第3話 悪習

「あの、1つうかがってもよろしいですか?」

「なんですか?」

「田村さんは、本当に櫻神之国――桜ノ島の研究をなさっているんですか?」


 先ほど母校で行った講演で、普は「桜ノ島の文化と歴史的背景」について語った。表向きは学生の学習の幅を広げたいという学校の意向に沿うために行ったものだったが、「桜ノ島対策の会」にとっては、自分たちの仕事を知ってもらうことで学生たちにとっての、働き口の一つとなれば良いと思ってのことだった。

 普のなかで、ピリッとした。わずかな緊張が走った。同時に鞄の中にある、録音中のスマホを意識する。


「すみません。ちょっと、気になってしまって」

「いえ、構いませんよ。そうですね。……私は桜ノ島の文化に学生の頃から興味がありました。大学のゼミでも桜ノ島の文化について専攻していたくらいです」


 そしてゼミの研究結果を発表する場において、来賓者として招かれた斎藤に目をつけられ、「桜ノ島対策の会」という政府の一組織に属することになったのだ。

 そうだったんですね、と椋はうなずいていたが、彼はがっかりした表情をしていた。彼の求めていた答えではなかったらしい。だとしたら、今の質問にいったい彼は何を求めていたのだろう。さすがに、島の人間に「巫女を助けるための仕事をしている」と言えるわけがない。

 椋はクリームソーダをまた一口飲んだ。ソーダの上にあったアイスクリームはほぼ溶けきっており、下の方に沈んでいる。ストローから口を離すと、椋はしゃんと背筋を伸ばして真っすぐに普を見てきた。


「では、率直にうかがいます。田村さんは桜ノ島をどうなさりたいのですか?」

「どう、とは?」


 普は椋の目を真っすぐ見返しながら、首をかしげる。彼の桜色の目は、前髪が邪魔してはっきりとは見えない。こんな髪型では目を悪くするだろうにとどうでも良いことを考えた。


「島にいるとき、本土が話題になると大人のみんなは必ず悪いことばかり言います。私たちの文化を穢す野蛮な人たちだとか、サクラ様を拉致しようと企む悪魔だとか。でも僕はそうは思えないんです。特にここに住んでいるとわかります。みんな、島のことを一種の都市伝説だとか言ってはやし立てたり、あるいは自分には関係がないと無関心な人もいます。テレビを見るとたまに政治家たちが、悪しき風習だと批判していたりしますけど。ここに住んでいるとわかるんです。あ、ここにいる人たちは僕らとそう変わらない普通の人間なんだって」


 普はうなずきつつ、コーヒーを口にした。先ほどよりもマシな味がしたが、それでもまだ苦みはあった。

 普も、島には年に一度しか行ったことがない手前、島の人間と交流をしても、彼らは常に冷え切った態度で出迎えてくれる。宿も手配してもらっているが、常に監視されているような状態でまるで囚人にでもなった気分だ。同僚の丸井は終始張り付くような視線に、「気持ち悪い」と嫌がっていた。


「それで僕、思ったんです。もしかして自分たちがしていることは、本当はとてもいけないことなのではないかと」


 島の人間は基本的に、本土の人間を「敵」だと思っている。それは日本がかつて桜ノ島に何をしでかしたかを見れば、当然のことかもしれないと普は思っている。当時の日本は、島民たちのプライドやそれまで築いてきた全てを踏みにじったのだ。

 だが、目の前にいる少年はどうだろう。何故、島の人間が中学生という年齢で大学に通っているのかはわからない。巫女の医者になる予定だと言っていたから、おそらく医者になるために留学してきたのかもしれない。経緯はどうあれ、彼は今まであった島の人間たちと比べても、いくらか話のわかる人物ではないだろうか。

 いっそ事情を全て話すべきか、そうしないべきかと逡巡していた矢先。椋が不意に「すみません」と謝ってきた。


「僕、そろそろ帰らないと」


 彼の目は普の背後を向いていた。彼の見ている方に普も目をやると、そこには壁掛け時計があった。時刻は4時になろうとしている。


「すみません。長々とお話をしてしまって」

「いいえ。こちらこそ。まさか島に住む方と貴重なお話をすることができて嬉しかったです。もしよろしければ、またどこかでお会いしても?」

「はい、大丈夫です。ちょっとすみません」


 椋は自分の鞄を開けると、中からメモ用紙とペンを取り出して何かを書いた。それを終えるとメモ用紙を切り取って、普に差し出してきた。


「これ。僕が下宿している先の電話番号と、住所です。もし他にも聞きたいことがあれば連絡ください」

「わかりました」


 普はそれを受け取って、名刺入れにしまった。ついでに椋に自分の名刺を差し出しておく。


「これは私の名刺です。電話番号もあるので、何かあれば」

「ありがとうございます。――あ、あと。もし下宿先に電話をかけることがあったら、僕の同級生ということにしてください」


「わかりました」とうなずきながら、何故同級生を名乗らなければいけないのだろうと不思議に思った。下宿先となるとおそらく学校の寮にでも通っているのだろうが。気にはなったけれど質問をするのは止めておいた。椋がやけに急いでいることに配慮して、あえて口にせず、普は伝票を手にして立ち上がった。

 会計を済ませてカフェを出る。女性店員の「またご利用くださいませ」の言葉を背中で聞きながら、次来たときは久しぶりにパンケーキを食べに行こうと決心した。そのときは私用だ。


「では、僕はこっちなので」


 椋が指差した方向は駅の方角だった。普はうなずいた。


「そうですか。ではもしまた会う機会がありましたら、よろしくお願いします」

「こ、こちらこそ」


 椋は頭を深くさげると、背中を向けて駅へと急ぎ足で向かっていった。

 普もこのあと、職場のある千代田区へ電車を使って戻らなければいけなかったが、その前に斎藤へ連絡するのが先だった。スマホを鞄から取り出して、録音を停止するとすぐに電話をかけた。三コールで斎藤は出てくれた。


「もしもし、田村です」

「斎藤だ。終わったのか?」

「はい。とりあえず録音はしました。向こうにも気付かれていないと思います。あと、相手の下宿先の住所と電話番号を手に入れました」

「そうか。ならすぐに戻ってこい。お前を交えて大事な話がある」

「わかりました」


 普は電話を切ると、一度時間を確認した。Yシャツの袖をまくると、銀色の腕時計が見えた。社会人になって初めての給料日に購入したものだ。GPS機能がついた最先端もの。もちろん高かったけれど、防水機能もあるし高い所から落としても壊れないのはありがたかった。

 時刻は4時半を少し過ぎた頃。ここから駅までは10分もかからない。椋はもう電車に乗って下宿先へ戻っただろうか。なるべくすれ違わないようにしたかった。普はゆっくりと駅へ向かって歩きだした。

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