拝啓、令和のあなたへ

冬野瞠

文通で繋がった私たち

 令和の現代では考えられないだろうが、私が小学生の頃くらいまでは、雑誌の最後などに文通相手募集のコーナーがあったものだ。

 これは、そうして知り合った文通相手と私との、少し不思議な出来事の顛末てんまつである。顛末と言っても、全ての経緯いきさつつまびらかになったわけではないのだが。

 もしこれを読んでいる人の中に、私たちと同じような体験をして、詳しい事情に通じている人がいたら、ぜひとも話を聞かせてほしい。



 まず私たちについての話から始めたい。

 私の名前は律香という。リツカではなくリッカと読む。平成初期生まれで、一番長く付き合っている友達が文通相手、というのは少し珍しいと思う。付き合っているといっても、相手に会ったことはないのだけれど。

 文通相手の名前はミユキ。美行と書く。女の子だ。彼女を初めて知ったのは小学校低学年の頃、当時購読していた雑誌のペンパル募集欄だった。

 そこには彼女が十二月二十三日生まれであり、同じ誕生日の人に会ったことがないから同じ生年月日の人と文通がしたい旨が記されていた。文通相手との最初の連絡は編集部を通じて取る形式になっており、募集欄には居住地の都道府県までが併記されていた。彼女の住まいは隣県だった。

 幼い私は短絡的に運命だと思った。私も天皇誕生日生まれで、同じ学年だったから。

 統計的にも十二月二十三日生まれはかなり少ないと知る、何年も前のことである。

 私たちはお互いに顔も知らないのに妙にウマが合った。好きなテレビ番組も音楽も同じ、得意な科目も苦手な科目も同じで、特に生き物に強い興味があった。私たちは犬や猫やうさぎなどの身近な動物から、絶滅した古代生物や恐竜、果ては架空の生き物まで、毎回何枚もの便箋を使って語り合った。

 高校に進学する頃にはそんな熱も落ち着いてのんびりした交流になっていたけれども、一年に五、六往復ほどの手紙のやりとりは続いた。小学生の頃に始まったそれは、なんと二十年近く途切れずにいた。

 私が関東の大学院を卒業し、地元の研究機関で働き始めた時分、世間の耳目じもくを集めていることと言えば断然、新しい元号のことだった。

 改元へのスケジュールは前々から決まっていたけれど、二〇一九年の四月一日にとうとう新しい元号が発表されると、急に平成が終わることが現実味を帯び始め、世間の空気も私の心境もにわかにそわそわし始めた。

 元号が変わるってどういう感じなんだろう。平成が令和になるんだ。なんだか変な気分。自分は平成生まれだから、生まれた瞬間からずっと誕生日は祝日だったのに、平日になってしまうんだろうか。それって正直、耐えられない気がする。

 その時の手紙には、そういったもやもやした不定形の気持ちを綴った。同じ生年月日のミユキも同じ気持ちに違いないと確信して。複雑なこの心模様を分かってくれるのは彼女しかいない。

 次の手紙は珍しく一週間と置かず届いた。たった一枚の便箋を開き、一目見て思わず瞠目する。


 ――令和ってなに?


 そう書かれていたからだ。



 改元について、日本にいて知らないなんてことはないだろう。

 私はミユキが冗談を言っているのだと思った。あるいは、平成が終わり天皇誕生日が移動してしまうのを受け入れられずにいるのかもしれない、とも。

 我々はSNSなどで繋がる気はなかったから、手紙で遅々としたやりとりを繰り返した。その気がなかったというか、おそらくそれでは連絡が取れないだろう、といううっすらした予感があったのだ。

 文通を初めて数年経った頃、電話してみようかという話題が出たことはあった。互いに自宅の電話番号を教え合い、どきどきしながらその数字の列をプッシュしたものの、受話器から返ってくるのは「おかけになった電話番号は現在使われておりません」という冷たいアナウンスだけだった。

 電話をかけ合って互いにその状況なので、子供ながらに何かおかしいなとは思ったが、二人ともなんとなく深入りするのを避けて有耶無耶うやむやにしてきた。そんな記憶もあり、手紙以外でやりとりする気は全然起こらなかったのである。


 ――令和は令和だよ。元号が変わるの、知らないわけじゃないでしょ?

 ――元号が変わるって、平成が終わるってこと? そんなのどうして事前に分かるの?

 ――どうして分かるっていうか、さんざんニュースになってるじゃん。この前の四月一日に新しい元号が発表されて、五月一日から令和になるって。

 ――四月一日ならエイプリルフールなんじゃないの? そんな話、聞いたことないし。ネットにも載ってないよ。

 ――だって発表したの政府だよ? 政府がエイプリルフールに乗るわけないじゃん。私も検索してみたけど、ニュースもネットもそればっかりだよ?


