜の大樹だってうさんくさいと思っています。推定樹齢がどのくらいかは知らないですけど、季節を問わず。ずっと咲き続けているんですよ。不気味じゃないですか。ただ、あれあるでしょう。こっちの島に来て知ったんですけど、梶井基次郎さんって方が書いた『桜の木の下には』っていう短編のタイトル。あれ、桜の木の下に死体が埋まってて、桜があんなに綺麗な花を咲かせるのは、……埋めた死体の、血を吸ってるからとか。だから島の桜も、もしかしたら純潔な女性の生き血を吸って、今まで生きてきたんだと思います。それ考えたら、あの桜の木がもう。怖くて怖くて」

「ストップです、薬師くん」


 がたがたと震えだす椋の肩に、普はそっと手を置いた。彼は顔を上げて不安そうな目で普を見ると、ふぅと息をついた。両手をおろし、クリームソーダを見つめるとストローを手に取って飲んだ。手はまだ震えていた。


「す、すみません。興奮してしまって。昔から、こうなんです……」

「いえ、大丈夫ですよ。というより、よく話してくださいました」


 平静を装い続けたが、正直に言うと、普もかなり興奮していた。それまで憶測にすぎないと思われていた、人身御供を行うことで保持されてきた信仰。それがようやく島に住む人間の口より明らかにされた。これは大きな収穫だ。


「ゆっくり、深呼吸してください。薬師くん」


 普の要求に、椋は一度肩を大きくあげて息を吸うと、ゆっくりと吐き出した。普も彼と同じように深呼吸をした。これは椋だけでなく、自分のなかで流行る気持ちを落ち着かせるためでもあった。本当は今すぐにでも、仕入れたばかりの情報を、録音したデータと共に斎藤たちに送りたかった。

 椋の手がクリームソーダへと伸びて、それをつかんだ。ストローをくわえてごくごくと飲んでいく。普も一緒になって紅茶を飲んだ。もうだいぶ冷めていた。


「落ち着かれましたか?」

「はい」

「聞きたいことがあるのですが、よろしいですか? それとも今日はもうここでやめて帰りましょうか」

「いいえ……。何が、聞きたいですか?」

「薬師くんは島の信仰がおかしいのではないかと思っているのですか?」


 椋は黙った。深刻な顔をしたまま、クリームソーダをじっと見つめている。心のなかで何かと葛藤しているかのようだった。


「認めるのが、怖いんです……。僕らのやり方はきっと、間違っているんだと思います。でももしそれを認めてしまったら、今までずっと生きて。信じてきたものが、一気に崩れてしまうのではないかと思えてきて。それが、怖い……」


 大人びているように見えても、中身はまだどこにでもいる普通の中学生だ。それまで信じてきたものが突然信じられなくなるのは、大人だって怖いものだ。

 椋の目が窓の外へと向いた。つられるように、普もそちらへ目を向ける。窓の外では帰宅途中なのか、制服を着た中学生が楽しそうに笑い合いながら駅の方角へ歩いている姿があった。あの制服は、品川区内にあるどこかの私立中学の制服だ。見覚えがあった。

 きっと椋も、同年代の子たちと一緒にいれば、窓の外にいる彼らと同じようにごく普通の中学生で有り続けたのだろう。だとしたら彼にここまでの葛藤を植え付けてしまったのは、何が原因だ? 育った環境か、あるいは背負わされた業か。もしかしたら自分と出会わなければ彼は自分のなかの疑問を打ち消して、ごく普通の大学生活を送っていたかもしれない。

 だが普には、椋に同情する余地なんてなかった。自分にとって桜ノ島の情報を仕入れることは仕事の一環で、上司の斎藤は来年までに問題を解決できない場合は対策の会からはずされることとなっている。自分をこの世界に引き入れてくれた彼の期待に、なんとしてでも応えたい。


「……そういえば、交換条件でしたね」


 不意に椋が小さな声でつぶやいた。店内に流れる音楽に紛れるほどの小さな声だったので、危うく普は聞き逃すところだった。「ええ」とうなずく。

 椋は視線を窓から、普へと移した。


「田村さんはおっしゃいましたよね。小桜家は島の人間かと。予想は当たっています。小桜家はサクラ様信仰の直轄の一族の一つ。日本に住んでいることで、僕みたいな本土にやって来る人のための拠点ともなっています」

