第4話 桜ノ島対策の会

 政府の「桜ノ島対策の会」は、政府の重要機関があちこちに点在する千代田区に存在している。都営浅草線の高輪台駅から電車を乗り継いできた普は、虎ノ門駅の11番出口からエスカレーターを使って地上へあがった。

 左手にある江戸城の外堀跡の前を通って、その先にある階段を軽快に駆け上がった。その隣にはエスカレーターがあったけれど、普はなるべくそこを使わないようにしていた。東京にいるとどこにいても、自動で動くものが多くてそれに頼ってしまう。このままでは運動不足になりかねない。中学から大学までの10年間、登山部に所属していたので学生を終えてからは運動不足になっていることを、日々痛感している。

 階段を上がってすぐ左手に、「桜ノ島対策の会」の小さな事務所はある。本来は文部科学省下の組織だが、対策の会が発足したのはおよそ半世紀前だったために、庁舎外で活動することになったそうだ。政府の重要機関の一部にしては規模が小さすぎやしないかと世間でも散々叩かれている。

 普はドアを押し開けた。


「ただいま戻りました」


 カウンターを隔てた向こう側では「桜ノ島対策の会」にいる仲間たちが仕事をしている最中だった。3つほどある長いデスクにそれぞれ5人ほどがパソコンに向かっていたり、書類整理をしていたりと大忙しだ。出入口に一番遠いデスクから、「おーい」と手を振られた。「桜ノ島対策の会」の会長である、斎藤だ。

 普は玄関マットで靴についた汚れを落としてから、事務所へあがった。斎藤は近づいてきた普に、単刀直入に「録音は?」と聞いてきた。

 これです、と普はスマホを彼に渡した。


「さっきも言ったように録音はしましたけど、ためになる情報はあまり得られませんでしたよ」

「いや、それでもいい。相手の連絡先は押さえてあるんだろう?」

「ええ、一応。それもさっき伝えた通りです」

「なら何度か接触を図ってみるべきだ。相手にはなるべく気取られないようにな」

「はい」


 斎藤は普から受け取ったスマホを見つめていた。「どうかしましたか」と聞くと、斎藤は困った顔をしながら「これどうやって開くんだ?」と逆に聞いてきた。斎藤はガラケーの世代だから今でも私用はガラケーを使っている。しかし、一年前から仕事用は全てスマホに切り替わったゆえに、若い世代にスマホの扱い方を聞くことは度々あった。

 普はスマホの電源を入れて、「このファイルです」と音声ファイルを押した。


「鞄の中に隠しながら録音したので多分、音小さいと思います」

「ああ、わかった。えっと、音量ボタンは――これか」


 ザザッと小さな雑音が入る。そこからくぐもった声が聞こえた。


「で、斎藤さん。戻ったらすると言っていた、大事な話ってなんですか?」

「あ、ああ。そうだ。忘れていた」

 斎藤は音声を一時停止させた。

「桜ノ島へ行く日が決まったぞ」

「いつです?」

「半年後の5月。最初の週の土曜日だ」


 普はデスクに置いてあった卓上カレンダーを手に取った。六か月先は来年の話だからもちろんカレンダーにはまだ記載されていない。だが、5月の最初の週の土曜日は日本人ならば誰もが予想できる日だった。


「となると、ゴールデンウイーク中ですね」

「ああ。おそらく港には旅行者も多いだろう」

「島へは連絡するんですか?」

「一応な。島とは友好な関係でありたいと思っているから」


 友好な関係、ね。普は顎に指を添えてうなった。

 桜ノ島が1人の少女にしていると思われる行為は、人間のすることとは思えない悪逆非道の行いだと世界中からも批判の声が集まっている。たった一人の少女を救うために何十年と手をこまねいている日本へも、同じくらいの声が集まっているくらいだ。


「何故そんな島を何十年も野放しにしているのか」

「本当に助けたいのなら、島の人間と殺し合いになってでも助け出せ」


 だが、日本は絶対に暴力による解決は行わない。それは第二次世界大戦で敗戦国となったことによる反省からくるものだった。もしここで島民たちを脅してでも少女を助けようとするならば、80年以上と言う年月。ずっと平和をうたってきた日本の在り方が崩れ去り、世界からどんな目で見られるかわからない。

 日本はずっとそう。常に体裁を気にしていて、常に「誰にどう見られているか」を気にして怯えている。敗戦国という負い目から来るものなのか。あるいはそういう国民性なのか。普にもよくわからなかった。

 しかしあまり手をこまねいているのがよくないことも事実である。「桜ノ島対策の会」は日本政府のなかでも、特に文部科学省の管理下に置かれている。そのため、政府と文科省からは度々圧力がかかっている。例えば、対策の会の会長である斎藤は4年前に文科省から派遣されたばかりで、彼が着任する前から会長やそのメンバーが5年周期で入れ替わっているらしい。ようするに、5年以内に問題解決できないようならクビということだ。


「メンバーはどうするんですか?」

「そうだな。とりあえず私と、田村、丸井、それから他にも何人かベテランを連れて行く。SPも同じくらい連れて行くことになるだろう」

「そうですか。来年に入る新人は?」


 斎藤は首を横に振った。


「いや。今回は連れて行かない」

「そうですか」


 来年のうちに問題解決ができなければ、斎藤はおそらく担当からはずされることになるだろう。普自身もそう悠長に構えている暇はなかった。自分も来年に解決できなければあと3年。タイムリミットは刻一刻と迫っている。

 斎藤は音声ファイルを再生して、録音の内容を聞いた。最初は真剣だったものが、だんだんと眉間に縦皺の寄った厳しいものへと変わっていく。そして全てを聞き終えた彼は一言。


「半分くらい、関係ない話も混ざってないか?」

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