 らちが明かない。まるでミユキは本当に、改元や令和のことを何も知らないみたいだった。意味が分からない。



 平成もあと数日を残すところとなり、世間のそわそわも最高潮に高まったタイミングで、謎を解く手がかりが意外なところからもたらされた。

 私の母親である。

 文通していることを親には言ってあったけれど、相手のプロフィールの詳細は伝えていなかった。親相手といえど、ミユキの了承を取らずにぺらぺら喋るのはプライバシーの侵害のような気がしたし、何より、彼女との交流を自分だけの秘密にしたかったからだ。親もそんな気持ちを汲んでくれたようで、深く詮索してはこなかった。だから、親はミユキの名前も知らないはずだ。

 私はミユキからの手紙が来るのが楽しみで、実家にいる時は郵便受けを確認する役を買って出ていた。はっきり決まっているわけではないものの、自然とそういう役回りになったのだ。

 だが、その日は仕事でトラブルが重なって、残業を終えて帰宅するなり、思い詰めたような表情の母に出迎えられて肝を潰すところだった。

 母親に促され、老いが顔に出始めた彼女と相対して定位置の椅子に座る。テーブルの上には私宛の封筒があった。ミユキからのものだ。私が帰る時間が遅くなったから、さすがに母が郵便受けを覗いたようだ。


「ねえ、律香……。あなたの文通相手、美行ちゃんていうのね?」

「そうだけど……どうかした?」


 相手は目を伏せて口ごもる。言いたいけど、言い出しにくい。そんな心の葛藤と逡巡を示すように、唇が何度かわななく。沈黙を一分ほど経てから、やっと口火を切る。


「あなたに話してないことがあったの。びっくりするかもしれないけど、聞いてくれる」


 そう真っ直ぐな目をして切り出してからは、母の唇は滑らかに動き続けた。まるで、本当はもっと早く打ち明けたかったと言わんばかりに。

 母曰く――私は双子で生まれるはずだったらしい。一卵性の双生児だ。ところがお産の際、一人は心肺停止の状態で生まれてきて、産声うぶごえも上げずにそのまま亡くなってしまった。その時助かった方が私なのだと母は言う。


「女の子の双子って事前に分かっていたから、名前は考えてあったのね。その年は大雪でねえ、珍しく天皇誕生日になる前にかなりの積雪があったのよ。だから雪に関係する名前がいいかなって、決めてたのが六花リッカ深雪ミユキね。でも、その名前をつけたら、生まれてこれなかった深雪ちゃんのことをずっと考えてしまいそうで……。今でも思い出さない日なんて未だにないんだけれどね、その時はそう思って、名前の字だけを変えたのよ。それがあなたね」


 そこまで私の相槌も待たずに言って、封筒をそっと手に取る。差出人の住所と名前を見る目元が、私には潤んで見えた。


「今日初めて文通相手の子の名前をちゃんと見てびっくりしたわ。この美行ちゃんの名字、私が結婚する前の名前と一緒でしょ。だから、もしかしたら彼女は……」


 その先は尻すぼみになり、声にはならなかった。

 ミユキの名字が母の旧姓と同じだと、ずっと前から気づいてはいた。でも、ありふれた名字だったから、今まで気にしたことはなかった。

 同じ生年月日。つけられるはずだった六花と深雪という名前、実際につけられた律香と美行という名前。繋がらない電話番号。ミユキの名字と、母親の旧姓との一致。ミユキが知らない、令和という元号。

 そういう……ことなの?

 私の中では突拍子もない考えが渦巻いている。ミユキは私と一緒に生まれるはずだった双子の一人で、あちらでは彼女の方が生きていて、もうひとつの世界では平成がこの先もずっと続くんじゃないか、なんて。

 でもそれが、真実のような気がした。そう考えればすべての辻褄が合うからだ。

 私はそれを、余すところなく文章にしたためようとした。令和最初の私からの手紙は、長く分厚くなった。ミユキはこれを、荒唐無稽な冗談だと笑うかもしれない。個々の事象は単なる偶然で、ミユキは赤の他人なのかもしれない。それならそれでいい。私たちの友情は、たちの悪い冗談ひとつで崩れるような、そんなやわなものじゃないから。

 ミユキからの返事は遅かった。ひと月半ほど経ってから、私が出したものに匹敵するほど厚い封書が届いた。その手紙は、「拝啓、令和のあなたへ」で始まっていた。

 ミユキは、私と私の考えを笑うようなことはしなかった。

 彼女も親御さんに確認してみたところ、やはり彼女も双子で生まれてくるはずだったらしい。もう一人の名前が、リッカになる予定だったことまで同じだった。

 便箋の束を持つ手が、無意識のうちに震えている。


 ――驚いたけれど、嬉しかった。初めてリッカから連絡を貰った時、運命だと思ったから。本当にそうだったんだね。


 ミユキの字でそう書かれていて、私も、ペンパル募集の文章を見て運命を感じた当時の気持ちを思い出した。

 手紙は「平成の私より」で締められていた。これ以降、私たちの文通では「拝啓、平成のあなたへ」「令和の私より」といった挨拶が定形になった。

 これですべての謎が解けたわけではない。分からないことは山ほどある。手紙がどうやってあちらに届くのか。他の連絡手段は駄目で、手紙だけがミユキに届くのはなぜか。向こうだけ平成が続いているのはどうしてなのか。封筒に記されている住所に足を運んでみたらどうなるのか。

 疑問だらけだが、ただひとつ、私たちが友人であることは変わらない。きっとこれからもずっと、我々が顔を合わせる日は来ないんだと思う。

 令和も三年目になり、あんなに悲しかった平日の十二月二十三日にも少しずつ慣れてきてしまった。それが寂しい気もするけれど、平成が続く世界で生きるもう一人の双子を想うと、なんだかいつでも力を貰える気がするのだ。

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拝啓、令和のあなたへ 冬野瞠 @HARU_fuyuno

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