「今、留学生はキミだけなのですか?」

「すみません。お答えできません。交換条件なので」

「なるほど。では何か知りたいことはありますか?」

「田村さんたちは、僕らの島についてどのくらいのことを知っているんですか? 僕は、対策の会については島にいたときから風の噂で聞き及んでいました。しかし、実際に島で会ったことは一度もありません。きっと島の偉い人たちが対策の会の方たちを常に監視して、あまり自由に外を歩かせないようにしているからだと思っているんですが。……あ、これは答えなくていいです。今知りたいのは、島についてどのくらい知っているかということなので」

「どのくらいというと、抽象的なのでなんとも言えませんね」

「えっと……、そうですね。今言ったように、もし監視下に置かれているのなら、島の偉い人たちが対策の会の方々を、サクラ様に会わせることは絶対ないと思うんです。島の人たちは、外からやってくるものにすごく、敏感ですから。だからサクラ様がどういう方かも存じ上げないはずです」

「そうですね、知りません。会ったことさえありません。ただ、そういう存在がいると聞いて、その人が人身御供の目に遭っていると知っただけです」

「それはどこから」

「次、薬師くんの番ですよ」


 普は椋の言葉の先を遮った。


「……留学生は、僕1人です。他にも日本に渡ってきている方はいるのですが、大抵は家族で移住しているみたいです。島の教育設備が心もとないので、そういう人たちはたいてい教育熱心な親を持つ家庭ですね」

「島には、自ら進んで本土へやってくる人もいるわけですね。なるほど。そういう話はたまに聞きます」


 しかし、普のなかでは疑問が残った。もしそういう人がいるならば、政府側がしっかり把握しているはずだ。何せ、移住をしてきているならば、日本に永住するつもりで来る人がほとんどだろう。だとしたら、彼らは重要な情報源のはず。

 まさかとは思うが――。いや、考えるのはあとにしよう。職場へ戻ってから調べようと、頭の隅っこでメモをとった。


「さて。情報はどこから仕入れているのかってことですね。お答えします。明治時代の資料に残されていたのです。しかしそれに証拠の写真などはなく、文明開化の時代であるゆえにホラ話と揶揄する人もいました。ですが、その話が本当だと完全に世に知れ渡ったのは――島の方々にとっては苦い記憶だとは思いますが、それは第二次世界大戦中のことでした。当時、徴兵されていた島出身の軍人が、『自分の住んでいる島には、夏や秋、冬になっても枯れない桜の木があって、そこには何十人という、純潔な少女の死体が埋められている。桜が生き永らえているのは、その少女たちのおかげだ』と言った記録が残されているんです。その記録は、同じ班にいた日本の軍人が書き遺した日記にありました。桜ノ島に関する資料を漁っていくと、日本ではこの情報、わりと簡単に手に入りますよ」

「そうなんですか」


 そのとき、店内に独特な日本歌謡が流れた。店内に流れている音楽をかき消すような不似合いさに、普は眉をひそめた。音の出所は背後からだ。振り向くと、そこにある壁掛け時計が音楽を鳴らしていた。仕掛け時計なのか、円盤の12の部分にある小さな扉が開いて、羽根の生えた小人の置物がくるくるまわっていた。小人のスカートは桜の花弁のように見えた。


「なんですか、この曲」

「さくらさくら、という日本に昔からある歌です」


 普は手首にはめた銀色の腕時計で時間を確認する。4時。もうそんな時間になっていたのか。時間が過ぎるのが早い。


「その時計、かっこいいですね」


 椋が普の手首を見ながら言った。普はにっこりとほほ笑む。


「ありがとうございます」

「――ではすみません。時間が迫っているので今日はここで失礼させていただきます。あと、今回もおごってもらってしまって。本当にありがとうございます」

「いいですよ、全然。薬師くんは子どもなんですから、大人におごってもらうくらい気にしないでください。それにこのお茶代だって、経費で落ちますので私の財布には痛くも痒くもありませんから」


 だが、経理を担当している丸井からは小言を言われるだろう。「なんでカフェのお茶飲みながら話なんてするのよ。いっそ、こっちつれてきて、洗いざらい吐かせなさいっての」丸井のやり方はいつも横暴だ。女なのに喧嘩っ早い。


「それでは失礼します。さようなら」


 会計を済ませて外へでると、すでに空は夕暮れになっていた。椋は首に巻いたマフラーを口元まで引き上げると、最後に普に向かって頭をさげて駅へ向かって歩いていった。

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