――――――伍――――――
(……まさか、
八塚神社を目指してきた
敷地全体を覆う、ドーム状の簡易結界。
さっきの若い術士の話からすると、
清崇は正門に近づくと、ゆっくりと結界に手を伸ばす。
すると何の抵抗もなく、腕は結界をすり抜けた。
(……対象を
――とっさに張った簡易結界で、このレベル。
清崇は結界を張った術士の腕に、素直に感心する。
正面に人影は見当たらないが、中に2人分の気配を感じた。
1人は
「主様、こちらです」
清崇は塀に近づくと、隙間から裏庭の様子を覗いた。
(……!)
顔はこの位置からは見えないが、その姿が視界に入った瞬間に感じた―――圧倒的、脅威。
――これが千年前
僧と向かい合うように立っているのは、清崇とさほど歳が変わらないように見える、高校生くらいの男だ。
(当主じゃないな。あの顔のアザ……見たことがある。あれは確か――)
圭一郎は特級の術のせいか、身動きがとれていないようだった。眉一つ動かさず、微動だにしない。体から生気と呪力が流れ出て、僧へと吸い込まれているように見える。少し離れた所には、長髪の袴の男が片膝をついている。こちらも身動きがとれていないようだ。
(……手を出すつもりはなかったが)
清崇は背の弓に手を伸ばしかけ―――――やめた。
裏門に、白装束の術士が2人、駆けつけてくるのが見えたからだ。
その
不意に圭一郎が、動いた。
そしてその腕を大きく振りかぶると――――
『貴様、なぜ動け――』
――ドカッッッッツ!!
圭一郎の拳をまともに受けた特級が、反対側の塀まで吹っ飛ぶ。
清崇は、目を疑った。馬鹿な、特級だぞ。
素手で触れたらいくら術士でも―――
いや、
圭一郎からは、陰陽師特有の、洗練された呪力を感じられない。
――それなのに、なぜ。
「……を祓い給え―――急々如律令!」
白装束の術士が、特級に向かって術を放つ。いくつもの銀色の光の筋が、僧の体に突き刺さる。五芒星が地に現れ、カッと光り輝いたかと思うと、まばゆい光が僧の体を包みこんだ。
『ぐああああああああ!!』
その光に焼かれるようにして、僧は跡形もなく消えた。
清崇の目には、もはやそんなものは映っていなかった。
―――僕に同じ事ができるだろうか?
当の圭一郎に、異変は見られない。自分の拳を見つめ、少し顔をしかめた程度だ。
――非官人でありながら、安倍晴明と並び称される実力を持っていた蘆屋道満。
その才能は、いまだに引き継がれているというわけか。
清崇は、どうしても近くで顔を見ておきたくなった。
・
・
「えらいけったいな気配やと思ってきてみれば……蘆屋の管轄でしたか」
ふとした時に
圭一郎と、清崇の目が合う。
―――長い、沈黙。
二人の間に、異様な空気が流れる。
清崇はその
ほぼ初対面の
――切っても切れぬ縁、強力な巡り合わせ。
そして今後この男の存在が、必ず自分にとって
この時、圭一郎もまた、直感的に感じていた。
――何もかも違う、相容れない存在。
ただ今後、必ずこの男に深く関わらなければけないときが来る、という一つの予感。
確信にも近いその予感は、必ずしも良い意味を持たないことも、2人は本能的に感じていた。
なんとも、不思議な出来事だった。
「……面白いもん、見せてもらいましたわ」
清崇はそう言い残すと、蘆屋家をあとにした。
・
・
『聞こえておられますかな、清崇どの』
安倍家に戻った清崇の前に、小さな人型の紙が1つ現れた。紙には少量の血が付着している。
宙に浮遊したそれから、年配の男の声がする。
『ご報告したいことが――』
「既に聞いています。現場に赴いたので」
清崇が、容赦なく一善の声を遮る。その声は、極めて冷ややかで事務的だ。
『おや。では、説明は不要ですね。何やともあれ無事片付きましたという報告ですよ』
――事後報告か。清崇は思わず冷笑する。
『……とはいえこれは人間世界を揺るがしかねない重大事案です。今後、事後処理に少し忙しくなると思いますが、
「お気遣い、ありがとうございます。でも結構ですよ」
『……あまり無理はしないように。困ったことがあったら何でも言ってください。では、また』
その声を最後に、紙はジュッと赤く燃えあがる。
灰と化した残骸が、はらりと足下に散った。
・
・
・
夏の気配を感じる、生暖かい風が頬を撫でていく。清崇は、京都の街が見渡せる高台にいた。
なぜあの日、
陰陽連の調査が入ったが、一週間経った今も原因は分かっていない。術士の死後も永続する、最強度の結界。そのノウハウは、当の勧修寺家にすら伝わっておらず、千年の間いかなる術士も再現できずにいた。
それだけに、術士界に与えた衝撃は大きかった。
――結界の老朽化か、はたまた人為的なものか。
直後に開かれた主幹術士による緊急集会は、疑心暗鬼に陥った術士たちの腹の探り合いで、
『―――自分の中に芯を作るんだ。何があっても絶対に揺るがない、自分を貫く芯。お前は、お前の意思を貫け』
ふと、父の言葉が
どんな文脈で言われたのか、今となってはもう思い出せない。精神力を鍛える修行の最中だったかもしれない。
清崇は、おもむろに肩に弓を掛け直した。
「――紫苑。今日も頼む」
「はい」
―――夜はまだ、始まったばかりである。
【外伝】Antinomy―五芒星の彼方― 赤蜻蛉 @colorful-08
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