――――――肆――――――


 ”その日”は、窓から見える月が、やけに明るい夜だった。



 清崇せいしゅうは、安倍家敷地内の蔵の中にいた。

上下二層になった蔵の壁一面に、陰陽道や呪術に関する年季の入った書物が所せましと並んでいる。


 アンティーク調のランプが乗った文机ふづくえの上には、開いたままの書物が数冊。清崇は時折この蔵にもり、調べ物をしていた。

 歴代の当主が見落とした、を解く手がかりを得るために。


 時刻は、既に深夜1時をまわっている。



 (……今日も収穫なし、か)


 ページをめくっていた手を止め、パタンと書物を閉じた、その瞬間とき




 ――――― ぞ   わ   り



 「!」


 清崇の顔が強張こわばる。


 これまで数え切れないほどのあやかしや怨霊と対峙してきたが、そのどれにも似つかない―――とてつもなく邪悪で、強力な気配。


「紫苑。いるか」

「はい」

紫苑はそばで控えていたと見え、清崇の呼びかけに間髪入れず現れる。

「どのあたりだ?」

の方角……おそらくは八塚やつかの辺りかと」


(八塚やつか……八塚神社。あそこは確か――)


「……少し散歩に出よう」


 清崇は矢筒と弓を取ると、早足で蔵を出た。


 敷地の正面まで来たところで、屋敷の中から血縁の術士や安倍家で抱えている見習い生が数名、慌ただしく出てくる。


「清崇様、これは……」

「ああ、かなりの大物だ。このレベルだと陰陽連おんみょうれんじかに動いてるはずだけど……念のため見てくるよ」

「ご一緒します。あなたに何かあっては……」

そう申し出たのは、清崇の叔父にあたる人物である。


「式神もついているので大丈夫ですよ。それよりここに何かあると後々あとあと面倒なので、ここを頼みます」


 清崇は何か言いたげな叔父を残して、安倍家をあとにした。










 タクシーで八塚に向かう途中、陰陽連おんみょうれんの白装束の術士が、慌ただしく動き回っているのを見かけた。


 陰陽師・呪術連合じゅじゅつれんごう―――通称 陰陽連おんみょうれんは、かつての陰陽寮おんみょうりょうに起源をもつ、術士の統括機関である。

 スカウト(現在残っている術士の家系は片手で数えられる程度だが、民間人であっても才能を見込まれて術士になる者もいる)の術士も含めた、現代に残る術士を管理・育成し、必要に応じてその派遣を行っている。

 そのトップ―――理事の座は、安倍家と賀茂家、陰陽宗家の当主が5年ごとに交代で勤めてきた。しかしここ何年か、安倍家当主の低年齢化をうけて、賀茂家がその地位をほぼ独占していた。



 清崇は窓の外に眼をやりながら、手の中で黒いカードをもてあそぶ。

 この一見何も書かれていない、両面真っ黒なカードは、その陰陽連から支給されたものだ。術士の身分証明のようなもので、呪力を込めると等級や所属、姓名が浮かび上がる仕様になっている。月番や緊急時には、このカードを提示するとタクシーが無料で利用できるのだ。



 祇園にさしかかった辺りから、一気に邪気が濃くなる。



「ここで降ります」



 清崇がそう告げると、運転手はちらりと顔を見てから、何も言わずに車を路肩に寄せた。











清崇せいしゅう様!わざわざ足を運ばれたのですか」


 タクシーを降りて少し歩いたところで、清崇は若い陰陽連の術士に声をかけらた。若いと言っても清崇よりは年上で、大学生くらいにみえる。

広範囲に拡散した邪気を浄化するため、陣を書いて回っていたようだ。


「状況を教えてくれる?」

「……はい!」


 安倍家の当主である清崇に頼られたことが嬉しいのか、若い術士は嬉々とした表情で話し出した。


勧修寺晴久かじゅじはるひさの、鏡池かがみいけの結界が破られたようです。その境目さかいめを通って特級のあやかしが一体、此のこっち側に出てきています。今のところ民間人の被害はなく――……」


(!このやたらでかい気配は特級か)


 呪術全盛の平安時代に、特に優れた力を発揮した8人の術士、「八傑はっけつ」の1人――勧修寺晴久かじゅじはるひさ

 「鏡池の結界」は、彼が他の八傑と共に張った、あやかしが人間の世界に行き来可能な場所ポイントである、「境目さかいめ」を封じる結界の一つである。彼の死後も結界は永続し、約1000年の間彼の岸(=妖怪や物の怪の世界)と此の岸(=人間の世界)を隔て、特級レベルのあやかしの進入を拒んできた。


 その結界が破られたとなると――――予想以上に状況が悪い。


「……それで特級は今どこに?」

「八塚神社からそう遠くないはずです。勧修寺の血を引いた術士がたまたま近くにいて、特級を結界内に留めていると聞きました。そろそろ「」の術士が現地に着く頃だ思うのですが……」


 術士としての実力を表わす4つの等級―――へきすいとうのうち、最上位にあたる「」。特級レベルのあやかしともなると、他の等級では歯が立たない。ちなみに清崇の等級もまた、「緋」である。




(……それにしても、だ)


  勧修寺かじゅじの結界のことや、特級の出現にも驚いたが―――


 清崇の脳裏には、陰陽連の現理事、賀茂一善かもいちぜんの顔がちらついていた。


 この状況緊急時で、宗家の当主ぼくに情報を回さない、か。

言霊ことだまなり式神なり、伝達手段はいくらでもあるだろうに。



「……落ちたもんだな」


「え?」


「いや、状況は分かった、ありがとう」


 清崇は若い術士に礼を伝えると、気配の方へ向かって走り出した。






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