第2章
第1話 本土
東京都品川区にある高層マンションの最上階から見下ろす夜の景色は、人工的な光で瞬いていた。少し目を遠くへ向ければ、高層ビルのあいだからひと際赤い輝きを放っているのは、東京タワーだ。だが、そのタワーは
ワイングラス越しから夜景が見えたところで、その輝きは肉眼で見たときと変わらない。所詮は人間の手によって作られた、無機質な光彩だ。果たして、ここから見える光たちのその先にいる人々は、いったいどのような生き方をしているのだろうか。今日という日を無事に終えた安堵に満ちているだろうか、あるいはまもなく日付が変わるとあって帰宅を急いでいる? もしかしたら生死をさまよっている人さえいるのかもしれなかった。
だが、そんなものさえも実はどうでも良かった。東京という町は生き急いでいる者たちばかりが集まっているから、それだけで息が詰まる。やはり自分は疲れているらしい。上司から言い渡されている出張を終えたら、有休をとって田舎へ帰ろう。
窓から背を向けたとき、テーブルの上に置かれていたパソコンがメールの受信を知らせていた。マウスを手に取って画面上のカーソルを操り、メールを開く。上司の斎藤からだった。
件名をすぐさま確認する。「週末の出張について」とあった。すぐにメールの本文を流し読みした。それでだいたいの内容は把握する。普はすぐに斎藤へ返信のメールを送った。
普はため息をついて、グラスにワインを足した。
普は政府内にある「
別に桜ノ島だけが他とは違う特別な島というわけではない。日本が領有している島は他にも様々な事情を持つ島が存在している。その島でしか生息しない生物が生きる島、売春を生業としている島など。その有りようは様々だ。そして島に住む人々はたいていの場合、自らの文化や自然を大切にしているために世間と反りが合わないものだ。
桜ノ島の場合、それは顕著と言っても良い。何せ、あの島に住む人々は自らを一つの国と主張しているからだった。日本からの完全な独立国家であると言っている。
明治時代、日本は領有権を主張するために島に生きる人々と桜ノ島条約(桜ノ島は日本の領有だと明言する条約)を結び、当時、
日本がそれでも、桜ノ島を独立国家として認めないのは、領海が狭まってしまうのを危惧してのものももちろんあるが、その他にも理由があった。それは、桜ノ島に古くから発達している文化によるものである。
あの島には日本や他の国々には存在しないとある宗教が、島民全体を支配している。島のちょうど中央に位置する、決して枯れることのない桜の木。ギネスブックにも登録されかけたが、島民たちが島を荒らす不届き者としてその申し出を却下したのは、世界的にも有名な話だ。何故、その桜の木は枯れることがないのか、21世紀となった今でもわかっていない。好奇心を抑えられない研究者たちがこぞって研究の申請をだしているが、島民たちはやはりこれも拒んでいる。
ただ、明治の頃にとある有名な政治家が書き残した資料にはこんなことが書かれている。その政治家は桜ノ島条約を結んだ際に立ち会った人物とされているが、彼はそのとき「何故、この島の桜は枯れることがないのか」と当時の島民たちに尋ねた。するとこんな答えが返ってきたという。
「齢二十の清らかな娘を、
その発言に疑問を持ったその政治家は、まもなく行われた儀式を遠目で見学。すると、桜の木の根元に一人の若い女性を生き埋めにする様子が目撃されたという。島民たちはそれを当然のものとして受け入れていたが、第二次世界大戦後まもなくしてようやく事の重大さに気が付いた日本は、桜ノ島の文化を異端であるとし、巫女をなんとしても救おうとその身の引き渡しを要求するようになった。
しかし、そうなってしまうと島民たちも黙っておかなかった。日本と結んだ条約を一方的に破棄し、挙げ句儀式を島民以外には見せないようにと隠匿し始めた。ゆえに日本は半世紀以上ものあいだ、儀式をその目で見たことはない。ゆえに今でも儀式が行われているかはわからなかった。
そのため、毎年決まった時期に桜ノ島で行われる桜祭りに参加することとなったわけだ。もしそこで櫻巫女奉納ノ儀が行われることがあれば、ただちに巫女の安全確保のために行動すること。週末にある桜ノ島の出張は、いわば祭りに参加することが目的だった。
普はグラスに注がれた赤色のワインを飲んで、息をついた。対策の会が桜祭りに参加するようになったのはここ10年以内の話なので、実際に祭り中に奉納が行われたという事実はいまだ確認されていないらしい。もしかしたらこの10年以内で巫女は死んでしまったのかもしれないし、あるいはまだ死んでいないのかもわからない。日本人はいまだに巫女がどういう女性なのかも知らなかった。島民たちが協力しあって巫女の存在を隠し通そうとしているのである。
だから果たして、祭りに参加することが本当に巫女の保護に役に立つのかはわからなかった。
普はふと思い立って、ポケットのなかからメモ用紙を1枚取り出した。そこには携帯番号と名前が書かれている。名前には、「
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